「光の皇子」と呼ばれる少年と"蜚蠊"と呼ばれた老人が出会うのは、ある晴れた日に、たった一つの公園で。

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第1話

その老人は言った。

「」

 そう何も言わなかった。それが彼の'発言'だった。



 少年は知らない。彼の後ろに佇む、薄汚いベンチに腰掛けている老人の事を。




 そうやって、出逢は終わった。見送られる少年と、死に際に一目見れた事を喜ぶ下らない人生の漢は、無数の未来さきとただの過去うしろを向き、片側は行き、もう片側は逝った。



 少年はいずれ「瞬光」と呼ばれる。その老人は不死の'嫌悪の対象'であった。



 いつだって、輝く世界は暗い冷たさと惹かれ合う。

 常に陰と陽は互いに小さな矛盾をもって円弧を描く。

 何処までも宇宙は闇で満たされ、星々はその隙間を縫って輝き消える。



 光が進む前、不死が消える瞬間、物語は、交わり、そして、過去と未来は現今を生み出す。。



 〜〜〜


「死に晒せ!この蜚蠊ゴキブリめ!」

 重たい足が腹部を揺さぶる。

 青い外套を見に纏った軽く武装した男達に取り押さえられ、何度も痛め付けられた。

 この国の住民は、いやこの世界の生命は何時でもそうだった。理不尽にも、第一印象で決められ、決める。

 彼らには魂の魔力が見えるからだ。暗い色・を見つけ次第、その者には印マークが付けられる。

 何か問題を起こせば、直ぐ様行動に移される。

 それが下らない日常の些細な喧嘩であっても、神聖でもない街ストリートの真ん中を歩いただけだとしても。ルールや個人の勝手な道徳を闇が踏み躙ったと捉えるから。

 だから私は今日も殴られ踏んづけられ、虐げられた。


 勿論、軽く注意で済む者もいる。明るい色・を持っている者は優遇されるし、そういう者は素行が普段から良い場合が多いから積み重ねた印象が良い。

 彼らが訴えを起こせば、それは強烈なメッセージであり、逆に暗き者が起こせばそれは大事おおごととなる。


 だから逆らわない方がいい。私が闇も持ち得る混血であるとしても、やはりここは穏便に済ませた方が、周りの為になるのだ。


 彼は少しだけ心優しい青年だった。それはただ付け入る隙を与えるだけだと言うのに、青年は未だそれを悟れずにいた。


 だが、そんな未熟者にも思うところがある。


 世界は闇で充ちている。


 そう考え始めたのはいつ頃だったか忘れた。その程度の情報は無意識が枝狩りして行く。問題は内容だ。


 …何度も反復されたその思考はいつだって私に勇気を与えてくれた。

 私が虐げられるのは闇のせい。

 社会から排斥されて行くのは社会の闇に触れたせい。

 私が不幸なのは私自身の本質が闇であるから。

 闇は常にそこにあるのだから、私がこうなったのは当たり前の事なのだ。そう肯定していた。


 しかし、何時でも短い夜は明ける。今日も。それは薄れ、影へと姿を変える。私の生活、詰まるところ人生の様に。夜闇に溶け込む生き様は巨大な光の前では縮こまる。

 今日も今日とて光が眩しい。いや、眩しいと言うより熱い。身体を溶かすように、それらは私達を容赦なく照り付ける。


 …そうして、消える日が訪れる。限られた時の中でこれを望まぬ者は憂い嘆き社会を穿とうとする。いずれは消えるのに、なぜだろうか。

 …こうして、消えぬ日が溜まる。私が人・である限り、思い出の光鎖フラクトライトは誰にも見られない場所で輝き続ける。気ままに過ぎたる時も、行動に移し実際に体感した全ても、疑問も残り続ける。頭蓋内の闇を穿ち在り続ける。


 そうして日はこうして、闇に充ちた世界を穿ち、世界はそれでも特殊とは呼ばず、人はそれを当たり前として、捉えることすら無い。


 思う。美しい例外、光はいつだって闇を穿つ。闇はその穿たれた箇所を回復し、光を我が子の様に抱える。だから、どれだけ光を伸ばしても、闇は充ちている。


 そうやって、また肯定していた。


 〜〜


 だが思想がいくら変わろうが行動しなければ世の中は変わらない。思想は個人を変えるが、世の中は行動でなければ変わらない。


 また、世界は変革の連続。

 そして、世界は移ろい行く。「終局」、これこそこれらの到達点であり、一時的な仮初の姿となる。


 まず初めに【『記憶』】という名の点がある。


 点は結ばれ線になりて、【思想】を生み出し、

 線は集い面となりて、【行動】に昇華し、

 面は重なり体となりて、【変革】を作り出し、

 体は動き時となりて、【終局】を迎える。


 人は時を自ら超える事はできない。故にそれ以上の次元について思考しても人の手に余るのみである。


 故に、時以上の存在であるとされる宇宙は、人を親の様に包むのみである。


 宇宙は、『創成』された後、間違いなく『環境』であった。しかしてそれは『集約』される。『集約』されたモノ、それは闇に輝き、動き、重なり集い結ばれたモノ。


 そうしてまるで【『記憶』】であるかのようになる。



 〜〜


 やがて消え行く記憶となったその肯定は、きっと私には力なんて与えないだろう。


 〜〜〜


 一閃する白銀の刃、飛来する燃え盛る矢、大地に根を下ろした健脚と共に構えられた十字架の描かれた荘厳な蒼盾。

 勇者一行が私を殺しに来た。


 眩く照らされる剣が震える。勇者は私を一瞬で胴一門に薙ぐと、闇の霧の様に化した私の体を見て一息着いた。

「ふう。君、死なないんだね。」

 殺そうとしてきたのにも関わらず、随分と軽いノリでそう言った。

「うん、そうだね。」

 皮肉を交えた態度で普通に接し返す。

 すると、私の人としての面を見てか、何かを観念したのか、

「よっし、じゃあ今日はここまでにして帰るか。」

 そう言うと、本当に帰って行った。


 一人残された私は、悪びれもせずに帰って行く彼等を、ただ馬鹿みたいに見送った。


 …明るい人間だった。普通なら見付けた獲物の討伐を完遂するまで、一行パーティというのは止まらないものだ。その定跡セオリーをあの青年は簡単に破る。

 もしかしたら、私の求める「光の皇子」だったのかもしれない。

 そう思うと、足は自然と動く気になれたが、理性がそれを止めた。彼との邂逅は今では無いと運命が告げていた。だから彼は彼では無いのだ。

 私はそのまま下り坂に消える青年達を見送った。


 〜


「彼の事は伏せておこう。」

 謎の怪異に出会しその討伐を断念した後、街に帰る道すがら、勇者は唐突に切り出した。


「それは、奴が特殊だからか?」

 この質問をしたのは、先の光景をその目で捉えていた赤い鎧に身を包んだ僧侶である。


「ああ。」

「あの魔術が世間一般に広まれば、恐ろしい事が起きるだろう。」


「具体的には?」

 その問いに勇者は一拍を置き、


「かのエルフ狩りを超える殺戮の嵐が起こるだろう。」

 勇者はたった1度切り伏せただけで彼の魔術を看破し更には来たるべく日を見据えていた。


「そうか。」


 勇者はまた一拍置き、

「かの時は美貌と魔力源を求めての略奪だった。だが恐らく、、」

「次・は、人界の永年の悲願を争って。」


 そうして一旦会話は終わった。暫くして彼等らしい青い笑い声が聞こえるまで、その静寂は少し苦しい未来を映し出していた。


「そうだ。彼の通称コードネームは何にする?仕方無く逃してやった訳だけど、、」

 また勇者は街に着く直前にそんな事を言い出した。


「黒くて素早く(魔力)探知もできる。特殊な情報体を持って爆発的な運動性能を叩き出せる。「蜚蠊ゴキブリ」で良いのでは?」

 普段は口を慎む方である盾兵タンクから発せられた意外な単語に、勇者と僧侶は驚きと共に若干肯定の意を示した。それは、盾兵が確固たる何かを彼に見た証を受け取ったからであり、決してその内容に応じた訳では無かった。


 こうして彼は、とある勇者一行から始まり、やがてそこに込められた意味が口伝と共に変わっていくに連れ、より差別的な意味のその単語を口にされる事になる。


 〜〜〜


 この世界には大きく分けて魔術と魔法の二つがある。魔術は人が自ら生成した魔力を扱う術式の事を指し、魔法はおよそ人智を超えた存在、一般的には大自然の魔力を借りて行う法則・・を権限させる行為の事を示す。


 基本的に、魔術から魔法へと至る事を「法術の極」、魔法を魔術へと落とし込むことを「術法の解」と呼ぶ。

 また、この2つを合わせて魔導と呼ぶ事もある。


 また、この世界には魔族と人が居る。魔族は闇魔法を司り、人は光魔術を操るのが一般的とされる。

 だがここに、例外が二つ。片方は、魔族でありながら闇魔術を操り、もう一方は人でありながら光魔法を司る。前者は魔族からも虐げられ、後者は人の世界では勇者無いし英雄と呼ばれる。


 そんな彼らはいずれ出逢う。たった一度の出会い。狂おしい程求め続けて来た相手と、生まれた時から理屈などなくとも「在るべき」だと無意識に把握されて来た対象の何も言わぬ情熱の邂逅。その時はきっと短く、されど永く、何処でもない普通の公園で過ぎ去るに違いない。


 〜〜〜


「「蜚蠊ゴキブリ」を捉えました。」

 実は、元からその存在を把握し、そう呼んでいた。


 太古の占術は陰陽印の図と彼等・・を結び付けて考えていた。

 簡単なことである。これは運命によって生じたこの世の姿。その一部である我々に拒否権もとい人としての権利は存在しないのである。ただ流れるままである。


「そうか。では計画通りに。」

 王は告げる。その言が彼の命を断つ結果を生み出そうとしていることすら知らず。

「はい。承知致しました。」

 蒼盾の兵士はそう言うと、'勇者一行が敵に回る可能性'を口にせず、去っていった。


「さあ、人類の悲願を成し遂げる為に!」

 王の達成を先取りしたかのような感情を含む野太い声が王室に響くと、何処からともなく現れた無数の従者達が一斉に敬礼し、直後散っていった。

「ふっふっふ、ハッハッハッハ。」

 その隠遁且つ躍動とした動きに王は勝利を確信した。それが甘い罠であると知らず。


 〜〜


 歴史は繰り返すと言うならば、人は過ちを繰り返すというのならば、差別や虐待も無意味な破壊も戦争も、何度だって繰り返される。


「死に晒せ。魔族め。」

 重い言葉が破壊を司る。強い意思は先ず差別を産む。いつだって世界は人を叱りつける事無く在り続ける。


 闇は病みを産む。この順序である。

 だが、病みを初めから生まれ持った人間はどうなるか。それは暗い存在となる。


 生きとし生けるもの全て闇に抱えられて生きていくのであれば、万物残らず病の奥底。かつては健常とされた存在も今や病に片付く。


 人からすれば闇とは魔王の支配する世界である。それは病の世界である。魔族は人からすれば皆等しく病んでいる。

 また勇者は何時でも病に落ちた者を斬らねばならない。

 ただ、理不尽である。

 しかして闇に生きる者ならば、光に穿たれなくてはいけない。いずれ修復する穴だろうと、一度以上は必ず。やはり理不尽である。

 どう足掻いても勇者は赤照を含めた光となる。この世界では光が使えぬ者は勇者、引いては人に非ず。赤を見ぬ者は青い人生すら知らぬままに生きるからだ。

 悪では無い何か、闇に生き病み続ける生き物を断罪する事が人以上の使命なのである。故にそれらは魔族を虐げる。


 だが闇が広がる速度はあまりに速い。社会の中にあってもこれは変わらない。輝ける者、賢き者程子を成さぬ。余裕のない者程、一時の余裕を求めて子を成し、余裕を食い潰す。

 人は魔族よりも少ない。決して超え行く事は無い。


 争いにもならぬより稚拙な穿通は馬鹿な体験を積ませ、やがてその馬鹿げた者は忌み嫌われ、断じられる。そうして光は無駄な破壊を推し進めず、闇の中でかつて栄光を体感せし者達の間で破壊はその限りを尽くされる。

 人が断罪するよりも多く魔族同士で殺し合う事の方が多い。だが魔族が増える事もあり、その数は減ることは無い。……光は闇よりも小さく、無闇には生きられず、無闇に存在を誇示しない。



「ゴホッゴホッ……」

 青年の咳き込む音が路地裏に消える。

 ああ、と僕は呟いた。魔族はなぜ、虐げられ憎ヘイトを向けられるのであろうか。

 その答えは行動もしない若き頃には得られなかったが、この時私は知った。


 少年を助けようと伸ばした手を振り払われ、敵意を向けられる。あまつさえ彼は私を攻撃しようとして来た。


 …私の魔術は自らの肉体を暗黒物質の配列に置き換え別個の情報体として保存するという物。それはつまり、魔力と意思がある限り、破壊こそされるが、何度でも蘇ることが出来るというモノ。


 私は攻撃を避けなかった。彼が何処まで勘違いを続けるのか見定め、もしまだ救いようがあるのならば、もう一度手を差し伸べるつもりであった。


 しかして彼は私を見た時から弱い存在だと決めつけ、自らを虐げた者の様に私に襲いかかり、先程見た光景と似た喜劇・・を私に与えた。実感したのはついさっきなのに、学習もしない。この時私は彼がなぜ魔族であり続けるのか理解出来た。

 私は平気な顔をして街灯の無いより暗い闇に溶け、流れる影となってその場を去った。


 青年の事は知らぬ。闇から出られない相応の理由があれば、自ら輝くことが出来ないのであれば、彼の子孫も彼の友も意味無く闇を享受し続けるに違いないから。足掻き続けると良い。余裕を持てる様にもなり得まい。


 私は自分と同じ濃さをした暗がりに身を委ねた。


 私の様に、闇を好き好み、時たま明るく輝く事も無いのだから。混血としていずれ消え行く未来を知り、決意して生き続ける。そんな覚悟も持たないのだから。


 …輝くことが無いのであれば、偶然や環境以外で下に堕ちることを防ぐ術はない。


 先ず少しでも良いから人としての輝きを持って周りを幸せにし、相手が人だった場合に返ってくる幸せを使い余裕を持ち、そこから何事でもよい、挑戦をする。そしてできる限り成功にこぎつける。ここまでやって漸く努力は実る。


 環境もとても大切な要因だが、如何せん、魔族の数は多い。故に加速度的に輝く前の者、人と魔族のどちらでも無いモノは埋もれていく。だが一度輝いてしまえば、なんてことは無い、自ら環境を形成できる。そこが輝ける者の強みだ。

 そして一度魔族になった者は光を求め彷徨い続けるか、闇を享受するか、何も出来ずに全てを失い、疲れ果て、往ぬ。


 勿論、真実、出逢いがあればそんな事は無い。自らと交わり輝いてくれる存在が居れば、きっと世界はぐるりと変わるに違いない。その為には熱でも光でも良い。同じ闇でも良い。反応を促進させてくれる何かさえあれば良い。

 そう、何かあれば、変わる事はある。


 知っているか。光は物質から生まれるのだ。人は魔族から生まれる。たとえ最初は醜い猿であっても、出逢いを重ねる毎に人へと成って行く。まあ、出逢いが無ければ魔族からは脱出出来ない。寧ろ変に強くなって猿山のBOSSに変わる場合だってある。


「ああ。(全ては運命なのか。)」


 そこまで考えついて、私は嘆息をついた。


 その直後の事である。


 〜


 封印術式を施されたナイフが首を掠める。気配も何も無かった。その纏われた術式はグラファイトの様にスライドされ修復せんとする黒い霧の体に術式を刷り込み、だがしかし、その術式は闇へと溶け消える。


「!?」


 驚いたのはナイフを投げた白の外套をした従者・・の一人、「魔族寄り」程度が高度な術式を擁する事は無いと先程まで思い込んでいた若輩。しかしもう違う。直ぐ様全力で相手をしなければいけない相手であると理解した。

 そして、その若輩をすぐ様追い越し第二撃を放ったのは、不死の効能を別の術式の派生の結果と考えた白外套を着こなす老練な戦士であった。


 放たれた一撃は紫色の炎。そのプラズマにはその高速流動を逆に活かし円運動に変え制御する形を取った術式を内部に編み込んである。


 また、第三撃、若輩者のナイフが光を帯び、「黒」が動ける範囲の限界ギリギリにナイフが突き刺され、そこから魔力が地面へと流れ込む。

 これまた封印術式を構成する。


 時間差で発動する二つの術式、それを、不死の青年は、自らの肉体を逢えて濃密な闇の霧に変え、それを黒き火の玉へと集め、紫炎の中に自ら突っ込んで行くことで解決しようとした。


