第49話 カタツムリの休み前

 季節は進んで、1学期の最終日。僕とマイさんは部室で夏休みの計画を練っていた。


「夏休みの間、部室は開放されるんですよね?」


 自販機で買ったレモンティーをストローでちびちびと飲みながら、向かいに座るマイさんに話しかける。


 地球温暖化の影響色濃く、今日も外気温は40度近い。僕のような暑さに弱い種族にとっては死活問題だ。定期的な水分補給は欠かせない。


「うん、鍵はいつも通り職員室で借りればいいよ。何時に集まろうか?」


 ありがたいことに、こんな部員2人しかいない弱小研究会にもエアコンは設置されている。建物の中にいるうちは熱中症で倒れることもないだろう。


「早めに課題を片付けたいので、普段通りの登校になりますね、少し遅くしても8時30分には来たいです。家だとつむりがいるので集中出来ないですし」


「お昼はどうするの?」


 どうしようかな。カリンさんの夏期講習が午前中で終わってその後部室で合流するから……やっぱり部室で食べた方がいいかな。つむりも夏休みで学校が無いから、昼ご飯を作る母さんとしては僕も一緒に家で食べた方が手間が少なくて都合が良いんだろうけど。


「母と相談ですけど、ここで食べると思います。弁当を作ってもらうか、どこかその辺で買うかですね」


「じゃあ私が作る!」


 マイさんが?いいの?


「嬉しいんですけど、いいんですか、大変ですよね?」


 普段カリンさんが料理をしているみたいだし、大丈夫かな。


「がんばる!楽しみにしてて!何か苦手なものはある?」


「酒精の強い漬物とかはあんまり得意じゃないですけど、他には特に。種族的にどうしてもキャベツやレタスは食べないといけないので、それは僕が持ってきます。結構荷物になるので」


「分かった。彼氏のお弁当作るのって緊張するね」


 嬉しいけどあまり気負わないで欲しいな。


「マイさん、楽しみにしてるんですけど、美味しく食べるためにも、量には注意してくださいね。くれぐれも重箱5段とかで持ってこないように。それからマイさんは自分の分は少なめにした方がいいですよ。おやつが食べられなくなっちゃいます」


 前につむりが一瞬だけ料理にハマったときに、バカみたいな量のチャーハンを父さんと2人で悲鳴をあげながら食べたことがある。何事も適量が大事だ。


「心配しないで。お泊まりの度にヌルくんの胃の大きさは確認してるから。それに私の胃の大きさも大丈夫だよ」


 えっへんと、自慢するように胸をのけ反らせている。


 僕の腕を一度に結構な量を食べるから、食いしん坊なのは間違いない。


「食いしん坊ですからね」


 僕は自身の手のひらを眺めながら言う。


 サインだ。食べて欲しい。いいですか。


「ヌルくんだからだよ」


 マイさんが僕の手を取る。


 サインだ。食べてあげるよ。


 僕が隠している願望を、マイさんも、カリンさんも、付き合ってからある程度期間が経って、理解し始めた。


 僕は自分からは食べて欲しいと言わない。たまに口にするけれど、おふざけの範疇に留める。本気で願望を口にしてしまうと、僕も、2人もタガが外れてしまう。


 2人には気づかれてしまった。僕が死ぬことを受け入れられるくらい、2人に食べられたがっていることに。


 僕が暴走すると、2人は傷つく。だから我慢するけれど、発散したいときもある。そんなときに、手を眺めながら、食べることについて関係する単語を口にする癖が付いた。いつのまにか2人はそれを察して、僕の手を取るようになった。


