〇七 司春、桜桃宴の約束をする事

 軒先で若い雀の甘えたさえずりが響く中、白秋は頭を抱えて問うた。


「そもそもさ、誰が言ったのそんなこと」


 鹿月公主は指折り数えて答える。


「私はお父様から伺ったのだけれど、宰相さまがね、ご相談なさったそうよ。本当に悩んでいらっしゃるようだったから、お父様も心配になられたみたい」

「馬鹿……馬鹿無弦……あの野郎……」


 あの大きな図体をしておきながら、可愛い子ぶって伯父に泣きついている様子が目に浮かぶ。

 白秋は彼が一体どこまで話したのかと思うと、恥ずかしさのあまりに茹で上がってしまいそうだった。


 言葉にならない声を上げることしかできない白秋へ、公主は確かめるように訊く。


「どなたかにかんざしを頂いたのでしょう?」

「まあ……それはそうだけど」


 やはりそのことだったかと納得が行く反面、かんざしについて司春以外の人物に触れられるのはどうにも勿体ないような気がする。


 そう思った白秋は、司春がくれた建前を存分に振るうことに決めた。


「別に、なんていうか、無理やり押し付けられたみたいなものだし」

「あら、気に入って寝るまで外そうとしなかったと聞いたわ」

「あいつ本当に口が軽いな!」


 この様子では石英宮中に詳細が広まっているのではないだろうか。天井裏のねずみまで、もしかしたらこの噂をしているかもしれない。


 公主は身を乗り出して、柔らかに目を細めた。


「ね、お相手のこと、別に悪く思ってはいないんでしょう」

「最初だけね! あとで思い返したら、信じられないくらい無粋な男!」


 耳まで熱くなるのを感じながら、白秋は言い訳のように吐き捨てる。

 すると、公主は口元を手で覆い、目を丸くした。


「あ、やっぱり殿方にもらったのね」

「嵌めたわね」


 白秋は、己が綺麗に自白させられたことに気がついた。

 拗ねて口を尖らせると、公主はけろりとした顔で頷く。それから、不思議そうに白秋へ尋ねた。


「白秋がそんな顔をするほどの御方だもの、宰相さまもお許しになると思うけれど、どうして教えてさしあげないの」

「いや、本当にそういうのじゃないんだって! どうせ、かんざしのことだって向こうは何も考えずに贈って寄越したのよ」


 白秋は鼻先を背け、眉の根を寄せる。

 すると、鹿月公主はくすくすと笑って言った。


「本当に何も思ってないのか、確かめてみたらいいじゃない」


 白秋は、公主の言葉の真意を図りかねた。まさか、馬鹿正直に訊いてみろという訳ではないだろう。白秋は困ったように尋ねた。


「……どうやって?」

桜桃宴おうとうのうたげよ」


 それはまもなく石英宮の桜桃殿で執り行われる、夏の訪れを祝う催事だ。参上した貴族たちは実桜さくらんぼの数房を親しい間柄の人物と食べる。

 白秋も毎年、無弦や弧星児たちと舌鼓を打っていた。


「……実を渡してみろっていうのね」


 通常、実桜はひと房に二つか三つの実が生る。それを分け合うことは相手への深い情の表現として捉えられる。


「いい考えでしょう」

「わるくない」


 白秋と鹿月公主は顔を突き合わせて笑った。


***


 その晩のことである。


「入るわよ!」

「うおァっ」


 司春の部屋の襖を開けると、彼は机に向かって書本をめくっているところだった。丁度、襖に背を向けている。

 白秋は入口に背をもたれさせ、もみあげの毛を弄りながら言った。


「ねえ、桜桃宴には来るわよね」

「ん、ああ。夏却が言ってた祭りか。俺ァ、あいつと一緒に無弦の供回りをすることになってるらしいが」

「フン、まあ、居場所が分かりやすくていいじゃない」


 満足そうに白秋が鼻を鳴らす。

 すると司春は椅子の背面に肘を置き、怪しむように訊き返した。


「なんだってんだよ」

「何でもない、忘れろ」

「無理があるだろ」


 司春はこのしばらくの間で白秋の気まぐれさにも随分と慣れてきた。

 本に目を戻し、構ってやることにする。


「桜桃宴ってのは実桜を分け合うんだってな。俺は見たこともないんだが、なかなか旨いと聞く。是非とも味を知りたいもんだ」


 それを聞いた白秋は嬉しそうにして部屋に入ってきた。司春と背中合わせにするように腰を預け、ゆったりと腕を組む。


「ふふん、そんなに言うなら私の実を分けてやろうか」

「おう、そうか。それは楽しみだな」


 司春の快い返事に白秋は思わず虎の尾を出し、揺らさずにはいられなかった。

 微かに上擦った声で、気を紛らわすように重ねて言う。


「約束ね。ほかのやつから先に貰って食べたら、すね毛をむしるから。無弦が相手でも断りなさいよ」

「お前今日はいつにも増してめんどくせえな」


 司春のからかいにも返事をせず、白秋は彼の肩に身を乗り出して覗き込んだ。


「さっきから何してるの」

「おい邪魔だ、乗るなアホ」


 司春の机の上には、子供向けの辞典と、くたびれた草紙ばかりがあった。

 きょとんとしている白秋に、司春は指先で本の表紙を叩いて示した。


「文字があんま読めねえんで勉強したいって言ったら、夏却が貸してくれたんだ。話の中身はよく分からんが、字はかなり覚えたぜ」


 自慢げに渡された草紙をめくると、白秋は肩眉を上げた。


「これ……閨怨けいえんじゃない」

「なんだそれ」

「夫が来るのを待ちながら一人で寝る女の詩」


 愛する人が来ない理由を想う女の心を詠んだ作品は、目の前の大男が読むには少し似合わない気がした。


 夏却は何を思ってこの本を貸したのだろう。

 白秋がそんなことを考えていると、司春は単純明快な答えを言った。


「夏却の私物だぞ」

「へえ、そんなしっとりした趣味が……」


 今後、彼を見る目が少し変わるかもしれない。人の嗜好は勝手だが。


 白秋が数頁を読み込んでいると、司春は手持ち無沙汰になって、机を小突きながら尋ねた。


「お前はどうなんだ」

「どうって、何が」


 白秋が首を傾げる。

 司春は口をもごもごさせてから気まずそうに言い直した。


「近頃は一人で眠れてるのか」

「月が明るくなきゃ、どうってことないわ。せいぜい、雪虫に起こされるくらい」

「雪虫? 夜は弧星児のとこで寝てるんだろ」


 それがどうして夜中に主人を起こすのかと問うと、白秋は本を置いて髪を掻きあげた。


「あなたに貰った、あのかんざしを気に入ったみたいでね。夜中に忍び込んできて、寝台に乗ろうとしてうるさくするの。かじったらいけないから追い出すけど大変よ」


 白秋の返答に、司春は呆気に取られて彼女の目を見た。それから、白秋が正直に言っていることを悟ると、大きな手のひらで顔を覆ってくつくつと笑い出す。


「寝台……? ふ、ははは! そうかよ!」

「何がおかしいのよ」

「いや、いいんだ。気にすんな」


 この女は、司春が贈ったものをずっと枕元に置いていることを素直に白状したのだ。その上、自分が何を言っているのか気づいていない。


 これを愛おしく思わなかったら、一体どんな女が己の気を引くだろう。

 司春は白秋の不満げな顔を見つつ、喉を鳴らして震えていた。

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