2話 ド変態公爵の恋路は特殊

 拝啓 大好きなお父さんとお兄ちゃんへ。

 公爵の変態トークを躱して行き着いた商人組合所。その扉を開けた先は――


「てめぇ誰だこら、おん?」「何だぁ⁉ ここはアンタみてぇな奴が来る場所じゃねぇぞ‼」「誰に許可得て入って来てんだ言ってみろや‼」「さっさとつまみ出せ‼ こちとら忙しいんだよ‼」


 ――ガラの悪いおっさんのアジトでした‼


 え⁉ これ本当に商人⁉ 傭兵とかの間違いでなく⁉ 来る場所間違えたんじゃない⁉

 助けを求めて公爵の方に顔を向ける。彼も同じくこちらを見ていたようで、すぐに視線はかち合った。すると私の背後に回り込み――


「――うぉッ⁉」


 エールを送るかのごとく背を押した。予想出来なかった行動によりたたらを踏んでしまう。そのせいで、ぎりぎり組合所の敷居を跨いでいなかったのに、完璧足を踏み入れてしまった。

 

「ちょッ⁉ 何す――」

 

 勢い良く振り向けば扉は閉じられようとしていた。誰に? 公爵にだ。しかも閉じかけの隙間から優雅に手を振っている。

 駄目だ、彼の行動が全く理解出来ない。おそらく、私は今マヌケな面を晒してしまっているだろう。バタン、という無情の閉扉音だけが耳に響いた。



◇◇◇◇◇



 ヤニ臭い。真っ先に思い浮かんだのはそれだった。

 商人であろう男たちは、みんな細長い物を加えている。おそらく、最近この国に広まった「たばこ」だろう。火を点けて煙を吸い込むという嗜好品だ。

 煙の先を目だけで追えば、吹き抜けで繋がった二階が見える。方向も大きさも違う荷物が好き勝手に置かれているようだ。物置だろうか。


「おい嬢ちゃんどこ見てんだよ?」

「ひッ⁉」


 茶髪の商人が近付いてくる。大柄なせいか威圧感が半端じゃない。


「あ、えっと――」

「……何もないとこだけどよ、まずは座れよ。その敷居跨いじまった時点で、自分がどの立場に立ったか分かってんだろ?」

「た、立場……?」


 え、うそ……? もしかして私、人身売買とかに出される?

 恐怖を覚えながら男を見れば、濁った瞳がにやりと細まる。


「決まってんだろーが。お客様、だよ」


 その瞬間、雄たけびが起こった。


「いらっしゃいませー! お一人様入りまーす!」「何飲む? 紅茶? お紅茶? それともティー?」「ほぅら怖くないよぉ! お菓子もあるよぉ?」「おじさんの尻汗がついた椅子は嫌だよね? すぐ拭くからね?」「いやもういっそこの子用に椅子作り直すか?」「綺麗な赤髪だなぁ! 東洋出身かい?」


 ……なんか、一瞬で人気者になった。

 丁寧にエスコートしてもらい、拭き終えたばかりだという椅子に座る。すると、目の前のインク染み一つ無い綺麗なテーブルに可愛らしい花柄のカップが置かれた。


「どうぞ、粗ティーですが」

「粗ティー⁉」


 そこで小洒落た感を出すんかい! 普通に粗茶でいいじゃん!

 とりあえずお礼を言ってカップのつまみを持つ。湯気が上がっているそれは紅茶よりも薄い黄金色をしていた。紅茶じゃないのかな? と少し不安になりながら粗ティーを口に含む。


「……ん⁉ お、美味しい!」

「だろぉ~? 超美味いだろ? おかわりあるからどんどん飲みな!」

「ありがとうございます! うわぁ……まろやかさを残しつつも深みがあって、何より爽やかな香りが最高です!」


 少し熱いが、熱さが気にならない程の美味しさだ。紅茶よりも渋みが強くて、油こってりな料理と一緒に飲んでみたい。絶対に合うと思う。

 恰幅の良い金髪の男性がおかわりを注いでくれながら口を開いた。

 

「こりゃ烏龍茶って言ってね、東洋の大国から仕入れたもんなんだよ」

「はぁ~東洋から! それはすごいですね! あっちは山も多いと聞きますし、荷運びが大変だったのでは?」

「お! 嬢ちゃんよく知ってんなぁ~! 身内が商人でもやってんのかい?」

「やっぱ分かっちゃいますか? そうなんですよ~! 実は今回こちらにお邪魔したのも商いのお話を――」


 ――「させていただきたくて」。その言葉は音にならなかった。まるで言葉を遮るかのように、テーブルに向かって強くティーポットが叩きつけられたからだ。陶器ならではの音が組合所内に響く。


