第7話 イザナミ

第七章

 

 季節は秋、とはいえ残暑が残る。

 晴明たちは、別室で厳重な結界のもとにいる。三種の神器を守るためだ。これを狙うあやかしたちも少なくないのだとか。

「朝ごはんお持ちしました」

「ありがとうございます」

 晴明が相変わらず柔らかな笑みを浮かべている。しかし、視線は三種の神器から離さない。

 黒雲が膳を受け取る。

「晴明さま」

「ありがとう」

 そうして、さも当たり前のように、黒雲は晴明に料理を食べさせる。黒雲が運ぶ箸に、晴明が口を開く、食べる、また口を開く。

「おかしいですか?」

 見透かすように黒雲が笑った。

 じっと見すぎたかも知れない。

「いえ……その……」

「晴明さまが食べ終わったら、今度は私が三種の神器を見張り、晴明さまが食べさせてくれるんですよ」

 その顔に、羞恥は一切ない。嬉しさや慈愛、それより先に、信頼で結ばれている気がした。

「私、失礼します」

「ええ。また」

 黒雲が控えめに笑った。

 羨ましいとさえ思った。あの安倍晴明に信頼を寄せられる黒雲が。黒雲の、晴明への思いを隠さないところが。

「はぁ」

 ため息が漏れる。と同時に、康仁の顔が思い出されて、ハッとした。

 ふるふると頭を横に振って邪念を払う。

 今、なにを思った?

「疲れてるのかな……」

 厨に戻って洗いものをする。この気持ちを落ち着けるために、いつも以上に念入りに洗った。

 夢中で洗い物をするまどかに、正盛が話しかける。

「なにかあったか?」

「べ、別に皇子さまとなにもないですよ!?」

「いや、俺は『皇子さまと』なんて一言も言ってないが?」

 ニヤリと笑う正盛に、まどかは焦るばかりだ。

 正盛には見透かされているような気がして、どうも落ち着かない。

「さっき、皇子さまが厨に来たぞ?」

「皇子さまが?」

「まどかの料理を味見したかったらしい」

 好奇心が旺盛なのはいいことだが、今日は正直顔を合わせたくない。

 先程の晴明と黒雲の件で、なぜだかまどかは康仁を想起した。それが妙に胸に引っかかっている。

「お、噂をすれば」

 と、正盛が恭しく頭をさげる。振り向けば、そこには康仁がいた。

「お、うじさま……」

「探したぞ」

 不機嫌なようにも、嬉しそうにも見える。

 まどかと出会わなければ、康仁は今もひとり、屋敷に閉じこもって家臣を虐げ、そんな生活を送っていたに違いない。そう思うと、今の幸せを噛み締めずにはいられなかった。

 