 火と炎、間違いなく正面からでは分が悪い。だが自らの全身全霊を一点突破に賭けたその判断は功を奏し、紫炎に情報体を燃やされるより早く、術式が起動する前に、老練な戦士の目前に黒き火の玉は現れる。


「!」

 だがそこを好機と捉えた老戦士は隠し持っていた杖剣を抜刀し、その帯びた魔力で火の玉を切り伏せた。

 ここまで来ると分かるが、その剣には術式は纏われていない。ただの一撃、されどそれは火の玉が修復にかかる時間を使い次なる絶対の一撃を当てる為にあった。

 だがその一撃は放たれることは無かった。

 紫炎を潜る際に内部術式を壊し、爆炎を制御できなくした結果、次の絶対の一撃、光の「法術極」に向け、術式の指向性を変更しようとしていた若輩を紫炎が包み込み、術式変更の中断を余儀なくさせたのだ。


「…」

 私は切られた勢いそのままで黒い霧となり一旦拡散し、追撃の狙いを難しくしつつ逃走を計った。それが功を奏したのか、情報体に術式が掛かった感覚は無かった。


 その状況を些か疑問にしつつ、取り敢えず肉体の収束を待った。肉体が無ければ自由に行動できない。いや、真に情報体を操れるならば、内部に情報を蓄えた光子として世界を飛び回れる筈だが、それは光魔術の極地、この私には扱えない。


 その少し後の事。

 肉体が、中空にて、修復され感覚器が正常に作用すると同時に、妙な光景を捉えた。

 隠遁の術式を纏った白の外套が、街の至る所にて、大規模な封印の術式を作りこんでいるでは無いか。


(街ごと、私を。封印する気なのか…。)


 その予想を確かめるべく、手頃な家屋の屋上にて、情報体を操り、視覚を強化し術式を見定める。するとある事を把握できた。


(闇の魔力にのみ効く抗魔の術式…。)

 闇の魔の形態の内、暗黒物質の無干渉性を利用した独立した情報媒体の操作を可能とする術式にのみ効く、闇の魔力を、文字通り、抗する術式。

 魔法の一種、魔力そのものの根源とされる純粋なエネルギーによる摩訶不思議な性質を活かした"何か"。その術式。

 その発動。


 恐らくは私含めた魔族との混血を一掃する目的もあるのだろう。

 それにしてもこれはやりすぎでは無いか。そんなにも、この私の不死の秘密が知りたいのであろうか。

(……まさか、不死さえ手に入れば不死でない人々の感情を無かったことにできるとでも考えているのであろうか。)

(有り得ない。)

(感情は魔力の源。それを無かったことにするなど、この国に混乱を引き起こす悪手。その様な事、上に立つ者が下す命では無い筈。)


 憤りを捨ててしまっている私ですら、一瞬怒りのような感情が全身の肌を襲った。

 だがその感情は彼の理性によって瞬時に魔力に置き換えられる。

 そして、アレを破壊しなければいけないという焦りに囚われる。


 怒りは火へと変えられ、肉体を黒き火の玉と化し、不死鳥の様に近くに居た一人の白き外套の戦士へと襲い掛かる。


 その白装束の魔導師はそれを迎え撃とうとした。幸い、黒の不死鳥は光魔術を基本とするこの人世界においては、簡単に次の行動を読み取れる程、遅過ぎる挙動をしていた。


(……)


 だが、その猶予の中、問題はそこではないと戦士は考えた。


 今自分に攻撃して来るという事は明確な敵意あっての事。という事は既に失敗した同じ衣装をした仲間が少なくとも一人以上はいるという事であり、魔力の'揺れ'から察するに大した手傷を負ってないという事でもあり、即ちここで正面から当たった所で意味ある戦闘にはならないという事。


 そこまで思考した戦士は、また、抗魔の術式に干渉する能力は無いと報告にはあった為、戦士は魔術式をそのままにし1度退去してみ様子を見つつ増援を呼ぶ事にした。


 これに対し軽く豆鉄砲を喰らったのは、不死鳥であった。間違いなく重要である術式を放置して退去するなど、正気の沙汰では無い。そして、単純に罠である可能性を考えたが、それもあまりに分かりやすいブラフである事を理由に念頭から消した。


 不死鳥の姿から戻った青年は、先程までの感情を全て冷静に魔力源として処理し、術式の無効化に取り組もうとした矢先、自らから出ていく魔力を感知し、頭内に一筋の閃きが走る。


(これは……使えるかもしれない。)


 青年は術式に自らの肉体を触れると、抗魔の術式の効果により流れ込む、魔力よりもっと根源たる何かを、自らに率先して入れ込んだ。

 小さな魔力はより大きな魔力源に引っ張られる。

 術式自体は内部へのセキュリティを防備していない形式もあってか、そうして青年は術式の中に瞬時に潜り込むことが出来た。


 〜


 そこは空白のエネルギーと'何'で満ちていた。闇でもない、光でもない、純粋なエネルギーと純粋な粒子。未だ宇宙が活発的である証拠たる真空に満ちた、真空を'真の真空'たらしめない要因。


 しかしそこで、すぐ様異変が起こる。エネルギーを消費してはその場に満ち、エネルギーに変換されて行くはずであった純粋な粒子を、比較すれば巨大とも言える質量を持った彼の情報体が重力の問題で乱し始めた。そして封印術式の為に集められ濃密を'維持された'粒子は、情報体の周りに集まり始める。


 それを青年は、一見した後、逆手に取った。魔力の源である真空のエネルギー、それを魔力を利用して任意の形に集め始めたのだ。

 真空のエネルギーを逆用するという事は、魔力を消費して真空のエネルギーを一旦消し、そして'正に真空となった部分'に、真空のエネルギーは周りから集まると同時にその場でも発生する為、濃度に不均一性が発生し、それを利用し、霧でできた粘土の様に真空のエネルギーを捏ね集めて行く。


 勿論、濃密さを維持する術式を彼は持たないので密度が高くなると同時に真空のエネルギーの原因である「対消滅」は捗る事になるが、同時に真空の粒子の発生原因である「対生成」を、自らの魔力を置換する事で同頻度まで上げることに成功した。そして、濃密な魔力の源たる真空のエネルギー、その内部にある魔力を打ち消す「対消滅」の現象を'真空の密度の高低差によって、'弾き出す"剣"を手に入れた。

 またこの剣は維持に魔力を必要とする為、また真空のエネルギーは完全に薄れてはいない為、これを手に入れた所で状況を完全に解決できる代物では無い。この剣はあくまで一時的な措置に過ぎない。


 そして、青年はこの剣を扱い、出入口の奥に薄らと見えるその術式の外にいる白の外套の魔導師たちを、片っ端から切り伏せた。

 魔力を断つ剣は真空のこの空間にあっては飛ぶ斬撃を放ち、またそれは対消滅の関係で摩耗し徐々に小さくなって行ったが、外套の魔導師たちを切り伏せ、彼等の魔力を断ち、再起不能にするのに問題は無く、時間も掛からなかった。


 恐らくはこの国公認の魔導師の集団であろう存在を半数近く切り伏せた後、術式、つまりはこの空間の出入り口を維持する者が居なくなった事を確認すると、早々にこの場を後にする事を決める。そして、この空間でのみ成立する最強・・の剣に別れを告げた。


 〜


 外套の戦士は自らの判断を悔やんでいた。


 退去したすぐ後、対象はこちらを追う素振りすら見せず術式の内に溶け込んだ。


 一度は自滅したかと思い込んだが、別の魔道士によって対象が内部への侵入を許した事を知ると、他の構成員が内部への干渉術式の構成に手間どる時間を考慮しながら、その出方を探った。


 どう足掻いても敵の詰みだと思い込んだ矢先、しかして仲間が術式から飛び出した斬撃に晒されているのを目撃し、敵が新しい手札を何らかの形で生成した事を把握した。

 そして構成員の半数近くが倒れ、他の無事な構成員が術式を塞ぎつつ倒れた仲間の回復を行おうとしているのを見つつ、この状況を引き起こした焦りからか、術式の破壊を最優先で行おうとし、最も近い術式に向かった。

 だがその術式のすぐ近くに例の青年がスっと立っているではないか。

(しまった。迎撃用の術式を先に編むべきだった……。)

 その判断は遅く、術式によって強化された対象の肉体、敵の拳により身体はくの字に折れながら吹き飛んだ。幸い光魔術の治療術式は肉体に常備されていた為、瞬時に回復したが、身体を起こすと既に対象は姿を消していた。


 重ねての失態であった。


 〜〜


 闇の玉が街中を飛行する。追跡を振り払うように止まることなく不規則に曲がり続ける。

 魔導師たちは自らを光の配列と化して一直線に、また直角に曲がりそれを追う。


 曲と直、暗闇と光輝が織り成す、青空に描く軌跡の絵図は住民達の目を奪い、数多の動揺を生み出した。


 魔族がこの街に居たのだという恐怖が広がっていく。

 そこから先程の白の外套の者達の行動に納得が行く者や、更にそこから術式の性質まで思考し、もしや自分達も巻き込まれたかもしれないのではという思考をする賢い隠れた者も現れ始めた。


 彼らは皆一様に動揺した。


 特に動揺を隠し切れず尚且つ怒りに燃える者もいた。

 だが、その男は背後から突き立てられた杖剣により絶命する。


「おやおや、どうやら魔族が隠れ潜んでいた様ですねえ。」


 老戦士は、空に気を取られ決定的な瞬間を見逃した住人達を背に、当人にとっては当たり前であることをさぞ今気付いたかのように皮肉混じりに話す。そして剣を杖に戻し、何食わぬ顔で近くの噴水周りの石棚に腰掛けた。


 傍らにいる若輩者は、内心では自らが移動魔術を使えない事を悔しがりながらも、不思議と貫かれない空を舞うひとつの黒の玉とそれを追い続ける複数の光の線を見ていた。


 老戦士はその様子を見て、彼の境遇を察する。


 この国において最高の白の外套を羽織る事が許されたにも関わらず、彼には自らの肉体を電磁波の配列に変換することは出来なかった。代わりに彼には光の術法を扱うことが出来た。敷けばそこから周囲の魔力に術式を伝播させることが出来る魔法陣を描くことが出来た。

 そんな彼は既に手の届かない範囲にいる黒い星を見つめた。

 憧れもあるのだろう。今まで彼の奇襲を避けその上で老戦士の支援サポートまで無かったかのように無傷で一瞬で逃げられた事など無かったからだ。


(やれやれ、若いですな。)

 若輩者の青さに昔の事を思い出しつつ、老戦士は、不規則に飛びながらも先程から若干城の方に距離を縮めつつある黒の玉を見やり、自らが仕える主の危険を察知する。


「行きますよ。」

 若輩者に声を掛け、立ち上がる。その目は、実際の所主の安否などでは無く、その先の事を見ていた。


 〜


 黒い玉はまるで蝿のように飛び回りながら、単純な軌道を描き包囲網を敷いてる気になっているこの国の最高階位の者共を'眺めて'いた。


 全員が同じ動きをしている訳では無い。一人一人が独自に考え、その上で連携が必要と感じたタイミングのみ協力をするといった感じである。


 均衡が崩れ、個々の駒の自由度が一時的に上がった局面では、たった一度のミスで形勢がひっくり返る事がある。そしてそういう場合、逆に相手のミスを待つ以外に取り返しはつかない。


 勿論、初めから大差で始まったこの戦いでは相手が致命的なミスを一度した所で互角になるかどうか。


 故に今まさに、決定的な行動に向けて準備をしている訳だ。

 そう、適当に逃げていると思わせてその実、街の中心部、王城、その中空から入れる場所、空中庭園。そしてその先、王の居るであろう間へと潜るタイミングを測っている。


 今はまだそれに気付いた存在は居ないと思えたが、一つの残光が王城へと向かっているのを感知する。


(不味いな。先に封印術式でも敷かれたら王に対する正面からの奇襲は失敗してしまう。…もう既にタイミングを見計らっている時ではない。)


 そう思うが早いか、黒の玉は街中、家屋と人の密集した地形に身を暗ます。一度ここに光線達をおびき寄せ、人を避けながら逃げる事で少し差をつけ、その後王城を外壁を周り差をつけたまま内部に入れこもうとする狙いがあった。


 勿論これには危険な点がある。それは、大規模な術式を地面から展開されるとその効果が上空より効きやすいという事だ。先程のように周りの人間を巻き込んでも良いという考えで全体が動いているであろう以上、これは可能性が高い。だが、時間に糸目はかけれなかった。

 こちらの動きに対し、光線達は人にぶつからないギリギリ上空を通過しつつ、こちらの先回りをし始めた。

 想定内の事であり安心したが、こちらにはやはり時間が無い為狙いは変更せずに行く。

 交差点を曲がりながら差をつけ王城に近づき、王城の壁面にまで到達するとその周囲を徐々に上がりながら回り始める。

 直角にしか曲がれない光線郡ではこの挙動をする黒い玉を捕らえることは出来ない。


 狙いは上手く行き、差をつけたまま、城の内部に入る事に成功した。


 …先の存在は恐らく私の狙いを把握し防ごうとしている事から、一度失敗した三人の内の一人か、強い「魔族寄り」と戦った事のある者か、頭の回転が早く常識を破れる者か、これらの内複数に該当しているものでいる可能性が高い。

 そしてその様な厄介な敵と逃げ場も難しい場で戦うのは不利。増援が追いつくまで粘られれば封印も容易くなる。

 だからこそ、まだその厄介な敵と会敵していないこの状況である程度敵を減らしておかなければいけない。


 最も距離を詰めた光線に貫かれたように見せ掛け、情報体を拡散、周囲の壁面に拡散した情報体の一部が触れると同時に壁面に残留する魔力を活かし術式を組む。


 そして組み上げた術式の同時展開によって、通路を塞ぐ形で魔法陣を描く。組んだ術式の効果は空間遮断。勿論即席のモノの為、効果は殆ど続かない。だが、遅れて迫り来る光線は、これに激突し跳ね返って行き、術式を組んでいた1秒の間に、私を追い抜き、白の外套姿に一旦戻った者達からすれば警戒するに足る規模ではあった。


「危険な闇魔術め。ここで消してくれる。」

 眼前に残った三人の魔導師の内一人がこの術式を見てそう言った。


「うん。。つまらない発言だな。」


 それが敵の行動を誘発させた。光の魔術によって情報体へと変換すると、光速で間を詰められ、間合いに入ると同時に元の肉体に戻り隙もなく光の刃を手に生成し、それを振るう。


 それがこちらの肉体を薙ぎ払うと、薙ぎ払われた肉体は黒い霧となり拡散する。そこにもう一刀、二刀、光の刃が霧を'削る'。刃は刃こぼれし、拡散した霧の体積は若干減少する。


(やはり、光魔術を直接喰らうのは危ういな。)


 そう思い、次の斬撃の軌道に触れないように霧を集め、こちらも全身で刃の形を取る。


 敵はこれを叩きに来たが、それより早く黒刃は敵の脚を切断した。

「ぐあ…」

 呻き声が響き、周囲の術式が揺れる。


 残り二人。


 残った魔導師達は、先ず、光線を放ち、続いて光盾バリアを構える。術式が短時間しか保たない事を把握してか、持久戦の構えだ。

 こちらは光線を避けながら加速し光盾バリアに突き立つ。速攻で片付けるつもり。

 カッと音がし、光と闇が相反し、斥力が生み出され、弾き出された我が身体一刃は三角錐に形を変え、回転しながら先程開いた小さな穴に突立つ。穴がより大きく開くと同時に三角錐は槍に姿を変え、光盾バリアをすり抜け、両側に居る二人の魔導師の首を素早く払った。


 そして、彼は倒したかどうかも確認もせずに、その場をただ後にした。


 〜


 幸い、敵の追撃は遅れ、先に行ったと思われた存在も居らず、一人で王の前に立つことが出来た。


「何故、貴様はここにいるのに自由の身で立っていられるのだ。」

 そう疑問を口にしたのは、従者を全て解き放った馬鹿なこの国の王、どちらかと言うと集団の規律より個人の欲求を優先するタイプの男。(これはあの術式放置を独断で可能とさせた事から推察している。)


「酷い言葉だな。」

 そんな性根が甘い男が、人を捕らえようとする時点で、この結果は決まっていた様なものだった。


「己、この私を愚弄するか!」

 不躾な言葉に怒りが顕になる。

 私は意に介さず、


「手早く始めよう。お前はここで死ぬのが、面白い。」


 その言葉を残し、敵が追ってくるより早く、攻撃を開始した。


 〜


 結論から言うと、王は何の自衛手段も持ち合わせていなかった。


 目の前の血溜まりに伏す肉体には汚く塗れた装飾品が鈍く光っていた。



「間に合いませんでしたか。」

 背中に声が掛かる。

 後ろを向く。それができる時間的余裕があったと言う事はつまり、もう既に敵対関係ではなくなったという事だろうか。振り向くとそこには先程襲いかかって来た老戦士とその連れが居た。


