第6話 旅路にて
第六章
式神が夏の空を走り抜ける。
一日目の夜は運良く公家に泊まることができた。
最近はどういう訳か九十九神はまどかのもとには現れない。
本来ならばまどかの存在により力をつけ暴走する九十九神は、まどかに引き寄せられる、というのが晴明たちの見立てだった。
「う……ん……」
確かに九十九神は現れない。現れないのだが、時折まどかは夢を見る。九十九神たちの夢だ。
黄泉の世界の、九十九神の。
皆まどか――イザナミに懐いていて、まどかたちは幸せに暮らしていた。そのはずだった。
『憎い、憎い』
その平穏を壊したのは、紛れもなく康仁――イザナギである。
神との対立により、イザナミは未来永劫の罰を受ける。九十九神を討伐する罰だ。
そして九十九神もまた、犠牲者なのだ。
黄泉からうつしよに移された九十九神たちは、力の制御が出来なくなった。それは九十九神が本来、黄泉に存在するものたちだからだ。
うつしよの九十九神たちもまた、まどかを待ち望んでいた。自ずから望んで暴走している訳では無い。
イザナミの生まれ変わりであるまどかによって、在るべき場所に帰りたい。
九十九神の感情が夢のなかからまどかに伝わる。だというのに、翌朝にはまどかは全てを忘れる。それまでもが神から与えられた罰であることに、気づくことすら許されない。
三重は伊勢神宮。
まどかたちは一週間ほどかけてそこにたどり着いた。
大きな鳥居は、未来で見たものより厳かで、まどかは深呼吸ののち、ひと思いに鳥居をくぐり抜けた。
「っ!」
バンッ!
と、霊力が流れ込むのは予想内である。しかし、
「アナタは……」
鳥居の先に、神主の姿があった。出雲大社のときと同じ姿形をした、神主だ。
「お待ち申しあげておりました」
しかし、出雲大社とは違い、今回はまどかたちを歓迎しているようだ。よくよく見れば、その手に八咫鏡を持っている。
明らかに行動を見透かされ、まどかのみならず、晴明も黒雲も、康仁すらも緊張している。
「皇子さま。貴方が三種の神器を手にするか相応しいか、見極めさせてもらいます」
「なんだ――」
康仁の体がはらりと倒れた。慌てて晴明が体を支えたものの、康仁の意識はない。もっと言えば、顔は蒼白であるし、息も浅い。
晴明はすぐさま康仁を黒雲にあずけて、式神を何体か顕現する。
「皇子さまの魂をお返しください」
「ならぬ」
穏やかだった神主の顔が怒気に染まる。びりびりと伝わってくる霊力に、まどかは立ちすくんだ。
「晴明さん……あのかたは……」
「おそらく神か、それと同等の存在か……」
足が動かない。手すらも。
康仁を横目で見れば、相変わらず弱々しく息をするのが精一杯だ。
「その者が生きるか死ぬかは、その者自身にかかっています。ゆえに」
神主の姿が消えていく。半透明になり行く神主に、まどかが叫んだ。
「皇子さまを返して!」
バチバチバチ!、っと音がする。雷鳴に近い轟と共に、まどかの霊力が爆ぜた。
消えかけた神主の体が再び鮮明に浮かび上がる。その顔は、笑っていた。
「腐っても神……イザナミなのだな」
「……ち、がう……私はイザナミじゃ……」
しかし、まどか自身も驚いた。怒りに任せて放った霊力は、今までの比にならないほどの力を放った。
それが恐ろしくなり、まどかは再び霊力を閉じた。足をすくませた。
「皇子さまは今、ご自身と戦っておられます」
「それはどういう意味……」
「あとは、信じて待ちなさい」
今度はまどかも干渉できない。神主はすうっと姿を消した。
「ここは、どこだ?」
