月を映す水面は揺れる花火

吾輩は藪の中

月を映す水面は揺れる花火

 彼を好きになるのに1年と2ヶ月もの時間をついやしたけれど、嫌いになるのには5秒で充分過ぎてしまった。



「嫌い……嫌いっ、大嫌いっ……」



 右も左もアパートだらけの夜道。私とは大違いなそれらの輝きを、街灯が憎々しく照らしていた。


 これを見ながら歩いていると、2日前のニュースの映像や音、アナウンサーの声が脳裏によぎってきて、不快だった。


 それに、私は自分の家も嫌いだった。さっきも、家に帰った時に怒りでどうしようも無いぐらいだった。


 この3日間で雨はずっと降りっぱなし。ポストを見て手紙が入っていないか、確認する必要も無いくらいの大雨の日々。


 私の性格で好きじゃない所は、何故か少しの希望を他人に見出してしまう所。


 手紙なんて入ってる訳無いのに、手紙が好きだからって、期待して馬鹿みたい。


 そんな事を考えていると、彼の事を思い出してしまった。


 黒髪のショートをふわりとなびかせながら、彼は常々こう言っていた。


 僕らに何かあったら、想い出の場所に行こう。そこに、僕らの想いも埋めるんだと。


 時折足に長く手をやりながら、彼はそれを気にしないでと言わんばかりに前向きに話していた。


 とはいえ、そんなの私にとってはもう心底どうでもいい。埋めたそれは虚構きょこうではなく現実だったのだから。


 彼と出会う数ヶ月前に両親と絶縁もしている。そんな私に、残されている物は何も無かった。


 手に持った鎌を光らせながら、暗闇の奥に歩を進める。


 黒く長くなった艶のある髪の舞う姿は、1年と2ヶ月の時間をほんのりと思い出させる。


 暗い中、ペチ、ペチとむなしく響く足音は、あの時の冷たい5秒を思い出させる。



「月が……キレイ」



 私は首を上にあげる事も無く、水溜りに映った丸い惑星を見てそう呟いた。


 顔を上げる動作すらおっくうだった。


 いや、もしかしたら、それはただの阿呆あほうかつ、最後に私が残した少しばかりの人間性だったのかもしれない。



「狐は言いました。森においでよ、灰園はいえんなそちらよりも、白銀はくぎんであるこちらの方が歩けるよと」



 白いワンピースを夜風になびかせながら、裸足でひたすらにアパートだらけの街を歩いていく。



「猫は言いました。白銀ねぇ、私からしたらそれは吐吟はくぎんの間違いにしか思えませんと」



 目的地のアパートの目印となる小さな公園を、私は見つけた。



「公園……どうでも良い。どうでも……」



 ふと何かを思い出した、そう思った時には足がもう、過去の物となった公園に入っていた。



「狐は言いました。猫さんは分かっていないね。確かに、灰園なそちらも吐吟なこちらもたいして変わらないかもしれない」



 出口の無いこの公園の奥には、ベンチがあった。その脇の方には、私と彼が一緒に歩んできた軌跡きせきと想い出が埋められている。



「狐は更に言いました。君から見てどちらも滑稽で害悪な世界だとしても、選んだらもう当人にとっては白銀の住処すみかなんだよ」



 持っていた鎌で、土を掘り起こしてみた。



「猫は言いました。驚いたよ、狐だろうと人だろうと場所だろうと、最後にはけて出てしまうんですなと」



「狐は言いました。いいや、結局はけて出るものだよ。みーんな移りゆくものなんだ。とはいえ、あなたが私の言葉を信じるならの話だけどね」



 昨日の大雨の影響か、土は簡単に掘らせてくれた。続けて掘っていくと、カチと固い音が聞こえてきた。


 手でそれを持ってみると、銀色のケースのような物が見えてきた。街灯の光で照らしてギリギリ銀と分かる状態だった。



「私は言いました。嘘でも、化けても、なんでも良いんです。虚構で私を愛してください。虚構で私を、埋めてください。そうしたら、ずっと1人でいられますから」


 