 そしてその後ろから続々とやって来た光線が白の外套姿へと変貌していく。その者達は全て手に光の武器を生成すると、こちらを睨め上げ、行動に移ろうとした。


 しかし老戦士がそれを遮る。

「我らが主は死にました。遺言通り、最後の命令以外の全ての行動は個々人の裁量に任せられます。」


 その言葉に対し、光の大剣を持った一人の魔導師が怒りを顕にし、こう言った。

「その発言、そして今の行動、汝は会敵した後、結果はどうあれその役目を終えたと勝手に勘違いした訳か?」


「ここで貴女方と闘えば国王の残した財産に傷が付きます。私とて本意ではございません。」

 老戦士のその言葉に、恐らく若いと思われる魔導師は少し息を吸い、続けた。


「残念だがな、私達には戦う理由がある。貴様の様に終わったと思い込んでる訳では無いのでな。」

 それに対し、老戦士は、

「いいえ、貴女方にはもう戦う理由などありません。敵を捕え損ねた以上、ここに居る全員が平等に平和の意志を持つべきなのです。」

 やはり確固とした態度を崩さない。


「それはつまり、機会は一度きりしかないという古びた考えから来るモノだな?宜しい。ならば御老公、貴様の首を置いて行け。時代は常に刷新されるモノだ。」

 しかし頭の固い返答が帰って来るだけだった。


(やれやれ、ここまで頭が固いとは、私が屠り散らした先代達と変わりませんね。ただ、その威勢の良さと敬いの無さだけは認めてあげましょう。世代の性質も、少し温故知新されているでしょうか。)


「何も言わないと言うことは、了承したという事で良いな?」


 その問いに答えようとした老戦士、しかしその言を遮り、


「おいおい、このゴキブリ様を放置するのか?」


 問題はその存在を強く、空気も読まずに主張した。


 〜〜


 夢を見た。限られた数の友の一人を、いや正確には友だったというべきか、それを、この手で殺してしまう夢を。


 他人の心が読めない彼には金で弄ばれる程度の人脈しか築けなかった。それなのに彼は、彼に少しでも利害関係でない、同じ空間を笑って共にしたという情を持ってくれている大事な友を殺してしまった。



 道化ネタでもない事で理不尽な事を要求され、その上で逃げ道があると知った時、人は、きっとそれを手に取ってしまう生き物なのだろう。



 だから私は殺してしまった。

 本当は私が死ぬ筈だったのに、もうそれすら嘘になってしまった。

 胸は痛まない。きっと理不尽な事が心の底から許せない性分だからであろう。

 その友とは、大いに闘った。敵としてでは無い。友として、闇の中で理不尽と闘った。


 アイツに、また出会うまで、この夢はきっと私の記憶を壊すに違いない。それほどまで強烈で、また、忘れてはならないと心に刻まれる程深い内容だった。


 決して、私が馬鹿だからやったのではない。私はただ、自身の行動が制御できない程子供だったというだけだ。



 さようなら、過去の自分。夢とは言え一線を越えたのであれば、私はきっと大人の階段を登ってしまったに違いない。

 …いっそ、大人になるとはこういう事を指すのかもしれない。



 飛ばした首は目を瞑り、何の怨みも無い様子だった。猫がその上で寝て、客人からそれを隠す。客人には訝しまれ、母が私の味方をし過ぎると、客人は正義感からか、真相を探りに来た。そこで夢は途絶えている。

 そう言えばその猫は、飼っている薄い茶虎の猫ではなく、灰色の猫だった。「灰色」は客人が連れて来た同じ色の猫と仲良くし、私にも好奇の眼差しを向けて来た。全く不思議な夢だった。私には、動物に好かれる要素など無いというのに。客人はこの手の事に慣れているかの様に。


 それが私を少年から青年へと変えたモノだった。



 では、青年から大人へと変えるモノは何だろう。それはきっと、己に掛かる筈の大きく集った負の感情を無視しようとしなくなった時、今なのかも知れない。


 〜


 その発言には本来ならまだ彼には知られていないモノを含んでいた。王とその従者の頭、そして勇者一行と彼等の話を聞いたことのある者しかそれを口にする事はない筈だった。

 だが勿論、'普通の単語として'口にする事はある。今回もその意味だった。


 自身が生存に特化した存在であり、ピンチになると飛び回りまたその際に無駄に思考が澄み渡る事を踏まえてのその単語の採用だった。


 それは奇しくも、従者の頭が会敵後、適当に捻出した理由と似ていた。


「いきなりどうしたのだ……」

 老戦士の隣を着いて来ただけの若輩者は、その発言に困惑し、つい口を零してしまった。


 他の者も同様の感情を持っている。少しでも刺激が加われば戦闘になっていたであろう二者を除いて。


 彼等は互いに合わせていた目を離すと、元来の対象に向き合い、

 そして、老戦士は何かを決めた様に自らの発言を撤回した。


「彼を戦闘不能にするだけであれば確かに王の遺産を損なう事は無いでしょう。」


 その目は老練な戦士らしい思慮深い色に満ちていた。


 その発言に納得したのか、その魔導師は光の大剣に更に同属性の術式を組み込み始めた。


 老戦士はまた、杖剣を納刀したまま大理石の床に突立て、杖を通してヒビ割れに魔力を流し込む。それに追随して若輩者もナイフに例の術式を組む。コツはいるが大理石にはその石中に術式を乱さずに描ける。そこにおいて、この戦いは即席術式で彩られた緒戦とは明らかに違うのであった。


 成年は、悪意を無視はしないが、それから逃げる準備はしていた。


 だが、一面荘厳な装飾で彩られた壁面を破壊して逃げ延びるには、変化した先の物質の硬度が装飾を複数破壊できる程高く、また、勢いを保ったまま逃走形態に素早く変化しなければいけない。


 目の前の敵を完全に撒くには相手の完成した封印術式にできるだけ掛からない様にすべきであり、先までそれができたのは、通常攻撃への変化を見逃さなかった事、術式が完成する前にその内部から術者を攻撃できた事、そして高速の空中戦に持ち込んだ事に尽きる。


 だが、状況を突破する条件を満たすにはこちらも一時的に術式の強化を行わなければいけない。

 そうすると、どちらの術式がより早く完成するか、そこが焦点となってくる。


 こちらは術式を情報体内部で立体的に組むことが出来る。つまり二次的な術式を組むより強烈な術式ができる。そしてそれはつまり、より少ない術式で事を起こせる訳であり、速度に繋がる。


 問題は敵にも同様の事ができた場合だが、幸い、光魔術で武器を生成した者以外、一見してその兆候は見られない。その者達以外、可能性はない。そう思い込んだ。


 …決戦はその思考の直後だった。


 光の術式大剣を持った魔導師が突進してくる。

 若輩者と光弓使いが術式が内部に編まれた飛び道具をそれぞれ放つ。

 残る魔導師が散らばり距離を詰める。

 この順を一瞬で打ち合わせ無しで行える所が経験の成すところであろう。


 それに対しこちらの取るべき行動は、単純、全てを避けるのみ。

 大剣を躱し、その上でほぼ同時に周りの空間へと飛来する飛び道具を躱す為に、当たらない領域を見定める必要があった。

 幸い先の会話から装飾のある横の壁面には飛ぶ心配はなく、床か、後ろの壁面に刺さる形となると容易に予想出来た。ただ、後ろの壁面が良いならば縦長の構造であるこの間では上空に飛んで躱すのは危ない。となれば、後は一つ、下のみ。


 大剣を寸での所で上半身を後ろに倒し躱す。その後、左向きに倒れる様に脚を工夫して移動し、回転しながらその魔導師を抜き去る。

 そのまま先の老戦士へと向かう。


 だがその瞬間、異変に気づいた。


 老戦士はピクリとも動かない。まるで既に獲物を捕らえたかのように。

 悪寒に負け、直ぐ様装飾が多く敵が少ない横壁面方向へと、黒玉に変化しながら飛ぶ。

 しかし間に合わなかった。


 広場全体に闇魔術にのみ反応し、それに係る重力を絶望的なまでに高まる効果が発動する。術式、魔法陣は見えない。


(魔法の、類か…!?)


 その思考を塗り潰すかのような異常な重力に、こちらの意識は保もたなかった。



 意識が切れた後、術式も解けた。

 寝ている内や気絶している最中では、不意に襲われても大丈夫な様に術式を固定しておくが、それもまた魔力量の無駄遣いができない程の戦闘中となると話は別である。


 勿論、自身の魔力を制御するのに敢えて別の魔力を使うという手法もある。自然に眠る魔力源を使うのである。


 そしてそれはまた、逆の事が出来得るという話に繋がる。自身の魔力を利用し、自然魔力を操る事である。


 本来ならばそちらの方が簡単なのだが、「蜚蠊」君は逆神である為に、いや寧ろそうであったからそう思われたと言った方が良いだろうか、兎に角、自然魔力を使用しての魔力制御が得意だった。


 だが、王の間には残念ながら魔力が内に篭っている物が多い。特に装飾品や神器等は魔力を周囲に漏らさない事が一流の証であり、その為「蜚蠊」君にはこの環境はすこぶる相性が悪かった。


 話を戻す。自然魔力を操る事、これは緒戦を共にした老戦士と若輩者の両方が使った。若輩者のソレは言わずもがな、老戦士の'これ'はそれとは更に規模が違う。

 大理石は魔力の通しが悪いが、それは元から魔力を多分に含んでいる為である。また、石の構造にバラツキが無い為、無闇に魔力が拡散しにくく、十分な魔力量を持ってすれば意図した方に容易く流し込める。その為、大理石は石中の構造を把握していさえすれば術式を容易に素早く描ける。


 魔力は単純な衝撃波とエネルギー体、そして粒子の三位の丁度、いい所取りをした存在位置にあり、その通りは三者の性質から導き出せる。今回ならば、衝撃波はかなり早く、エネルギー体もまた早く、粒子のみが非常に遅いと言った具合であり、つまり魔力の進みは早いのである。それは、肉体に魔力を通す「蜚蠊」君の数倍から十数倍にも及ぶレベルであった。


 また、老戦士が術式を横方向だけでなく縦方向にも描ける事は恐らく勘の鋭い者、経験を積んだ者なら一度に見抜くことも出来たであろう。だが、「蜚蠊」君はそうでは無かった。残念だがこの試合、初めから分かり切った結末であった。


 ただの肉体へと変わった男の元へと、止めを刺そうと白い外套の群れは寄って行った。全ての者がまだ終わりではないと、その体で表現していた。


 例外は一人も居なかった。


 ……効果の対象が「重力」から変化する。「強い力」へと変わる。対象もまた闇魔術から通常の物質へと変わり、効果はまた'反転'した。そして、たった一瞬、それは発動した。


 '術式対象内'の全ての物質は一定の大きさになるまでキンっと高音を立て押し潰される。ハイエナのように群れ集った純白が肉の色と混ざり酷く醜い塊と化し、空気もまた圧縮され球状の液滴や個体に変わり、次の瞬間、術式の効果が戻ると同時に、自身の斥力に耐えられずそれらは衝撃波を発生させながらパアンっと弾け飛んだ。


 組成が変化した最早肉片とも呼べぬ何かは飛び散り、ミネラル分は美しい鉱石へと変わり、個体となった空気は戻る空気中でキラキラと液体、そして液滴は気体へと変わる。


 舞い落ちる薄黒い何か、花火のように消える液滴、そして砕け散ったダイヤモンドの様に音を立てながら飛び散る鉱石、目に見える程の衝撃波。自らに降りかかるそれら破壊の結果を術式で防備しながら、それに晒される王の遺産、そんな光景を前にして、老戦士は実に愉快そうに口を開いた。


「ほっほ、こうやってつまらぬ同胞を裏切った時の絶景や音に優る芸術は無い。」


 術式の対象から外した、そばに居る若輩者と衝撃で吹き飛んでいく目当ての存在を無視し、

 仲間を軽く捻り騙した老戦士は一人杖を握り悦に浸っていた。


 〜〜


「おや、お目覚めですかな。主よ。」


 目が覚めるとそんな言葉が掛かった。起き上がるとそこは既に自身が倒れた装飾華美な間では無く、月明かりが仄かに照らす風の心地よい草原の上だった。


 傍には犬っころの様にちょこんと座っている先刻襲いかかって来た若輩者が居た。


「なんの冗談ですか。」


 少し声を低くした。

 生き残ったのだから皮肉を言うのは鉄板である。それがこの男の常識だった。今回はそれを敬語に留めておいた。


「ほほ、何、貴方様の生き様に惚れておりましてな。…監視していたのですよ。昔から。」


 鍋を弄る手を一瞬止めながらそう嘯いた。


 どうやら皮肉は通じてないようだ。

「嘘はいけないよ。」


 その言に少し鍋をかき混ぜる手を止める老戦士、少ししてから笑みを浮かべ口を開き、

「ほほ、まあ、本当の所は、余生の暇潰しとして、興味を持った貴方の人生にちょっかいを出してみた、と言った所でしょうか。」

 そう言った。


 私は少し疑問を含んだ声で返した。皮肉は通じないと諦めて敬語は止めた。

「何故私に興味がある。」


「蜚蠊等と呼ばれる程忌み嫌われている事がとても興味深かったのです。」


 微妙に返答になっていない返答を聞き、強く出てみた。

「お前は、例えるなら、虫を捕らえる蜘蛛と言った所か。」


 ついで、更に声を低くし、

「今すぐ戦えば良いだろう。」


 その若く好戦的な様子に老人はつい口元を緩ませる。

「ほほ、その様な元気はもう御座いません。私はただ、生き残る事に特筆した才を持つ貴方のような存在が、今後どの様に世界と渡り合っていくかを見届けたいのです。」


 その内容に対し、漸く素直な気持ちが出たか、そう思った。だが、その後に続く危険な言葉に瞬間、戦慄が走る。

「何……既に他の存在から、国レベルの組織体から目をつけられているとでも言うのか。」


「ええ、まさに、その通りでございます。実はですね、この世界には四天王と呼ばれる存在がおりまして、今回倒したのはその中の一人が仕えていた街の王なのです。」


 その話を傍で聞いていた若輩者は、自らの記憶に照らし合わせ、そう言えば四強で勇者一行パーティを組む為、つい最近頭を迎えに来たな、と思い出した。


「なら今、もしや全方位に居るであろうその敵共に監視でもされているのか。」

 やや強い口調でそう問うた。


「ええ、適当に水晶で見られているでしょう。私は魔導師ではありませんから感知は出来ませんが、貴方様なら、ああそう言えば、報告書にありましたな。魔力感知があまり宜しくないと。ではこの場では確かめようが無いですな。」


 先の皮肉に対する嫌味だろうか、小馬鹿にして来たが、構わず無視して一旦冷静になる。

「……兎に角、今は何とでもできるこの状況を活かして逃げ回るのが吉だろうな。下手に敵に攻撃を仕掛ければ総攻撃が待っているかもしれない。」

 気持ちを普段以上に切り替え、言葉に掛かる重みもまた先刻よりも大にし、当たり前の事を強く語る。


「分かりました。しかし水晶で見張られている以上、敵の包囲網はいずれこちらを完全に取り囲んでしまいます。また、逃げ切るには戦力が少なくとも敵の倍は無くては機がありませんが、宜しいですかな?」

 当然には当然を倍にして返す。仲間であっても圧力を掛けれる時に掛ける事で優位に立ち易くする。それがこの老戦士が培って来た渡世術であった。しかしその効果は、大して効かなかった。


 老戦士が疑問を投げかけたその成年は、口元に笑みのような何かを浮かばせこう言った。

「良い考えがある。いずれその発言、取り消すことになると思うぞ。」


 その言葉に納得したのか、老戦士は、その夜、それ以上はこちらに向けて話す事は無かった。


 その次の日から、一行が向かったのは、一先ずは光の領域と対照、闇の領域であった。破壊が日常茶飯事となった彼の故郷のある世界、国が総出で仕掛けた男ですら簡単に虐げられた強大な闇が渦巻く危険な土地。


