6話 一番魅力的で一等好き

 エレンちゃんと一緒に公爵を部屋まで運ぶ間、彼は一度も目を覚まさなかった。本当に死んでるのではと思ったが、息はしっかりしていることに安心する。長い手足に嫉妬しながら、どうにか彼のベッドまで辿り着いた。


「え、エレンは、お食事を用意してきます。シュンエイ様はいかがなさいますか……?」

「私は公爵の目が覚めるまではここにいるよ。起きた時に誰もいないと可哀そうだからね」

「ふふ、承知いたしました。ではお食事ができ次第、シュンエイ様の分もお持ちしますね」

「うん、ありがとうエレンちゃん。面倒かけてごめんね」

「エレンはメイドですから。こ、これくらいへっちゃらです!」


 張り切って厨房へ向かうエレンちゃんを見送った後、私は公爵が眠っているベッドの横に椅子を持っていく。それに腰かけて、彼の目元を指でなぞった。ざらりとした質感の白い粉が付着する。


「……やっぱりね」


 白粉――一般的に、より肌を白く見せるために使われる品だ。だがこの人は、自分のクマや血色の悪さを隠すために使っていた。私の無茶なお願いを叶えるために。

 エレンちゃんから聞いた話によると、前にも何度かこういう状況になったことがあるらしい。その時も多忙を極めて限界を突破し、全て終わった後ぶっ倒れたそうだ。それを聞いた時、何でもそつなくこなしそうな顔をしている割に不器用な人なんだと思った。


「はぁぁぁ……調子狂うわ」


 重いため息をついて宙を仰ぐ。高い天井には何のデザインも施されていないが、その分掃除が行き届いているのが分かる。本棚も同じく、全て綺麗に並んでいる。戻し忘れの本など一冊も無い。ただ、机の上だけは別だった。ペン立てから脱走したペンがインクをたらし、机に染みを作っている。

 真面目過ぎて逆に不器用――この人の性格を表しているような部屋だ。

 寝ている公爵に視線を戻すと――


「……ひょッ⁉」


 ――ギンギンに目を見開いてこちら見ていた。青い瞳の圧が、圧がすごい。


「お、おはようございまぁす……」

「……おはようございます」


 普段はうるさいくらいなのに、今は恐ろしい程静かだ。おそらく寝起きで現状が理解出来ていないのだろう。


「公爵様、私の部屋出たら倒れたんですよ。覚えてませんか?」

「……覚えてない」


 呂律が上手く回っていない発音だった。いつもきっちりとした完璧な公爵しか見ていないからか、何だか得をした気分になる。


「ご主人様、僕……」


 もぞり、と公爵が上半身を起こした。


「また駄目だったんだね」

「……は?」


 何を言われたか理解出来なかった。駄目だった? 何がだ?

 彼が体ごとこちらに向ける。


「やり遂げらずに倒れたんでしょ? 困っちゃうな、何で、僕は出来ないんだろう……」


 濁った深海の瞳は、私を通り越したその先を見ているようで、どこか視線が合わない。


「ごめんねご主人様、失望したかな」


 そう言って、彼は笑った。何度も見たはずの完璧な笑みなのに、今目の前にいる人はひびが入ったように歪だった。指先でつついたら壊れてしまう、そう思える程に。だから――


「――失望なんてしてませんけど?」


 ――壊れないように、砕けないように、彼の頬を両手で挟んだ。


「公爵様は、立派に私のお願いをやり遂げてくれました! 通常業務もある中、合間を縫って睡眠時間も削って、すごく頑張ってくれました!」


 息を飲んだ音が聞こえた。深海が少しだけ揺れる。


「え、でも――」

「あなたのご主人様が言うんです、信じなさい‼」

「は、はい……」


 狼狽えたように目を右往左往させる彼を見て、挟んだ頬を開放する。


「ただ、頑張りすぎは良くないです。私のお願いのせいなので反省すべきは私ですが、公爵様も無理なら無理って言ってください。ぶっ倒れるまでやるのは駄目です。エレンちゃんも心配してましたよ」

「うん、気を付けるよ。エレンにも謝らないと」


 まだ本調子ではないのか、心なしかしょんぼりしている気がする。その姿が落ち込んでいる子供のようで、思わず頭を撫でてしまった。やわらかい金糸が指を潜り抜ける。


「……ご、ご主人様?」


 驚いてこちらを見る瞳に濁りは無い。ただ海のように綺麗なそれに、気分が良くなる。

 もっと撫でてやろうと両手で髪の毛を混ぜた。公爵は「わ、ちょ、え」なんて意味のない言葉ばかり口にしている。いつも振り回されている分、今くらい私の好きにされてればいい。


「あはは! いい気味だ!」


 私がそう言うと、控えめに吹き出すような音が聞こえた。もちろん、音の発生源は目の前の公爵だ。肩が小刻みに震えている。

 

「ふ、ははは! 急になんだいご主人様! くすぐったいよ!」


 照れくさそうに眉を下げ不格好に笑うその姿は、普段の公爵からは想像出来ない。

 でも、今まで見てきた彼の笑顔の中で一番魅力的で――一等好きだと思った。

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