真っ白な空間、あるいは真っ黒な空間。康仁はそこに、たたずんでいた。
「父上、母上」
子供の声にはっと振り返る。聞き覚えのある会話だ。これはそうだ、康仁の幼き頃の記憶にほかならない。
「わたしはいい子になりますゆえ。だからわたしを捨てないで」
帝の御所から、今の御殿に移された日の記憶だ。確かそれは、五歳の頃だったと記憶している。
愛されたくて、捨てられるのが怖くて、康仁はいつだって怯えていた。
「つまらん。そなた、わたしに歯向かうのか?」
御殿に移されてから、自暴自棄に陥った。いわれのない罪で家臣を裁き、虐げる、命を奪ったことさえあった。
だが、実際に康仁の命を狙う輩がいたのも事実だ。敵がなんなのか、疑心暗鬼に陥るばかりで、毎日生きた心地がしなかった。
「うまいな、これは」
そんな日々を変えたのは、まどかの存在だったのかも知れない。最初はへらりとしたまどかが理解できなかった。だが次第に、まどかの純粋さを羨ましく思うようになっていた。
そして、康仁は呪いに立ち向かう決意ができた。他人に優しくしたいと思うようになった。
「だからといって、俺の今までの横暴は許されまい」
まどかとの記憶をかき消す。
犯した罪は未来永劫許されない。晴明が言っていた言葉だ。あの時は信じたくなかった言葉も、今となっては真理なのではと思わされる。
本当に?
その言葉を受け入れたら、イザナミの――まどかの罪が未来永劫許されないということになる。
「……この。この、この!」
抗う。
康仁にまとわりつく呪いを、諦めの心を。
必死にもがく康仁に、キラリとひかるなにかが見えた。
「……!?」
手を伸ばす。真っ直ぐに、迷うことなく。
光に手が届いたその時。康仁の目の前がパッと開けた。
「……ん……」
目を開けば、まどかをはじめ、晴明や黒雲が康仁を囲んでいた。
「なんだオマエたち。その呆けた顔は」
起き上がる康仁に、まどかがきゅっと手を握りしめる。
「丸一日、寝ていたんですよ」
涙ぐむまどかに、康仁は思わず手を伸ばした。頬に触れ、涙を拭い、そのまま頭を撫で付ける。
「俺は死なん。約束する」
ふあっと笑みを浮かべる康仁に、まどかの胸がひどく締め付けられた。
まどかの心中を他所に、康仁が起き上がる。
「鏡は……」
「それが、まだ……」
晴明が答えるも、康仁は間髪入れずに、
「もう一度、伊勢神宮に行くぞ」
「皇子さま……?」
さしもの晴明もハテナ顔であるが、康仁にはなにか心当たりがあるようだ。すぐさまそれを理解して、式神を顕現する。
「それでは、行きましょう」
まどかと黒雲もまた、式神にまたがって、再びの伊勢神宮へと足を向ける。
鳥居には神聖なものが宿るのだろうか。まどかはそんなことを考えながら、それをくぐり抜けた。
相も変わらず鳥居をくぐる前には誰も見当たらないのに、鳥居をくぐり抜けるとその神主はいた。
「お待ち申し上げておりました」
先日と同じ文言だ。しかし、その手には八咫鏡が握られており、神主は恭しく頭を下げると、それを康仁に渡した。
「この先、熱田神宮の草薙剣、皇子さまのお住まいの勾玉……どちらを手にするにも、皇子さまには試練を受けていただきます」
「……だろうな」
八咫鏡に写る自分の姿を見ながら、康仁は眉間に皺を寄せた。
「鏡は真実を映すもの。すなわち、火の九十九神を封印する器になります」
神主が告げる。
「同様に、剣は九十九神を封印する傷跡に、勾玉は持ち主の霊力を一度きりだけ上昇させます」
「はっ。だから三種の神器は各々別の場所におさめるのか」
「左様です」