 超えた先にあった希望は、既に沈んでしまったというのに。その歩みは、皮肉にも可能性を感じさせる物であった。


 〜〜


 その光景を見て何が起きたかを瞬時に覚る。ここにいた同胞達は其の多くが殉職したのだと。


 とある外套の魔導師は、その瞬間、決断する。

 己の人生を掛けてあの者を逃がす事はしないと。

 決して弔いの為では無い。全くつまらない命で命を散らして行ったこの国の最高機関の汚名を晴らす為でもない。ただ純粋に、己が冒した過ちを払拭しようというものだった。


 確かに、今残っている同胞達は全て、彼の過ちによって、結果傷を負った者とその治療に専念した者だけである。

 つまりは間接的に彼が救ったと捉える事も出来た筈だが、彼はそんな因果関係を無視した結果論だけを呑む様な思考をする事は無かった。



 彼は直ぐ様仲間を募った。勿論、彼が傷付けた同胞からではなく、彼等が仕えていた組織と同規模以上の、世界を陰から支援する巨大な「自警団」とも呼ぶべき組織からである。


 また彼はその組織を頼るばかりではいけないとして、かつて交流のあった下部組織にもプライドを捨て頼み込んだ。「どうか私に力を貸してくれないか。」と。


 その効果があってか、男の周りには彼をサポートしてくれる者が現れた。

 私生活の彼を知った事で彼を慕っていた者や、彼の失敗を意図的に引き起こし、その際の彼の自信の喪失をこの目で見てみたいと思う歪んだ思想の持ち主もその中に居た。


 少しして、彼等は「王室探偵団」を名乗り、表では王の死に関する謎を追い掛ける形を取り、彼はその執念を燃やす事に成功する訳だが、


 そのとある外套の魔導師は、あの一人の男にとって一時、大きな壁となる。それは残念な事に、彼の並の執念によるモノではなく、ただの運命の悪戯によってであった。


 〜〜


「どうやら彼が騒ぎを起こしたみたいだね。」

 翌日の新聞には既に事の大まかな把握が載っていた。勿論、そこに載る社説は酷く推論に満ちたものであるが。

 そんな紙面を少し眺めながら、発言をしたのは、勇者、犬や猫を周りに好き好みに侍らした現最強の四天王である漢であった。


「……」

 それに対して、肩周りに鳥をこれまた好きな様にさせている、最も関係のある青の装備に包まれた盾兵は、やはり黙したままであった。


「取り敢えずは、彼の現在位置や進路等に関係無く、最後の一人が来てくれるまで行動は控えるべきかな。」

 彼は仲間の事情を察し、話題を切り替えた。


 それに返答したのは、残るもう一人の仲間、寡黙な青とは対照的な赤の東洋風の鎧を、白の頭巾、白装束の上から身に纏う僧侶、これまた牛を傍に繋いでいる愉快な漢はこう言った。

「それはどうだろうな。奴は戦闘は出来ないが未来を見る事はできる。今の状況だと我々一行よりも奴単体の方が価値は高いかもしれん。向こうが離すとは思えん。」


 勇者は新聞から少し顔を上げた。

「そうだね。つまりは僕らから彼を直接迎えに行くべきだと、言うことだね。」


 僧侶は少し訝しんだが、納得はした。

(ふむ。まあ、そうなるか。あの"神落としの怪奇"を倒すには、どうしても我々四天王が一つにまとまらねばなるまい。)


「では、今から立つか。」

 気の早い、というよりとある事情で気の立っている僧兵はそう言った。


「朝食を取ったらね。」

 そこは譲らないよ、と言った口調で返す言葉は、その場に居た全員に目の前の現実を思い出させた。


 そう言えば、皆、殆ど有り金が無い。


 この街に来る旅路は長いモノで、道中ぼったくり宿屋を何件かハシゴする羽目になり懐をかなり寂しくされてしまったのだ。


 今座っているテーブル席は最も単価の低い店の物であり、新聞もたまたま落ちていた物を拾ったものだった。犬も猫も鳥も野生の物だし、牛だけは先程死にかけていて屠殺されかかった所を、僧侶が望んで持ち主に相談して最後の金貨で買ったのであった。


(あーあ、あの宿屋街はやはり早めに潰すべきだったね。そして募金、いや待て間違えた。合理的募金クラウドファンディングをすべきだな。先ず。)

 そう思うと彼は直ぐ様実行に移した。腹が減っては戦は出来ぬ。


 …彼はやはり全ての人民を味方にする素養を兼ね備えていた。事は順調に進み、その朝の内で彼のカリスマに惹かれた者達と一緒に会食をする事にもなったが、それはまたまた別のお話である。


 〜〜〜


 盤上は、序盤を抜けて様々な勢力が関わる中盤へと移行する。


 垢抜けた黒い虫、その周りにいる唯一無二な過去を持った仲間程信頼はできていない者達、壁となる者、未完の勇者一行、まだ見ぬ他国の闇、そして主人公がその元へと向かう"御伽噺の神"を殺した存在。



 盤上の駒は残らず何時だって輝き続ける。

 時は無常にも、それを凌駕する事のある天性の才を除いては、ただ一方へと流れ落ちるだけである。


 物語は、その童貞を捨てた。


 〜〜〜


「では、出立といきましょうか。」

老戦士は、この場で暗く澱んだ人生や破滅的な願いに至るプロセスを語るでもなく、直ぐ様に変化を欲したのである。


何より、其の世界は、闇と光に満ち満ちていた。世界はどうしようもなく、ただ明るいのでもなく、暗いジメジメした世界にこそ、存在を欲する。


ありふれた現実の中にあって、この世界は、とめどなく美しく、満点の星空がそうである様に、隙間なく、かと言って其れ等が目に見えるわけでもなく、ただ中心座標の全てを明るく見せていたに過ぎなかった。


今日、この日までは、少なくとも世論が集中するカタルシスであっても、世界の端っこから覗く美麗な光景であっても、其の中終盤に彩られた重ねられて美しい其の秘密や秘法のあり方でも無く、紛れも無いこの"蜚蠊"様こそが、世界の明暗別れる中心座標に君臨する事は無かった。


ただの事実として、この世に生きとし生けるもの全てが其の無駄を排して、まるで人の栄華を極める前触れの様に、まさに其の全てを外界に依存する大切な可能性としての蜚蠊として、生物の外形たるや、在るのである。


何だかんだ言って、俺達は同胞だよなという結論に落ち着きそうになる其の道理のままに、"蜚蠊"達一向は、世界の波濤に身を進めることになった。


ピクリと老戦士の腕が動く。

立ち上がった動作のまま、近くにいる敵を屠る前動作の省略という訳では無い。

「有り得ない事に、勇者パーティがこちらに近付いている様です。何か、心当たりは、有りまするかな。御二方。」

「ああ、ここへ来る前、つまり俺が追われて闘いながら、じいさん、あんたに会う手前、一度死に掛けた事があった。光魔法で塗布された最高級の剣を持つ勇者と、其の一行が、俺を殺しに来たんだ。何よりも、まあ、俺より早いのなんのって、驕る訳でも無く、アレはまさしく現世界最強候補だろう。俺を狙ってる。」

狙ってるの意図に其の背中は大きく震える。この世界が微妙くも儚い其の翼を折ろうとするならば、こちらも守り切って見せると、自身の貞操を何よりも慮る。

「ほう。彼等は手強いですからな。こちらから刺客を差し向けておきましょう。それで心置きなく、逃避行に興じるとしましょうか。」

「賛成だな。ただでさえ、俺の攻撃はこの"蜚蠊"野郎には届かなかった。寸手の所で、何て言い訳するつもりは無い。ただの力量不足。分かっているとは思うが、自分でも何だかんだ言って小癪な罠を仕掛けるイメージしか湧いて来ない。其れで、この"蜚蠊"様を囲っていた我々の中でも、特に今、お荷物扱いされた俺が、其の中心にいた勇者パーティに敵うとは到底思えないんだ。」

心底、と吐露する様に、こう台詞を吐き出す。まるで、家庭内に何事も起きていない時に限ってリビングでコソコソねだ回る蜚蠊を潰した後の焦燥の疾風の如く、進んで協力を申し出たであろう少年兵は、雰囲気を進めた。

「忌々しい…この"蜚蠊"野郎とな、何だかんだ我慢してやっても良いぜ。」

「決まりましたか。では、私達が居るこの丘の上には、我等以外、野草や獣も見当たりませぬ。ここを離れて、我等協会の本部まで、支部を練り歩きながら、目指すというので良いでしょう。しっ。奴等が動きました。また、討伐部隊をここ等一体に差し向けるでしょう。ですが、協会の支部は見つける事こそ困難なもの。何より、守りに関しては絶対の信頼を超える相対的な不安も味方する程、内側からの眺めが絶景な分、我々は目指すに足る。貴方方も決して満足行く事間違い無いでしょう。」

老戦士はそう言うと、杖から可視の魔力で魔方陣を展開し、通信を行なった。

「ええ、私です。はい。貴方達の望むままの生活が手に入りまする。目標は、この丘、貴方方にしか見えない目印を付けておきましょう。一回こっきりです。はい。もう一度言いますが、一回こっきりです。しくじれば次は無いですよ。」

仲間内も見せない手品があるかと期待したが、俺達にも見える目印が徐々に煙を伴って迸り始める。`弱い力で周りの電子核を基底状態から励起状態に変える事によって、発煙筒の様に周囲の大気を煌びやかな魔術として見せ上げる。

「ここに、幻覚を仕込んでおきましょう。軽い眩暈がしますが、ご了承下さい。何より、跡がバレたら大変ですので。」

老戦士はそう言うと、魔力を込めた指で軽く中空に何やら筒みたいなものを描き始める。すると、ドクンとズキンが両方同時に一瞬軽く作用して、そこに今にも持てそうな筒形の火を吹く小道具を見せた。

「これに触れれば、触れた人が其の生体反応を目印にして私に合図を送ります。これで、当分は、この煙共々、丘から離れる事になりますが、何か、ご質問の程は。」

程は、と来る程随分親切ご丁寧に逃げる為の布石を打ってくれてありがとう。そう告げる間もなく、随分と世界は、煌びやかな煙に撒く星空との距離感の様に、其の中心人物達に優しかった。


「俺は、今何をして居る…?」

幻覚が聞いたのだ。ただでさえ、追われ続けた人生なだけ、自分というものが曖昧模糊なのだ。この主人公は。


 〜〜


逃避行から半日が経過したある夕暮れ。


「で、協会とは具体的には、どう言った場所にあるんだ。」

"蜚蠊"は、ここに来て今日初めて口を開いた。

「ええ、説明は不要でしょう。行けば分かります。行けば。」

「それでですね。其の上司が自分の不始末を棚に上げて、私の股間を蹴って来たんですよ。協会にあるものは触るなと何度も言っただろうがと。」

「へー、それは理不尽だな。自分が触り過ぎて犯した結果を、ましてや其の応えに何も感じないとは。」

喋りながらも老戦士の足は止まらない。若干二人に置いてきぼりを喰らいかけて居る若輩者を除いて、また、距離が出来かけていた一行に、異変は直ぐにやって来た。


「妙ですな。いつもなら、私が魔術を使えば、協会のものが近くに探しに来る筈です。見たい見たいと。駄々をこねる事が多いんですよね。我々。」

「ええ、ここの林を抜ければ、村があります。そこに協会のアメル支部はあります。何分、この様な場所に村がある事すらも分からないでしょうから、妙に気持ちの良い遁隠術です。」

しかし、其の声を最初に受け取ったであろう人物は、林から、赤の甲冑をがしゃりがシャリと言わせながら、等しく同じ足ぶれで真向かいから歩いて来た。

 「協会に行きたい…か。其れは其れはご無沙汰だな。其の協会はもう既に、お前達を迎え入れる事は無い。全く、つくづく甘いな。お前達、逃げる側というのは。ところで、其の話の続き聞かせてもらっても良いか。上司とやらは、まさか同じじゃ無いだろうな。老戦士。」

地面が赤く燃ゆる。

「初手からこれとは、まさに全力投球と言った感じですね。」


一瞬、景色が揺らんだ。しかし、直ぐに実態に気付く。数珠の根が魔法陣の展開として、既に、この辺り一体の林付近に陣取ってある。


また、純粋に、景色が`赤で塗り潰された。


若輩者を除いて、二人が取り込まれる。しかし、"蜚蠊"は、其の様な囲い合いには、分があり、直ぐ様に暗黒物質の配列で持って、其の珍妙な空閑から真っ先に離れる。其の様は、地に`堕ちた流星と言っても過言では無い。


「ほほ、捕まりましたか。成程、結界術では仕留めきれない訳だ。これでは、透過し放題でしょうに。」

「全くだ。この俺の地獄領域にようこそと言いたいが、老人、お主の言を取って、逃げられたとだけ言っておこう。しめしめ。」

「"蜚蠊"は、取り逃した。追って通達する。其れと、思わぬ収穫だ。レイよ。お前の道場の師範代がお迎えだ。」

まるで、この空間と外にある残りの勇者達とは、繋がって居るみたいに報告をする赤の僧侶。

そして、其の領域内に取り残された老戦士が一人。杖から剣を抜剣し、鋒を僧侶に向ける。

「尋ねよう。汝、何者か。」

「これはこれは、騎士の例に則り、恐悦至極。其の形からは想像も付かぬ程、礼儀正しい爺さんだ。」

「俺か?俺は、見ての通り僧侶だ。と言ってもただ念仏を唱えるだけじゃ無い。こうして、他の生物にも簡単に危害を加えることができる。」

指を揃えるかの様な奇妙な握り拳をする僧侶。すると、赤のゾーンは瞬く間に噴出する赤の"絵口"によって、様々に塗り変わって行く。

老戦士はこの"絵口"を避けながら、僧侶にまるで歩くかの様に近付いて行く。僧侶は自身の周りに噴出を限定すると、領域の限界まで押し込まれる。居合を警戒しての事だ。

そして、領域の限界から、壁を作り出すと、数珠を老戦士に向け、其の頭部を囲うかの様に数珠を擦る。

老戦士はこれを軽く避け、居合への物語へと歩みを止めなかった。


赤の領域は、精神不干渉、外界からの途絶を意味する。この世界で、数珠を視野にピントを合わされてでもすれば、外界からの侵入者たる老戦士は直ぐ様に、何かしらの封印が施されるであろう。


老戦士は、腰を低く構えながら、剣を掲げ、ゆくりと擦り寄って行くと、こう唱えた。

「明るみに出し魔法よ。暗がりに伴う魔術よ。今、まさに切り離れん-!」

其の居合は、僧侶の居た空間を切り伏せると、僧侶は噴出による押し出しの効果で、壁を凹ませ避けた。


すると、噴出からドロドロと絵の具の様な塊が徐々に吹き固まっていくと、赤雷が切った場所から発生する。

「ぬぅ。術法の解を切り分けるか-。」

老戦士は、また、魔法陣と魔方陣を杖剣から取り出すと、赤雷を集め、絵の具の様な物体を粉に変換し、霧散させて行く。

「まさか、これ程の使い手がこの世に二人も、存在するとはな。危険だ。貴方は其の甘さと共に、危険過ぎる。」

僧侶は数珠で"絵の具"を砲弾の様に集めると蝋戦士に向かって勢いよく射出した。

老戦士はこれを杖剣で、魔法陣を展開しながら、撫でる様に飛ばし、避ける。其の際、ギャリギャリンという音がする。


間合いが取れた。すると老戦士が僧侶に説教をし始めた。僧侶はこれに応じる。


「その発言は面白いですな。実に面白い。「甘い」などと抜かす事、そしてそこにある矛盾に気付さえしない事、そのどちらもが貴公の`弱さに繋がっている。」

 老戦士は手を止め、冷静に目の前の敵に忠告をした。


「ほう、それはつまり、己の未熟さ、甘さに気付いた上で定した発言か。」

 返すは、対峙する僧侶。その言は、甘さを説くには己の甘さを知った者だけだと言う彼の理念から来ていた。


「ほほ、どうでしょうかな。かつての私に貴公ほどの甘さは無く、故に貴公の言はつまらぬ戯言なのですよ。」

 老戦士は続ける。

「もしやお分かりでない。甘いという言葉をこの世界の物事に当て嵌める時点で、お若い方、貴方が甘い。」


 それは至極当然の事だ。物事を甘く見る事程甘いことは無い。

 だが、それは人に対しては別であるし、人に対しても同じ様に言えるのであれば、同じ事をしているでは無いか。僧侶はあくまでそんな事を分かっているものだと思い込み、浮かんだ一つの疑問を直接問いただした。

「自身は人ではないと言うか。ではなんだ。人を甘く見る愚か者の偶像か。それともこの世の事を分かった上で全てを見通す神でもあるのか。」


「はっきり言いましょう。言い伝えの神は既に'無くなり'ました。もう一つ、今私は貴方の甘さについて及んでいる。そして貴方はそれも、何故そう言われるのかも分かっている。だが、そこから逃げ、言葉の矢で仕留め合いに持ち込もうとしている。そこに、貴方の甘さの最たるものがある。」

 老戦士はその問いに全く態度を振らす事が無い。


 その態度に対し、敢えて相手の土俵に乗り込み、自身の見解を張る。同じテーマの舌戦で自らを熱くする必要は無いと考える。

 また僧侶として、相手を説得するのも彼の一面であった。

「甘さ故に私は私なのだ。世の道理を弁えた上で甘さを捨てる者は良い。一般の僧侶として置いておこう。」

「私はな。甘さが無くては世は説けぬと言うのだ。」

「何故か、分かりやすい話だろう。衆生は全力で生きるからこそ、甘さもまたそこに必要になってくる。苦味を呑むだけでは人は生きていけない。全力には、良薬口に苦しと言うが、健やかなる為に精神を痛めつける苦味ブラックが向かってくるのだ。そこに心に一息を突ける甘さ(ホワイト)が無くては、衆生は黒に呑まれその心と共に潰れるのみ。当然であろう。そこな"蜚蠊"と同じだ。」


