あの日の海

子鹿なかば

あの日の海

どこまでも続く砂浜。空と海が一体となって無限に広がる青。


「空が広いねー」


隣を歩く里奈が気持ちよさそうに両手を広げる。薄手のパーカーに垂れ下がるショートカットの黒髪が太陽に照らされる。


「10月だと誰もいないんだね」


ここ九十九里浜は夏になると足の踏み場もないほど海水浴客でごった返すが、秋深まった今は、犬の散歩をしている人が遠くに見えるぐらいだ。僕たち2人は誰もいない砂浜をゆっくり歩く。


「波の音が心地いいね」


「そうだね」


僕は会話に緊張を感じる。


今年の夏休みを思い出す。


同じバトミントン部で前から気になっていた里奈に告白をしてOKをもらえたのが高2の春。初めての彼女に浮かれ気分で迎えたで夏休み。厳しい部活にへこたれながら、予定を合わせて何度かデートをしていた。


夏休みの最終週、部活が早く終わった日に、駅とバスを乗り継いで僕たちは2人は九十九里浜にきた。


着いた頃には夕方になっていたので、急いでコンビニで花火を買って、暗くなる海をみながら花火に興じた。


花火が照らす彼女の笑顔を、僕はただ見惚れていた。


「あのさ」


里奈の声が僕を現実に戻す。


「私たち別れよっか」


「……うん、わかった」


「理由は聞かないの?」


「いや……なんとなくそうかなと思っていたからさ」


初めての彼女で浮かれていたが、付き合うということがよくわかっていなかった。電車も一時間に一本の田舎街でデートスポットもない。どこに行けばいいのか。


女性と話す機会もこれまでなく、電話をしても盛り上がらない。どんな話をすればいいのか。


何をすれば彼女が喜んでくれるのか。


部活の厳しさに気を取られて、だんだん連絡も疎遠になっていった。


部活内では2人の関係性は内密にしていたのだが、部活での会話もなんだかぎこちなくなってきた。夜に電話で話しても沈黙が多くなってきて、だんだん電話するのが億劫になってきた。


里奈が僕に対してがっかりしだしていることはなんとなく感じていた。


ほんとはちゃんと理由を彼女から聞くべきなのだろう。ただ、言葉にされるのが怖かった。


里奈は砂浜に埋まっていた貝殻を蹴飛ばす。


「そっか……」


里奈が立ち止まり僕に向き合う。


右手を前に差し出してきた。


「はい」


僕は右手で彼女の手をそっと握った。柔らかな感触が手のひらに広がる。


手をつなぐのもこれが最後だろう。結局数えるぐらいしかつなげなかったな。


「優太くんと付き合えたことは後悔してないよ」


日差しに照らされた里奈はまっすぐ僕の顔を見つめる。


「うん、僕にとっても素敵な時間だった」


僕はなんとか言葉をひねり出す。


里奈のことはずっと好きだ。けど恋愛自体をがよくわからなかった僕は、ホッとしてもいた。


「じゃあいくね」


里奈は僕と海に背を向けて駐車場へと歩き出す。里奈のお姉さんが車で待ってくれているらしい。


里奈がこちらを振り返る。


「ありがとう!」


爽やかな声が僕の身体を震わせた。


里奈はきっといつもの輝くような笑顔をしているはずだ。

最後にその姿を目に焼き付けたいけど、視界が滲んでうまく見えない。


「うん、ありがとう!元気で!」


震える声で里奈に大きく手を振る。泣いてるのバレてなければいいけど。


彼女の姿が消えるまで僕は砂浜に立ち尽くしていた。


別れることを予感していても、別れは寂しいものだ。


もっと会話が上手ければよかったのかな。

もっとデートに誘えばよかったのかな。


答えのない後悔が胸に去来する。


「なさけない」


不甲斐ない自分に落胆しながら、僕は空を見上げた。



交際は内緒にしていたのでそれ以降も高校生活に大きな変化はなかった。ただ、ぽっかりと心に穴が空いていた。


里奈は学校で会うと気兼ねなく話しかけてくれた。なのに、僕はどう反応してよいかわからず、距離を置くようになった。

結局、そのまま僕たちは高校を卒業していった。




あれから20年がたった。


僕は数年ぶりに千葉の実家に帰省した。


親を扶養にいれることになり、書類の手配をするついでに久々に実家に一泊することにしたのだ。


僕は30歳でアプリで知りあった女性と結婚したがうまくいかず、すぐに離婚してしまった。

離婚の報告をして以来、実家に帰るのが億劫になり、数年間親と顔をあわせていなかった。


久々の親との再会とはいえ、特に会話が弾むこともなく、昼食後は時間を持て余す。


親と一緒にテレビを観続ける時間が苦痛に感じ、適当な理由をつけて一人で車を出す。


季節は秋。ひとり静かに過ごせる場所といえば、九十九里浜が思い浮かぶ。


駐車場からおりて、砂浜を見下ろす。久々の九十九里浜は狭くなった気がした


無人の砂浜を目的も無く歩く。


潮の匂いが鼻腔を満たす。


靴底から伝わる砂浜の感触。


ビーチを歩くのなんて、別れた妻と離婚する前に湘南をデートした時以来だ。


寄せては返す波音が響き渡る。


潮が引いた浅瀬には、小さな蟹が砂の上を急いで移動している。


あたりに散らばる貝のかけら。


あの日の彼女の笑顔が蘇る。久々に思い出した。


彼女は今元気だろうか?

風の噂で今は結婚をして大阪で子どもを育てているらしい。


僕のことは覚えているのだろうか。


空を見上げる。


雲一つない青空を飛行機が飛んでいく。


僕はあれから前に進めているのだろうか。

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あの日の海 子鹿なかば @kojika-nakaba

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