山男ーヤマオトコ

sorarion914

 都会に疲れた人間が、田舎暮らしに憧れる。

 それはよく聞く話だ。


 毎日仕事に追われ、人間関係に疲弊し、雑踏や騒音に身をさらしていると、時折ふと、


 ——誰もいない世界に行きたい……


 と思う事がある。

 かくいう私も、そんな一人だ。


 20代の頃は、仕事もプライベートも充実しており、気力体力ともに申し分なく、独り身の身軽さから好き勝手に遊んでいた。

 30を過ぎた頃、結婚を考えた相手と良い所までいったが……結局身を固める決心がつかず、自然消滅。

 そのまま独身街道を突っ走り、40を過ぎた頃、ふと思うようになったのだ。

 誰もいない世界に行きたい――と。

 世界というと少し大げさだが、要は1人で静かな環境に身を置いて、のんびり暮らしたい、というささやかな望みだ。



 誰にも邪魔されず、好きな事をして生きていけたら。



 恐らく、これに勝る贅沢は無いのではないか……

 とはいえ、生活するためにはお金がいる。

 最低限の収入を確保するための仕事も。


 現実はそこまで甘くない。

 夢は夢のまま――そう思っていたが。


 ある日私の元に、叔父が死んだと知らせが来た。

 幼い頃に会ったきり、久しく会っていない。

 その叔父の事を、私は思い出した。


 叔父はいわゆる【山男】だった。

 死ぬまで独身を貫き、暇さえあれば山に登っていた。

 昔、遊びに行った叔父の家は平屋の狭い借家だったが、部屋中に登山土産のペナントが貼られ、撮影した山の写真が至る所に飾られていた。

 玄関には登山用の靴や杖。それに現地で拾ってきたのだろうか?

 掌に乗るくらいの石が、たくさん積まれていた。

 土産物や記念品も所狭しと置かれており、私の目にはそれが宝の山のように見えた。

 叔父は人づきあいが苦手で、50を過ぎた頃、地方の一寒村に家を買い、そこで暮らしていた。

 一度父が、「あの人はまるで世捨て人だ」と言っていたが……


 その叔父が住んでいた家を、処分する前にどうしても見たかった私は、身内の了解を得て訪れることにした。


 寂れた山間の一軒家。

 中に入ると、かつて見たのと同じ光景が広がっていた。

 たくさんのペナント。たくさんの写真。たくさんの土産物。

 そしてたくさんの石。

 叔父はずっと【山男】のままだった。


 本当は帰るつもりでいたが、私はここで一晩明かそうと決めた。


 叔父は贅沢をせず、つつましく生活をしていた。

 必要最低限の家財道具に、必要な分だけの食糧。

 夜の静けさは格別だった。恐ろしいほどに。

(さすがに、少し怖いな……)

 明かりを消したら、恐らく漆黒の闇だろう。

 あれほど、静かな所で1人になりたいと思っていたのに――

 我儘な自分に苦笑して、私はその夜、眠りについた。




 どのくらい経った頃だろう?




『ごめんください……』

 という声がして、私は目を開けた。


『ごめんください……』

 という低い声が、玄関の方から聞こえてくる。

(え?こんな夜更けに誰だ?)

 私は時計を見た。深夜0時を回っている。


 訪問者ではない。

 そう思うと怖くなって、私は布団をかぶると無視を決め込んだ。


 それでも、『ごめんください』という声は、相変わらず玄関から聞こえてくる。

 黙ってジッとしてると、『ごめんください』の後、こう続いた。

『借りたものをお返しにあがりました』


 借りたもの?


 私は布団から身を起こした。

 ――もしかしたら。

 叔父が死んだことを知らず、毎晩訪れていたのではないか?

 今夜たまたま明かりがついていたのを見て、慌てて訪ねてきたのかもしれない。

 田舎の時間や習慣が分からない私は、こんな夜更けでも人が訪れることがあるのかもしれないと……そう思って、恐る恐る玄関の方へ歩み出た。

 玄関の引き戸に填められた擦りガラスの向こうに、人の姿があった。

 明かりの下にぼんやりと佇んでいる。

 その様子から、男だと分かった。

 黄土色の、繋ぎの様な服を着て見えた。同じ色の帽子も被っている。

「どちら様ですか?」

 私は意を決して声を掛けた。

「叔父に会いにいらしたのであれば、もうここにはいません。叔父は亡くなりました」

 私がそう言うと、玄関の向こうに佇む人影が、微かに揺れた。

「叔父が何かお貸ししたのでしょうか?でしたら、そこに置いておいてくれませんか?明日の朝、確認しますから」

『……』

「今夜はもう遅いです」

 申し訳ないですが――そう言おうとすると、『分かりました』と返答があり、『では、ここに置いておきます』と言った。

 人影がしゃがんで、何かを置く仕草をした。

 そして『ありがとうございました』と呟くと、そのまま明かりの外へとゆっくり消えていった。

「……」

 私はしばらく引き戸を睨んだまま、じっとしていた。

 無意識に握っていた拳を開くと、大量の汗をかいてた。

 男が立ち去った気配を確認すると、私は静かに玄関の引き戸を開けた。

 男の姿は、もうなかった。

 代わりに、足元を見て私はハッとした。

 そこに置かれていたのは、石が一つ。


 玄関に積まれていた石と同じ大きさ。

 同じ形の石だった。


(これが、叔父が貸したもの?)


 意味が分からず、私は石を手にしたまま、暗い表を見つめていた。





 ———叔父の納骨を終えた後。

 私は不思議な話を聞いた。

 誘導石ゆうどうせきという石の話だ。

 どんなに遠く離れた所に置いても、必ず元あった場所に戻ってくるという石。

 それを渡された人は、必ず石の持ち主の元へ行くのだという。

「何に使うんですか?そんな石を」

 半信半疑で聞いた私に、その人は言った。

「道に迷ったモノにそれを渡せば、自分の元に引き寄せることが出来る。そうすれば正しい場所に還すことができる。つまり、させることが出来るという事ですよ」

「……」

「例えば……山で迷ったモノに渡せば、下山させることが出来る。下山できれば、還る場所が見つかりできる」

 その人はそう言って、袈裟の前で両手を合わせた。


 そうか……


 私は頷いた。

 あの石は、叔父の誘導石だったのだ。



 叔父は山に登ると、そこで出会ったモノに、あの石を貸していたのだろう。

 無事に山を下りた彼は、あの夜、それを返しやってきたのだ———



 彼は無事、のだろうか?




 私は一抹の不安を感じたが、

『ありがとうございました』という呟きから、きっと大丈夫だと確信した。



 自分に、叔父と同じことが出来るか分からないが――

 誰にも邪魔されず、好きな事をして暮らす。

 そんな世捨て人の生活を夢見て。





 私は今日も、石を持って山に登っている。




 ……END

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

山男ーヤマオトコ sorarion914 @hi-rose

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