第32話 団欒
泥のような倦怠感を纏いながら、俺は近衛屋敷への帰路に着いた。
にぎわい始めた夜の繁華街を歩いていると、徐々に喧騒が広がってゆき、どこの誰のものかもわからない気勢が上がり始める。店の前を通るたびに入り口から品のない笑い声が響き、まるで轟音に殴られたような気分だった。
陰鬱な気分がその感覚により鮮明な輪郭を与えているような気がする。
原因は間違いなくベルガ皇子との密会だろう。
彼、もとい彼女に対しては、最初に顔を合わせた時から漠然とした苦手意識があった。
彼女の真珠のような瞳には、見ているだけで吸い込まれてしまいそうな魅力がある。それが偽られた性別由来のものであるとわかった瞬間、全身に張り詰めていた緊張が一気に解けて、皮膚に纏わりつくような虚脱感に変わったのだ。
皇族とはいえ子供。子供とはいえ皇族。
十歳の少女に無意識の内に見惚れていたなど、とんでもない末代までの恥だ。しかし彼女が年不相応に成熟した精神の持ち主であることはもはや言うまでもあるまい。なのでこれは身体が子供の大人に照れただけとも言えるんですね……。言えないか。言いたいな。
屋敷に着いて自室へ入り、だらだらとした所作で着替えを済ませる。
そういえば良い匂いがしたなぁと思い食堂へ向かうと、ミーティアを除く全員が集結していた。ミーティアは古巣であるハーレイのところで用事があるらしく、後で合流するとのことだ。
よって彼女を除いた団員全員とハルモニアさんで一個の食卓を囲う。
最中、食の進まない俺の様子を見かねてカインから何があったと問われた。傍目に見てわかるほど態度に出てしまっていたことを自省しつつ、俺は皇子と交わしたやりとりを、伏せるよう言い含められたところを省いてあらかた話す。
要は皇子との協力関係を今後も継続するという話だが、それのどこに落ち込む要素があるのかと怪訝な目で見られた。
しかし俺が疲れている理由は秘密の方にある。
龍樹の復活と力の掌握。当然これについては話せないので、この溝も一生埋まらない。改めて思うがとんでもない爆弾を抱えさせられたものだ。
内心で辟易としながら、ふーっと冷ましたシチューを一口食べる。と、両眉をそれぞれ上下させたカインが言った。
「団長さん、見事に騙されたね。というか嵌められた」
「んあ、どういうことだ?」
カインは一旦食器を置いて、背もたれに体重を預けた。
「聞く限りだけど、団長さんは教科書的とすら言える典型的な譲歩的依頼法に引っ掛かってる。もうまさにお手本通りに。この世の詐欺師垂涎もののカモだね」
なんだこいつ的的うるさいな。俺はどういう意味だと目線で訴えかける。
「いわゆる返報性の心理ってやつだよ。団長さん、皇子殿下から提示された最初の条件を断って、その後譲歩された条件を飲んだんだよね?」
「……まぁ流れ的にはそうだな」
「つまり、一度断ったことで団長さんの中には皇子殿下に対する無意識の罪悪感が生まれたんだ。そしてその後より受け入れやすい条件を提示された時、どうにか罪悪感を解消しようとつい条件を呑んでしまったってわけ。これをカモと言わずしてなんと言うかね」
「それは……悪いことか?」
俺もそこまで馬鹿ではないので、カインの言いたいことはわかる。
ただ、それにより不利益などがないなら、条件を飲むこと自体に問題はないはずだ。
俺のまっすぐな意見にカインは少しだけ面食らった様子を見せ、苦笑した。
「まさか。もちろん悪いことじゃないよ。ただ、もっと得はできたよねって話。今後も皇子殿下と仕事をしていくなら、正直活動拠点を一つ貸してもらうだけじゃ割に合わない。報酬とは別途の資金援助程度はあっていいくらいさ」
「……今から交渉すればいいんじゃないのか」
何故だか無性に責められているような気持ちになり、ついそんな言葉が口を突いて出てしまう。馬鹿だなぁと自分でも思う。カルロはその数倍は強く思っていそうな顔だ。
「団長さん、それは契約というものを軽く見過ぎだ。後から変えられないからこその『契約』で、両者が条件を擦り合わせる為の前段として『交渉』が存在するんだよ。それに今から条件を変えて欲しいなんて言って、もしも向こうがそれを承諾したらどうなると思う? 今後、僕らも向こうの条件変更を飲まざるを得なくなるよ。団長さんが断った最初の条件を飲まされる可能性だって十分ある。何か受けられない事情があったから、団長さんも断ったんだよね? まぁそれでも構わないって言うなら、よしんば再交渉の余地はあるかもしれないけれど、僕はまったくお勧めしないよ」
