第6話 結婚まではもう少し
はぁ、まったく。
どうなることかと思ったが、主の一世一代のプロポーズはなんとか首尾良くいったらしい。
サミュエルは閉ざしていた目を開き、こっそり覗いていた特別製の夢から現実に意識を戻した。
「終わったか?」
横合いから低い声がかかる。
ここは現在の魔界の実権を握っている、王弟ラザラスの執務室である。
サミュエルは誇らしい気持ちで胸を張った。
「さすがはギルバート様です! 本当にあの勇者を頷かせてしまわれるとは!」
「俺たちのほうこそ夢でも見ている気分だがな。魔王と勇者が結婚か……人界への転生といい、兄貴じゃなきゃできない芸当だな」
ラザラスの笑顔は他意がなくてもかなり怖い。
いかつい顔立ちと、鋭く尖った歯が武力に自信のない魔族には効くのだ。
適性が文官寄りのサミュエルも例に漏れず、少し腰を引かせる。
「は、ははは……ホント、無茶をなさいますよね……」
「……とはいえ、兄貴の言う通り、これ以上国を疲弊させずに無血で宝を取り戻すための布石としては充分だ。兄貴が勇者をモノにすれば、魔界と人界は有史以来例のない蜜月を迎えられる。問題は、兄貴の生存を明かすタイミングだが……そこは兄貴とも話し合って今後詰めていくか」
「ええ。万が一の事態に備えての転生魔術を準備したときから、一連の作戦は我々三人だけの秘密ですからね。先王陛下さえも知らないことです」
最悪、結婚が成立するまでは隠し通すこともサミュエルは視野に入れている。
力で黙らせられる臣民と違って、ずっとぶち切れっぱなしの先王は正直やっかいだ。
サミュエルにはいまだに、なにがどうして尊敬するギルバートが人間の勇者、それも自分を一度は殺した仇にコロッと参ってしまったのかちっとも分からない。
政略として実利があると説かれたから納得したまでである。
それはラザラスも同様だ。
魔王が人間と恋に落ちておめでたい! だなんて思うわけがない。
まぁ、魔王に嫁入りするというのなら、郷に入っては郷に従えを徹底させるという手もある。
しょせんは二十年も生きていない人間の小娘だ。結婚はさせてやるが正妃にはしないとか、いざとなればどうとでもやりこめられるだろうとサミュエルは考えていた。
なにしろ、あっちは本気でギルバートに惚れているのだから(ギルバートのほうもベタ惚れなのは今は考えないものとする)。
魔王を討った勇者だなんだと持て囃される象徴的存在から、恋に振り回されるひとりの人間に喜んで成り下がってくれるというのだ。
せいぜいうまく使ってやろうじゃないか。
道具としてなぁ!
手で口を押さえ、くっくっくと悪い笑いを漏らすサミュエルを、ラザラスは温度のない横目で見て呟く。
「……しかしまぁ、勇者というのも変わった女だ。意外と話してみれば面白いやつかもしれんな」
◆
朝一で少しその辺を歩き回れば、すぐにギルの居場所は分かった。
彼はせっせと井戸水をくみ上げていた。
鶏小屋の世話当番だったか。
すでに掃除も卵の回収も終えて、汚れた手を井戸水で洗っていたようだ。
なにか嬉しいことでもあったのか、ふんふんふーん♪ と、めったにないほど上機嫌で鼻歌を歌っている。
私は一度深呼吸してから、思い切ってギルの背中に声を掛けた。
「おはよう、ギル」
「! あ、レティ……様!」
妙な間を含んでギルはこっちを振り返った。
その笑顔の異様なまぶしさに、思わず私は手庇をつくる。
「……なにか良いことあったの?」
「えへへ、めっっちゃくちゃありました~!」
ギルは満面の笑みでそう答えたが、「でも、なにがあったかは内緒です!」と先手を打ってきた。
気にならないわけではなかったが、優しく聞き出せる自信もないし、どんなことがあったのかよりギルに良いことが起きたという事実こそが遙かに重要だった。
そんなににこにこになるほど嬉しいことがあったならなによりだ。「よっぽど素敵なことなんだね」としみじみ言うと、ギルはますます照れ笑いした。
かと思えば、はっとなったように肩に掛けていたブランケットを私に差し出してくる。濡れた手をしっかりハンカチでぬぐってから。
「ど、どうぞ! 朝は冷えますから!」
「私はいいよ。ギルが着てて」
こういう気遣いをされるのには慣れていない。仲間たちとはもっとからっとした無遠慮な付き合いしかしていなかったし、この村に来てからは私が村人を気遣う立場だ。
ましてやギルのような歳の子どもは、少しずうずうしいくらいでいいと思っている。
私は遠慮したのだが、ギルは「レティ様に着てほしいんです!」と言って引き下がらない。
あんまりしつこいので最後には折れるしかなくなった。
しぶしぶブランケットを羽織り、
「……これでいいの? ギルが寒い思いをするのに……」
「ふふふ、ブランケットぶかぶかでかわいいです、レティ様」
「かわ、……? まぁ、そう、ありがとう……?」
