第50話 カタツムリの拒絶
夏休みに入った。
今日も学校へ行き、夏休みの課題を進め、マイさんとカリンさんと一緒にお昼を食べてから、おやつとして食べられる。そんな健全な中学の夏休みを謳歌する予定だ。
……健全なはずだ。
朝、学校に向けて家を出る。ジリジリと夏の陽射しが僕の肌を焼く。この頃はこの時間帯でも充分に気温が高いので、油断しているとすぐに水分不足で具合が悪くなる。ペットボトルの水を一口、口に含んでこくりと飲み下す。
そう言えば、暑さでは全く比較にならないけれど、マイさんと出会ったのも、天気が良い、陽射しの強い日だった。そう、確かちょうどこの辺りで水を飲もうとしたけれど水がなくて……。
「ヌルミチくん」
懐かしい声が聞こえて来た。つい3カ月前まで聞いていた、そしてそこからは繋がりが途絶え、最近はどんな声だったかもうろ覚えになっていた声。
声のした方に振り向くとそこには、僕が想像した通りの人物がいた。
小学校から2年間、僕と親しくしてくれた、かけがえの無い僕の友人。3カ月前に突然別れを告げられて以来、面と向かって話をすることがなかった彼がそこにいた。
『ボクたちはもう、会わない方がいい』
彼からそう言われて、部屋から一方的に追い出された。
その後も駅で何度か遠くから姿を見かけて、目が合うこともあった。でもそれだけで、彼はいつも何も見なかったようにして去っていった。
『ボクはキミを無理やり襲いたくない。キミだってボクを犯罪者にしたくないだろう?』
別れる時の彼の言葉だ。
僕を傷つけない為に、僕との関わりを自分から絶った口牙さんが、今、僕の前に再び姿を現して、こうして声をかけてきた。
「久しぶり、元気にしていたかい?」
「……お久しぶりです、口牙さん」
複雑な気持ちだ。
こうして久しぶりに挨拶を交わすことが出来た嬉しさ。
あの時一方的に別れを告げられたことへの怒り。
これまで親しくしてくれたことへの感謝。
……でも、僕が今強く感じているのは、困惑だ。
どうして今になって僕の前に姿を現したのか。
身体中から、赤と黄色と黒のモヤが溢れている。まるで国旗のようなオーラを纏って、僕の前に現れた。口牙さんがどういう考えで、再び現れたのか、その意図が分からなかった……いや、察しはついている。認めたくないだけだ。
「夏休みなのに制服を着ているんだね」
口牙さんは、これまでのことなど何もなかったかのように世間話を振ってきた。喧嘩した後しばらく経ってから、関係を修復する為に間合いを測っているような。それに僕はどう返せば良いのか少し悩むも、取り敢えずは話を合わせることを選んだ。
「部活に入ったって言いましたよね?部室で課題を進めているんですよ。エアコンが効いていて涼しいんです」
「年々暑くなるばかりだからね、ヌルミチくんは夏が嫌いだと言っていたよね?種族的に苦手だからってさ」
「そうですね、汗というか、体表の水分が蒸発しやすいので苦手です。すぐに乾いちゃいますから」
「お互い種族特性に振り回されて生きづらいよね」
中身のない会話だ。以前にもしたことのあるような、既視感のある話題。久しぶりにあった2人の間でわざわざするようなものじゃない。これは僕から核心に触れた方がいいのだろうか。どう話しかけようか考えていると、向こうから予想外の言葉をかけられた。
「どこか涼しい所で話をしたいな。僕の部屋に行かないかい?美味しいケーキもあるよ?」
察しはついていた。どうして僕に近づいたのか。
そういう、意味なんだろう。ケーキと引き換えに、吸わせてくれ。彼は僕にしか分からない誘い文句で、要求している。血を飲ませて欲しいと。
……かつて、2年前、この街に引っ越してきたばかりの、友達が出来ずにいた僕に、彼はどんな意図があって声をかけたんだろうか。
そして今、何を考えて、再び僕に接触して、同じように声をかけてきたんだろうか。
それを理解してしまった。
……彼は、マイさんとは違う。僕は今確信を持ってしまった。知りたくなかった真実に気づいてしまった。
いつの間にか彼から立ち昇っていたモヤは帯になって僕にまとわりついていた。赤と黄色が僕の首を締め付ける。首を離れて、ワイシャツを脱がそうとするかのようにボタンに先端を擦り付ける。
一色だけ、不安を現す薄い黒だけが、彼から離れずにいる。僕はそれを見て、どうしようもなく悲しくなり、俯いた。
「……恋人が出来ました。学校の先輩です」
「……」
「まだ未分化の僕に恋人なんて不相応かもしれない。彼女たちのことが好きだと僕は確信を持って言えるけど、口だけで、体はそれを証明してくれない。本当に好きなのか、僕はまだ確信を持てていない」
マイさんもカリンさんも好きだ。でも僕には自分の色が分からない。分化もしていない。だから絶対とは言えない。
「でも、その逆なら確信が持てるんです。彼女たちは僕のことが好きだ。間違いなく。理由は言えないですけど、僕にはそれが分かる」
桃色は好意だ。マイさんもカリンさんも桃色。疑う余地はないし、態度にも現れている。そして。
「分かるんだ。あなたは、口牙さんは僕のことを見ていない。今のあなたが見ているのは僕じゃなくて僕の血だ。そして僕が体を許したのは、あの日、僕を心配して欲望を耐えた優しい口牙さんだ」
あの日の彼になら血を与えられる。だけど今の彼にそれをしてしまったら、僕も彼も、それこそ本当の意味で別れることになる。辛かったけれど、得るものがあった別れとは違う。
「……だから……」
俯いて、それでも最後の言葉を口にしようと、僕が顔を上げた時、両肩を軽い衝撃が襲った。
「一口だけ、一口だけでいい、血を、キミの血じゃないとダメなんだ……」
目を見開いて、眉を顰めた鬼気迫る表情の彼が僕の肩を掴み嘆願する。
「輸血パックじゃ、もう喉を通らないんだ。ある程度の信頼関係がないと。取材の時に言っただろ?昔友達の血を飲んで、そこからおかしくなったって、体が覚えているんだ、あの時の味を。脳を満たすような幸福感を!」
ガクガクと肩を揺さぶられる。豹変した彼の様子に面食らって、僕の体が石のように硬直する。
「落ち着いてくださいっ!」
「2年も!君の血だけを飲んで、今更辞められるわけないだろっ!」
住宅街のど真ん中で、彼が大声で喚き散らす。
ああ、もうダメだ。これ以上騒いだら、警察が来てしまう。既に周りの家の窓から様子を伺う姿が見える。このままでは……。
「っ、ごめんなさい!!さようなら!!」
他に手はなかった。肩に置かれた手を振り払って、僕は逃げ出した。僕が彼にしてあげられることはそれだけだった。
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