 中を開けると、そこには狐と猫が描かれたイラスト1枚と、1通の手紙があった。


 彼は、狐も猫も好きだとよく私に言っていたので、そのイラストだけ描いてこれに入れた。


 手紙を手に取ると、私は激しい吐き気に襲われた。


 どうしても開けたくなかった。



「狐に化かされた私は、長い夢から覚めました。長い長い、醜くも美しい夢を。私にはこれからなんてありませんが、今あるこれからを灰園にして過ごしたいと思います」


 

 手が震えた。


 

 開けたくなかった。


 

 吐きそうだった。



 目が閉じなかった。



 想いが、止まらなかった。



「灰園なんて中途半端な物じゃなくて、私を今この瞬間、灰に帰せるようにしたい」



 嫌い。嫌い。嫌い。



「愛してよ 本当が見えないように 

 合わせてよ 貴方と私の息を 

 会わせてよ いつか見えても痛くならないくらい僕が愛せたら 

 逢わせてよ 変わらなくても変わってもそのままの君を愛したい」


 

 吐吟なんてバカみたい。歌にもならないような歌詞を、大真面目に考えたあなたの最初で最後の歌詞なんて……嫌い。


 センス無いくせに頑張っちゃって……。



「私は……私はっ……!」



 開けた。



 開いた。



 開けちゃった。



 大嫌いな軌跡を。



『拝啓 

 

 今頃自分を責めに責めまくり、大嫌いと叫んでいるであろう君へ



何から話したら良いか分からないけど、1番最初に伝えたい事はやっぱり、ありがとうかな。君には感謝してもしきれない程、素敵な想い出を貰ったね。本当にありがとう。


君と出会ったあの日、花火大会が雨で中止になった日だったね。つくづくツイてないと思っていたけど、アパートの前で酔いながら君は言ったね。


花火は悪疫退散や鎮魂から始まってるから、ふらふらの状態の私が頭をぶつけてる時に花火が上がったら、縁起が悪いよって。


頭の悪い僕は、始まりを知らなかったから驚いたけど、そこまで考えてやってるはずないのに、って思ったら可笑しくて。


家と逆方向に歩いてしまった君は、今にも倒れそうな状態で僕の家の前に居た。不思議な人だなぁと思った僕は、不審がりもせずに家に入れたんだっけね。


連絡先を交換した僕らは、ちょくちょく会うようになった。学生の僕と社会人の君、まさかの年上女性でびっくりしたけど、会えば会うほど僕は惹かれていった。


カフェ、レストラン、すーぱー、モール、遊園地、水族館、ゲームセンター、夜景の見える場所、とにかくたくさん出掛けたね。


だけど、会う回数が重なれば重なる程、君は不安がった。私がこんな人生を送って良いはずが無い、親不孝で人不孝な私にって。


なんで? って聞いたら、私は両親から愛されていなかった、友達も恋愛も、いつも皆は私に心の底から寄り添ってくれた事は無かった。だからあなたもきっと居なくなるって返ってきた。


そこまでの過去を背負ってると思ってなかったから、正直なんて言葉を返せば良いか迷ってしまったよ。


でも、僕が君に募らせている恋心も、これからを共に過ごしていきたいと思えるこの愛も、全てが本物で現実だった僕にとって、君が悪かろうが良かろうが、なんだろうと構わないくらい好きだったんだ。