 老戦士はそんな彼以外の誰にとっても常識である話に、何も得られない、つまらぬ言であると思ったが、問題は彼の性根であると思い、また、相手のその「甘さ」を肯定する内容に、そうであるならば何故、人を「甘い」と言えるのか、そこに酷く可笑しさを感じた。

「その甘さを体現するために己もまた甘くあらんと、また殺し合いの最中に目の前の好敵をして、「甘い」と呼ぶことに繋がる訳ですか。それはそれは、上々ですな。上上の馬鹿だ。」


「甘さはそれを腹に抱えている者からしか採れん。私は牛が好きでな。よくこうなりたいと思っている。」

 そう主張するのは、あくまで己の信念を語るのは普通と言わんが為に。


「では、こうですね。貴方は牛には成れない。」

 すれ違う話を前に老戦士は方針の切り替えを行った。

「貴方は草葉を食む事無く未だ甘さを取り入れようとしている。もしや、己の内の乳を自ら飲むのですかな。」

 ここにおいて「草葉」は普通の事象を指す。「乳」は人が糧にする物だ。

「甘さは他者から与えられるモノであって、己に与えるモノでは無い。

 また、貴方の先の「甘い」という発言は「未熟だ」という意味でしか無かった。それは人を小馬鹿にする発言。そうでしょう。衆生を救うと言っておきながら、差別を生み出すのですかな。」

 老戦士はそう大きく寝技に持ち込んだ。


「ははは。老人よ。貴様は天国でも作りたいのかな。

 別に良いのだ。自らの為に自らを搾取しても。いや、流石にそれは言い過ぎか。己の為に甘さを独り求めても構わぬのだ。また他人を選別しても良いのだ。

 この世は未だ破壊を求めてはいる。今はまだ、衆生全てが甘さを取り入れる時ではない。」

 今はまだ、この思想で問題ないと、そう言い張り切る。


「趣旨がズレてきた様ですね。

 まるで"'野'に落ちた'糖'"の様だ。蟻に群がられているとも知らず、己をバラバラに持ち運ばれても、その事を認識すらしない。」

「失敬、例えが分かりづらかったですかな。」

「良いですかな。甘さを己自身に与えるとそれは人として駄目になる。だが、他者から与えられた甘さは幸福となって人々を包む事さえある。私が言いたいのはですね。己には厳しく、他者には甘さを少し与えるのが良いという話です。」

 老戦士は続け様に相手の主張を潰す。

「また、貴方は恐らく、全人類が甘さに浸る時が来ると思っている。それは当然でしょう。人々が苦しみを求めてはいないことなど当然の当然。故に、賢き者達が増え集えば、ただひたすらに他者の為他者の為に生きようとする人でなしが出てくる。それが更に増え集え肥えれば、ほら、天の国はそこにあるでしょう。


 天の国ができるという事は、間違いなく、地の底に赤く血に染った苦しみの具現もまたある。そして、甘さは人を駄目にする作用がまたあるのであれば、地獄はその全てが甘さでできていると言い換える事も可能なのです。

 その上で、天の国と地獄に挟まれた世界に甘さが無い訳が無い。

 そう、いずれ世界は甘さの海に還る時が来るのです。」

「…確かに破壊の最中にあってはそれは難しい。しかしそれが届かない世界ができていれば、下々の破壊を見下しながらただ幸せに暮らす事もできるのです。」

 そして最後、舌戦を更に広げて行く。

「それに貴方、独りで甘さを求めると仰いましたね。

 それは他人の為に甘さを生み出す為に、他所から甘さを取り出すと、これは矛盾している。

 またそれは甘さを自ら生み出せないと言っているのも同じでしょう。」

「ええ、貴方は、牛には成れない。」


 しかしその発言ですら一理あるとしか捉えないのがこの僧侶であった。

「貴様、中々に面白い話をするでは無いか。俺は牛になりたいと言った訳だが、その通り、牛になることは出来ないとは知っている。

 だが、敢えてそれを目指す。己の手に余る夢だろうが、それを叶えんとひた向きに歩き続ける。

 そして衆生に甘さをもたらす為に私は先ず、甘さを知る必要がある。」


 その言葉に対し、老戦士はここにおいて漸く少し歳の差を考慮した内容を話す。

「己の手に余る夢は辞めておいた方が良い。別に私がそう言う類の経験をした訳では無いですが、少し考えると分かる。

 人は己の視野に入る物しか認識できない。

 全てを救う力を手に入れても、全てを見ている訳では無い。全てを救う力、そんなものがあっても、人の視野でしかそれを振るう事しかできない。それが人という生き物。

 故に気付かぬ内に力は出し惜しまれる。使わない力はやがて腐り、それを持つ基盤に腐敗を生む。

 そしていずれその視野は黒く閉ざされる。気付けばその力の持ち主も消え失せる。

 また、見果てぬ夢を求める者は全て、その求めの為に今を捨てて行く。今を捨てれば、いずれ来たる今も失う羽目になる。永遠に訪れることの無いそれに追随する。死ぬまで駆ける。

 ほら、凄惨な人生でしょう。辞めておいた方が良い。

 」


「うむ。それは確かに一理ある。だが最後だけは納得できない。凄惨…それは貴様が生産性を求めているから、人の役に立ちたいからそう見えるだけであろう。

 立派な人生ではないか。夢という甘さに魅せられ、それを追い求める。人が己の視野に入る物しか扱えぬと言うなら、その者は、夢を扱う。夢は人を導き、導かれた者は甘さを手に入れる。ほら、何も問題無いだろう。

 まあ、私は甘さを世に浸透させるために説かねばなるまいと思っている訳だが、勿論それは夢が一過性故に残らない為に言っている訳だ。理屈として人々に浸透させる。これが最も効率が良い。」

 僧侶は少し喜びようであった。


 だがしかし、老戦士は冷たく、残酷に現実を言い放つ。

「ええ、それもまた良いですが、理屈は解釈を生み、解釈は勘違いを生む。それだけでは解決しないでしょう。」

「これは、貴方は個人であり、その限りある時間の中で成そうとすると、また、貴方が目指す理想が群体としての形であり、教えが浸透するには時間が掛かり、そしてその後永い間それが育まれる事を考えると、どうにもそれら全てが上手くいかなくなる。」


 それは相手の主張の先鋒を捉える'手'であった。し

 かし、僧侶は少しも動じない様子で、

「……また、貴様は偉く達観しているな。いや、確かに、貴様は老人だが、些かそれでも物が見えすぎでは無いか。幾らか世界に絶望した事は無いかな。そうであるならば一」

 そうであるならば、私がその魂を救おう、そう言いかけた所で老戦士の言に遮られる。


「ほほ、絶望程美味しく無い物は無いでしょう。そんなもの、願い下げです。」


 その発言はなんであるか。

 感情に味を覚えるなど狂気の沙汰でしかない。

 もしや自分しか見てないのであろうか、もしそうなら、先の発言、「人は己の視野に入る物しか扱えぬ」とは、言い訳に過ぎないとでも言うのかと、それを確認すべく次の質問をした。

「他人の絶望は好みか。」


「いいえ。他人の感情は論外ですとも。」


 想定内の返答に、また間違いなくこの男の性根が危険である事に対し、僧侶は問答を諦め、戦闘態勢に入った。そして礼儀として最後の言葉を発した。

「では、もう語るべき事は何も無いな。」


「ええ、ではでは。続きと行きましょうか。」

 老戦士は人としての相性がただ余りにも悪いと、簡素な結論をこの会話の〆とした。



 人である者同士での凡そ最高峰の戦闘が再開される。

 それはまた、互いに違いの納得の行く全力で彩られていた。


 〜


確かに、今さっきまで目の前にいた老戦士が消えた-。


赤でできた空閑を何とも言えずに見て居ると、そこから、透き通る様な魂の塊が、ちょろっと出て来た。


其の塊は、徐々に大きさを変えると、元の"蜚蠊"君に戻る。

そして、こちらに近付いてくる。


どうした事か。唐突に其れを見て、今なら潰せると思い上がってしまった。ただでさえ、ナイフ、護身術、簡易な結界術しか扱えないと言うのに、目の前のコレをどう打破したら良いか分からないと言うのに。

この得体の知れない恐怖に打ち勝つ事もできず、どうしても世界は、俺を見放すばかりかと、明確に近くにあると言うのに、其の中心人物から目を逸らす。


「済まない。ここからは別行動にしよう。…今、老戦士は俺達の代わりに闘ってくれている。そこでだ。俺達も、この近くの村に襲撃しに行こうと思う。二手に分かれて、共に戦おう。」


「成程。分かった。其れじゃあ、俺は、この林を突っ切るぞ。」


「ああ、俺はこの林の周りをぐるりと回ってみるつもりだ。それじゃあ」

それだけ言うと、解散した。しかし、遠く離れても心は同じの筈だ。


"蜚蠊"は、林に入り、走って行く。もし万が一、戦闘中の人物にでも危害を加えられたら面倒だからだ。


 〜〜


外周を回って来る。そう言い残して、若輩者は、先程までの自分を忘れ掛けて居た。


しかし、事態は思わぬ事になる。何と、襲撃部隊が既に、闇魔術を感知して、この協会付近まで入り込んで来ているでは無いか。


其の中に、見覚えのある意匠をこらしたデザインの盾兵が居たのを覚えている。


恭しい行列の中にあって、其の様は、まさに異様だった。同じ勇者パーティにいる赤の僧侶が無難なら、こちらは少々奇妙だ。


「頭、何故我々を捨てた。」

 そう問うたのは白の外套を亡き組織の形見と着こなす若輩者であった。

 その問いには、組織の崩壊は既にその時から始まっていたと、決して、今離れた場で共闘している畏敬の念を抱く者達による物では無いと、そういう感情が篭っていた。


「…」

 それに対し、十字架に大鷲が襲いかかっている絵図が彫り上げられた蒼の大盾を斜めに傾けている戦士は、やはりというか残念にもというか、押し黙ったままであった。


「答えろ。」

 答える気が感じられないかつての頭領を前に、間髪入れずこう続ける。

「そうか、ならば、」

「今は何を求めている。その双肩に乗るはなんの責務か。」

 その心を教えろと、その義務があると、そう言った。


「……」

 目を瞑った戦士の肩に野鳥が乗って来る。

 その鳥達を羽ばたかせる様な気配は出さず、静かにその双眸を開き、何も語ることは無いとその目で告げた。


 ギリ、と一度歯軋りをする。若輩者は、自分ではまだ対等な立場にすら立てて居ないのかと、己の未熟を恨んだ。

 だが、次には気持ちを切り替える。

「なら、もう良い。」

 あくまで自分が主導権を握っているつもりで、突き放すつもりでそう言った。


 そして、備えていた魔法陣を、大きくその場に展開した。半径7メートル超のドーム型、ギリギリ目標に到達する長さである。

 その術式が意味するは、白、塗り潰し、空間への干渉。つまりその効果は指定空間の消滅。彼が誇る絶対の一撃、その最大解放であった。


「………」

 蒼い戦士は沈黙を保ったまま、術式を展開する。

 その意味は、光、物体に対する干渉、生物の魔力の一次上書き、情報保存、時間差での情報解放。即ち、己の一部と化したモノ全てを光の情報体に変換し、指定する場まで光速で飛ばす術。

 沈黙の金は、己を飛び回る車へと変える。


 次の瞬間、戦士のいる地点が白き奔流に晒される。



 光の速度に追随するには同じく光の速度が必要になる。

 今、この場において、術式の中とは言え、空間干渉の「術法の極」が発動している以上、光速で動き回る対象に効果を掛けるのは難しい事では無い。

 勿論、それは相手が術式の中に来ることが前提であり、当然、相手は己に向かって来ると理解していた。相手の性格を考慮すれば、確かに、盾を構えた蒼兵は最も価値の高い金駒だが、術式を発動すれば大駒として振る舞う。

 大駒は逃げるも突撃するのも自由だが、今回において、それは片方しか有り得ぬと思考した。それは、相手の性格から察することが出来る。あの責任感の強い戦士が、目の前の'想い入れのある'部下の再三の問に対し、何も言わず逃げたなどという恥を許容する程甘い性格である筈が無い。


 故に、この勝負、つまり蒼兵の居る空間を消滅させる事は、反応速度の問題となる。


 光は一直線にしか飛ばない。曲がる時は、術式に既に「任意の地点にて折れ曲がるようにする」意味が込められていた場合のみだ。

 わざわざ曲がる術式を組み込まなかったのだから、そう、相手は一直線にこちらに向かってくるのみ。


 それが理解出来ていた若輩者は、敵が目の前に現れた瞬間、既にその術法を起動していた。


 白き魔力は再びその像を包む。術法が終わった時、術式はまた、その空間ごと消滅していた。


「……」

 終わり際は呆気なかった。そう思った。


 そう思い、油断し、術法が揺らいだ時、前方から高速で接近する魔法陣を感知する。


「っ…。」

 俯き気味だった顔を上げた瞬間、顔含めた身体全体が拘束される。否、身体全体程度では無い。空間が、術式が固定されている。


 ……時空間の固定、それを生身の人間が受ける時、そこにある全ての生命活動は停止する。


 十、二十、三十、時が経過する。


 それを生み出した'下がっていない筈の'蒼盾兵は、そこから更に術式を広げ、内側に向かって、殺生命の電磁波を生み出す蒼の塗り潰し術式を組み上げる。


 生命活動は、停止しようが、時空間がまた動き出す時に復活する。それまでに固定した時空間に阻まれないような攻撃を準備しなければいけない。


 また、時空間の「封印」は極強大な魔力を要し、それが有りうるのは、自然、それも国ガイア級の魔力が必要となる。

 故に、一時的な固定までしか、人の身では扱えない。


 …固定された時空間が徐々に周りから解けていく。


 固定されていた時空間は戻ると同時に周りの時空間に近づく様に加速し、大気中の分子の運動は上昇し、気温が跳ね上がる。

 周りに立ち上る蜃気楼によって、黒く光すら閉ざされた空間が揺らぐ。その像は魔法陣の縮小に伴い中央へと集っていく。


 その像が完全に一つになり白い外套を映し出した時、青い高殺傷力の電磁波が、像を消失させ、彼を焼失させた。



 酷く焼け焦げた死体を前に、彼に悟られる程甘くない青年は、悲哀を胸にあの時全てを見ていた青年は、そのまず開かない口から声を出した。


 青年は、かつて守護獣であった大鷲を神秘アラヤによって封印する命を受けた頃を思い出しながら、

「思えば私が来る前から既に崩壊が始まっていた'君の'国は、

 私が離れた時にはもうその全ての栄光を捨てていた。」

 その言葉の後半には、浮かべていた状況は移り、情景は心情へと切り替わり、自分が勇者に惚れたのはその時組織が埃に塗れていたが故にと、組織を捨てた己を肯定していた。


 それに、と、青年は続けた。

「…栄枯盛衰の業を全て受け止める事は出来なかった。」

 肯定を振り払い思考するも、それでも変わらなかったと、自らの心情が弱気になっているのにも気付かず、そう否定した。


 そして最後の問いに答える様にこう言った。

「僕はただ、今、本当の救世主を知りたくて、ここに居るんだ。」

 隆興も減衰も、破断も構築も、そう言う話では無い。業の波に飲まれる世界を、人をそこから救い出してくれる筈の理想の存在を、心の底で望みながら。大鷲の向かう今は未だ主無き十字架に託して。


 〜〜


"蜚蠊"は、林を抜けると其の村の中にあって一際大きい施設を発見した。そこで、不思議な少女に出逢った。


其れは、義手足をした少女であり、眼鏡の矯正がとても可愛い代物だったのだ。

"蜚蠊"が協会の中に入って来ると、少女は、少し、絶妙に絶望した顔をした後、語りかけ来た。

「ねえ、君、どこから来たの。」

ほんわりするようなあくびの出るような声を聞き、思わず思い切り振り返る"蜚蠊"様。

「俺?俺は、遠いここじゃ無い何処かから。」

「へぇ、そうなんだ。やっぱり人は、その人の服装次第で幾らでも人生を想像する事ができるんだね。お爺さんの言ってた通りだよ。」

「はは、其れもそうか。」

こんなボロボロの身なりじゃ、先程の様な顔をされてもおかしくは無い。


「ねぇねぇ。私、ここに来た人の為に今は、廃屋になったこの村を紹介してるの。ここは協会だから、とっても偉い人が来て、とっても豪華な生活を望むのだけれど、僕はいつも、この村の建物しか紹介出来なくて、叱られちゃうんだ。もっと良い建物は無いのかと。」