 昼夜を問わず、三種の神器の見張りは行われた。

 誰もが、晴明の力を信じていた。過信していた。 

 とある秋の夜である。

『侵入者だ!』

『皇子さま、お逃げください!』

 晴明が結界を張った屋敷内に、九十九神が現れたのだ。

 半透明で得体の知れないそれは、迷うことなく晴明たち――三種の神器に向かって走っていた。

「早かったですね」

 しかし、晴明は知っていたふうに、そう、九十九神に話しかけた。もちろん、返事はない。

「三種の神器が集まったとなれば、そなたがくると思いました」

 首が何本にも別れていく。九十九神、いや、ヤマタノオロチだ。

 神話によれば、ヤマタノオロチは草薙剣によって倒された。

 それだけではない。

 八咫鏡も勾玉も、歴史に記されていないだけで、ヤマタノオロチの討伐に関与している。

「三種の神器に恨みのあるそなたは、それをなきものにしたい、といったところでしょう」

 すっと、ヤマタノオロチの色が赤く染まったり透明になったり、ちかちかと点滅している。

 晴明が式神を顕現する傍らで、黒雲が三種の神器を見張っている。

「晴明さん!?」

 騒ぎを聞きつけたまどかが到着する。

 まどかはヤマタノオロチを見上げ、逡巡した。

 なにかおかしい。

 今までの九十九神とは明らかに違う。見た目もそうだが、霊力の感じがまったくの異次元だ。

 ズキズキと刺すような霊力に、まどかはたじろいだ。

「まどかどの! こちらに!」

 晴明の背後に走り、まどかは結界のなかに避難する。

「まどかさん。あれは九十九神ではありません」

「やっぱり……」

「あれはヤマタノオロチ。災厄の象徴です」

 晴明が懐から紙を取り出す。人型をしたそれにふっと息を吹きかけると、背の丈二メートルはゆうにこえる、大柄な『鬼』が二体現れた。

「そなたには悪いですが」

 晴明が手を振りかざすと、式神がビュッと一瞬でヤマタノオロチと距離を詰め、一方が体を拘束し、もう一方がヤマタノオロチの首を裂いた。

『ぐぉおおぉ!』

 けたたましい叫びとともに、ヤマタノオロチが晴明の呪符に吸い込まれていく。

 まどかは唖然とするばかりだ。

 晴明が並の陰陽師でないことは知っていた、しかしここまで強いとは思いもしなかった。

 そもそも、あの二体の式神は初めて見る。あれは異質だ、底知れぬ力を秘めている。

「あの式神は」

 呪符をしまいながら、晴明がまどかを振り返った。

「力が強すぎるゆえ、一度使うとひと月は出せません」

「あ……だから……」

「はい。それから、ヤマタノオロチは災厄の象徴ゆえ、何度討伐しても、新たなヤマタノオロチが生まれます」

 式神が紙の形に戻っていく。それを手のひらで受け止めて、晴明はやはり、笑っている。

「当分はヤマタノオロチは生まれません。ですが、私の式神もまた、ひと月は使えない」

 つまり、ここから神無月までの一ヶ月、なにかが起きたときに対処する術は、まどかにしか残されていない。

「私……頑張ります」

「ええ。そうしてください」

 決意を新たにするまどかの手は、震えている。黒雲がその手をそっと握りしめるまで、まどかの震えは止まらなかった。

 ヤマタノオロチを封印した晴明は、その場を黒雲に任せて康仁のもとへ走った。まどかも一緒である。

「皇子さま」

 しかして、部屋に蹲るのは康仁である。

 左手のアザを抑えながら、苦しそうに息をぜえはあしている。

「皇子さま、遅くなり申し訳ありません」

 晴明が康仁に近寄って、なにやら呪文を唱える。すると、少しずつではあるが、康仁の呼吸が整っていく。だが、苦しそうであることには変わりない。

「せ、晴明さん。火の九十九神はいないのに、なんで……」

「ヤマタノオロチは災厄の根源。呪いはより深く、不幸はより悲惨に」

 つまり、康仁にかけられた呪いが暴発している状況のようだ。

 まどかは康仁の傍にしゃがみこみ、そのアザにそっと触れた。

「皇子さま……!」

 今までのまどかであれば、康仁の呪いに対して無力であったに違いない。

 だが、今は違う。まどかは自分がやるべきことを、考えるより先に感じ取った。

 康仁の左手に意識を集中すれば、ぽうっとまどかの手のひらが光った。

 かと思えば、康仁のアザの赤みがみるみる引いていき、康仁はパチリと目を開いた。

「オマエ……」

「大丈夫ですか」

「……オマエに助けられる日が来るとは」

 起き上がる康仁を晴明が支える。まどかは力なく笑っている。

「アザ。また広がりましたね」

 まどかが平安に来たばかりのころは服に隠れていたアザも、今では手の甲、手のひらまで広がっている。

 痛々しい傷を撫で付けて、まどかは決意を新たにする。

「あとひと月の辛抱です」

「……別に俺は……」

「期待はしてないかも知れませんが。私は絶対に、呪いを解きます」

 ぎゅっと康仁の手を握るまどか。

 康仁はなにも言えなくなり、無言で顔を逸らすばかりだった。

 

 ヤマタノオロチに破壊された屋敷の修理のため、まどかの部屋が当分康仁の隣となった。

「……ねむれない……」

 ヤマタノオロチのせいなのか、康仁が隣の部屋にいるからか、まどかの目は冴えている。

 そもそも、寝ずに三種の神器を見張っている晴明たちへの後ろめたさもあるのかも知れない。

「アザ……広がってた……」

 普段康仁はアザをばれないように隠しているつもりだろうが、それがかえってまどかを困惑させる。

 なんとかしなければと心ばかりが焦って、まどかにはなにもできそうにない。

「……皇子……さま……」

 冴えていたと思っていても、やはり疲労は溜まっていたようだ。

 康仁を回復させたあの力は、無意識で使ったものだが、それは思いのほかまどかの体力を奪った。

「……」 

 やがてまどかは静かに寝入り、そして久しく、未来での夢を見たのだった。

 