神主がふっと笑ってまどかを見る。
「一度きりの力ゆえ、失敗すればイザナミは『こちら側』のものになります」
「こちら側……?」
まどかが訊き返すと、神主は笑みを消した。
「わたしは神でもひとでもなく、うつしよと黄泉の狭間を司るもの」
「ふざけるな!」
まどかが理解するより先に、康仁がほえた。
まどかも、晴明も黒雲も、驚き康仁を見ている。
「みすみすコイツをそんな所に縛らせると思うか?」
「ですが皇子さま。九十九神の封印――皇子さまだけが封印できる火の九十九神の討伐が失敗すれば、即ちこの世界から九十九神がいなくなることはないでしょう」
「ちょっと待って。皇子さまだけが封印出来る……?」
まどかが説明を促す。康仁はぎくりと肩を震わせ、神主を睨み見るも、神主は顔色ひとつ変えずに、
「そのままの意味です。イザナミは唯一火の九十九神を封印できない。ゆえに、イザナギの生まれ変わりが必要なのです」
呆然とするまどか、青ざめる康仁。
しかし、神主はまた微笑を浮かべて、やがて消えていく。
「イザナミもイザナギも。運命からは逃れられません」
神主の笑みが、頭にこびり付いて離れない。
次の目的地を熱田神宮に据えて、まどかたちは再び式神で空を翔ける。しかし、その道中は無言である。
康仁は、火の九十九神の件を黙っていたことにまどかが腹を立てているのだと思ったのだが、実際はそうではない。
康仁の呪いを解くために、改めて覚悟が必要だと痛感したのだ。
現に、八咫鏡を手に入れる際、まどかはなにもできなかった。
丸一日寝入っていた康仁は、なにか決心したような顔をしていた。
さらには、神主との間に、まどかたちからは見えないなんらかのやり取りがあったようにも思えてならない。
「……」
話してくれたらいいのに、と思う。康仁とまどかはそんなヤワな関係じゃない。
「お腹、空きましたか?」
聞きたいことは山ほどある。だと言うのに、まどかの口から出たのはそんな、どうでもいい言葉である。
「ああ。今日は疲れた。オマエの飛び切りの料理を作れ」
やはり、康仁から返ってくる言葉もまた、なんら意味のない言葉だけであった。
疲れはひとの心から余裕を奪う。
まどかたちは、丸一日の休憩を挟むことにした。康仁の顔のきく、ひろびろした御殿だ。
「それはなんだ?」
朝からまどかが厨に立ちっぱなしで部屋にも顔を出さない。康仁は厨まで赴き、まどかの様子を窺いにきた。まどかが疲れから篭ったのかと思ったのだが、存外まどかは元気そうだ。
「パンを作ってます」
「ぱん……」
持ってきた天然酵母と小麦粉、牛乳は無いため水を使い、まどかはパンを捏ねたのだ。
「膨らんでいるな」
「はい。これが天然酵母の力です」
「ほう……」
ふっくらとした生地は、焼き上げる前であるというのに既にうまそうに見える。
一次発酵、ベンチタイムを終えた生地を、まどかは成形する最中だった。
「皇子さまもやってみますか?」
「俺が? 素人に出来るのか?」
「はい。こうやって丸めていけばいいだけなので」
いったん平たくした生地を丸く形作ったら、まな板のうえに生地をおいて、上から手を被せる。そのままくるくると手をのの字に回していけば、生地が綺麗な円になる。
「あとは最終醗酵をして、表面に切込みを入れて焼き上げるだけです」
まどかがあまりにも軽々とやってのけるため、康仁もその気になる。
手を洗ってからパン生地をとり、まどかのようにくるくると回そうとするも、なかなかうまくいかない。
「この」
「皇子さま。手の力を抜いて、優しくです」
