第4話 出迎えならもっと穏便にお願いします。②
荒野の側の森の結界に何者かが入ったようだ、と森の地リスから報告が上がった。という報告を、魔物の王は書類に目を通しながら聞いていた。手にした書簡は魔族同士の領土を巡る、そこそこに面倒くさい案件について、双方がそれはもう丁寧におのれの立場や正当性をここぞとばかりに綴ったものである。
荒野、つまり北の地は人の世界に最も近い。それ故に、万が一人が紛れ込んでしまった時のため、地リスや野兎がこまめに巡回し、見つければ森の外へと戻るよう道案内をするのが慣例となっている。通常であれば、何者かが入り、地リスなり、野兎なり、はたまた鹿なり狼なりが案内するか追い出すかをした、と続くものであるが、報告の後半はいくら待っても続かなかった。
そこでようやく顔をあげ、執務机の前に立った真白い毛並みを仰ぎ見た。
端正な顔立ちはどこか幼さを残すまま、美しい銀髪を無造作に後ろでひとつに束ねた風体はどこか世捨て人のようにも見え、しかしながら、ただゆるりと顔をあげただけの仕草すら優雅で美しい。澄んだ美しい金色の瞳、白磁のように透けた肌、銀色の髪は足首に届く程に長く艶やかだ。恐ろしい程に整っているものの、その見た目に特筆すべき部分はない。執務机の前に立つ毛並みの良い狼のような、魔物らしい魔物ではなく、どこからどう見ても美貌の青年といった風にしか見えなかった。
先祖返り―――擬態せずとも人の姿を保つ者を、魔物達はそう呼ぶ。
当代の魔王は長い長い魔物の歴史の中でも類を見ない先祖返りである。
「それで?」
「報告はそこまででございます」
「なぜ元居た場所に帰さない」
拾って来た猫の子をさして言うようなセリフである。
「帰さないのではなく、帰せないのです」
「移住を希望しているなら、瘴気の耐性を測って救護院へ預ければいいだろう」
「そういう問題ではございません」
「じゃあ何が問題なんだ?」
そこまで問うて、目の前の真白い狼はペラリと書類を持ち上げ、よく手入れされた爪でトントンと軽く文書の一節を指し示した。
「……黒いドレスで、黒い髪の、人間を」
見失った。
という単語まで読んで、端正な顔立ちの魔物の王が絶句した。
ひったくるようにして狼の手から書類を受け取り、最初から最後まで二回読み直して、盛大に溜息をつく。
「捜索隊は…」
「既に配備はしております。おおよそ、場所も捕捉してございます」
「では何が問題だ?」
「随分と活動的なご様子で。目撃した地リスの談によれば、白鈴蘭が明かりを灯すそうでございますよ。お陰様で、森の端から端まで、あちらこちらと転移を繰り返して移動しておいでです」
白い狼はにこにこと顔を綻ばせている。
「何が嬉しい」
「いえいえ、嬉しいなど。とはいえ、力を司る者としては、人並み外れたご様子に心躍るものがございますね」
そう言って白い狼は目を細めた。
その心情を表してか、ふさふさとした尻尾が揺れている。
「喜んでるんじゃねえか……」
これ程機嫌の良い侍従を見るのは久しぶりのことで、魔物の王は半ば呆れながらも立ち上がった。
椅子の背にかけてあった外套を掴むと白狼が「おや?」という顔をする。
どうやら白狼は、出不精で面倒くさがり屋の主が珍しく自ら森へと出向こうとするのが上機嫌であるらしい。肉厚の耳が楽しそうにひょこりひょこりと振れている。
「客間を用意しておけ」
ぶっきらぼうな声と共にしゅぱんと主の姿が霞む。
「御意」
深々と一礼する頃には、美しい魔力の痕跡だけがきらりきらりと金の粉のように舞っていた。
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