そのままの君が、本当に好きだった。愛していたんだよ。


だから僕はあの時、何も言わず抱き締めて、好きだと言ったんだ。君の目を真っ直ぐに見て、君を捨てる事があったらその時は僕の花火が打ち上がるよって言った。


そしたら、君が出会った時の事を思い出して笑ってくれた。


あの時の表情の可愛さといったら、何にも代えがたい物だったよ。


上手くまとまる気がしないけど、手紙という物を書くのは難しいし、少し照れるような物だね。


だからこそ、君に伝えたい事があるんだ。


僕が居なくなったら君は、きっともう立ち直れない程の痛みを味わう。


信じる人を失い、もう誰も必要としなくなった、そう思うだろう。


ずっとずっと泣きっぱなしになると思う。


消えてしまいたいと言って、暴れながら泣きわめくとも思う。


でも、だからこそ、迷わずに生きていて欲しい。


僕の事を全て忘れて、全部全部嫌いになって、想い出も塗り替えるくらい、そんな素敵な人に出逢って、僕を盛大に振って欲しい。


本当の愛を見させた罰だと言わんばかりに、僕に復讐して欲しい。


それが、大好きな君への、僕なりのせめてもの償い。


貴方は人生最後の想い人、君からそう言ってくれた事が本当に嬉しかったから。僕も、君が人生最後の想い人になったんだ。


結局、何を言いたいのかこれじゃ分かんないね。


許して欲しいよ。


そうだ、自分勝手なのは分かってるけど、これだけは約束して欲しい。


君の人生最期の日だけは、君を最期まで愛した男が居た事だけ、思い出して欲しい。


そうしたらきっと、君の心の中に花火が上がるだろうから。


それじゃあ、名残惜しいけど、これで最後にするね。


愛してくれて、ありがとう。


愛してるよ。



 どうしようも無い程に君が好きな僕より』



「嫌い……嫌いっ!! こんなに愛してくれた貴方を、平気で嫌いと言える自分が大嫌いっ!!」


 

 私は虚構。貴方は現実。


 汚い虚構の中に、キレイな現実が混ざれば、それは半分半分になっていく。


 虚構を現実にしていく。


 キレイな現実なんて、本当に信じられないわ。信じられないのに、貴方の言葉がそれを疑わせてくれない。



「復讐なんて……出来る訳無いじゃないっ!! こんなにも、貴方の事を愛しているのにっ……。どうして、私を置いていったの……。どうして私は、貴方を裏切ったの……」


 

 3日前を思い出しながら、想い出のつまったあのアパート4階の家に向かって歩いていた。


 あの日、私達の街に台風がやってきて、土砂崩れや川の氾濫はんらん家屋かおくが水没していくという災害に見舞われた。


 私達ももちろんその渦中かちゅうに居た。彼が珍しく私の家に来たいと言っていたので、断る事も無く家に招き入れた。


 それが人生最大の過ちだとも思わずに。


 私の家は小さなアパートの1階で、川の近くにある場所だった。


 雨が強まっていく中、不安になった私は彼に抱擁ほうようとキスを求める。彼は私のワガママを全て受け止めてくれた。


 それで安心してしまったのか、いつの間にか眠りこけてしまったのだ。


 どれ程の時間が経っただろう。


 私は、スマホから流れる警報の音で目を覚ました。


 大雨警報、避難勧告だった。


 起き上がると、彼は既に目を覚ましていた。もうヤバいかもしれない、外を見てくれ、と言うから指示通りに動いた。


 窓から外を見ると、彼の車が水に浮いていた。もう既に水没が始まっていた。


 急がないと私達もこのまま。そう思い、私は彼の手を取ろうとした。


 だが、彼は動こうとしなかった。いや、動けなかった。


 どうして私は、気付いてあげれなかったんだろう。


 彼が足を痛めていた事を。


 嘘だよね……本当なの? そんな映画じみた台詞を言ってしまう程に、その状況を信じる事が出来なかった。



『本当だよ。黙っていてごめんね。心配かけるかなって思ったし、このくらい別にどうでもいいやって思ってたけど、まさかこんな事になるなんてね』



 端正な顔に、汗をにじませながら彼は微笑していた。


 頭が真っ白になった。私は体が小さい、彼をかつぐ事も出来なかった。



『大丈夫。きっと、救助の人がやってくるから、君はすぐに逃げて。こんなんでダメになる程、僕は弱くないから』



 必死に抵抗した。そんなの許さないって。


 本当を教えてくれた貴方の居ない人生なんて、どうでも良い。


 貴方が居ないなら私も一緒にここで終わる、そう泣き叫んだ。


 張り裂けるなんて言葉が安く聞こえる程、どうしようも無い不安が体をむしばんだ。



『ダメだよ……君ならまだここから抜け出せる。絶対に助かる。君には、やらないといけない事がたくさんあるはずだよ。きっとね。大丈夫、僕は助かるよ。だって、もうそろそろ花火大会だ。この調子だと延期のはず。へへっ。だから……僕を信じて』


 

