9話 ベンスルダトゥの呪い
――暑いな。
男は思う。この地域は湿気が多いから、実際の温度よりも暑く感じる。こういうところも前から嫌いだったのだ。
でも今は商売に必要なものをここで仕入れなければならない。そう甘ったるいことは言ってられないと己を律する。
懐に手を入れる。暑さを紛らわすために、吹き矢の手入れでもするか。
――ガララッ。
手入れするために取り出した吹き矢をすぐに構える。
何の音だ? 目を凝らすが新月の夜だからよく見えない。うっそうと生い茂る草木に隠れて、そういえばと思い出す。商品を一つ逃した日、あれも新月の夜だった。
声がでかくて、見るからに健康そうな商品だった。五つもあったのに、一つを仕留め損なった。もったいないことをしたもんだ。
――ガララッ。
音が近付いてきた。バレないよう細心の注意を払って再度川路を覗く。
ほぉ、と思わず声が漏れる。驚いた。暗闇でも分かる程に目立つ赤髪だ。手に持っているランタンの火がかすんで見える。あれはこの国の人間じゃない、極東の方だろうか。何はともあれ、言い値がつきそうな商品だ。
赤髪はこの地域にしては珍しい程に厚着だ。そして荷車を押している。やはり外国の人間か。
体に狙いを定めて、ふっと息を吹き込む。風を切る音と共に針が放たれた。
「ぐぅッ⁉」
赤髪は頭から地面に激突する。少し観察していると、びくびくと痙攣し始めた。頃合いだろう。
草木から身を乗り出し、赤髪の商品の元へと歩いて行く。
「なんだ、女だったのか。その割に少し背がでかいが……ま、売りに出す時には小さくなるから問題無いか」
ちらり、と荷車を一瞥する。大きめの麻袋が二つ。
「一応確認しとくか。食い物だったらもらっちまおう」
そう言って男が麻袋を開けた刹那――濁った深海に引きずり込まれた。
◇◇◇◇◇
「――ぎゃあッ⁉」
男の悲鳴と転がったような鈍い音がした。もう起き上がってもいいだろうか。
ゆっくり体を起こすと、そこには公爵に取り押さえられた男性がいた。歳は五十代前後だろうか。ダークブロンドの角刈りに、黒いチュニックを着ている。
「公爵様! 大丈夫ですか⁉」
「それはこっちの台詞だよご主人様。怪我はない? ごめんね、怖かったよね」
「はは、心配しすぎですよ。……少し不安はありましたけど、上手くいってよかったです」
そう、全て計画通りに進んだ。
私が囮になって、公爵には荷車の麻袋の中に隠れてもらう。私は吹き矢が刺さった振りをして倒れ込み、確認のため近寄ってきた犯人を公爵のタイミングで取り押さえる。名付けて、「子供でも思いつくような発想だからこそ、実践に移すとは思わないだろう作戦」だ。
男は体の前面を地面に押し付けられているため、絶えず苦しそうな声を上げている。しかし、私の声に反応するとどうにかして顔をこちらに向けた。
「はッ、なんだよ、痙攣してたの演技だったのかよ。女だし犯してから売ろうと思ってたんだけどなぁ」
にたり、と黒い瞳が私を捉えた。脊椎から強烈な悪寒が這い上がる。
「あんたよく見ると金色の目してんだな。髪色と相まって本当に炎みたいだ。いいな、その目玉だけでも高く売れそうだ。いい商品を逃し――ぶッ‼」
男の絡みつくような声が途切れる。公爵が彼の顔を地面に叩きつけたのだ。
「お前みたいな人間が、ご主人様を見るな」
抑揚のない声、光すら吸い込んでしまいそうな濁った瞳、感情が抜け落ちた顔。こんな公爵は初めて見た。
「……つれないなぁ。兄ちゃんだけのご主人様ってわけじゃないだろ? もうちょっと品定めさせてくれよ」
「お前はッ――」
「公爵様! そんな男に付き合わなくていいです! 無視してください!」
なんとなく、この男と公爵の話を続けさせてはいけないと思った。
「私は何言われても大丈夫です、負け犬の遠吠えだと思ってますから」
公爵が安心出来るよう笑顔を浮かべてみる。あぁ、ちゃんと笑えているだろうか。
彼は私を見て何かを言いかけ、渋々「分かった」と頷いてくれた。その姿を確認してほっとしたのも束の間、機嫌が良さそうな口笛が聞こえる。
「なんだぁ? 兄ちゃん尻に敷かれてんのか! 情けない奴だな!」
その言葉にカチンときてしまう。
「黙れ、情けなくない」
「おぉ、強気な女だなぁ。いい女だ」
「うるさい……! ……これから衛兵が来ます。大人しくしてください」
そう言った直後、複数人が走るような足音が鳴る。音の方を見ると、ランタンを持った衛兵が四人こちらに向かっていた。
「王都直属衛兵の者です。連続商人行方不明の件に関わっている男を連行するため参りました。この男でお間違いないでしょうか」