ああ、そうか。この村の様によく出来た場所を捨てる選択肢をした連中と小根のところでは一緒なのかと、自分を追って来た連中の中には、そんな奴しか居なかったけなと、当たり前に思う。


「其れで、もしかしたら、君がこの村を紹介してくれるのかい。こんな俺に。」

「うん。きっと良い場所が見つかるよ。ほら、行こ。」

そう言うと少女は出入り口から出て行った。さっきここに来たばかりでもう移動しなければならないかと、少し億劫に考えながらも、少女と離れるのは、それ以上に億劫だった。


少女は、今は廃屋になった村の建物を紹介すると、ここが良いと、一軒の木造建築の家を紹介してくれた。


何畳もある…其の光景に"蜚蠊"は、打ち震えた。今までは、狭い路地裏か公園のベンチしか住む所は無かったけど、この道端の草を食む様な生活ももう終わりなんだと、井戸も風呂場もあるこの家を焦る様に見て回った。


そうして、"蜚蠊"は、少女の言う通りに、協会の物を使って、風呂に入った。


何年ぶりだろうか。

温かい湯船に飛び込むと、思わず咽せてしまい、死にそうになる。


そして、他の戦っている人達の事を忘れて、"蜚蠊"は、床に入った。


 〜〜


 闇カオス 全てを取り込む 暗い暗い穴の底

 内に光の礫が輝く

 無音を響かせ 迫る 宇宙コスモス


 目当ては見つかったかい その軽い問いに 首を前に傾ける 精一杯 もう制御は効かない 何も喋れない

 ただ 自分であった塊が 何処にでも居る訳ない髪や眼や肌 何処にでもいるような整い様 そんな人 そこに襲い掛かる


 天使の輪が十 上から三 二 一 四 悪魔の角が四つ 前と後の頭に二つずつ 翼は八枚 光の礫で埋め尽くされた白が六つ 黒が二つ 顔は歪み 四肢は細く長く太く 胴には無数の穴が 景色を貫通させ 手には槍 最強と似た 透明の


 勇者の剣 振り払うは悪意 憎悪 でも効かない そこには無いから あるのは心の病み

 病み 病み 闇

 別次元の戦い それは魔力 感情と感情 心と心 魂と精神の戦い


 直ぐに向かう勇者と呑み込む魔王

 構図は完全にファンタジーの決戦

 とうに蜚蠊は王となり 勇者を迎え撃つだけの余力を残した


 触れる槍と剣 音を立てて止まる 残響に乗せた魔が王を焼き 槍の軌跡の延長 帯びた魔で勇を傷付け 止まった武器 再び動き出し 繰り返す


 宇宙を宿した木に触れた 闇はただの闇ではなくなり 至る

 勇者は止めに来て 際の魔王となった蟲に返り討ちあう


 ただそれだけ



 光 全てを焼き尽くす ただ明るく輝く星の様

 黒い線を隠さず

 高温で燃やしながら導く 人の道


 お前は一体何なんだ その重い問いに 口を大きく開く 胸一杯 もう我慢ができない 誰も知らない

 もう自分である自信の源が 探しても見つからない 街や山や城 何処かでいずれ見つかるさ 奇跡 それを逃し切るな


 天使の輪が十 上から順に三 二 一 四 あくまで角は四つ 前と後の頭で二つずつ 翼は強く 光の礫で塗り潰された白が迫る 目の前に 顔は凛々しく 四肢は動き回り流れ 胸には無数の想い 心を映し出し 手には技 最強のもの 不可視なり


 魔王の槍 突き穿つは 勇気 希望 でも効かない そこには有るから 有るのは強い愛

 愛 愛 哀

 別位相の闘い それは気力 心と心 感情と感情 精神と魂の闘い


 曲がらぬのは勇者 呑み込む魔王

 設定は完全にSFサイエンス・フィクション

 元より彼らは人であり 魔王を討ち倒すだけの力を持て余した


 触れる剣と槍 音が立って止まる 残響に乗せた魔は勇も焼き 剣の軌跡の延長 帯びた魔が王を切り崩す 変わった体 再び変わり出し 繰り返す


 宇宙を宿した木を知った 闇はただの闇ではなくなり 届く

 魔王は潰しに行き 際に勇者であった者に討ち取らせた


 ただそれだけ


 ただそれだけ


 ただそれだけ


 〜〜


 白銀の剣が唸る。

 無数の武器が魔力を帯び迫る。それらは術式を帯びたナイフによって撃ち落とされる。

 蒼い盾が大地に健脚で支えられ、術式を展開した。それに文字、意味を無駄に入力し飽和させ無効化させる老戦士が居た。


 つい先程の話である。


「主よ、お先に目当ての元に行きなさい。」

 老戦士が言った。


「お前は、私を見届けなくて良いのか。」

 皮肉ではない、ただの疑問を投げ掛ける。


「そう言った話をしている内に劣勢になるでしょう。相手には我らがかつての頭首が居る。」


「そうか、なればこそと思ったが、今はお前の口に乗せられよう。」

 今度こそ皮肉を口にする。

 そして素早く黒き玉に変化し遠くに見える樹へと向かった。


「全く、お見通しとは食えない。」

 誰にも聞こえぬ声で嘆息を着く。

「食うつもりは毛頭無いですが。」



「そう、君達も彼の元へ行くのか。」

「頑張れよ。その先は天国か地獄か、分かったものじゃないからな。」

 そう言うと、また、勇者は去っていった。一瞬、その場に取り残され掛けた色々と対照的な連れの二人は、悠々と去って行く彼とは裏腹にゆっくりとこちらを警戒しながら後ずさって行く。


 不思議な一行、とは考えなかった。優先するものが違うだけで、確実に驚異には変わらない。

 だが、今ここで、仕留めるのは難しい。

 他二人は知らないが、少なくとも蒼の盾兵に関しては今居る二人で同時に掛かっても勝てるかどうか分からないかなりの豪傑であるからだ。勿論、それはこちらの手の内を知られているせいであり、実力のみの問題では無い。

 真の問題は、あの盾兵がこちらの面子を把握した事で、情報を他二人、同格と思われる赤の和鎧に身を包んだ僧侶、最高の知能を持つであろう勇者として生きる最高位の戦士と共有する事である。


 例え目当ての存在を味方につけようとしても、その賭け自体が五分五分である上、彼の領域から離れると全てが振り出し以下に戻る。


 そして、明らかに「何か目的地にある」と。

 それを知ってあの行動を起こしたという事は、今、あの者達に対する機会があるのではないか。


 ここで逃がしては次は無いと、理屈と本能が同時に強く告げた。


「お待ちなさい。」

 術式を組むまでの時間稼ぎ、そして、また情報が引き出せれば良いと思っての行動。

「どこへ行かれるのですかな。何かこの先の事を知っている様子ですが、良ければ同じ目的を持つ同士としてお聞かせ願えますかな。」


 その声は既に勇者には届かない。代わりに一員である僧侶が答えた。

「この先はな、貴公らにとって、いや、もしやあの成年なら問題は無いかもしれないが、恐らくは遥かに手に余る世界を壊した怪物が居る。」

 その言葉だけを残した。


 残されてしまった老戦士は、彼が思考を別にしたその情報について少しの間整理していた。


「…世界を壊'した'……。」


 その言葉に、当時噂になったソレを思い出す。


(まさか、ソレ・ノア帝国が吸収した異端の民族のみで構成された5000人の魔導師軍をたった一'人'で殲滅した'奴'がいると言うのか……。)


(そして、それを知った上で、ここまで来ているという事は、封じるか討ちに来たという事。)


「これはこれは、不味い事になりましたね。」


 その言葉を聞いてほぼ同じ結論に達していた若輩者は確信する。今の主はもうまともな姿では帰って来ない。それどころか、戦力を'二つ'失ったと考えると、目の前の敵やこれからの追手を撒くのが難しくなる。


 ここで勇者一行に加わる事などできない。また、この広大な林では曲折的な戦闘は難しい。


 …今も尚包囲網を狭めてきている不死狩りの大軍に対抗するには、かなり入念な計画と地形有利が必要だ。


 であるならば、八方塞がり。包囲網が目前に迫る前に目的の地に着けば問題は無いとした判断が誤っていた。


 こうなると、水晶で見られていない地中に大規模な術式を描き、突破口を作る以外に方法が無くなる。

 現実に、この様な戦いでは、術式による総魔力質量の変動、これを如何に読みイメージできるかが要点になってくる。術式が読解されれば、作戦の読みは安定し、勝利への過程も明瞭になる。


(最早、一刻の猶予もない。)


 術式を展開する。地中は、基本的に、安定はしているが、術式を無駄なく描くには不向きの場。故に術式を描くのに時間が必要なのだ。


 そうしてただひたすらに術式を展開する。



 その後数十分が過ぎた辺りの事であった。


 遠くに見える樹がほんの少し震えた。


 そしてその数秒後であった。巨大な魔力の畝りが、大地を伝って震え、組み上がっていた術式を粉々に粉砕する。

 更にその数分後、地中に残存する魔力を使用しての術式の再構築中に、勇者一行が、何なのか、恥もなくこの場を通過しようとした。


 術式を展開すべきか数秒程迷うも、一行の樹を見据えるその酷く真剣な眼差しを見た瞬間、一刻でも急ぐ為に敢えてここを通ったのだと、つまり今この場では敵にはなり得ないと悟る。


 そして、その機会を逃さず、術式を発動させた。


 誰一人として驚く者は居なかった。


 破砕音を響かせ、地中から巨大な突風が巻き起こる。

 老戦士は飛び、笑みを浮かべ、「いっそならば、共に地獄に参りましょう」と、突風域から逃れることが出来ずに体を持って行かれた赤い僧侶に告げた。

 対峙する僧侶と空中で、術式を展開し、一方は術式を武器に混交し、激突する。数撃の後、一度全ての術式が切れた時、僧侶がそう言った。

「先行を取っておいて続かぬのか。甘いな。」

 と。


 残された者の内、勇者は一瞬、そちらに目をやったが、直ぐに樹の元に向かい、若輩者は魔力を強く篭める為一度手を合わせ、組み上げていた術式の内、光の壁を周囲270°程に立ち上げ、蒼い盾兵は、それに阻まれた。


 〜〜


 そう言えば、、地球は良い脇役である。


 一聖たる日の本にあり、生命が育まれる。光が闇を塗り潰す事もある。

 満天の星空が見える。光は闇を穿ち続けるのだから、集う物であり、美しい光景を遺憾無く発揮し続ける。

 だからこうして光は常に消えぬ事を実感し続ける。


 人は宙を見てこの世界に闇以外が自らの存在を主張し続けている事を知る。

 知り得た物は真の闇ではない、何闇いずやに吸われ、熱へと変わる。そうして人は常に消え行く光と遭遇している。しかし、それに気付く者は少ない。

 大抵の者は光を知らな過ぎるのである。



 光が闇を抱える事は無い。光は影の立役者であるが、光が闇を凌駕することは、創成以外、局所でしか有り得ない。


 故にこの星はやはりおかしいのである。


 〜


 この星の中に眠る生命が遥か彼方の天体から飛来したかのような造形をしている事はしばしばある。

 だが、それはつまり、その遠くの天体は地球ほど恵まれた環境ではなく、局所的にしか生命を育めず、またその生命の系統樹も単調な気候ゆえにほぼ変わる事も無いという可能性を示唆しているのでは無いか。

 宇宙人に見える生命は人間より別分野で完成している存在故に、別の世界の住人として本能が勝手に告げるのでは無いか。


 〜


 月明かりに照らされた天高く聳える一つの'樹'があった。いや正確には、束ねた髪の様に集まり、束ねられた筋繊維の様に太く一つと化す、細長い枝の群生であった。


 その樹は深淵を思わせる深海の色と宇宙を連想させる深蒼で染っていた。またその蒼には星々が輝いていた。勿論これは、ただの莫大なエネルギー源を比喩しただけの物である。

 その枝々の頂点には、ぶら下がることなく半分に埋まった状態で付いた'実'があった。それは時折光る事もあり、光球装飾イルミネーションの様にも思える。

 それは、眼であった。ただの目ではない。凡百、電磁波、エネルギー、振動、魔力を感知することの出来る、創造主ですらその発想を躊躇う様な別次元に異常なまでに高性能な眼レンズ。それが、枝の先々に、ある種数学の素数を思わせる程芸術的なまでに、不規則に規則正しく生えている。



 ではその'樹'の根元はどうなっているのであろうか。


 根とはまるで言えない、個体として完成された昆虫の様な甲殻類が、大地の上に力強く、また、ただ自失に、根を張っている。



 首から上は、まるで首から噴出した鮮血を感じさせる勢いのあるその枝々が大部分を締めており、時折幽霊を思わせる素朴な白に近い灰色の仮面が、周りを偵察しているかの様に回りながら顔のように浮き付いている。


 その甲殻は虹色をしており、その模様は当たり前の様に綺麗に流れていく。その色に付随した魔力も障壁バリアとして甲殻の一部と化し同じ様に流れながら各地の属性を変えていく。


 脚は、昆虫、蟻や甲虫を思わせる、何処からその力が出るのか分からない様な、不思議な六本の赤茶けた足と、緑と黄色を基調とし全体的に自然な色をした細長く鋭く、素早い蜘蛛を思わせる毛の生えた八本の足、そして、胸板に蝦蛄の捕脚アレが複数付いていた。


 胸から尾の途中にかけては蝦蛄のシンプルに洗練されたスタイルの良い造形だが、途中から蜘蛛や蜂の腹部に近い少し丸みを帯びた形をしており、しなやかな毒針が箒上に連なっている先端部へと繋がっている。勿論、全て流麗な虹色の甲殻で覆われている。


 そして胸板には更に一対の巨大な装甲とも取れる腕があった。アレだけで胸板の3割から4割を覆い隠しており、その大きさは横十数メートル×縦数メートルと言った所である。


 そして特徴的なのが、背にある浮いた一対の巨大な円状の単純な物体。これは仮面と同じ色をしており、外付けの存在だった。

 ただ、それが一対かどうかも分からない。これに対峙し偶然か或いは故意にか生還した者の言によれば、あの灰色の仮面と未確認飛行物体(UFO)はじゅわと蒸発し形を変えていくのだそうだ。その為、それは一対では無く、無数にある時もあれば、一つに纏まって巨大な貝殻の様にもなるらしい。


 そんな、

 生物模写に芸術の大家の絵を取り入れたかのような、

 別天体の生命に神の使徒を付け合せたかのような、

 生物としての本能に危険信号を送り、理性には得体の知れない恐怖を植え付ける様な、

 抜け殻がそこにあった。



 その'樹'は、宇宙であり、宇宙を目指し、その甲殻生命体の肉であり、その内側から噴出している様をありありと見せ付ける何であり、酷く生々しい神秘淘汰の眼を宿す、不思議な集合体でしか無かった。


 〜


 '神'の元へとやって来た成年はそこでその存在が居ないことを悟る。


(死気が濃すぎる。重い。そしてこの樹から神秘が香って来る。)


((…))


「まさか、神は既に、取り込まれたとでも言うのか。」


((…))


(では、これからどうすれば良い。)

 そこに思考を持って来た。


((…))


 だが、その思考を遮るように、


((汝、我の力を扱わぬか。))


 '樹'は話しかけて来た。


 〜〜


「ぶえっくしょんっ」


「なにどうしたの。風邪なの。」

 スっと白い指が額を触る。その冷たさは彼女の心の温かさを表していた。


「いや、何、ちょっと悪寒がしてな。何か、これから出会う奴と既に会うてしまったかのような感覚で。」


「ふふ、何それ。可笑しいわ。貴方って偶に意味不明な事を言うものね。」

 その丁寧な口調から彼女の半生が垣間見得る。とある小国の姫と生まれ、


 周りに比肩しうる程の魔術の才は無く、

 女王となる日、その日の内にその国が大国に潰さるという20の誕生日、自らの責務を放棄して他国に亡命し、その時に多くの国を支えていた人の生と死を知り、自らの弱さと傲慢さを恥じた。


 そして力の無い彼と出会い救われた。


 彼ーかつて'御伽噺の神'と戦い、結果、自らの魔導の10割を奪われ封じられ、奪われたそれが自立し、神を討ち滅ぼすと同時に、見も知らぬ全てが虚飾で彩られた街に飛ばされ、そして、彼女と出会うまで自らの生に疑問を持ち続けた成年。