 私は泣きながら、彼の顔をじっと見た。


 一瞬の重い沈黙があった。


 それを破るように、涙を拭う。


 必ず会えると約束して、そう言ってまた抱擁してキスをした。



『生きて出会えたら、僕は君にこう言うよ。何度生まれ変わっても、ずっと君だけを愛してる。そして君はこう言うんだ。来世でも月はキレイですねって』



 最後にお互い、愛してると告げ合って、私達は別れた。


 それからの記憶はほとんど無い。水に浮かぶ車を頼りに、陸地へと歩いていったのは覚えている。


 それから程無くして、近くの公民館に避難をした。


 気絶するように寝てしまったので、夜が明けるのはとても早かった。


 1日経った後、テレビのニュースで流れた名前を聞いて私は心臓が止まってしまうかと思った。


 被害にあったのは、行方不明者である彼たった1人だったから。


 どうして、よりによって彼だけが……。


 頭の中はそれでいっぱいだった。


 そうして、彼の家に向かってる今でも、ずっとそれが体を支配している。


 もうそろそろ、彼の家に着く……。


「貴方と出逢った場所で、最期を遂げられるなら本望だわ。ごめんね、貴方の願い、叶えられなくて」


 家の前に着いた。ドアを見ただけで、彼の事を思い出してしまい、想いが溢れ出してしまった。


「ごめんね……ごめんね……。ずっとずっと、大好きだよ」


 涙で前が見えなくなる。


 丁度良い。首を切った時に、怖い景色を見なくて済むから。


 

 呼吸が荒くなる。


 

 心臓の鼓動が早くなる。



 涙が溢れ出てくる。



 景色を景色として見れなくなってくる。



 汗が噴き出てくる。



 手の震えが止まらなくなる。



 貴方の顔が浮かんでくる。



 貴方への想いが止まらなくなる。



「もしも生まれ変わって、私じゃない別の誰かになっても、私は貴方と巡り逢いたいです。そして、私は貴方と愛し合うの、愛し合って、お似合いの夫婦だねって、そう言ってもらうの」


 

 私は鎌を首に当てた。



「来世では、貴方と巡り逢って、100年の人生をずっと平和に生きて、幸せだったねって抱き合いながら、一緒に最期を添い遂げられますように」



「その願い、来世じゃなくても叶うと思うよ?」



 声が聞こえた。私の耳に、声が。



「…………え?」



 鎌は、ゆっくりと足元に落ちていった。


 情けない声を誰が出したんだろう、そう思ったけど、それはやっぱり私しか居なかった。



「………………ははっ。そっか、そうだった。そうだったね。今日、花火、上がってなかったね」



 涙で前が見えない私は、その代わりに水溜まりを見た。


 あの丸い惑星が見えた。まだなんにも分からないし、決まってもないのに、どうしようもない程の涙と愛おしさが溢れた。


 今までの事が恥ずかしくなると思う前に、私は全てを取り戻すような感覚になった。



「ねぇ、そこの人? 私に言う事、ないですか?」



「あるよ。………………何度生まれ変わっても、ずっと君だけを愛してるっ」



「………………来世でも月はキレイですねっ」



 夜の虫の音が、いつの間にか讃美歌さんびかに聞こえた。



 星はどこまでも、大丈夫だよって言ってくれるようだった。



 水溜まりはもう、暗い物を映してくれない、いじわるだった。



 空は少し白くなってきた。



 夜明けの世界は、どれだけ大きなすれ違いをしても、案外簡単にキレイに戻れると、言ってくれてるようだった。



 まだまだ虚構だらけの私、そんな私だけど、もう少し、ほんの少し、現実を信じてみようと思う。



 だって、現実が良い所だって分かれば、案外悪くないのだから。



 大騒ぎしたあげく、あれだけの愛を叫んでしまった私は、今更ながら恥ずかしさに襲われているが、キレイな現実と汚い現実が混ざり合うようになった今、少しはおおらかに見ても良いのかもしれないと思った。



 もう1度、水溜まりを見た。全ての大騒ぎを優しく包みこんでくれそうな美しい月だった。



 私はまた、これからもこんな風に大騒ぎするかもしれない。



 だけどもう、迷わないようにしよう。


 

 どんな物でも、大丈夫だよって。どうとでも明るく愛せるよって、分かったから。



 世界がどれだけ汚くても、たった1つの小さな光が揺れ動くだけで、自分を照らせるから。



 そうだよ。上がるも上がらないも、花火なんてすぐそこにあったじゃない。


 

 どうしようもなくキレイで、終わる事の無い花火が。



「月を映す水面は揺れる花火。おかえり、貴方」

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