長々と喋り、大げさに肩を竦めてみせるカイン。まったくもってその通りなので
すると、隣で黙って話を聞いていたアリアーレが何気なくぽつりと呟く。
「で、最初の条件って何だったんですか?」
「あー、それな……」
どう答えたものかとも思ったが、これに関しては俺のプライベートな話も絡むので、例外的に緘口令は適用されないと判断した。もちろん龍樹復活などという火の種になりかねない話はせずに。
「メランと戦ってた時、俺の皮膚が木みたいになってただろ。あれの力を借りたいって」
「……まさか帝国との戦争にってことですか? そんな兵器みたいな扱いで? あの子供、エルザさんをいったい何だと思って……皇族だからって勝手なことを……」
みるみる悪意と憎悪に満ちていくアリアーレの表情。こういうのには関わらない方が良いのでしれっと視線を別の場所に移すと、ふとハルモニアさんと目が合った。
そのまま見つめ合うこと数秒。
キヴァニアに戻ってからこっち、ちょうどいいタイミングが無くて未だに訊けていないのだが、彼女がメランの火炎を受けても火傷一つ負わなかった理由について、俺はずっと気になっている。
魔法を使う暇はなかったはずだし、魔術師の法衣のように特殊な服装もしていなかった。
いくら身軽なハルモニアさんとて回避の余裕などあるはずもない。
であれば、彼女自身になにか秘密があるのでは、と。
今がそれを訊く絶好のチャンスなのではないか。
そう思って口を開こうとしたら、当然といえば当然なのだが、話題の矛先は俺へと向いた。
「そうそう。状況が状況だから聞いてなかったんだけどさ、『龍樹細胞』だっけ? あれって何なんだい?」
カインが問うと、黙って食事をしていたユーリスとカイルの視線もこちらに向いた。
俺は食事の手を止め、一度天井を仰ぐ。
「……吹聴して回らないでくれよ」
「もちろん」
カインからの返事と、その他からの首肯が返ってくる。唯一ユーリスだけがこちらを睨むようにしているが、まぁ殊更言い含めずとも口外するような男ではあるまい。
「俺のフルネームはエルザ・フォレスティエ。名前の通りフォレスティエの出身。ご存じ龍樹信仰発祥の地だ」
「ちなみに僕は事前に調べていたので知っていたよ」
「何を自信満々そうに。私も知ってましたけど?」
アリアーレからの謎の張り合いに、カインは若干引き気味に答える。
「どこで張り合ってきてるのさ……続けて」
「龍樹信仰の開祖であるスカライール・フォレスティエについては皆も知っていると思うが、こいつは俺の直系の先祖でもある。奴の血にはある種の『呪い』が掛かっていてな、その『呪い』が発現すると龍樹の力の一端を扱えるようになるんだ」
「へぇ。例えばどんな?」
「具体的に何とは答えづらいな。状況に合わせていろいろできる。だがまぁ一番は、身体が死ぬほど頑丈になる」
「それってどれくらい?」
「成体の竜の尾を受け止められるくらい」
言うと、カインは驚いたような納得したような絶妙な表情を作った。
「なるほど……マクギネス傭兵団が少数精鋭で活動できていたのはそれが理由だね?」
「さあな。『龍樹細胞』を使ったところで、竜相手じゃ所詮俺は壁兼囮にすぎない。少なくともクルトとグリードがいないとあの団は成立しなかったよ」
「竜を相手に一人で前衛こなせる時点で十分でしょ。僕らの活動も安泰だね」
浮かれ気味に言うカインに、俺は一応現実を突きつけておく。
「言っておくが『龍樹細胞』は死にかけた状態から回復しないと発現しないからな。んで、俺がそうなっている時点でこの団は全滅してるかその寸前の可能性が高い。今回は色々と運が良かっただけだ。いつでも頼れる力じゃない」
「あ、そうなんだ。……まぁ確かにあの力使い始めたの、巴蛇の髄液舐めてからだったね。毎回あのレベルの怪我をしてもらうとなると……さすがに負担大きいか」
「一考の余地ありみたいな言い方するんじゃねえ。頭おかしいのか」
俺がカインを率直に罵倒すると、金属製のフォークをこれでもかというくらい強く握ったアリアーレが、胡乱な目でカインを見つめながら言った。