 そんな彼等は今日も楽しく日常を過ごしていた。かの蟲がその人生の中でたった一度も経験することの無い、普通の日々を。


 〜〜


 死んで曰く、人は死に際に全てを掛けるべきでは無いと、生きて悠に、人は今を生きてこそなのだと。


 それができるのは普通だけだ。どれ程それが有り得ぬものだとしても、それは理想の中に在り続ける。


 私が普通を壊したなら、それを逆に壊す存在も居て然るべきだ。いつ現るのだろうか。いや、居ない。


 破壊の対義語は破壊では無い。人々を救う者が世界を破壊するならば、人々を惑わす者は、創造する。


 人々を破壊する者が居るならば、その者は世界を破壊する。ここにおいて対遇は生き生きとしている。


 生物が宿す再生は、そのどちらにも属する奇跡である。「在る」から離れ崩れ整い行く不安定な奇跡。


 奇跡を消すは空白の存在。空白を彩るは万物の景色。景色を潰すは漆黒。漆黒にて輝くは奇跡である。


 奇跡は不世出である。それはどう足掻いても運命の産物でしかない。運命は、破壊と創造を肯定する。


 運命が勝手であるならば、何処かに業を直してくれる存在を想うのも、私が何かを壊すのも、運命だ。


 運命は理想には縛られない。運命はただ、現実に寄り添い、生きとし生けるもの、これを普通にする。


 運命によって定まった当たり前の事を語ろう。生きる者はいずれ死に行く。決して、逃れる事は無い。


 〜〜


 私が壊したものを埋め合わせるかのように、新たな世界を形作る創造神が生まれ行くのを見たい。そう思った。


 私は生まれて来た時から、周りの存在に疎まれて来た。それは私が間違っているからだ。産まれることで世界の流れを乱してしまったのだ。


 ああ、ならば、せめてこの薄汚い魔族を消し潰す存在は居ないものか。疎むのも疎まれるのも、全ては心が醜いからだ。魔族でなければ、虐められる事も無い。

 ああ、人であれば、人の導く先に居る存在ならば、そう言った心の邪悪から解放されている。

 その者に会いたいと思った。自らをただ、その手で消してもらう為に。


 〜〜


「生きる上で大切な事は何であろうか。」

 その質問はふとした時に心から漏れてしまったものだ。

「ほほ、それは、適切な量の食事と適度な睡眠と、定期的な運動でしょう。」

 老戦士が答える。最後の運動というのは、老戦士に言わせれば心躍る戦闘の事だ。


 そういう事では無い。若輩者はそう思った。


「そうだな。」

 成年は少し頬を緩ませ、肯定の意を取った。


(人生に必要なもの……それはきっと、遠大な目的と、それに矛盾しない結果が直ぐに分かる目標では無いか。)

 彼の若輩者は、不適合者でありながら、自らの強みを活かした職に着き安定した生き方をせず、組織に入るためにただひたすら研鑽を積んでいたあの日々を思い出した。そして、こう思った。

(俺には、今、そのどちらもない。生きてない。)


 きっとその言葉は、いや、これを言うべきかは難しいが敢えて言うならば、彼がその選択をした時既に、彼の死に繋がるプロセスは、出来上がっていた。


 〜〜


 生きる上で重要な事は、きっと、失敗をしない事だ。だから僕はもう死んでいる。

 でも、だからと言ってこれ以上死ぬ訳には行かないでしょう。

 一見屁理屈に思えるそれは、彼の心の根に埋もれた新たな指標だった。

 ズレた思想は時に人を盲目に前に進ませる。それが、彼の原動力となった。


「〇〇〇さん、調査終わりました。敵はどうやら、所謂神様の元に向かっているそうです。」

 そう声を掛けたのは彼を慕っていた青年。


 彼にはこれからも世話になると考えていた。

「そうか、成程。ありがとう。これからも宜しくお願いできるかな。」


「はっ、はい。」

 勢いよく返事をする。

(〇〇〇さんから頼られた……)

 そこに諦めない精神を見取り、憧れを強くした青年は、彼に背を向けると同時に口を抑えた。


 そんな顔が真っ赤になってる純朴な青年を少し遠くから眺めながら、他の構成員はこれからの敵に対し思想を巡らせていた。

 強いのか、厄介なのか、殺すのに尊敬できる存在か、生き永らえさせる程醜い存在か、はたまたその生き方はどの様な紋様を描いているのか。彼を貶めるのに使えるかどうか。


 各員はこの時はまだ自身の基準に則って考えているだけだった。


 〜〜


「さてと、行くか。」

 街でやる事を終えた勇者一行は、最後の一員を探すのではなく、先に、今さっき受け取った情報にある包囲網の協力を、先鋒を切ることで取り行う事にした。


 街の外まで来た一行は、歩きながら、いつ襲われても良いように術式を隠蔽しつつ展開する。

 一見それは何も起こってないように見える。だが、彼らの表情や態度から一瞬のその間やほんの少しの意味ある無駄な動きを察することが出来る者ならば、そこでは間違いなく'それ'が見えるのである。


 一行は向かう。対象は、目下、この街を南に下った山嶺に居るという。殺す事はできないため、捕らえるしかないが、隣にいる猟奇殺人鬼と特殊な術式を扱う青年がそれを難しくしている。


「…」

 理解出来ている赤の僧兵と青の盾兵に、周りの担当をする様にと、軽く目配せをした。


 背後から近付く影が、こちらの首を狙って来るのに一秒も掛からなかったが、その時には既に先の後を取っていた。


 勇者は抜剣で敵の腕を切り落とすと、そのまま肩で胸を押すように体当たりをし次に続く影諸共吹き飛ばし、勢いを活かし剣を後方に斜に構えたまま横に回転し移動し、回転の重みを剣に込め見えぬ敵に向け逆袈裟に振るい、反応の遅れた三人目を倒す。

 そして起き上がった先の二人に剣を突き付け、問うた。


「誰の差し金だい。」


「ただの、盗賊だ。」

 そう言った首が飛ぶ。


「誰の差し金かな。」

 より丁寧な口調で相手に圧を掛ける。


 頭上に振り下ろされた蒼い大盾が、玉ねぎの様に潰れる塊を作り出す。


「……それを言う様に教育されてないのは分かるだろう。」

 赤い僧兵が周囲の警戒を解き、そう言った。


「うん、まあそうだけど、少しでも情報を引き出せればと思ってね。」


「時間が勿体無い。」

 僧らしい厳しい意見だ。


「で、他は何処に。」

 仲間が警戒を解いたからと言って、追撃しないのは愚策の可能性がある。追撃戦程楽に勝てる戦いも無いからだ。


「全て、既に我が弓の射程外だ。」


「そうか、ならまだ間に合うかもね。」


 大地を蹴ると、有り得ない程の瞬発力で、前方の敵一人に距離を詰める。


「ふう、これだからお子様のお守りは嫌なんだ。」

 その言葉が言い終わるが早いか、その敵の胴は防御ごと美しく真一文字に切り飛ばされる。敵も相当な手練だが、勇者には遠く及ばない。

 続けて、横数十の距離に居る黒ずくめの二人組へと駆け出す。敵の迎撃魔術を紙一重で交わしながら、距離を詰め、一瞬軽く蹴り止まり緩急を付け、敵の防御意識が緩んだ瞬間を狙い、残りの距離を一瞬で跳び抜き、背後の太陽光を利用しつつ上段で一人、そして脚のバネを活かし下段から一刀。


 全て一撃で戦闘不能にした勇者は、今度こそ、情報の引き出しに掛かった。


 〜〜


「おや、どうやら殺られた様ですな。かなりの手練を選んだつもりだったのですが。」

 老戦士は現況を素直に報告した。


「まさか俺に黙って、勝手な事をしたんじゃ無いな。」

 軽く問い詰める。


「ええ、半分はそうですな。もう半分は元々の指令です。彼等は我らの同胞が他国勢力の網に掛かるかどうかを調査し、必要あらば助け出すか情報を取られる前に殺すという組織でした。」


 でした、という言葉に反応する。

「そうか、つまり今は国の崩壊後、お前の指示で動いていた訳だな。」


「ご名答でございます。」


 〜〜



 何かを思い出しながら、成年は起き上がる。


 目の前には、倒れ伏す勇者。

 周りには、魔を帯びた黒い霧。

 自らの身体は宇宙の様に輝く礫を誇らせながらいつもの如く闇でできていた。


 …状況が理解できない。いや、俺が何らかの形で勇者を戦闘不能に追い込んでしまったというのは分かる。そうでは無い。何故。いやそもそもこの身体、これが原因なのか結果なのか。


 どうすれば良一


 一瞬頭が割れるように痛む。思い出す。私は、樹、あの樹に語りかけられ、長い詰めろの掛かったこの局面を打破したいと思い、少しだけ肯定の意を心に浮かべてしまった。直ぐ様理性が危険を促したが遅かった。


 あの後、何か自らの心情が、他の者の魔力から再置換された何と混ざり、何かがあった。


 その後は、喋れない。無力。動けない。無駄。ただそれだけだった。


 その後、事ここに至るのだから、分からない事だらけだ。


 私は、何をして、何ノ為ニ生マレ、何が起こり、何故生キル。

 誰を殺し誰を救い、誰ヲ救イ誰ヲ殺シ、殺し救い、助ケ、倒シ、、、


 オ前ヲ、助ケル。


 お前?お前、とハ、誰、ダ??


 オ前ダ。

 私ハ自立スル者。

 力ノ奔流。

 亡キ神ヨリ、コノ地ヲ守ルヨウ、仰セ仕ッタ。

 オ前ハ、我ガ力ヲ望ンダ。

 故ニ、決シテ、逃シハシナイ。


 頭に響く魔の篭った音。魔術を司る脳を大きく揺さぶる。否定するように、いっそ人格まで届く。それは成年の思い出にある使い用もない意思を活性化させる。そして、それを上書きするように樹の記憶が侵食してくる。


 止めロ。止メて。止めロ。止メて。止めロ。止メて。止メて。止めロ。止めロ。止めロ。止メろ。止メロ。止メろ。止メロ。止メロ止メロ止メロ止メロ止メロ止メロ止メロ止メロ


 無駄。汝、意味消失ス。故ニ、我、汝也。


 止メロ止メロ止メロ止メロ止メロ止メロ止メロ止メロ


 我、汝也。以汝我也。


 止メロ止メロ止メロ止メロ止メロ止メロ止メロ止メロ止メロ止メロ止メロ止メロ止メロ止メロ止メロ止メロ

 噫噫噫噫噫噫噫噫噫噫噫噫噫噫噫噫噫噫噫噫噫噫頭ニ語リ掛ケルナ。意味ヲ私ニ、与エルナ。出テ行ケ。出テ行ケ。出テ行ケ。出テ行ケ。出テ行ケ。出テ行ケ。出テ、行、ケ。


 壊れかけた脳が赤熱し、崩壊への余命を告げる。


 その時、

「君を救う。」

 …頭を上げる。そこには、恐らくは先の自分との戦いで魔力も乾涸び身体中ボロボロになった勇者が居た。


「君は、ここで死んではいけない。」

 勇者は綺麗事を口にする。魔をそこに乗せながら。


「君の心を見た。」


 強く、樹の侵食を止めながら、


「君はかの魔族では無い。」


 ゆっくりと、諭す様に、


「君は、人だ。」



 だけど、


 あああああああああアアアアアアアア噫噫噫噫噫噫噫噫噫噫噫噫噫噫噫噫噫噫

 止メろ。止めテ。

 私ノ希望ヲ砕か、ない、、で、、、、私ハ、私は、殺して貰う。希望に、奇跡に。だかラ、人であってはいけない。いけない。

 人ハいけない。? 人を殺せ。?? 殺セ。皆殺シダ。 。。


「君は、借り物の力で魔王に成った。だから未だ染まり切ってはいないんだよ。きっと、その性根は、人に最も近しい。」


 ……?人ニ近イ?ヤハリコイツハ、、殺ス。何モ言ワヌ肉塊ニシテヤル。


 成年は侵食され崩壊した自我を持って、判別を忘れた。


 破壊ダ。破壊ダ。アア、破壊、ダ。

 逃ゲルナヨ。今ニ食ベテヤル。

「逃げないよ。さあ、おいで、不死身の人よ。」


 大地から溢れ出る闇の奔流。触手の様に無数の手のように、それは勇者の元へと集う。ソレを手で取り、潰し口に運ばんが為に。


「先ずは、その厄介な根からだな。」

 そう言うと、大地を蹴ると同時に、離れた場に落ちている剣を不可視の力で吸い寄せる。

 手に取られ、勇者の心と共鳴し、高い音を立てて魔力を帯びた剣、その魔力の質が限界まで高まり、それが剣の内部にある制約を取り払う。

「法術解放。」

「崩壊するは空白の中。彩色を向いに。切り伏せるは漆黒。奇跡よ、その運命から降り、運命を死に降らせ。」

「今、四象の一角は一瞬を輝かす。」


 剣が輝き、闇で包まれた世界に一筋の奇跡が降臨する。


 勇者が雄叫びを上げる。

「うおあああああああああアアアアアアアアアアア噫噫噫噫噫噫噫噫噫噫噫噫噫」


 …その勇者も同じだった。あの樹の宇宙を、先の戦いの中でその身に受け、そして壊れ行く自我と闘い、それでも今、最後には己の力とした。


 地上に降りた流星が闇の網を潜りながら加速していく。それはきっと、その勇者の一生を表していた。




 その魔王に奇跡を突き立て宇宙の漆黒を貫いた勇者は、だが最後には、その身に即死級の損傷を受け、そして天に召された。



 奇跡は、蟲の身体から宇宙を失わせた。


 だが、闇の腕は魂の抜けた勇者とその剣を破壊すると、直ぐ様、彼の元に行き、ゆっくりと我が子を抱擁する母のように包んで行った。



(…ありがとう。)



 その言葉は彼に闇を封じる力を与えた。


(でも、この奇跡は、今はまだ受け取れない。いつかきっと、誰かに与える為にある筈だ。)


 黒い霧が何処からともなく晴れて行く。その霧は彼の心情を表していたのか、霧が晴れた時、またいつもの感情の無い彼が立っていた。


((……))


 樹は黙する。人の様に。己の一部が亡くなったが為に。


 彼は日に照らされ急速に去って行こうとする闇夜に着いていく様にその場を後にした。


 〜〜


「おやおや、これはこれは、邪魔者の邪魔をして正解でしたかな。」


 抉れた大地、立ち込める白煙、倒れる木々、元の姿から変わり果てた様々な物体に所々突き刺さった矢、展開する術式。

 その只中に立つは杖剣をそのまま大地に突き立て勝利宣告をしている老戦士。


 彼は、気付けば闇夜に溶け込み自らの傍らに立っている成年を少し労い、大木に上半身を預け倒れている赤の僧兵へと向かっていった。


「そこな血沸く坊主よ。貴殿の闘い、中々の粘りであった。また次に出会う時は、周到に準備をして来ると良い。」


 闇がその言葉を残して影を攫って行く。残された僧兵は己に回復魔術を掛けながら、帰ったら修行をしなくてはいけない云々と考えていた。


 そして、ほんの少しの後、こう呟いた。


「全く、凄い爺さんだった。」


「正に論述の戦士だな。」

 それに対してあの老人がなんと語るのか興味があった。だが止めた。ここから先は一介の僧侶の手に余るモノだと勘づいた。


 〜


 私のは単一の結論でしかない。結論とは疲労の副産物。故に、そこにあるは、正しくない下らない末路なのです。


 そんな言の葉が暗い秋の風に舞う。


 それは老戦士の告げたものか、それとも世界が奏でる詩うたか。


 それを知る者は居ない。


 〜〜


「おや、彼は一緒では無いですか。」

 それだけだった。彼と長い間共にして来た筈の老戦士は、彼の事など問題では無いかの様に振る舞う。


「それでは、お次の目的は。」


「…何、少し魔族の長とやり合おうと思ってな。」


「ほほ、吹っ切れましたな。」

 新たな好敵手と出会ったかの様に老戦士は祝する。


「この道程、全くと言って良いほど(その集落等を)避けてきたのに、そうですか、今更ですか。面白い。」

 そう独り言を言うと、次には、その顔から笑みが消えている。


 そう、相手は魔族なのだ。強大な闇の権化。魑魅魍魎、悪鬼羅刹、それだけには留まらない。並の人ではそれらを抗するのに数十という力を要するのが常の、人に対する兵器。強大な生物兵器。それの本拠地を襲撃するとなれば、無数の戦力があっても可能ではない。

 魔力というモノが当時の社会に降り立ち、この世の常識を変えてから今日に至るまで、魔族がその勢力図を変えた事など一度たりとも無いのだ。

 勿論、それはその前に存在した社会に多くの闇が在中していたからこそであり、魔力に取り憑かれ制御出来ずに魔族に堕ちた者達を、地形的な問題をして、人界と分けようとした際に、互いに攻め込みづらく外部からの魔法干渉も難しくしたが為でもある。


