第10話 石化

「ご主人っ! もっと急いでっ……!」


 背中に引っ付いている魔剣ちゃんにてしてしと頭を叩かれる。


「分かってるっ……! でも、今はこれが限界なんだっ……」


 息が切れて肺が痛む。

 強力な魔道具や強化薬を備えていた勇者時代のようにはいかない。

 深く積もった雪が足に絡みついて、さらに体力が奪われていく。


「もう! ドヤ顔でギルドマスターを論破してる場合じゃなかったんですよ!」

「それは本当にごめん……だけど、まさかネリーが『転移魔法』を使えたなんてっ……」


 彼らは公共交通機関を利用するものだと、マルシュは思い込んでいた。

 追いかければ簡単に追いつけるだろう、と。

 そんな油断の結果、今こうして雪山の中を疾走するはめになっている。


「頼む、耐えていてくれっ! ルシール……!」






☆—☆—☆






 人間の領地と魔染領域との境目付近に、かつて人口百人にも満たない小さな村があった。カメリアという名の村。

 経年による『聖結界』の範囲縮小により、二ヶ月前に魔染領域の一部と化してしまった村。

 そんな廃村の静まり返った広場に、ルシールは立っていた。

 雪を伴った風が吹き抜けて、寂寞せきばくを強めた。


「帰りは気をつけてね、ルシール」

「じゃあな。マルシュと幸せになってくれよ」


 木の長椅子に腰かけて寄り添い合うネリーとテッドが、微笑んで手を振ってきた。

 対面にいるルシールは、二人に深々と頭を下げた。

 目元がじわりと熱くなる。


「本当にお世話になりました。ありがとうございました」


 最後に泣き顔なんて見せたくない。ルシールは溢れそうな涙を必死で堪える。

 顔を上げて二人に微笑みを返してから、背を向けて広場から離れた。


 ——村の至るところに、人の形をした石像が置かれている。

 

 生物の気配が消え失せた村の中を、一人で歩く。

 共同墓地の入り口でルシールは立ち止まった。

 一度空を見上げる。目を凝らさないと分からないほどの、透明な結界が村を覆っていた。

 ルシールは墓地に入り、白い墓標の前で立ち止まった。

 膝をつき、目を閉じてこうべを垂れる。


「……おばあ様。この村の皆さんは、よそ者の私にも優しくして下さいました。捨て子だった私は、引き取って下さったおばあ様や、手を差し伸べて下さった皆さんのお陰で生きてこられました」


