5話 でこぴんすら知らない人

 アルレッキーノ公爵に無茶を押し付けてから二日経った。

 彼は今日も元気に、私の椅子になりたがり、真面目に仕事をし、領民の生活を見て回る傍らベンスルダトゥの調査をしている。

 いや、なんでそんな元気なの……?

 通常業務に加えてベンスルダトゥの調査があるため、取れたとしても数時間の睡眠しかしていないはずだ。あんな元気なのは流石におかしい。

 それに比べて私は――


「ね、眠い……ぐらぐらする、でも契約書の分類終わらせないと」


 ――ふらっふらである。一週間程の時間を要する作業を、半分の三日に納めないといけないのだ。そりゃ寝てる時間なんてない。公爵やエレンちゃんの前では元気に振舞っているが、どうにか隠しきれているだろうか。不安だ。

 ……いや大丈夫、昔兄は五徹していた時でも笑っていた。ちょっと頬がこけてたけど。

 終わりが見え始めた書類の山に手を伸ばす。今日だけで何度この動きをしただろうか。

 しかし彼に無茶ぶりした以上、私だってやり遂げなきゃいけない。私は彼のご主人様なのだから。


「――ん?」


 あれ? 私今何て思ってた? ご、ご主人様って自分で思ってた? え、うそやだ、どうしよう……!


「呼ばれすぎて、ご主人様の自覚が出ちゃってるじゃん……」


 頭を抱える。先程まで猛威を振るっていた睡魔はどこかに消えていた。



◇◇◇◇◇



 それから数時間後、夕日特有のオレンジ色と共に公爵は現れた。いつも通りの完璧な笑顔で。


「逃げ延びた商人が扱っていた品は、茶葉だそうだよ」

「茶葉……」

「東洋の方に行くことが多い商人だったはず、とも言っていたね」

「……なるほど」


 東洋、茶葉。……なんか最近聞いたワードのような気がする。でも駄目だ、寝不足で頭回らない……。

 私の分類作業もついさっき終わったばかりだ。あとは茶葉のカテゴリに分類した書類を調べて、東洋地域を商売ルートに含んでいた商人を探せばきっと件の人物を割り出せる。

 この人のおかげで活路は見いだせた。あとは走るだけだ。

 公爵の顔を見る。クマも無い、血色も悪くない、いつもと変わらない公爵だ。彼が体調を崩していないことに安堵し、私は頭を下げた。


「私の無茶を叶えて下さり本当にありがとうございます! 必ず逃げ延びた商人を見つけてご報告しますので、公爵様はお休みに――」

「――違うよ、ご主人様」


 唐突の否定に思わず頭を上げてしまう。公爵は相変わらず笑顔のままだ。


「ご主人様が今やらなきゃいけないのはお礼じゃない。普段は見られない丁寧な言葉を使うご主人様も捨てがたいけどね」


 ぐっと綺麗な顔が近付く。驚きで息が止まった。


「ご主人様は知ってるよね? ご主人様からもらえる痛みは、全て僕のご褒美になるってこと」

「……いや、知らないすね」

「今までこんなにアピールしてたのに?」

「理解しないようにしてたので……」

「つれないね、たまらないよ!」

「……勘弁して下さい」


 極限の限界まで顔を背ける。すると、彼は私の手を優しく掴んで自らの頬に押し当てた。目だけでその状況を確認する。顔が良いだけに少し緊張してしまう。


「ね、ご主人様。指で僕の額をはじいてくれないかい?」

「は?」

「今日見かけたんだけど、母親がね、自分の子供の額を指ではじいていたんだ。子供がいたずらをしたおしおきだったらしいけど、ご主人様はされたことあるかな?」


 額を指ではじく――所詮「でこぴん」のことだろう。幼い子でさえ知っている、そんなに珍しいことではないように思えた。


「されたこともしたこともありますけど……それでいいんですか?」

「うん、ご褒美はそれがいいんだ。それにしてもどちらも経験済みなんて、ご主人様は額をはじく達人なんだね」


 そんなに尊敬することかな⁉ 本当にでこぴんで合ってるのか不安になってきたぞ⁉


「それでは、お願いします」

「う……」


 わざわざ金の前髪を寄せて額を出してくる。本気度が違う。正直達人と言えるか自信は無いが、これくらいの要求ならなんてことはない。背中に座ってくれとか言われるより余程いい。


「それじゃ、いきますよ」

「はい!」


 ――この人は、今まで誰にも、こんな当たり前なことを教わらなかったんだろうか。

 彼の額をはじく瞬間、そんなことが頭をよぎる。

 ――それは、少し、悲しいな。


 ばちんッ――‼


「ありがとうございますッ‼」

「……どういたしまして」


 薄く色づいた額は痛そうなのに、公爵はとても嬉しそうに息を荒げる。


「では、ご褒美ももらえたことだし僕はこれで。あとご主人様、クマがひどいから調べものの続きをする前に睡眠を取ってくれ。寝ていないんだろう?」

「……うっ、バレてましたか」

「バレるよ、僕はいつだってご主人様のことを見つめているんだから。どこかの国では“壁に耳あり扉にメアリー”と言うらしいけど、この屋敷では壁にも扉にもアルレッキーノありーだからね」

「はは! それはちょっと怖いですね」


 思わず笑いがこぼれる。流石はド変態公爵、心配の仕方も斜め上だ。

 寝不足のせいで頭が回っていないからだろうか、彼の発言がどこかツボにはまってしまった私の笑いは止まらなかった。


「ふ、くっ、あはは! 駄目だ止まんない! ふっ、ふふ、し、心配してくれてありがとうございます、ふふっ、じゃあお言葉に甘えて仮眠取らせてもらいますね」


 一体何でこんなに笑えてしまうんだろうか。未だ引かない笑いをどうにか抑えつけながら感謝を述べる。笑いすぎてにじんだ涙も拭った。


「え」


 笑いが止まる。理由は簡単だ。クリアになった視界の先――そこには、溶けるんじゃないかと心配になる程顔を真っ赤にした公爵がいたからだ。

 彼は一瞬青い瞳を彷徨わせると「あ、あぁ、うん、その、よく休んでください……」と言い、顔の赤さが引く前に部屋を後にした。


「えぇぇ?」


 なに、今の顔。

 ふ、と彼が言ったことを思い出す。

 『もしかして、これが恋ってやつかなぁ……』


「い、いやいやいやいやいや、そんなまさかね! ご主人様フィルターがかかってるだけだよ、うん」


 頭を振ってまさかの考えを弾き飛ばそうとした、その瞬間――


「ひぃえぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ⁉ だ、旦那様ぁ⁉ どうしてこんな所でお眠りに⁉ せめてお部屋までお戻りになってくださいぃ! ちょッ旦那様? 旦那様ぁ!」


 ――エレンちゃんの泣いているような叫び声が鼓膜を揺らした。

 考えていたことなど霧散しすぐに扉を開けて声がした方を確認する。すると、廊下で死んだように倒れたまま眠っている公爵を発見したのだった。

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