7話 新月の日にて

 その日、公爵と私はある家を訪れていた。さほど大きくはないが、石造りの立派な家だ。

 一つ深呼吸をして、呼び出しのベルを鳴らす。「今開けるよ」と男性のこもった声が聞こえた。すぐに扉が開き、恰幅の良い金髪の男性が現れる。


「待たせてすまんね、どちらさんか――」


 男性は私たち、いや、正確には私を見て目を見開く。そしてすぐに扉を閉め――られなかった。


「ごめんね、あなたの考えも半分くらいは分かっているつもりだよ。無理もさせたくはない。でも、今回は協力して欲しい」

「こ、公爵まで……!」


 公爵は持っていた剣の鞘ごと閉まりゆく扉の隙間に素早く差し込んだ。屋敷を出る前に、何で普段持っていない剣を持って行くのかと疑問に思ったがこのためだったようだ。

 ……剣って貴族とか騎士にとっては大切なものじゃなかったっけ? それをつっかえ棒みたいな使い方して大丈夫? い、いや、とりあえず、見ないふりしておこう。

 混乱する男性の前に、一枚の売買契約書を突き出す。


「何の連絡も無しに訪問してしまったことは謝罪します。でも、あなたが鍵なんです」


 全力で頭を下げた。私には、これくらいしか出来ることがない。


「絶対に、ベンスルダトゥの呪いを解決して見せます! だから、知っていることを教えてくださいイレルさん!」


 目の前の男性――イレルさんは、自分の身に危険が降りかからないよう衛兵に護衛してもらうことを条件に、渋々家に上がらせてくれた。



◇◇◇◇◇



 呪いから逃げ延びた商人の扱っている品が判明した翌日、私は公爵からもらった情報を元に分類した売買契約書を確認した。茶葉を扱っている商人は複数いたが、東洋の方まで商売ルートを広げているのは一人しかいなかった。それがイレルさん――商人組合所で烏龍茶を出してくれた人だ。


「粗ティーですが」


 歓迎していないことは明白なのに、彼は私たちにお茶を出してくれた。根っからの商人気質というのか、それとも領主である公爵がいる手前出さざるを得なかったのかは不明だ。

 お礼を言って口に含む。烏龍茶ではない、ただの紅茶のようだった。


「で、何が聞きたいんだ」


 テーブルを挟んで、彼は古びた椅子に腰かける。早く終わらせてくれというような彼の態度に、私は背筋を伸ばして口を開いた。


「どんな些細なことでも構いません、ベンスルダトゥの呪いに襲われた時のことを出来るだけ詳しく教えてください」


 イレルさんは嫌悪感をあらわにする。当然だ、襲われた上に仲間が行方不明になった時のことなんて思い出したくもないだろう。

 無言の空間が訪れる。空気が重い。しかし、そんな中で公爵は言葉を紡いだ。


「イレルさん、あなたの安全は責任を持って僕が保障する。絶対に傷一つつけさせやしない。だから、知っていることを教えてくれ」


 驚いて公爵の顔を凝視してしまう。彼にしては珍しく少し強い口調だ。普段とのギャップにこっちが混乱してしまう。

 イレルさんは一度縋るように公爵を見て、それからぽつぽつと話し始めた。


「あの日、俺は東洋の大国に茶葉を売った帰りだった。商人組合の仲間と途中で会ったから一緒に帰ることになって、ベンスルダトゥ川の横を通った時は真夜中だったよ。なんてことない儲け話を話で盛り上がってた。でも、急に仲間が苦しみ始めたんだ」

「苦しむっていうのは?」

「言葉通りの意味だよ嬢ちゃん。息が荒くなって、泡吹いて、痙攣する。俺以外の仲間全員が同時にそうなった。もうパニックだよ」


 自嘲気味に彼は笑う。


「学が無ぇから介抱の仕方も分からねぇ。そんで馬も暴れちまってどうにもならなくなった時にやっと気づいた、仲間の内の一人がいなくなってたんだ。……もちろん探したよ、震えながらな。でも見つからなかった。裂けた服だけ残して、溶けたみてぇに消えたんだよ」


 イレルさんは頭を抱えた。体は小刻みに震えている。


「あれは呪いだ。ベンスルダトゥの恨みだよ。ただの言い伝えだと思ってたが本当だったんだ」


 そう言うと、これ以上は何も話せることは無い、と彼は黙り込んでしまった。

 正直、私はベンスルダトゥの呪いのことを質の悪い噂、または人間の仕業だと思っていた。しかし、イレルさんの話を聞いた感じだと本当に呪いなのではと思えてしまう。

 解決には到底行き着かない。どうしよう、と頭を回転させていると、またも公爵が口を開いた。


「物音とか、そういうものはなかったのかい? 見つかった服も裂けてたんだろう、破れた音や衣擦れの音が聞こえてもおかしくないと思ったんだが」

「馬が暴れてたからってのもありますが、そんな音は一切聞こえませんでした。風の音はしてましたが……」

「風の音? それだけは聞こえたのかい? 馬が暴れているのに」

「馬が暴れる前に聞こえたんですよ。仲間が苦しみ始める少し前くらいだったかな」


 公爵は一旦満足したのか、「なるほど、ありがとう」と言って何か考え始めたようだ。


「あ、それじゃあ私からも一つ。襲われた日はいつでしょうか」

「二か月前の新月の日だ。月が出てないから暗かった記憶がある」


 イレルさんは「もういいか? 組合に顔を出さんといけないんだが」と腰を上げた。


「待って、最後に一つ」


 公爵の声がイレルさんの動きを止める。


「その日、あなたはどんな服を着ていた?」

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