 焼けるアスファルトの熱も、忙しい毎日も。今思えば、全てが充実していたに違いない。

 未来での夢を見たせいか、まどかは康仁との食事中もため息ばかりであったし、晴明たちに膳を運ぶ時も心ここに在らず、だった。 

「――い」

「……」

「おい!」

「わ!? 皇子さま!?」

 部屋にこもり、ぼうっとスマホを見つめるまどかに話しかけたのは康仁である。

 仮にもまどかの部屋なのだから、入る前に断るべきでは。内心でそう思いながらも、そもそもこの屋敷は康仁のものだ。居候のまどかがとやかく言える立場ではないと考え直す。

「どうかしましたか?」

「どうかしたのはオマエだ」

 康仁がまどかの真正面に座る。

「そのスマホとやらを眺めて、なんになる?」

「あー、これ。これはですね」

 ささっと画面を起動して、まどかはそれを康仁に見せた。

「ひと……そなた、人間も封印したのか!?」

「違います。これは写真。ほら、私も写ってる」

「……! オマエがふたりも……いや、三人……四人?」

 不思議そうに目を丸くする康仁に、まどかの表情が緩んだ。

「そうだ。記念写真、撮りませんか」

「とる? 写真? 俺はなにもやらん」

「いや、だから写真は」

「だから、『それ』は九十九神を封印するカラクリであろう?」

 説明しても埒が明かない。まどかは無言でカメラを起動すると、ぱしゃり。

「な、なにをする!?」

 康仁が立ちあがり、自身の体をくまなく見渡す。なにか『盗られた』ものはないかと。ぶわっと汗を吹き出して、康仁はまどかを見た。

「オマエ、俺になにをした?」

「写真に収めただけです。ほら」

 と、まどかは先程撮った康仁の写真を見せる。康仁はスマホを恐る恐る見やる。

「……俺がいる……?」

「はい。写真はそのひとの姿形を写し取る――記録に残す手段です」

「だが、俺の魂はとられてないぞ?」

「ふっ」

 思わずまどかは吹き出した。昔の――江戸時代にカメラが日本に伝わってきたとき、確か日本人は同じような反応をしたと聞く。いつの時代も変わらないのだ。

「魂はとりません」

「ではなにを『とった』のだ?」

「うーん。なんて説明したらいいのかな」

 結局、まどかは写真の仕組みを伝えられなかった。

 ゆえに、その日は一日中康仁に付きまとわれ、あれを撮れこれを撮れとせがまれたのだった。

 

 京を発ったのは九月は末である。

 前回と違い、晴明の式神での旅路は疲労を生まない。だというのに、まどかたちに会話は一切なかった。

「くぐりますよ」

 そしてあっさりとたどり着いた出雲大社に、まどかが意を決する。

 出雲に入った時点で、数多の九十九神、或いは霊的存在の数を思い知らされた。

 神無月は、出雲では神在月と呼ばれている。つまり日本各地の神々が、十月に限り出雲に集まるのだ。

「……怖気付いたか?」

 なかなか踏み出さないまどかに、康仁が言う。そして着いて来いとばかりに先に鳥居をくぐりぬけた。康仁の首からは勾玉が下げられており、懐には八咫鏡、右手には草薙剣が握られている。準備は万全だ。

