第51話 カタツムリの文化祭まで
夏休みが終わった。今日は9月1日。休み明け初日。
あの突然の遭遇の後、口牙さんに出会うことは一度も無かった。
僕から会いに行くことも、もう無いだろう。僕がこうあって欲しいと思い描く
もちろんあれが彼の全てだったとは思わない。
僕に対して吸血衝動以外の感情だってあるだろう。ただ、それはあの時の彼からは感じ取れなかった。見えなかった。
そしてそれは僕に見える見えない以前に、他人には分からなくて当然なんだ。他人が何を考えているのかなんて分からない。
行動からしか推測することが出来ない。
そして彼の行動は、社会的に許されるものでは無かった。
一度でも無理やり血を吸われそうになれば、僕は信頼することが出来ない。
だからもう会わない。
寂しくはあるし、申し訳ないとも思う。けれど、一縷の望みを持って会いに行っても、嫌な思いをするだけだろう。僕にとっても彼にとっても、その先に光り輝く希望に満ちた未来があるとは思えなかった。
そう決意して、夏休みを過ごした。
その決断が正しいと信じていた。
『次のニュースです。◯◯県〇〇市で発生した夏休み中の小学生男子児童の誘拐未遂事件について続報です。容疑者は
テレビの中のキャスターが無慈悲にその名を告げる。まるでなんでもないことのように。
近所で事件が起こったと、昨日の夜に聞かされてから気が気でなかった。
誘拐されかけたつむりの同級生は、僕も知っている子だった。無事で良かったねと、昨日の夜はつむりに声をかけた。心からの言葉だったかと言われると自信はない。
事件の内容が内容だけに、その可能性は考えていた。どうか別人でありますようにと、願うことしかできなかった。
母のスマホが鳴るたびに集まってくる情報は、じわじわと僕の心を蝕んで行く。男、大学生、21歳。PTAの情報網は、下手するとマスコミよりも広いんじゃないだろうか。そう思わざるを得なかった。
最初は他人であることを願って母に情報をねだった。少しずつ明らかになるにつれて、僕は訊くのをやめた。訊いてしまった瞬間に、それが確定するのが怖かったんだ。
多分昨日のうちに、母は名前を知っていたんだと思う。
⬛︎
「僕があの時、最初の一口を許さなければ、彼が犯罪を犯すことはなかったのかもしれません」
放課後の部室で、何度も懺悔を繰り返す。
マイさんも、カリンさんも。何も言わずに僕の泣き言を聞いてくれている。
「それとも、僕があの時、血を飲むことを許していれば、結果は変わっていたかもしれません」
こんなことに意味はない。自分の辛さを他人に背負わせて楽になりたいだけだ。でもそうせざるを得ないくらい僕は膨れ上がって、今にも弾けそうだった。
「小学生の男の子は怖かったでしょうね。僕が最初に……」
「違うよ」
「……僕が最初に彼に頼らなければ、男の子も、彼も、こんな結果にはならなかった」
「違います」
「謝りたいんです。手を取ってしまってごめんなさいと。でも、僕が彼に会いに行ったら、彼の罪が増えてしまう。謝ることすら、彼に取っては迷惑になってしまう」
僕には何も出来ない。何もしてはいけない。
「彼に謝ることが出来るのも、彼を許してあげられるのも、彼にお礼を言えるのも、僕だけなのにっ!何一つ、今の僕には出来ないんだっ!」
柄にもなく大声をあげる。休み明け初日の、ほとんど誰もいない西棟に、僕の叫びが響き渡る。
叫んだところで、何一つ楽にはならなかった。
「……ヌルくんは、その人に何かしてあげたいんだね?自分の気持ちを伝えたい。その結果、彼がどう受け取るかは分からないけれど、まずは気持ちを伝えたいと、そういうことだよね?」
マイさんが僕の手を取って、丁寧に、割れ物を扱うように優しく訊いてくる。僕は俯いたまま、小さく頷いて返事を返す。
「それなら、私たちはすでにその手段を持っているよ」
「……手段?一体どうやって……」
「忘れたの?ここは異文研。活動の主な内容は文集を出すこと」
「ああ、そういうことですか。まいの言いたいことが分かりました。私も手伝いましょう」
カリンさんは手段の内容に思い至ったようだ。僕にはまだ分からない、心当たりがない。
「そうと決まれば、文集を見直そうか。必要があれば番外としても良いし、新しく物語にしても良いかもしれない。取材は終わっているんだから資料ならある。登場人物の心情だって記録が残ってる」
そこでようやく、マイさんが何をしようとしているのか理解した。
「フィクションなら何を書いたって良いんだ、都合の良い結末を書こうよ。自分の体質に悩む主人公と、それを救う小さな友達の話とかさ」
⬛︎
10月。文化祭。
異文研の主な活動内容は文集の作成だ。予定通りに、今年も文集は発行した。
内容は堅苦しい。種族の特徴や性質を纏めて、他種族との関わりについて記して、角が立たないような無難な内容に編集する。都合の悪いところはぼかすし、解決しようのない問題については見て見ぬふりもする。作っている本人たちは大真面目でも、きっと10年後、押し入れから引っ張り出して改めて見れば、笑ってしまうくらい子供じみた内容だろう。
でも、今の僕たちは本気でこれを作ったし、誰かに読んで欲しかった。作ったものを誰かに読んでもらって、少しでも知って欲しかった。知ってもらうことで、特定の種族に対する偏見や不理解を無くしたかった。
今年は人数が少ないから、ステージを使った発表はしなかった。文集を各所に配布しておしまいだ。
でも今年だけのものもある。残念ながら配布はしていない、身内で読むだけだ。
短い、5万字の中編小説を、なんとこの僕が書いたのだ。小説を書くなんて初めてで、何から何まで分からないことだらけだったし、文化祭までの期間は1カ月しかない。厳密に言えば文化祭に間に合わせる必要はないけれど、出来上がった小説を、どうせなら文集とセットで送りたかったから、僕は死に物狂いで構成を考え、キャラクターを作り、キーボードを叩いた。
必死で書き上げた原稿を編集担当のカリンさんに見せると、不満そうな顔でボツを出された。人の血を求める主人公の気持ちを、僕は理解できていないらしい。その他にも多数添削が入る。
「ここまで認識に齟齬があるとは思いませんでした。何ですかこの表現は、『鉄臭い、小麦粉でドロドロの、味のしないカレールーを飲んでいる感じ』こんなの不採用です」
「本人がそう言ったんですよ!」
「これはフィクションです。もっと美味しそうな表現にしてください。『3日間、飲まず食わずの限界状態になってから、喉越しの良い水を口にしたような感じ』これでどうでしょうか?」
「それはカリンさんが食べた僕の味の感想ですよね!?」
そんなこんなで執筆と添削を繰り返して、やっとこさ校了に至った原稿を印刷し小さな本が出来た。僕は出来上がった本と文集を、纏めて専用の紙袋に包装して、コンビニの店員に預ける。
送り先は県内の拘置所だ。
内容が内容なので、検閲で弾かれるかもしれないという不安はある。
なんて言ったって、小説の内容は都合の良いifストーリーだ。小学生は大学生を受け入れるし、大学生は犯罪者にはならない。犯罪教唆と捉えられるかもしれない。
でも今の僕が、彼に気持ちを伝えられる唯一の手段だ。
僕は他人の感情が分かるけれど、他人は僕の感情が分からない。
だから伝える。この本に僕の思いを込めて。彼に知って欲しいから。
願わくば、この本が無事に彼の元に届きますように。
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