「分かってる。オマエに出来ることは俺だって」
しかし、一向にうまくいかず、康仁は早々にパン作りを諦めた。
「料理は食べるに限る」
「ふふ。そうですね」
「だが、有難みが分かった」
「そうですか」
いやに素直な康仁に、まどかは微笑んだ。
鉄鍋をダッチオーブンのように使って焼き上げたパンを、焼きたてのうちに食事に出した。
「これがパンか……かぐわしいにおいだ」
「冷めないうちにどうぞ」
晴明も黒雲も康仁も、嬉々とした表情でパンをかじった。
「おいしい……」
「はい。とても」
黒雲と晴明は素直に感嘆し、康仁に至っては黙々と食べている。どうやら気に入ってもらえたようだ。
まどかもパンをちぎって口に入れる。固く、未来のパンに比べたら荒々しい味ではあるが、素朴さがまたうまい。
「やっぱり、食べることは大事ですよね」
まどかはしみじみ思う。ひとの三大欲求のうちのひとつ、食欲を満たすことは、旅の疲れを癒すことにも繋がる。
結局、作ったパンはすべてまどかたちの胃袋に収まり、久々にゆったりとした時間を過ごすことができた。
ところ変わって。そこから更に一週間の旅路を経て、四人は目的地に辿りた着いた。
愛知は熱田神宮。
「皇子さま。大丈夫ですか?」
鳥居をくぐり抜ける前に、まどかが心配そうに言う。しかし康仁はいつもと変わらぬ様子で、
「問題ない」
そう答える。
そうして四人で鳥居をくぐり抜けると、やはりあの、神主の姿があった。
「お待ち申し上げておりました」
しかし、まどかは気づいた。
隣に居たはずの康仁の姿がなくなっている。
「皇子さまを何処へ!?」
ばっと走って、神主に問い詰める。しかし神主はふっと笑うだけでなにも言わない。
気味が悪い。
そう思ったのもつかの間、ざああっと風が巻き起こり、さらには突然の豪雨。雷鳴も轟く夕立だった。
晴明が式神を顕現する。と同時、ぶわっとひときわ強い雨風が起こったかと思えば、そこに現れた九十九神に、まどかも黒雲も固まった。
「雨の九十九神……」
呟き、まどかはスマホを取り出す。そのまま風の式神を顕現すると、
「黒雲さん。私の体、頼みます」
ジリジリ。
まどかの意識が風の式神と同化していく。やがてまどかの体はくったりと力が抜け、その意識は式神のなかに宿った。
『早く皇子さまを助けないと……!』
風のかまいたちを放つ。しかし相手は『雨』だ。切れた体は直ぐに元通りにくっついてしまい、どうにもやりづらい。
まどかは素早く次の手をうつ。腕から生やした風の刃を使い、闇雲に九十九神を切り裂く。どこかに急所があると踏んだのだが、そう簡単にはいかないようだ。
「まどかどの! 雲です!」
式神を駆使してまどかを援助する晴明が、空を指さす。
まどか――風の式神が空を見上げた。
『雨は……』
雲の成り立ち、雨の仕組み。確かに学校で習った覚えがある。
周りの水蒸気を含めて、雲自体を吹き飛ばすことが出来れば。
『やるしか……ない……』
果たして、式神との同調でどの程度の力が使えるのか、まどかにはまだ未知の部分が多い。言ってしまえば賭けだ。
『風よ!』
ぐぉおお!、と風の式神が吠える。その咆哮にあわせるように、大きな風が巻き起こった。竜巻にも近い威力のそれは、空を、九十九神を、雨を巻き込んで轟轟と蠢いては、霧散する。
『ぎぃぃああ!』
耳をつんざくような雨の九十九神の声。
しかし雨の九十九神が抵抗する。自らの形を保つために、周りから雨粒を、水蒸気を集めようとするが、しかしまどかの力のほうが強い。
『もっと。もっともっともっと!』
ぐぉおお! ぐぉおお!