「はい、間違いないです。よろしくお願いします」
私が頭を下げると、衛兵は綺麗な敬礼をした。そして公爵によって取り押さえられている男を両脇から持ち上げ、近くに置いてあるのであろう馬車へ引きずっていく。
「ご協力感謝いたします。アルレッキーノ公爵、ブリゲッラ男爵令嬢」
「いえ、こちらこそ急な招集にもかかわらず、王都から来ていただきありがとうございました」
とりあえず一段落だ、と思った瞬間「――あぁッ‼」と男が大声を上げた。私の隣、公爵を指さしている。
「思い出した! アルレッキーノ! どこかで聞いた声だと思ったんだ! なんだぁあんただったのか!」
「おい! しっかり歩け!」
「覚えてるだろ⁉ なぁアルレッキーノ! 俺はよぉく覚えてるよ! こんな俺を見逃してくれた臆病で優しいアルレッキーノ! 剣は震えず持てるようになったのかい⁉」
壊れたように大音量で喋り続ける男と、無言のまま表情が一切変わらない公爵。正反対の様子に恐怖を覚える。
「俺が飼ってたあの兄妹はどうした? 今はあんたが飼い主か? 灰色の髪した妹はやっと出るとこ出てきただろう?」
……灰色の髪? 思い当たる女の子が一人だけいる。でも、まさかそんな……。
「……五年前のことをペラペラペラペラ、うるさい口だな。あぁそうだ――」
公爵がふらりと男に近づく。そして衛兵の腰に刺さっている剣を素早く抜き、男の目の前に突き付けた。
「――せっかくだから、試してみようか。僕が震えずにお前を殺せるか。……悪くない案だろう神父様」
「古い役職で呼ぶなよ。今の俺は商人なんだ」
二人は知り合いだったのか、今の私には分からない。確かめる術がない。でもまず、公爵をあの人から引き剝がさないといけない。
「こ、公爵様、私たちの出番は終わりです! あとは衛兵の方に任せて早く帰りましょう! ね?」
公爵から返答はない。その視界に私を映してもいない。
「ほら! 今後のソリタリウス領の商売について話しながら帰りませんか? 私も商人の端くれなので何かアドバイス出来るかも……あ、でこぴん! ご褒美にでこぴんもしちゃいます! だから――」
「なんだぁ嬢ちゃん商人なのか! なら俺との方が合うな!」
こっちを向いて欲しい人は向かないのに、何でお前が入ってくるんだ。念のため、公爵がこれ以上男に近づかないよう服の裾を握る。
「なぁ、人間の臓器で一番高く売れる部位、知ってるか?」
「話しかけないで」
「子宮だよ」
「話かけるなって言ってる」
「ここを通る奴らは商人の男ばっかだから、そこまで金にならなかったんだよ。その点あんたは最高の商品だったんだ。自信持てよ」
「いい加減に――」
言葉は最後まで紡げなかった。――目の前を、赤い雫が舞っていて、それに目を奪われた。
「……ぃがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああッ⁉」
「こ、公爵⁉ 何をされてるんです⁉」
「あぁぁッ‼ あぁぁぁッ‼ いあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ‼」
「公爵‼ お止めくださいッ‼ お、お前ら、公爵を押さえろ‼」
何度も何度も、男の太腿に剣が刺される。抜いて、刺されて、抜いて、刺されて。
衛兵に羽交い絞めにされても、公爵は止まらなかった。焦点が定まらない瞳で、何かを見つめている。
考えている余裕もなかった。私も衛兵に混ざって公爵の体に巻き付く。
「公爵様! 駄目です! 相手死んじゃう!」
――答えはない。
「公爵様! 公爵様!」
――声も無い。
「こうしゃ、あ、アルレッキーノ‼」
――動きが止まる。
「アルレッキーノ‼ ご主人様の命令です‼ こっちを見ろ‼」
――ゆっくりと、深海がこちらを向く。
「剣を捨てて、私の背中に手を回して」
――剣が地面に落ちる。けたたましい音と共に、衛兵は羽交い絞めを解いた。公爵の腕が壊れた人形のようにぎこちなく、私の背に回される。
「よし、いい子、よく出来ました。……ねぇ、あともう一つだけ、お願い聞いてくれますか?」
――こくりと頷いてくれた。
「ありがとうございます。実は私、今無性にあなたが作ってくれたご飯が食べたいんです」
だから――
「――帰りましょう、一緒に」
彼は私の首に頭をこすりつけた。やわらかい金糸がくすぐったい。
思わず漏れてしまった私の笑いにかき消される程の声で「うん」と返事は紡がれた。
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