「安心してくださいエルザさん。そんなことさせませんから」
「アリアーレちゃん? ちょっと怖いよ。君は声も目も発言も全部怖い。全身全霊を持って改善に取り組んでほしいな。身の危険を感じる」
「失礼な。私はお店でも可愛いと評判です。怖いなんて言われたことありません」
「そりゃ皆心の内に留めるからさ。どうだいカイルさん、ユーリスくん。怖いよね?」
急に話を振られた両名は、それぞれ異なる反応を見せる。
「某は猪が怖い。彼奴らは一晩で農作物を食い荒らすのでな」
「アリアーレちゃんは可愛い。ふざけたことを抜かすな腐れ商人が」
「味方いないじゃん……団長さんは?」
まさかのこっちに来た。いや予想はしていたが。
なので、俺は予定調和のように話題を変える。
「そういえばアリアーレ。高位魔術師の試験、来月だよな? 準備できてるのか?」
「なんで話逸らしたんですか? もしかして私のこと可愛いと思ってないってことですか?」
すっと光の消えた瞳で俺を見つめるアリアーレ。おっと逃げ場がねぇ。
すると、食堂の入り口から唐突に人影が現れる。救世主降臨。赤い髪の巨乳魔術師女神ことミーティア・コメット様のご登場です。
ミーティアは手をふりふりと揺らしながら、気の抜けた声を出した。
「はろはろ~。良い匂いするね~。私の分まだ残ってる?」
「ご用意します。掛けてお待ちください」
「ありがとうございま~す!」
ハルモニアさんが席を立って厨房へ消える。
代わりにカインの隣に腰を下ろしたミーティアに、俺は即座に話題を振った。
「ミーティアはさ、アリアーレのことどう思う。可愛いと思うか?」
「えー、思うけど。なになに突然?」
「エルザさんが私を可愛いと思ってないそうです……」
死にかけの犬みたいな絶望の表情で呟くアリアーレ。それを目にしたミーティアはぽわぽわしていた雰囲気を霧散させて俺をきっと睨みつけた。
「ちょっとちょっとエルザ君。聞き捨てならないんだけど、どういうことか説明くれるかなぁ?」
「なんもかんも誤解でアリアーレは可愛いし隣のアホ商人が全部悪い」
そう言うと、現金なものでアリアーレはぱあっと表情を明るくする。
そして太陽のような笑顔を浮かべると、カインを指しながらこう言った。
「カインさんが私のこと怖いとか言っていじめてくるんです。やっちゃってください」
満面の笑みで怯える演技をするアリアーレ。とてつもなくこざかしい。そんな明らかな冗談を誰が真に受けるというのか。
しかしそこはノリと性格の良さが団内でも随一のミーティア。ここぞとばかりにカインを責める。
「女の子に怖いとか言う前にさ、カイン君が改めるところあるでしょ~。言葉とか発言とか言動とかさぁ」
「それ全部同じ意味だよね?」
「性格とか性格とか性格とかもな」
「性格悪いのは認めるけど、団長さんに言われるのだけはやっぱり腹立たしいな……!」
きぃっと、悔しさと怒りがない交ぜになった顔で俺を睨むカイン。そう睨むな。お前は俺に出会う前から俺に負けず劣らず性格が悪かったはずだ。誰の性格と愛想が悪いって? 愛想まで悪いとなると俺しかいねぇな。現実ってやっぱつれぇわ。
少しして、ハルモニアさんがミーティアの分の夕食を持って戻ってきた。
「そいえばカイン君って食細いよね。お姉さんの分もあげよう。はい、あーん」
「え、いらなんっ、ねえいらないってんっ、ちょっと無言で突っ込んでくるのやめてっ、んっ」
咀嚼の暇など与えんとばかりに、ミーティアはスプーンを皿と口の間で往復させる。
最初はされるがままいたカインも、しばらくすると限界を悟り顔を青くして逃げ出した。しかし流し込まれたシチューによって
俺はそんな光景を見て自然と笑っていた。
すぐに気付いて顔を戻すも、ふとアリアーレがこちらを見ていることに気づく。目が合った彼女は優しく苦笑すると、口元を手で覆って小声で囁いた。
「笑顔、怖くなかったですよ」
「……そっか」
六人と一人が集まって一つの食卓を囲み、団欒を分かち合いながら、今日という日は過ぎていく。
愛想がない無表情な傭兵はいつも仲間に助けられています 桜木姫 @3200731
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