 祈りを終えて、ルシールは目を開いた。


「……だから、守りたいのです」


 空を見上げる。透明な結界は、いつの間にか消えていた。

 ルシールはぎゅっと唇を噛み締め、墓地を後にする。

 来た道を辿って閑散とした広場まで戻った。


「……テッドさん、ネリーさん……」




 ——手を繋いでいる二人は、石像と化していた。




 これが、この村の全ての住民にかけられていた呪い。

 外部の人間であったルシールを除く、全ての人々が石化した。

 人並外れた魔力を有するテッドとネリーであっても、呪いの進行を遅らせる事しかできなかった。

 そして石化した人々は、この村の外部に連れ出された瞬間に砂と崩れ去る。

 これは、そんな呪いだった。


「っ……ごめんなさい、私……何もできなかった……」


 呪いの解除を目指し、石となった村の人々を戻すために二人は頑張っていたのに。

 こんなのが結末だなんて、悲しすぎる。

 優しい人たちだった。テッドもネリーも、本当に優しい人たちだったのだ。

 だからこそ、残されるマルシュの痛みを少しでも軽くするために、自ら泥を被って悪役を演じた。

 真実を知れば、マルシュは「守れなかった」と自分を責めてしまうはずだから。

 涙が溢れて止まらない。

 ルシールはうずくまって泣きじゃくった。






 展開していた『索敵魔法』に何かが引っかかった。

 肩を震わせたルシールは、ぐいっと涙を拭って顔を上げる。

 いつまでも泣いていてはいられない。


「……私、お二人に嘘をつきました」


 ルシールはぽつりと零す。

 テッドとネリーは、ルシールが幸せになると信じてくれていた。

 その優しさを壊さないために、彼らのシナリオに乗った振りをしていたけれど。


「本当は、私もここで死ぬつもりだったのです」


 自分たちが石化したら、あの二人に脅されていたと言ってルシールはマルシュのところに戻る事。

 そして自分たちの分まで幸せになる事。

 それが、テッドとネリーの最後の願いだった。けれども——。


「マルシュと一緒にいる資格は、最初から私にはなかったの」


 ——かつてあの人を裏切り傷つけた、愚かで救えない女には。


「それに……優しくして下さった皆さんを見捨てるなんて、できないです」


 ルシールは両手を重ねて胸元を握り締める。

 そして魔力を解放し、テッドとネリーの石像を『防御結界』で覆った。




「よお、そこの虫ケラ。これはどういう状況だ?」




 背後から声をかけられて、ルシールは立ち上がって振り返る。

 魔人が十メートルほど離れた位置に立っていた。

 短い銀髪と黒い双角。荒々しさを醸し出す鋭い目つきの男性魔人。


「いきなり虫ケラどもの気配が現れたと思ったら、お前以外の全員が石になっていやがる」

「……魔人の呪いが原因ですよ」


 ルシールは身体の震えを必死で抑え込み、自らも五メートルほど前に出た。

 一人で魔人と戦うなんて初めてだから、近づく事すら怖くて堪らない。

 それでも、そうしないとテッドとネリーが巻き込まれてしまうかも知れないから。


「元に戻す事はできねえのか? 『反転解呪』とかいうのがあんだろ?」

「この呪いは特殊なのです。元凶の魔人を倒さない限り、解呪できません」

「なるほどな。読めてきたぜ」


 魔人は顎に手を当てて口元を歪める。


「地面に三匹分の足跡が残っている。お前とそこの二匹だな。そのどっちかが『隠蔽結界』でこの村を俺たちから隠していた。だが、石化して『隠蔽結界』が切れた事で、その魔力を感知した俺が現れちまった」


 値踏みするような視線に舐め回され、ルシールは悪寒に襲われた。


「聞いた事があるぞ。『隠蔽結界』は凄え高度な魔法なんだろ? お前には使えないんだな?」

「っ……」

「俺たちは石化していようが構わず人間の心臓を食う。だからお前は、俺みたいな捕食者から仲間を守ろうとしているわけか。虫ケラが泣かせるじゃねえか」


 魔人が肩を揺らして笑う。


「ほんと、相手の強さも分からねえくらい低脳なんだな。哀れすぎて涙が出てくるぜ」


 魔人に殺意はない。殺意など抱く必要もないほどに、力の差が歴然だから。

 ルシールは乱れそうになる呼吸を必死で整えた。


 ——『良いかい、ルシール。魔人は基本的に人間を見下している。自分たちが人間よりも上位の存在だと思っているから。実際に、奴らは人間よりも強い』


 百年前、マルシュに教えてもらった事を思い返す。


 ——『だから格上の魔人と戦うときは、相手が油断している隙を突くしかないんだ。もっとも、それは奴らと一対一で戦うときの話だけどね。今はルシールがいてくれてるから、俺も助かってるよ』


「っ……」


 今は思い出すべきでない言葉まで蘇ってしまい、ルシールは慌てて回想を切り上げた。

 心に激痛が走り、ルシールは胸に左手を当てる。


(ごめんなさい、マルシュ……)


 百年前。自分はマルシュを騙して裏切り、相討ちという形で彼を殺した。

 その罪の重さに潰れてしまいそうになる。

 だけど、今は目の敵を倒して生き延びる事に集中するべきだ。

 ざんは後で必ず、この命が尽きるまで捧げるから。

 ルシールは右手に魔法で剣を生み出して、魔人を睨みつけた。


「強気な目だな。だが、俺はお前みたいなバカが嫌いじゃねえ。だからチャンスをやるよ」

「……え?」


 魔人からの突然の提案。ルシールは困惑した。

 相手は、面白がるような視線でこちらを見ている。


「最初の一撃は避けずに食らってやるよ。それで俺を殺せればお前の勝ちだ。まあ、不可能だがな」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

きのこが侵食する 初霜遠歌 @hatsushimo_toka

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