まどかの咆哮と共に、徐々に徐々に雨の九十九神が小さくなっていく。
やがて手のひら大にまで縮んだ雨の九十九神は、力なくくったりと地面に落ちた。
『グォぉおオ!』
しかし、まどかの咆哮は止まらない。
「まどかさん! 戻ってください!」
まどかの体とスマホを大事に抱える黒雲に、まどかははっとする。
今まどかは、心までもが式神と同調していた。言葉を忘れて咆哮した自分自身にはっとしながら、まどかは自身の体に意識を集中する。
『戻れ。戻れ。戻れ!』
バンッと目の前に火花が散った。
「はっ!」
「まどかさん?」
生身の体の感覚に息を飲む。ほんの数分離れていただけなのに、自分の体に違和感すら覚えた。今後は同調のし過ぎにも注意を払う必要がありそうだ。
しかし今はそれよりも。
「雨の九十九神……!」
スマホを構えて、まどかは雨の九十九神を写真に収めた。
雨の九十九神はまどかが火の九十九神に対抗できる唯一の手段だ。
「皇子さまは!?」
しかし、そこにはあの神主も、康仁の姿も見当たらない。
沈む、沈む。
暗い心の底を抜けたその先の、さらに奥の奥。
真っ暗な心に、康仁はいた。
「ここは、どこだ?」
先程まで、熱田神宮にいたはずだ。もっと言えば、その鳥居をくぐり抜けた。
しかし康仁は今、無重力に漂っている。
「晴明!」
呼んでみるも、やはり返事はない。
ふと、青く光るなにかに気づく。
その光は、まどかを映し出し、あるいは晴明を映し出し、あるいは黒雲を映し出す。
「……!」
風の式神と同調したまどかが映し出された時、康仁の頭がズキンと痛んだ。
やがてまどかと康仁の心が重なって、康仁はまどかがどんな気持ちで九十九神と対峙しているのかを知った。
「馬鹿馬鹿しい……」
一点の曇りもない。まどかはただ、康仁を救いたいだけなのだ。
「!?」
しかし、なだれ込む。まどかと式神が強く強く同調して、まどかの精神が蝕まれていく。
当たり前だ。
まどかはイザナミ、九十九神はその子供。ならば、同調が行き過ぎて同化しても不思議ではない。
そして映し出された映像が消えて、康仁の目の前には勾玉が在る。
「俺は……」
馬鹿馬鹿しい。
まどかのお人好しには辟易する。だが、そんなまどかを救うには、康仁が火の九十九神を討伐しなければならない。
「力を貸せ」
伸ばした手が、しっかりと勾玉を掴み取った。
はっと目を開けた康仁に、まどかたちは驚きの表情を浮かべていた。
「皇子さま。ご無事でなによりです」
「ああ」
「消えてしまったから、もう会えないかと心配しました」
「消えた……?」
聞けば、康仁は急に消えたかと思えば、急に現れたのだという。
康仁が先ほど見たものは、夢だったのだろうか。
「雨の九十九神はどうした?」
「え……皇子さまがなぜそれを……?」
目を丸くするまどかに、康仁は確信する。先ほど見たものはすべて現実だ。
「いや。それより、怪我はないか?」
「あ、私は。晴明さんは少しだけ……」
まどかの視線を追って、康仁は晴明を見やる。服を切り裂かれ、所々出血も見られる。だが、どれも致命傷には至っていない。
「……すまない」
「いえ。皇子さまが謝ることでは」
晴明が笑む。
康仁の神妙な面持ちに、まどかはなにも言えなくなる。
「皇子さま。一先ず今日は、どこかに泊まりましょう」
晴明の提案に、康仁もまどかも黒雲も同意した。
近くの屋敷に部屋を借りて、まどかは厨に立った。
「あの」
「はい?」
恐る恐る、といった感じで、家臣のひとり――料理番がまどかにとある包みを渡した。
「砂糖が手に入りましたので……」
「砂糖……!」