「皇子さま!」

 慌ててまどかも鳥居をくぐる。晴明と黒雲も続く。

「……これは……」

 眼前に広がる景色に、まどかは息を飲んだ。

 現状、まどかが封印した九十九神はたった四体。そして、目の前に居るのは残りの九十五体。

 唯一、火の九十九神だけは見当たらない。

『ぐぉぉお!』

 九十九神たちが一気にほえた。

 まどかと康仁を――敵を見つけ、そうして次々に襲いかかる。

「皇子さまは後ろに!」

 晴明が結界をはる。康仁は火の九十九神を封印するために、その力は温存しなければならない。歯痒いが、致し方なしと康仁はさがる。

 一方まどかも、火の九十九神に対抗するため、雨の式神は使えない。となると、

「集中、集中……」

 スマホから顕現したのは風の式神である。

 しかし、まどかの意識がなかなか式神に同調しない。前回、式神を使役しながら腕を切り落とされた記憶が、痛みが頭を過ぎって、集中しきれない。

「まどかさん。大丈夫です」

 黒雲が震えるまどかの手を握った。

「今日は私も晴明さまも、全力でまどかさんを後援します」

 黒雲とて怖いはずだ。それは、黒雲がまどかと同じ巫女だからだ。

 このおびただしい数の九十九神を見て怯まない人間などいないだろう。

 しかし黒雲は、言葉通り動いた。式神を顕現し、使役しながら自らも九十九神と対峙する。

「黒雲さん……!」

 いつもとは明らかに違う、固い動きの黒雲に、まどかは冷静さを取り戻した。

 チリチリチリ。バンッ!