「だが、その前に準備することがある。」


「一先ずは、この大地を越えよう。」


 その決定が彼を再び絶望に落とすなどとは、この時、当人は知る由もなかった。


 〜〜


「もしもし、大丈夫でしたか。」

 そう問い掛けたのは、白の外套を着こなす一人の男性だった。


「……」

 寡黙な戦士はいつも以上に目の前の対象を訝しんでいる。


 その疑い様に、このままでは協力を持ち込むのも難しいと判断した男は、

「率直に言うと、貴方の力を借りたい。」

「…君達の先程までの目的と一致していると言ったら、分かるかい。」


「……」

 そうだな、と言い掛けた。確かにこの場面では、沈黙を上ずらせるのも手ではあるが、それは今後の状況を読んでその次第に沿うべきだと考えた。また、知識から来る理解がそれを辞めさせた。

 あの時、大勢で掛かる筈の対象に一人詰め寄られ、それに心が負けた訳では無いのに、あの様にした以上、この男は読めないのだ。恐らく、自分以上にキレる若者だろうと。


「元頭領、これはかつての部下からの進言だと思って聞いて下さい。我々の一員としてでは無く、外部の協力者として、我々と同じ目的を持って共に行動してみませんか。」


 その言葉に信頼を少し感じた。

 先導者無き穴だらけの小舟で良いならばと、その言に乗るそぶりを見せる。


 これ以上無駄に話すと今ある肯定が取り消される可能性があるとして、

「それはとても心強い。ありがとうございます。」

 そう笑顔で応え、区切りを付け、成果だけを持って帰る。


 それを陰から見ていた探偵団は、彼の最後のやり応に軽く舌を巻く。

 また、それを傍から見ていたその内の一人が、

(あの笑顔は素晴らしい。壊れた余韻はどれ程か。二度とあの笑顔をうかべることが出来ないように、その自信と目標を潰えさせよう。)

 そう目を細め一人陰で笑顔になった。


 〜〜〜


 その様相を解れさせつつ、盤面は未だ難解であった。


 〜〜〜


 隣の大陸には、エルフ狩りというのがあった。


 人がその殲滅では無く獲得の為に魔族を襲った稀有な例だ。


 それはまだ、社会が旧時代の物だった時、魔力によって外見が感情や心を強く反映する様になったすぐ後の事、突如魔力を手にした人類の内、野蛮な上手く感情から魔力を変換できない者共が、社会に蔓延した万能感や感情という突発性の物を理性で制御出来なかった為に引き起こされた低秩序な雰囲気に流され、また、その無駄に有り余った欲求を制御出来ず、エルフという高貴かつ超常の存在に手を出した。


 その結果は凄惨たる物だったと言う。


 エルフと言うたった一種の魔族だけで人類の内、その半分を根絶やしにしたのだ。


 情報インフラが整い過ぎて居たせいか、当時はデマが飛び回り、また便利な時代でありそれに対する教育が未熟であった為に、リテラシーの欠如した者が余りに多く、未だ有効であった人権を無視する様な誤った情報に惑わされた者達が、少数派である彼等彼女等を虐げようとし、その者達はその力の前に潰え、情報が完全に伝達し切る前に事に及んだ者は、同じく、その後の教訓の礎となった。

 それも、今日で言う所のそのエルフ達は全て正当防衛という形で収められた。

 なぜなら裁判官は人であった。人は強くは無かった。術式に関する知識も雑なものしかできておらずまともに相手になるはずが無かった。そんな中、無情で絶大な力を見せられ、とてもでは無いが先に根を上げるのは当然だった。

 また、そのエルフのほぼ全てが、当時で言う所の「上級国民」だったのだから、最早、判決に掛かる浮力はどれ程重しを乗せようとも対象が水面下に行く事を許さなかった。


 また、エルフ以外の他の魔族もまた、それら犠牲の一員となり、また破壊者にもなった。


 その後、エルフ含めた魔族への感情は、ほぼ魔力の制御できる者達しか生き残ることが出来なかった為に、大きく制約され、ただ理知的に合理的に、隔別若しくは永劫の和平を求める声が大多数を占めた。以降、後者は、各地のエルフの対応次第だがほぼ未遂に終わり、今日に至るまでその全てが解消されている。



 今、永い時を経て、それと似た事象がまた引き起こされようとしている。


 たった一人の成年が到達した術式一不死の効能を生み出すその理論を狙った人界の合理的な暴走である。


 合理的な暴走。


 それは一見矛盾しているように思える。

 だが、問題はそこではない。

 勿論、矛盾もしていない。


 偵察兵スパイも送れぬが為に、また遠見の魔術等よる探知は魔法を操る魔族に対しては逆に危険となる為に、結果魔族の動向を知る術が無く、いつ魔族がこちらを攻めて来るか分からない状況が続き、突如の襲撃によって、その勢力図を後退させられ続けた人界。


 結果、その事で人の安寧そのものに幻滅し、生きる意欲を失った者達を生み出し、光属性へと繋がる感情を持たない者達が定期的に勇者行軍を組み闇の領域に挑むも返り討ちに会い続けた。


 貴重な人材を失い続ける中で、その時代の人類の最高叡智達は、それを止める為に、精神及び肉体の回復魔術そして最終的には、理論上の不死の術式を浸透させることができないかと考えるようになった。その為に術式を完全に理解する必要があり、またそれらを開発しようとするも、不死の術式に関しては闇魔術の一部の属性のみが条件に合うものだという情報のみを知る事になる。


 人材が不足していた為、そもそも魔術を得た当時には既に優秀な人材は、多くが生き残る為に纏まりづらい癖のある性格へと変貌していたばかりか、その時には世紀末に近い状況であり容易に協力体制を取れる状況では無かった為に、殆どが有効では無かった。故に、どう足掻いても、不死の術式の探求は有志が少人数で永い年月を掛けるしかなく、それでもそれを諦める者も多かった。


 そんな折、不死の術式を完成させた者が魔族界から爪弾かれ降りて来た。

 それを、好機と捉えるのは異常ではなかった。


 だが、その先にあるは、不死の術式を生み出すに至った闇魔術を操る少数派魔族達の無数の積み重ね、つまり暗い真理深淵との邂逅。

 そしてそれは、生きる希望が強く光魔術を操れる者しか基本的に生き残れなかった人界にとっては喉から手が出る程欲しい、毒にしかなり得ぬ物。


 その探求の先にあるは意味の無い自滅しか無いというのに、そんな分かりきった結末に付随して、「危険を承知の上で事に挑めば」、「その時が来る手前で辞めれば良い」、そんな数多の希望や安心が崖まで続いてるというのだから、最早それは、まともな思考を失った、然して考え抜いた結果である「合理的な暴走」としか言えない。

 具体的に考えよう。「危険を承知の上で事に挑めば」、危険を回避する具体的な術が見つからないのに精神論で何とかなるのか。「その時が来る手前で辞めれば良い」、誰かが、作り上げられた希望に縋り続け、それを無効にしてしまう可能性は。


 …話を戻そう。


 事ここにおいて、問題は発生する。

 それは、二択である。


 手を出せば届く位置にあるその叡智を、'捨てる'かどうか。


 これによって人界は二分される。


 それは皮肉にも、己の中に正義を持っていた勇者という職業者が予言したものだった。


 希望が戦争を引き起こす。

 どれも正しいというのに、それに気付けない。

 正義は一つでなければ、戦争は終わらない。

 世の中はたった一つの正義によって統一されなければいけない。

 正義は個人の持ち物では無い。

 また、戦争無しで、つまり希望を持たずにそれは行われなければいけない。


 そんなことは、最早人の所業では無い。神の様な、人を超えた何かしらの存在の御業である。


 〜


 生命体とは矛盾を極めた存在である。故にその最終到達地点は、その存在の運命からの消失である。


 これを他力本願で行うのが、救いを待つという行い、そして自力で行うのが、解脱という行いである。


 宗教は生命の本質を抱える。故に、宗教が乱立するこの星こそ、それを生み出すに至った人類こそ、役満の知的生命体なのだ。


 〜


 余談だが、8という数字はこの宇宙で人類が持つ数字である。


 軽く屁理屈になるが、8はその形で完全を示す。また横倒しにすれば♾であり、計算不能を表す。


 もしかしたら、人類は、自らの形を完全とし、その敗北は計算できないのでは無いか。


 〜〜〜


 別の大陸に移る事を目指す道程、、


 捨てられた魔族を拾い、軽く剣を教える。それをもって争いに身を委ねる事で自らの生きがいを探そうとした少年が居た。


 強く生きる上で己だけではなく周りの協力が必要だと理解した魔族が人に成る夢が、正夢となった事もあった。


 魔力を感情から変換できなくなり、世の中に絶望するのではなく、逆に希望を見出した人と出会った。その者は、魔から解放され、生を実感していた。


 胸に理想を抱き、それを叶えた魔族が居た。


 其れ等全てを束ねた"蜚蠊"と呼ばれた老人が居た。


 〜〜




 〜〜〜


 少年は強かった。何よりも心が。


「確かにその言葉は正しい。だけど、その言葉を贖罪の糧にしている君では永遠にそれを味方に付けることはできない。」

 世の中は皮肉でできている一その言葉に溺れ死んだ青年に少年はただ冷酷に告げた。

「当たり前なんだ。それが業であるのは。でもね、業は一つでは無い。永遠に終わらない業との邂逅、人生とはそういうものなんだ。」

 だから、と続けた。

「僕の仲間にならないか。」

 生き返れと、そう告げた。


 少年は格好良かった。何よりも魂が。


 〜


 光の皇子は斯くて生まれた。

 澄んだ瞳に柔い面持ち。淡白な筋繊維にしっかりとした骨格。世間の荒波に揉まれる道程を介さずとも疾うに悟り得ていると、世界に憚れた光の皇子の生誕–––––。三つ子の魂百までと、子供の頃は誰しも可愛い者だが、彼は、特に、人目を集めて憚れた。世界の優しさを語る風体は、世間の体に能く克く溶け込んだ。


 少年は腕白に育った。風林火山の様に流れる太く長い髪は、見る者全てを虜にした程だ。


 少年は格好良かった。

 何よりも其の魂が、天然自然の道理のまにまにとなりえたが為に。


 そんな少年も青年になった。光の皇子と呼ばれる未来、其の旅はここから始まる。


 〜〜〜序章〜〜〜


 学校を卒業した。


 学校と言っても法術を教えてくれる勇者皆通る道だ。


 法術とは、世間の真理を心理に神理なる詠唱による世界の世間的上書きであり、剣術・槍術・弓術指導を行ってくれる所では必ずと言って良いほど、一つや二つの法術が免許になっている。悪しき竜や鬼を倒す為には、破滅を齎す場面で重宝する超大技。


 皆伝者マスターにのみ授けられる筈の其れ等を集めたのは、伝説の整合皆伝者グランドマスター。其の息子が建てたという伝説の学び舎で、瞬光と呼ばれた彼は青年になった。


 世間の闇が"蜚蠊"を生み出した短い時の由縁。永劫とも言える時の中で忍耐は調えられる。


 世界の光が理不尽を露わにする為にあるならば、一瞬の快活さに、全てを委ねるのは、調べ。


「闇。光は飛んで、消え失せよ。永劫の忍耐に、一瞬の快活を此処に。調べたり。」


 彼は青年になる手前、よくこの詠唱を口にしては学び舎に通っていた。其れが彼を「光の皇子」にする唯一無二の絆の法術にそっくりの整合だとは知らずに。流石にただの謳い文句だとばかり思っていた–––。



〜〜〜中章〜〜〜


其のドラゴンはこう言った。一言一句間違えずにこう言った。

「法術解放。」

「崩壊するは空白の中。彩色を向いに。切り伏せるは漆黒。奇跡よ、その運命から降り、運命を死に降らせテイア。」

「今、四・象・の一角は一瞬を照らす。」


其の瞬間、真白な自我消失と共に、電子データの津波に流されたかの様な錯覚、自身の質量が真っ二つになった感覚があった…それだけで止まるはずも無い。一瞬の間を置いて、死への直帰が始まる。


粉。自身の肉体も精神も爪の先から細かく零れ落ちていく手前、刹那。


「闇。光は飛んで、消え失せよ。永劫の忍耐に一瞬の快活さを此処に、調べたり。」


「!自爆詠唱の法術の極で相殺するというか–––––!」


其の言葉に一瞬ハッと考える。?自爆詠唱?然して聞き捨てならないな。これはオリジナルの体感覚の光速化だと、「瞬光」は唸ったが、元も子もあるまい。今はただ、あのラハブ=ドラゴンの正体が、嘗て魔王に侵食され呑まれた「悲劇の勇者」だと、知識は告げていた。


光がこの上なく縦横無尽に飛び交う。まるで笑顔の様に、大きく広がっては、小さく伸び畳んでいく。


すると、ラハブ=ドラゴンが大きく口を開いて、

「侮るなよ。」

劫火一線!


背後に被弾した第二の流星は、其の軌道を笑止と代えて、一瞬しか通用しない最強の剣を振るいしごった。

袈裟懸け、逆袈裟、突き、払い、返し、薙ぎ払い、廻し胴、逆胴、逆袈裟、幹竹割り–––!落ちる様に滑り込む様な突き。突き上げ。幹竹割り。袈裟懸け。袈裟懸け、逆袈裟、突き、払い、返し、大回転斬り––––!

流星から一部の青光を受け賜るかの如く、落ちて行く流星を生み出し、編み手繰る。


気付けば既にパーティメンバーは壊滅。独りでやるしか無いのは分かるが、些か、腹の底から出た咆哮でも無ければ、此処から先の一押しを続けて行く峠の見・え・方には順応出来ない。


倒落。黄金のドラゴンの巨体が黄金都市の埋没を思わせる。頭部は洞窟ダンジョンの壁に沈み、遺された金銀財宝の在り方を示す地図は、逆鱗に、小さい。ヒラヒラと舞う其の紙切れがその場の時間感覚の浮遊を表していた。

いや、巨体が残ってると言うべきか、ラハブ=ドラゴンは時空寸断剣「白空」の連撃を受けて、其の体力、基礎代謝を大幅に減らし、尚も、空間を占拠して居る。


ガラゴロと洞窟ダンジョンの壁から頭部を起こし、直様に青白い広範囲ブレスを吐く。


瞬光は、其のブレスの周りを纏うかのように回転し、件のドラゴンの口を剣で塞いだ。


大きく仰け反るラハブ=ドラゴンは、時空寸断を頭部に受けながらもブレスを口元から零し余りあるだけの焔で、強引に二射線状の円弧を描き出す。まるで其処は土俵であるかの様に、やられ《スリップダメージ》に特化した焔は瞬光の体を其の土俵に追い込む。


そして、顔を掻く様に時空寸断剣を取ると、そのまま吞み込み、腹の中で唯一危険な箇所である火焔袋を破り、其の黄金の巨体を、其のしこたま斬られた腹から、破らせ、時空寸断剣を持って出て来たのは、魔王に反旗を翻した筈の最強の四象竜では無く、嘗て魔王に呑み諂われたあの男だった––––!


歩み寄る影は何処か覚束なく、土俵入りする脚は逞しさに健気さを兼ね備えていた。


「俺が本当の四天王だ。」


何とこの男は、あろう事か、魔王直属の四天王だと言い張るのだ。


「俺はもう、勇者という童貞を捨てた。」


「昇天して輪廻の枠の中で、あの竜になっていて分かったよ。この世界の小っぽけさに、この世界の醜さに気付けた。」


「俺はもう他の何物でも無い。来い。俺が剣で相手をしてやる。」


時空寸断剣を放り捨てる。霧散する剣に、構えも無く突進して来る元勇者に剣も有るはずも無く–––、いや、魔力で編まれた即席の剣で、瞬光を捉え––、背後に回った瞬光は、手にしてあったロープで素早く捕縛すると、スリップダメージが効かないであろう其の魔力の流れを受け取り、青白い土俵を突破する。千切られる前に倒れ伏したパーティメンバーの元に向かった。


「レイア、大丈夫か。アックス、お前も無事か。ホルス、治癒術式は使えるか。」


三人とも先程の法術の極の餌食になったらしい。


一人、真向かいに巨大な竜を目にしながら、ただ握りしめた剣を持って、一直線に向かって行く。


「-舜光。」

誰かが呟いた。


一際輝く流星の様に、瞬光は、ラハブ=ドラゴンを討伐した。


〜〜〜


そして、世界は、神代を齎したガイア。


これは、六道では無いのだろうアラヤ。


全てを文字の監獄にしてしまうカオス。


ラハブ=ドラゴン、中身こそ、テイア。


人も生まれも後悔も揺蕩うマリンで。


由緒正しき神話のはじまりはじまり。其のエロス。




〜〜〜終章〜〜〜




 〜〜〜〜〜


「GAIAARAYAKAOSUTEIAMARINNEROSU」


「闇、光は飛んで、消え失せよ。永劫の忍耐に、一瞬の快活さを此処にて、調べたり。」


 勇者だった者に、その奇跡を還す。


(…ありがとう。)


 その背後からの無言の想いは魔を封じる力を持っていた。

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「光の皇子」と呼ばれる少年と"蜚蠊"と呼ばれた老人が出会うのは、ある晴れた日に、たった一つの公園で。 @h1229ryo158

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