受け取った紙を開いて、なかの砂糖をつまみ取り、口に入れる。毒味を兼ねているが、それよりは食べたい気持ちが勝った。甘いものはひとの心を魅了する。
「甘い……」
「それでは、わたしはこれで」
屋敷の料理番が下がる。
さて。
貴重な砂糖をどう使おうか。まさか料理の調味料などと贅沢な使いかたはできない。
「デザート……」
氷室があれば、ムースかなにかを作れただろうが、あいにく今はそれもない。
ならば、パンケーキをと考えて、泡立て器が無いことに気づく。重曹を使ってもよかったが、この屋敷には常備していない。
「ミルクレープ……」
結果、まどかが考え至ったのは、ミルクレープだった。
クレープ生地にクリームを何層にも挟んだケーキは、甘くて美味しい。
生クリームは手に入らないが、代わりにサワークリームを挟むことにした。
「牛乳をあっためて」
温めた牛乳に酢を少しだけ入れる。そのままかき混ぜれば個体と液体に分離する。個体のほうはサワークリームのような味わいに、液体のほうは乳清(ホエー)となる。乳清には栄養が豊富なため、甘酒を割って飲むことにした。
「あとはクレープの生地か」
鉄鍋を熱したところに、卵と牛乳、小麦粉と塩ひとつまみ、砂糖を混ぜ合わせた生地を流し込む。
手早く丸く薄く伸ばしたら、竹串で周りを剥がす。
「っと」
菜箸を端に差し込んだら、クルクルと回しながら生地を剥がしていく。
裏返して軽く焼いたら、生地の完成だ。
「ん~。美味しい」
味見は料理人の特権である。焼きたてのサクッとしたクレープ生地は、そのままでもうまい。
「さて」
ここからは単純作業だ。
冷ました生地に砂糖を混ぜたサワークリームを塗る。そのうえにクレープ生地を。またサワークリームを。
それを何層か繰り返して、厚みが出たら休ませる。
「この間に夕ご飯作らなきゃ」
ミルクレープの出来栄えに思いを馳せながら、まどかは夕食作りに励む。
「なんだこれは?」
いざ、夕食後にミルクレープを出せば、案の定康仁が目を見張っている。
「はい。ミルクレープです。デザート……西洋のお菓子です」
「ほう」
「屋敷のかたにお砂糖をいただいたので」
ミルクレープと、その傍にはべっこう色に輝く菓子が。
「この茶色のものは?」
「はい。砂糖そのものを楽しむために、飴にしました」
べっこう飴の作りかたは至って簡単。砂糖を煮つめて焦がす、それだけだ。
「どうぞ、召し上がってください」
匙でミルクレープを掬いとる康仁。続いて、晴明も黒雲も匙を入れた。
「……! これは……!」
甘さと、口のなかで溶けるクリーム。なにより、砂糖の甘さが脳に染み渡る。
三人とも、あっという間にミルクレープを平らげて、べっこう飴を口に含む。
「直に砂糖の甘さが伝わるな」
「はい。甘くて美味しいです」
至福そうに康仁と黒雲が目を細める。晴明も、分かりにくくはあるが、どうやら気に入ってくれたようだ。
まどかもまた、べっこう飴を口に入れ、久々の砂糖を満喫した。
京に戻った一行であるが、三種の神器の最後のひとつ、草薙剣の入手は難航を示していた。
「父上!」
「また来たのか」
「何度でも来ます。どうか、草薙剣の持ち出しの許可を!」
毎日、帝の御所に赴き、康仁は頼み倒している。が、帝からの返事はいいものではない。
「ならぬ。聞けばそなた、伊勢神宮と熱田神宮にも行ったそうだな?」
「……ですからそれは……」
「三種の神器は代々の帝が受け継ぐもの。そなたが手にしていいものではない。そもそも」
と、帝は康仁の隣にいるまどかをじっとりと見た。まどかはあわあわとこうべを垂れるだけで、なにも言えない。
「そもそも、そなたの呪いはその巫女が解く。それを何故、そなたが三種の神器を集めている?」
