第14話 ◇とある劇場が潰れるまで その1◇

「……すみません。リッカさんの幻影魔法を上演してほしいという要望書が届いているんですが――――」


 ヨレヨレのワイシャツに草臥くたびれたズボンを履いた青年が、恐る恐る書類を差しだしてくる。


「ああ? そんなもん、ゴミ箱に放りこんでおけ!」


 書類を見もせず不機嫌に怒鳴り返したのは、この劇場の支配人だ。青年とは違いお高そうなスーツに身を包んでいるのだが、まったく似合わずチグハグ感が半端ない。


「で、でも! 今回の要望書は、その……からで――――」


「王宮!? なんで王宮からの要望書にリッカなんかの名前が出てくるんだ? 先月王女さまにご高覧いただいたのは、ダイカンの幻影魔法だっただろ?」


 王都でも一番の人気を誇るこの劇場には、時おり王族のご来館がある。先月は第三王女がみえられ、ダイカンが鼻高々に幻影魔法を披露していた。


「リッカじゃなくダイカンの間違いじゃないか?」


「あ、ああ……いえ! 違います! 第三王女殿下は……その、ダイカンさんの作品は今回見たから、次はリッカさんの作品が見たいとおっしゃられたそうで――――」


 ――――本当は、そんな生温なまぬるい言葉ではなかったという。

 王宮からきた手紙には、品よくリッカの作品を見たいと書いてあるだけだが、それを届けてきた第三王女の侍従は、王女がダイカンの作品を「見る価値のないで、リッカの物語の臨場感には遠く及ばない」と強く批判していたと教えてくれた。その上でリッカの「を見たい!」とおっしゃったのだとか。


 もちろん、そんなことを馬鹿正直に伝えれば、ダイカンを愛人にして贔屓ひいきしている支配人の怒りを買うことは確実だ。青年はなんとか穏便にリッカを呼び戻したいと願いながら言葉を続ける。


「と、ともかく! リッカさんの幻影魔法を見たいと要望されるお客さまは、他にも大勢おられます! ……そ、その、ここ最近上演されていないことに対する不満のお手紙もたくさん寄せられていますし……お願いします! 是非リッカさんに幻影魔法を上演してもらえるようにしてください!」


 青年は必死に頭を下げる。

 支配人は不機嫌そうに顔をしかめた。リッカを呼べば、ダイカンの機嫌が悪くなるからだ。

 とはいえ王宮からの要望を無視するわけにもいかない。

 ……やがて、渋々頷いた。


「まあ仕方ない。王女殿下も見る目がないとしか思えないが……誰かやってリッカを呼んでこい。ありがたくもこの俺さまが仕事を恵んでやるってな。あの無能のことだ、どうせ今頃金も稼げず死にかかっているに違いない。優しい俺がいいように利用してやろう」


 そう言って支配人はニヤニヤ笑う。


「は、はい! ありがとうございます!」


 青年は勢いよく頭を下げると、逃げるように支配人の前から出ていった。






 そして、その数時間後――――。

 支配人の前で同じ青年が顔に絶望を浮かべ立っている。


「なに? リッカがいない?」


「は、はい! 住んでいたアパルトマンはとっくの昔に解約されていて、どこに行ったのかも不明です」


「……リッカめ。俺に断りなくいなくなるとは。まったく勝手な奴だな」


 ――――勝手に契約を打ち切り、勝手にリッカを追いだしたのは支配人の方だ。彼がリッカを責める権利はどこにもない。

 そんな己が所業をかえりみもせず、支配人は不機嫌に怒鳴った。


「捜せ! なんとしてでも捜して連れ戻せ!」


「で、でも、本当にどこにも姿がないんです。一応心当たりはみんな聞いてみたんですが――――」


 チッと支配人は舌打ちする。


「使えない奴だな! もういい。お前なんかだ。とっとと出て行け!」


 苛立ち紛れに叫んだのだが――――それを聞いた青年は、パッと表情を明るくした。


「え? ホ、ホントですか? ホントに辞めてもいいんですか?」


「うるさい! クビだと言ったらクビだ!」


「……うわぁ! ありがとうございます! 早速辞めさせてもらいますね。今日までありがとうございました!」


 喜び勇んで青年は部屋を去る。

 支配人は、ポカンと口を開けた。




 ――――実は、青年はもうかなり以前から、劇場を辞めたくて辞めたくて仕方なかったのだ。

 新しい支配人になってリッカとの契約を切ったあたりから、この劇場の人気はダダ下がり。経営も素人の支配人が我が物顔で口を出すため滅茶苦茶で、早晩立ち行かなくなることは誰が見ても明らかだった。

 ただ、青年も前の支配人に苦学生だったときに救ってもらった恩があり、自分から退職するとは言い出せずに悩んでいた。

 それを運良く今の支配人からクビを言い渡されたのだ。彼にとってこんなに嬉しいことはない。それでも最低限の引き継ぎをした青年は、可及的速やかに劇場から立ち去った。


 そして、その青年に続くように少しでも見る目のある者は、次々と劇場を辞めていく。


 それはまるで沈みかけた船から逃げて行く鼠のよう。





 劇場に残ったのは、泥船に気づかぬ支配人と彼に追従する愚か者たちだけだった。

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