「悪いな、帰ってくれ」

「――え⁉ きゅ、急に何で……」

「何でもだ。もう出て行ってくれ」


 一瞬にして全員から冷たい視線を向けられる。さっきまでのあたたかい空間は何だったのか。温度差がすごすぎて風邪をひきそうだ。

 脳の処理が追い付かず思うように体が動かない。頭いっぱいに浮かぶ疑問のせいで言葉を紡げもしない。人形のようにおとなしい私を、彼らは丁寧に出口まで引きずっていく。


「もう二度と来るなよ。あと、お茶美味いって言ってくれてありがとうな」

「あ、ちょ、待っ……」


 お茶を注いでくれた金髪の商人が無表情でお礼を口にした。それと同時に木製の扉が閉まる。数秒の出来事だった。

 いや、一体何が起こった。どうして私は、急に放り出されたのか。何も分からず閉じられた扉を前にただ立ち尽くしてしまう。


「おや? 少しばかり煙臭い灰かぶり姫だね」


 この声は知ってる。私を無理矢理この場所に押し込んだド変態野郎。

 声の方へ顔を向ければ、案の定アルレッキーノ公爵がそこにいた。何が面白いのか、彼の目は深海のような青い瞳が見えない程に弧を描いている。

 私のどこが「灰かぶり姫」なんだと思っていると、それが通じたように彼は私の足元を指さした。それを見て、あぁなるほどと納得する。どうやら引きずられた時に右の靴が脱げてしまったようだ。私にしては高いヒールだったから、片方無くなった今はとてつもなくみっともない立ち姿をしていることだろう。


「もちろん、僕はどんなご主人様でも受け入れるよ。……それで、商談はどうだった? みんな良い人たちだから簡単だったかな?」

「ええ、良い人でしたよ。話すら聞いてくれない程にね」


 そしてショックだった。商売をする上で笑顔を絶やしてはいけない商人が、あんな顔をするなんて。そう、あんな顔――虚無の中に寂しさを一さじ混ぜたような顔。しかもそれを引き出したのは、おそらく私だ。


「……多分、私が触れちゃいけないところに触れたんだと思います」


 相手が何を求めているか、逆に何を嫌っているか、商人は買い手自身よりもそれを分かってなくちゃいけない――父の仕事について行く度言われたことだ。耳にタコが出来る程聞いていたはずなのに、実際はどうだ。どんな言葉がトリガーになるかも分からず、ただ無遠慮に一線を越えただけ。

 今すぐ謝罪したいけど、何が悪かったかも分かってないしなぁ……。これでまた訪ねたら火に油を注ぐだけになる……。

 そう思っていると、公爵が私の足元で片膝をつく。そして何も履いていない私の右足に触れると、自分の太腿の上へと導いた。


「な、何して――」

「呪いだよ」

「……は?」


 全く関連性のない言葉に気を取られ、足に触れる手を払うことも忘れてしまう。……何言ってるんだこの人。お化けとか信じるタイプなのかな。


「三ヶ月前からソリタリウス領のある川付近を通ると行方不明になる事件が起こってるんだ。商人組合の人たちが十二人もいなくなってる。みんな丁寧に服だけを残して。商売の話をすると少なからずそれに関わってしまうから、きみの話を聞きたくなかったんだろうね」

「……それ、本当に呪いなんですか? 誰かが広めた質の悪い噂とかじゃなく?」

「うん。呪いってことになってるよ、今のところはね。……裏切られて死んでしまった、可哀そうなベンスルダトゥの呪い」

「……ベンスルダトゥ」


 公爵は私の足から目を離さずに言葉を紡いだ。聞いたことない、ベンスルダトゥなんて言葉。ソリタリウス領でしか知られてないのだろうか。ていうか――


「あの……何でそれもっと早くに言ってくれなかったんですか⁉ 具体的には組合所入る前とか! その時に言っておいてくれれば、あの人たちの気分を害することもなかったのに……!」