まだ寝ぼけているのか、ギルの言動がいつになく支離滅裂だ。私からすれば子どもらしくてかわいいのはギルのほうなのだが、嬉しそうだからまぁいいか。
それより、こっちの話をしなくては
「……そういえば、面白い話がひとつあるんだけど」
「面白い話? レティ様がそんなネタ仕入れてくるなんて珍しいですね」
「……いや、うそ。面白い、かもしれない、話」
とつぜん痛いところを突かれたので、急遽予防線を張る。
ギルはくすくすと笑って目で続きを促してきた。ほんの少し大人びた仕草だ。いつでも私の話を聞いてくれる彼は優しい。
「これは私の……友人の話なんだけどね」
「えっ……アッはい」
「厳密には私の友人が、夢の中で亡くなったはずの好きな人にプロポーズされたんだって。絶対嫌われてると思ってたから、まさか両思いだなんて想像もしてなかったのに。で、そしたら、現実でもその好きな人が実は生きてたって分かってね。問題が山積みなのは分かってるけど、今ものすごくるんるんしてる」
「る、るんるんしてるんですねぇええ~~!!」
ギルは片手で顔を覆って打てば響くようなリアクションをしてくれた。
私は静かに感動する。
自分の語りがこんな風に他人にウケたのは生まれて初めてだ。嬉しいことが続いている。
言うまでもなく、ギルに話した内容は私に昨夜起こったことそのままだ。
これまで私の先のない恋に付き合ってくれたギルにはなんらかの報告をしたかったのだが、かといって魔王の生存などという爆弾を漏らすわけにもいかない。
現状では友人の話と偽って、できる限り情報をぼかすしかないのは残念だが、いつかはきちんと真実を明かしたいと思う。
魔王と私の結婚式には絶対ギルも呼びたいし。
ギルは桶を片付けながら、頬をほんのり紅潮させてうきうきとご機嫌だ。
そんなにウケてくれて私も嬉しい。
全く別々の理由でも、ふたりともがるんるんだと何倍も嬉しいし楽しいものだ。
「お手をどうぞ」
一緒に建物の中に戻るとき、なんでもない段差の前でギルが唐突にそんなことを言ってきた。
ご丁寧に差し伸べられた手を見て、それからその整った顔を見て、私はちょっとぽかんとしてしまう。
「……急にどうしたの? ただのいつもの段差だよ」
「嫌ですか?」
嫌ではない、決して。
どう考えても必要のない配慮に戸惑っているだけだ。
「……ギルが楽しいならいいけど」
「えへへ」
私は迷った末に結局ギルの手を取った。
まだ成長途中の少年の手は、最近剣を覚えたとはいえ柔らかい。
丁重に段差を乗り越えるまで導かれて訳の分からない私をよそに、ギルはえへえへと満足そうだ。
背伸びしたいお年頃なのだろうか。
概して、思春期というワードと同時に思い出されるのは反抗期というワードだ。
これがギルに反抗期が訪れる予兆だとすれば、エスコートされても恐れおののきこそすれ能天気に喜ぶことなどできないのだが、反抗期を回避するための教育法は果たしてこの世に存在するだろうか。
魔界にはあると言われたら捜しに行きたいくらいだが。
「レティ様、今日の予定はどんな感じですか?」
ひとり考え事にふけっていると、ギルが明るく華やいだ声音で訊いてきた。
「……もうすぐお客さんが来るから、その準備をね」
「お客さんですか。孤児院に? レティ様個人に?」
「今回は私。昨日までは適当にあしらうか先延ばしにすればいいやと思ってたんだけど、今はちょっと立ち回り方を考えないといけなくなっちゃって」
「へー……?」
ギルは眉を曇らせ、「どんなお客さん? 大丈夫なんですか?」と心配そうに矢継ぎ早に訊いてくる。
私は彼を不安がらせないよう、「大丈夫だよ」と答えた。
脳裏に浮かぶのは王からの手紙だ。
他の娘かわいさに、今さら愛人の子を認知しようと言う。
私ならば大貴族のご機嫌取りに娶らせても惜しくないから。
王とはいっても、兵力を託してくれる大貴族の力がなくては戦後の安全保障や財政難は乗り切れない。
魔族との講和へ向かう今、王政のアキレス腱になり得る大貴族との繋がりを盤石にするために、王族との政略結婚という手段が有効だと踏んだのだろう。
私を認知し、王族にして、他の王女たちの代わりに人身御供にしようという王の魂胆は見え見えだ。
手紙を送ってもなしのつぶてだからととうとう使いを寄越してくるようだが、結婚なんてまっぴら御免だ。
昨夜大好きな相手にプロポーズされた以上、四捨五入すれば私はほぼ既婚者である。
なにより、私は彼以外の妻になる気などさらさらない。
奇跡的に手に入ったこの幸福を守り抜かなければ。
「……どうにかして断るよ」
あぁ本当に、剣の腕ほどではなくても、私の弁がもう少し立てばよかったのだが。
転生魔王と勇者が両思いになって結婚できる確率 花村すたじお @SutaHana
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