道徳的墓荒らし

海月^2

道徳的墓荒らし

 墓荒らし。それが僕の仕事。

 可哀想だとか、死者への冒涜だとか。そういう倫理的に大切な何かをなくした訳では無い。ただ、僕を助けてくれた人への恩返しの方法が、墓荒らししかなかったのだ。だから僕はなけなしの道徳心と恩人への忠義を天秤にかけて、比べるまでもなく重い忠義を取った。ただそれだけだ。

 今日も、知らない誰かの墓を荒らしに行く。人のいない深夜。静かで虫の声だけが響く世界で、一人世界に背く。同業の中には背徳感が良いと言う奴もいたけれど、僕はそこまでこの仕事を近く思えなかった。無理やり詰め込まれた忌々しい倫理観が、僕の中で叫んでいた。どうでも良いはずなのに。それは辞めろ、と。


「平一族之墓」


 墓の前に立つ。平一族、それは僕が勘当された家の家名だった。もしかしたら、あの人は態々僕に実家の墓を荒らさせようとしているのかもしれない。あの人に限って知らなかったなどということはないのだろう。まあ、僕にとっては関係ない。言われたことをやるだけだ。

 墓の前に置かれた手毬を退かした。少しだけ頭が痛みを発して蹲る。数分、耐えていれば収まってくる。時々あった。墓に嫌な思い出でもあるのか、墓の前で耐え難い痛みが襲ってくることが。墓石に刻まれている名前を極力視界に入れないように仕事を進めていく。いつもより、手が震えた。

 墓に備えられた花やらビールやらを盗んで何をするつもりかは知らないけれど、頭の悪い僕には関係のないことだった。言うことを聞いていれば、後は頭の良い奴らが全部やってくれる。人生ずっとそうだった。

 手毬を元の場所に戻す。それは灰色に汚れていて、年季を感じる。これを持っていけばあの人は喜ぶのだろう。人の思いが詰まったものほど良いのだと言っていた。その方が、この世に落とす絶望が大きくなるらしい。科学を超えた、人の扱える範疇を逸脱した何かで世界を壊そうとしているらしいことだけ知っていた。その第一段階が墓荒らしというのはどうにも釈然としないところがあるが、あの人曰く墓には想いが集まるらしい。

 だから、この手毬は持っていくべきなのだ。あの人のためになる。それでも、どうにもそんな気持ちにはなれなかった。

 解れかけた糸に触れた。それは何も自分に与えてはくれない。あの人の言いなりになる方が余っ程幸せで、そして道徳的だ。恩人に恩を返せるのだから。それなのに。

「だ、れ?」

 この手毬に触れると少女の声が聞こえる。記憶を失ったとかそんなことはないけど、物心つくかつかないかくらいの時には、僕もまだあの家で幸せだった気がした。その偽物の記憶が、僕を過去に連れ戻そうとしていた。

「大丈夫。持っていったらあの人に褒めてもらえる。こんな手毬一つ、どうだって良い」

 あの人に教わった自己暗示だった。声に出すことでより強くかかるのだと、教えてもらった。

 手毬も鞄に入れる。そうして魂が抜け落ちたような顔で立った。あの人の元に、帰らなくてはいけない。きっと待っているから。

 帰ります、とメッセージを送ればすぐに既読がつく。そして待ってるよ、と返事が返ってきた。

 墓荒らしは、倫理的に良くないことだけれど、多分良いのだ。あの人が言っているのだから。恩を返すために行っていることなのだから。

 僕は今日も帰途についた。いつもより歩く速度がゆっくりなこととか、なぜか鞄が異様に重く感じることとか。そういう心理的な最後の砦には見ないふりをした。

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