『よし……!』

 式神との同調は成功した。あとは九十九神たちを弱らせて、スマホで封印するのみだ。

 すう、はあ。

 深呼吸して、まどかは舞う。黒雲とともに、晴明とともに。

『……え?』

 しかし、辺りの景色が一気に焼き払われた。

 九十九神が式神が一気に燃え倒れる。まどか――風の式神も例に漏れず、燃えた。

「……はっ!」

 式神との同調が解ける。体に戻ったまどかは、脂汗をかいていた。

 目の前には、焼き払われた九十九神。そして。

「火の九十九神……」

 全てを薙ぎ払ったのは、紛れもなく火の九十九神の所業である。

 出遅れる。

 突然の火の九十九神の出現に、誰もが一瞬の躊躇いを見せた。

 ことまどかに至っては、体から力が抜けて動けない。

 しくじった。

 はなから雨の式神を顕現しておくべきだった。

「くそっ!」

 まどかを庇うように、康仁が前に出た。この時の為に自分は存在する。

 草薙剣を構える康仁に、しかし火の九十九神はまるで動じない。

 がぱっと口を開くと、今一度口から炎を吐き出す。 

『ぐぉぉお!』

 晴明と黒雲が、二重に結界を展開する。その間に、晴明はまどかを背中に担いで、その場から離れる。むろん、黒雲も康仁も。

「晴明、アレに隙など出来るか?」

「……わかりません。ですが」

 手筈としては、晴明と黒雲が火の九十九神を引き付け、その間に康仁が封印することになっていた。

 しかし、どうにも火の九十九神には隙がない。

「せめて、まどかどのが動ければ」

 とは言いながらも、康仁自身の体にも異変があることに気づいていない訳ではない。きっと左手のアザはじくじくと痛み、火の九十九神が吠える度に骨まで響いているだろう。

 だが、これを成し遂げなければ、康仁の呪いは解けない。

「なんとか隙を作ります。その間に」

 簡潔に作戦を述べ、晴明は再び結界をはる。康仁には簡易的な結界の札を渡して、自身は式神を顕現する。

 あの、大柄な鬼の式神だ。

「皇子さま、まどかさんを頼みます!」

 追うようにして、黒雲も。

 二人がかりだというのに火の九十九神はまるで動きが鈍らない。晴明の持ちうる最強の式神でさえ、赤子同然だ。

「くそ……」

 震えた。

 自身の死が怖かったからだ。

 火の九十九神が恐ろしかったからだ。

 まどかが死ぬ事が、怖かったからだ。

「……さま」

 聞こえたか細い声。振り返ると、まどかが最後の力を振り絞って、スマホを起動していた。

 震える手でタップしたのは雨の式神。 

「皇子さま、行ってください……」

 やがて空に暗雲が立ち込める。

 火の九十九神が空を見、雨の式神を見、まどかを見る。

『ぐぉおっ!』

 走った。火の九十九神はまどかの元に。

 それが、まどかを殺すためか、あるいは母を慕ってかはわからない。

 ザァァ。

 まどかにたどり着く前に、火の九十九神は雨に降られた。動きが一瞬にして止まる。地面に這いつくばる形になってなお、火の九十九神はまどかに、康仁にほえた。

「……! 今だ!」

 機を見計らった康仁が、草薙剣を火の九十九神に突き立てる。

『ぎぃやぁああ』

 流れ込む。

 火の九十九神の思い。イザナミとイザナギへの思い。大好きだった父や母への懺悔だ。

「……すまんな」

 草薙剣が火の九十九神を貫いた。そのままぽうっと光ったかと思えば、火の九十九神は康仁の持つ八咫鏡へと吸い込まれていく。

 一回きりの三種の神器、康仁はまどかたちの助けを得て、その役割を果たす。しかし反動で体から力が抜け、まどかと入れ替わりで康仁は地面に膝をついた。

 立ち上がったまどかがスマホを構える。そのままカメラで九十九神たちを写真に収めていく。

「……早く、早く!」

 一体、二体。

 ……十体、二十体。

 火の九十九神からのダメージが回復しきる前に、まどかは九十九神のすべてをスマホに封印しきった。

「はぁ、は。やった……の?」

 ヒュッと風が吹く。いつの間ににか日は暮れていて、そうして。

「イザナミさま。お待ちしておりました」

 最後に現れたのは、あの神主である。まどかを導くように右手を差し出され、まどかは思わずその手に自分の手を伸ばしていた。

「ならぬ!」

 しかし、まどかを引き止めたのは康仁である。康仁はまどかの左手を掴み引き寄せ、背中に庇うように隠す。

「オマエはあちら側の人間ではない」

「皇子さま……私今、無意識に……」

 康仁の言葉にようやくまどかは我に返る。

 神主がふっと笑った。

「イザナミさま。貴女はご自分が『分け御魂』だと気づいているのでは?」

 つまり、まどかは未来の世界と平安の世界の両方に魂が存在している。あるいは。

「今の貴女さまは人間ではない、魂だけの存在。違いますか」

「私……そんな……」

 言われてみれば、平安に来てから約四ヶ月、まどかの体に『変化がない』。一番分かりやすいのは髪の毛だ。

 まどかの髪の毛は桜色に染められている。だというのに、根元の髪の毛が黒く生えてくることがなかった。

 つまりそれは、まどかの体が『普通ではない』ことを示すには十分だ。

「さあ、イザナミさま」

 神主が今一度まどかをいざなう。

 迷いを見せるまどかに、康仁はまどかの手をぎゅっと握った。

「オマエが例えなんであろうと、俺たちの絆は変わらん。違うか」

「皇子さま……」

 康仁の奥で晴明が詠唱を唱える。黒雲がそれを補佐し、康仁が時間稼ぎをする。

「皇子さま! 準備が整いました!」

 晴明が叫ぶ。

 康仁はまどかの手を引き走った。向かうは鳥居である。出雲大社の鳥居だ。

「お、皇子さま、なにが……?」

「今日は新月」

 それだけで、まどかは全てを悟った。晴明たちはこのまままどかを未来に帰すつもりだ。

 出雲大社の鳥居を見やる。鳥居の向こう側には見慣れた景色。未来の世界が広がっている。

「待っ、待って。私、まだ……」

「あとは俺たちがなんとかする」

「でも」

「あの神主の狙いはオマエだけだ。オマエが未来に帰れば、手は出せまい」

 走る、走る。

 神主が追いかける、晴明と黒雲が足止めする。

 九十九神は本当に全てを封印できたのだろうか。

 そもそも、こんな別れかたは急すぎる。

「皇子さま、私まだ帰れません!」

「いいや。オマエはここで帰るんだ」

 ぎゅっと手を引っ張られて、鳥居の前に立たされる。

 あと一歩踏み出せば、まどかは未来に帰れる。

 あれ程焦がれた瞬間だというのに、その一歩が踏み出せない。

 康仁が笑う。

「見ろ」

 捲りあげた左腕に、あのアザはない。

「呪い……解け――」

 まどかが安堵から油断した一瞬である。

 康仁はまどかの肩を目いっぱい押し、まどかは背中から鳥居をくぐった。

 なんで?

 まどかが口にするまでもなく、康仁が笑って答えた。

「好きだからだ。まどか」

 康仁がまどかの名を呼んだのは、これが初めてである。

 そうしてまどかの体に電気が走る。

 バリバリっと響いたのが、雷鳴だったのか霊力だったのか、まどかにはついぞわからない。

 気づいた時には、まどかは『そこにいた』。

 道の真ん中、あの日、あの梅雨の散歩道に、まどかは佇んでいた。

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