4話 完璧な笑みはどこか歪

「ご主人様、今少しだけ時間もらえるかな」


 読み終えた売買契約書が丁度十枚目に突入した頃、品のあるノック音と共に耳に優しい声がかけられる。公爵のものだ。先程話していた庭師との交流は終わったのだろうか。


「今開けます、ちょっと待ってください」

「あぁ急がなくて大丈夫だよ。むしろ二時間くらい放置されても僕は――」

「いまッ‼ すぐッ‼ 開けますねッ‼」


 読んでいた契約書を放り投げてすぐさま扉を開ける。そこには相変わらず完璧な笑みを浮かべた公爵がいた。正直、この笑い方は苦手だ。表情から何も読み取れなくて、どう接していいか分からない。


「もしかして、呪いについて調べ物中だったかな?」

「はい、でも何の手掛かりも分かってない状態で……すみません」

「そう落ち込まないでご主人様。僕としては協力してもらえるだけでありがたいんだから」


 ――呪いなんて名前が付いたせいで気味悪がって、誰も解決しようとしないからね。

 公爵はそう言って苦笑する。もしかしたら、ブリゲッラ家以外にも協力を求めていたのかもしれない。

 テーブルを挟んで座ると、公爵は私が読んでいた売買契約書を見つめた。そして私の顔を交互に見る。


「……すみませんね、読むのが遅くて。こういうお固い文面の書類見慣れてないんですよ」


 ブリゲッラとは違う契約書の書き方してるからというのは言い訳であることくらい分かっている。でも慣れないとどこが支出額かさえ分からないのだ。こんなことになるなら手伝いをしていた時から別地域の契約書も読んでおけば良かったと後悔する。悔いの色が滲んだ声で謝罪すると、公爵は小さく笑った。


「確かに、ブリゲッラ領とソリタリウス領で書き方に違いがあるかもしれないね。それにご主人様は最近悪役令嬢ものの小説をたくさん読んでいたから、慣れるまで少し大変かも――」

「なッ⁉ えッ⁉ 何で読んでる本まで知ってんですか⁉」

「うん? ご主人様のことなら大抵は知ってると思うよ」

「怖い怖い怖い‼ 情報源が分かんないとこも含めて怖い‼」


 誰から聞いたんだよそんな情報! ていうか必要ないでしょ、いつ使うんだよ‼


「領を統治する上で使える情報でも何でもないじゃないですか私の情報なんて‼ 覚えてても得しないですよ今すぐ忘れてください‼」

「得……はしないかもしれないけど、僕は潤うよ?」

「潤うってなに⁉」


 筋金入りの変態だ。身分が上かつ良い領主じゃなければ訴えてるよほんと!

 公爵はツッコむ私を楽しそうに見ると、まるで何事もなかったように「さて、本題に入ろうか」と言った。……私のせいで話が逸れてる感出してるけどあなたも大概ですからね?


「さっき庭師と話していてね、ベンスルダトゥの呪いに関連する話を聞いたんだ」


 その言葉を聞いた瞬間、きゅっと背筋が伸びる。話題が話題だ、公爵も真剣な顔つきをしていた。


「分かったことは二つある。一つ目は北の商人も襲われていたということ。荷を運んできた時にやられたらしい」

「な⁉ じゃあその商人も行方不明に――」

「いいや、なっていないんだよ。むしろ行方不明どころか、知り合いだった庭師の所へ愚痴を言いに来るくらい元気だったらしい。だから衛兵にも伝えてなかったそうなんだ」

「無事で何よりですけど……ちょっと元気すぎじゃありません? でも何はともあれ、ベンスルダトゥは領民とか関係なく無差別に手を出すってことが分かりました」

「そうだね。逆もまた然り、無差別に襲われても行方不明にまでなっているのはソリタリウス領の商人だけということだ」


 ベンスルダトゥ川の近くを通ると呪いが起こる。その呪いは無差別に降りかかるが、行方不明になるのはソリタリウス領の商人だけ。うーん、駄目だ。解決の糸口になるビジョンが見えない。


「ふ、二つ目! 二つ目いきましょ!」

「分かった。二つ目は――呪いから逃げ延びたソリタリウス領の商人がいるらしいということ」

「うぇッ⁉ えッ⁉ 早くも呪い解決するんじゃないですかそれ⁉ 逃げ延びた商人に話を聞けば呪いの詳細も――」

「これがそう簡単にはいかなくてね、その商人が誰かまでは分からなかったんだ。うちの領は商人組合に所属することを義務付けているわけではないから組合以外の商人も大勢いるし、見つけるのは難しいと思う」

「あぁぁぁぁぁぁぁぁ……そっか、そうですよね、そう都合よくいくわけないか」


 頭を抱える。公爵が話してくれたことはどれも私ではたどり着けないものだった。きっと、相手が彼だからこそ庭師は話したんだろう。彼だからこそ、引き出せたのだろう。それに比べて私の収穫はゼロだ。申し訳なくて顔が上げられない。

 多分解決に時間がかかればかかる程、犠牲者は増える。他被害者と同様に、服だけ残して泡のように消えるのだ。

 何か糸口はないか? 私が読んだ契約書やベンスルダトゥの言い伝えからでもいい。何か、何か……。

 ふ、と急に開けたような感覚があった。――もしかしたら、この方法である程度は絞れるんじゃないだろうか。


「……公爵様、ベンスルダトゥの呪いが起こり始めたのって、三ヶ月前からでしたよね?」

「うん、そのはずだよ。でもそれがどうしたんだい」


 私はテーブルの上の売買契約書を見つめる。エレンちゃんが持って来てくれた過去半年分の売買契約書。逃げ延びた商人が領のルール通りに契約書を提出していたなら、この中に当日の取引を記載した書類があるはずだ。書類には商人の氏名、取引した商品、支出額、手数料などが明記されている。取引している商品さえ判明すれば名前も割り出せるかもしれない。


「……急に何だってなると思うんですけど、無茶なお願いしてもいいですか」


 私の発言に公爵はきょとんとする。しかしすぐに微笑んだ。


「ご主人様のお願いならどんなことでも」

「ではお願いします。呪いから逃げ延びた商人が何を扱っていたか、調べてください」

「期日はあるかい?」

「出来れば三日以内で。私は扱ってる商品ごとに契約書を分類しておきます。その商人の取引した商品を元に一致する契約書を見つければ、少しは的が絞れるかもしれないので」


 この領地は商人が多い、大変なことは火を見るよりも明らかである。しかも公爵は調査に加えて、通常業務も行わなければいけないのだ、無理と言われても仕方がない。そう思っていたのに、公爵は心底嬉しそうに震えるとこちら側へ身を乗り出した。


「任せて。初めてもらったご主人様からのお願い、必ず果たしてみせるよ」


 私を捉えていた深海の瞳がどろりととろける。完璧な笑みを浮かべているが、私にはどこか歪に見えた。


「ねぇご主人様。今みたいに、これからも僕だけを頼ってね? どんな無茶だって叶えるし、どれだけ利用してもいいし、盾として使っても構わないから、だから――僕をそばに置いてね? 離れないでね?」


 彼の顔を見て、まただと思った。また濁っている。私の恐怖を呼び起こし、深海まで――沈められる。


「あぁでも――僕が離さなければ、ずぅっと一緒かなぁ」


 ――ね?

 そう言う彼の姿は、小説の中でしか見たことがない恋する乙女のようだった。

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