「すみません。私の力不足――」
「それは何度も申しました! わたしが火の九十九神を討伐する必要があるのです!」
はぁあ、っと帝のため息。しかし康仁は引き下がらない。ぐっと天帝に押し迫ると、
「草薙剣がなければ、わたしの呪いはとけません」
「ならぬ」
「なぜですか!」
ぴしゃりと断られ、さしもの康仁も焦りが見える。顔を顰めながら、なにかないかと思考を巡らす。
「父上は、わたしの呪いが解けるのがお嫌で?」
「……そなたはいつまで子供なのだ」
そのとき、帝の表情がふと緩んだことに、まどかは気づいた。
そうだ、表面上は疎ましく思っていようが、帝もひとの子だ。多少なりとも康仁が心配なのではないだろうか。
証拠に、まどかの見張りとして正盛が送り込まれたように。
「天皇陛下、は」
「なんだ?」
「皇子さまが心配なのですか……?」
「オマエは正気か? 父上に限ってそんなこと」
康仁が鼻で笑うも、天帝は真剣な眼差しをこちらに向けた。
「いくら遠ざけようとも、息子には変わらんからな」
「……!?」
ぽろりと漏れた言葉は本心か。動揺する康仁に、まどかが代わりに続けた。
「皇子さまの呪いを解くためにも。どうか」
「しつこい。あれは代々の帝の私物」
「なにも、譲れというわけではないのです。神無月までの間でいいのです。どうかお貸しください」
まどかが膝を床に着けて、深深と頭をさげる。康仁も倣って、こうべを垂れた。
帝の顔は未だに渋いものであるが、しかしそれならば。
「返せるのだろうな?」
「約束します。父上」
「……ならば――」
御殿の奥にある祭司を司る部屋、そこに草薙剣はあるのだと、帝が小さく呟く。
まどかと康仁は、帝に礼を告げて、足早にそこに向かった。
祭司殿は昼間だというのに真っ暗で、ふたりは蝋燭の灯りを頼りに草薙剣を探し出した。
箱に厳重にしまわれたそれを見て、康仁が息を飲む。
「これが、最後の三種の神器」
「はい。皇子さま」
三種の神器を探す旅に出てから、実にひとつき。ようやくそれが揃う時が来た。
ふうっと深呼吸してから、康仁はそれに手をかけた。
どろり。
草薙剣から黒い影が伸びたかと思えば、それが康仁の手に絡みつく。
「……なんっ……!?」
「皇子さま……?」
しかし、まどかには見えていない。
黒くどろりとした影が、康仁の体を絡めとる。
「やめろっ!」
「皇子さま!?」
ばっと剣から手を離すも、すでに康仁の体は影に侵食され動けない。
なんなんだ、これは。
まどかには見えていない、しかし康仁はじたばたと体全体で抵抗する。
「離れろ。離れろ!」
やがて影がまどかにまで伸びたとき、康仁はハッとその影を掴んだ。
「……皇子さま……?」
『なにか』を掴む康仁に、まどかもそれを感じ取る。
康仁もまた、その影を凝視し、耳をすまし、そうして聞こえてきたのは、康仁の『恐れ』である。
もしも討伐に失敗したら。もしも晴明や黒雲が死んでしまったら。
だが、なにより恐ろしいのは、まどかを『あちら側』に行かせてしまうこと、未来に返せないことである。
「俺は……」
影が薄くなっていく。
「俺はオマエを」
掴んでいた影が、消えていく。
「オマエを必ず、未来に戻す!」
パァン!と影が消える音は、確かにまどかの耳にも届いた。
康仁がなにと戦っていたのか、まどかがそれを知ることは出来ない。
しかし、決意を新たにまどかを見つめる康仁に、頼もしさを感じる反面、寂しさを感じるのはなぜだろうか。
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