 報連相はしっかりして欲しい、それで防げることがあるんだから。

 じとり、と公爵を睨みつける。しかし彼は私の足を凝視しているから、実際のところつむじを睨んだだけになってしまう。


「……綺麗に花を咲かせるコツを知ってるかい?」

「いや、今花の話してな――いぃッ⁉」

「――適切なタイミングで、適量の水をあげることだよ」


 ただ触れていただけの手が、私のくるぶしをなぞる。毛穴が開くようなぞわぞわとした感覚に喉が引きつり、色気の欠片もない悲鳴があがる。


「水のあげすぎで、好きな花が根腐れするなんて嫌でしょう? もっと綺麗に咲けるはずだったのにと、後悔するのは辛いでしょう?」


 太陽の光を透すやわらかい金糸が揺れる。そしてゆっくりと、私たちの視線が合わさった。


「――大好きだよ、ご主人様」


 彼の瞳は深海のように暗く、濁っている。沈んだら二度と這い上がれない、逃してはもらえない。――息が、浅くなる。


「――きみの金の瞳はいつだって僕を貫いてくれる、痛いくらいに。……あぁ嬉しい、堪らないなぁ」


 恍惚とした表情と共に漏れ出た声はかすれていた。さらに紡がれた言葉が恐怖心を煽っていく。


「あぁッ! 恐怖を感じていても目を逸らさないその姿! まるで野生だ! 僕たちが動物だったなら、きみが捕食者、僕が獲物になれただろうに! 運命が憎いね!」


 発される一言が本当に気持ち悪い。一体何なんだこの人は。

 掴まれた足を引いても、痛みがない程度に強く握られているため逃げられない。どうしてここまで、彼が執着するのかも分からない。


「……そんなにその花のことが好きなのに、咲きたいように咲かせてくれないんですか?」


 意を決して口を開けば、彼は心底分からないというように目を丸くする。


「好きと甘やかすは別物だよ? 僕はその花が大好きだから、一番綺麗に咲いて欲しいだけ」


 その言葉を聞いた瞬間――何か、切れた音がした。それは私にだけ聞こえたもので、実際は音にもなっていない。

 私の手が公爵の胸倉を掴んだと同時に、額がぶつかりそうな程近くに顔を寄せた。


「……さっきから聞いてりゃ花だのなんだのと、ふざけんじゃねぇですわ! あなたが言ったことは全部子供の我が儘と一緒! 自分が思ったように相手をコントロールしたいだけでしょうが!」


 脳が、体が熱い。急激に体温が上がっている気がする。頭の中にはもっと令嬢らしい言葉が浮かんでいるのに、整理する前に口から出て行ってしまって後の祭りだ。


「人間はあなたが思ってるよりも感情があるんです! 鉢植えの花みたいにお利口さんでいられるわけがない‼ それに‼」


 大きく息を吸い込む。


「――あなたの手なんか加えられなくても一等綺麗に咲けますから‼」


 そう言い終わってから大事なことに気付く。……やばい、この人めちゃくちゃ目上の人だったぁぁぁぁぁ‼

 忘れないようにと心がけていたのに頭に血が上ったらこの始末。どうしようどうしよう、え、本当にどうしよう。ついに不敬罪か? 亡命とかした方がいい? 家族は見逃してもらえるのかな?

 冷や汗がぶわりと溢れ出る中、やけに静かな公爵に疑問を覚える。

 今回ばかりは流石にキレたのでは……? そう思っていると――


「あ、あの、ちょっと、だけ、待って……」


 私の足から手を離した公爵は素早く顔を隠してしまう。しかしその時間はそう長くなく、数秒の後にゆるゆると腕が下りていった。その瞬間、私は思わず固まった。


「どうしようご主人様……なんだか、すっごいどきどきする……」


 頬も耳も首も、はたまた額までも、真っ赤に染め上がった男がいたからである。濁った青の瞳はとろんとしており、知らないうちに息もあがっているようだ。

 彼は自由になった両手で私の手に触れた。胸倉を掴んでいる、私の手を。触れるだけでは満足出来なかったのか縋るように絡められる。男の人特有の長く骨ばった指は、溶けてしまうんじゃないかと思う程に熱い。


「もしかして、これが恋ってやつかなぁ……」


 いや知らん。知りませんて。そんな特殊なルートを進む恋路は存じておりません。普通のルートすら知らないからねこっちは。

 でも多分、今の彼は答えを欲している。イエスかノーか、はたまた別の真理か。何か答えなきゃ、何か、何か……!


「うん、まぁ……もしかしたら? そうかも……しれないすね」


 変態公爵の勝手な盛り上がりについて行けなかった私は、「とりあえず肯定しておけ」という本能に従い無責任な答えを返した。

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