 そしてそんな時は、2人は僕を思い切り虐めてくれるんだ。


 僕の歪んだ願望を、2人は優しく受け入れてくれた。言葉ではなく態度で示してくれた。


「ヌルくん、私お腹が空いたの。食いしん坊だから」


 あくまでも、誘うのは彼女からだ。


「仕方がないですね、良いですよ」


 僕が与える側という体裁を崩さない。


 本当は与えられているのは僕だ。2人に依存している。


 ベッドへと向かう。3人の匂いが混ざったいやらしい寝台。今となっては、食卓と呼ぶのが相応しいかもしれない。


 ベッドに横になった僕に、マイさんが覆い被さり、手早く僕の服を剥ぎ取る。

 上半身に何も纏わない状態の僕を見て、マイさんが舌なめずりする。


「今日はどこにしようかな」


 尖った爪先で僕の肌を薄く引っ掻く。


「ここかな?」


 左の二の腕。


「ここかな?」


 右肩。


「それともここにしようかな?」


 僕のお腹を広範囲に一撫でする。爪先で薄く、大きく傷つけられて、みみず腫れができ、僕のお腹に赤い円が浮き上がる。


「いっ」


 浅いとは言え傷だ。場所も良くない。思わず声を漏らしてしまう。


「ここが良さそうだね」


 にちゃあと悪い笑みを浮かべて、マイさんが今日のメニューを決めた。


 爪で傷つけてできた円を、マイさんは舌先でなぞって行く。未だ僕は痛覚を切っていない。舌先から唾液が傷に染み込んでいく。再度円状に痛みが走る。


 痛みの中で、僕は別のことを考えていた。


 この円は、この範囲を食べるよという僕への合図だ。範囲は分かった。でも深さは?どこまで食べてくれるんだろう。どこまで食べられれば、戻れなくなれる?


 内臓に牙を立てて欲しい。そうすれば僕はもう我慢しなくても良くなる。


 いやダメだ。今日はカリンさんがいない。カリンさんがいる時じゃないと、みんなで幸せになることができない。僕とマイさんだけ良くなっても、仲間はずれのカリンさんが可哀想だ。


 今回も我慢しよう。我慢した分だけ、いつかきっと報われるはずだ。


「聞いてる?」


 問われて、意識が別に向かっていたことに気づいた。マイさんが僕を見ているけれど、あれ……なんか怒ってる?


「今、カリンちゃんのこと考えてたでしょう」


 図星だった。まずい、誤魔化そう。


「マイさんと初めて会った時のことを考えています」


 嘘ではない、今考えているからね。


「あの時のヌルくんは、水不足でよわよわだったね」


 よし、ちょろい。さすがマイさんだ。


「マイさん、あの時は水をくれてありがとう。それでさ……」


「なあに?」


 ベッドのすぐ横のテーブルに置いてある、飲みかけのレモンティーを見ながら言う。


「喉が渇いちゃってさ、飲ませてくれないかな」


「しょうがないなぁ」


 マイさんはレモンティーを手に取ると、ストローを口に咥える。そして僕の唇を奪って、飲ませてくれた。


 こくりこくりと喉を鳴らして、酸味のある液体を嚥下する。レモンティーが全て僕に移っても、なおも液体を流し込まれる。マイさん由来のそれは、レモンティーなんかよりもよっぽど、僕の喉を潤す。こくり、こくりと、喉を通って僕の体に染み渡る。


 好きな相手の一部を受け入れるのは、気持ちいい。僕がそうなんだから、マイさんも気持ちいいんだろうな。僕もしてあげたい。マイさんを気持ちよくしてあげたい。


 口伝いに僕からも流し込む。重力に逆らうだけの勢いを込めて、送り込む。意図を理解してくれたようだ。マイさんも吸い上げてくれる。受け入れてもらうのも、気持ちいい。


 名残惜しいけれど、いつまでもこうしてはいられない、僕の方から口を離す。


「ありがとう、美味しかったよ」


「うん、わたしも美味しかった、ありがとう」


 世の中の中学生は、恋人とどの程度のコミュニケーションをとっているんだろう。


 僕たちは肉体を食べるところから関係性がスタートしているので、肉体的な接触のハードルが相当低くなっていると思う。恋人関係になってからは、キスを頻繁にしているけれど、口移しはレベルで言うとどのあたりなんだろう。10段階で下から4番目くらいだろうか。


 別に周りと比較して進んでるとか遅れてるとかで自分たちの順位を確認したいわけじゃない。どうせ僕たちは3人4脚で、普通の恋人たちと競技自体が違うから比較する意味が無い。


 ただ、他人に彼女とはどこまでいってるのと聞かれることが最近増えたので、模範解答を用意しておきたいのだ。「キスまではしたのか」と問われたら、うんと答える。答えたら「どんな感じ」と深掘りされるので、そこで解答に詰まってしまう。「口移しとかして楽しんでる」と言って引かれないだろうか。


 キスのその先はしたのかと問われれば、詳細は語らずに「僕は未分化だから」と言えば誤魔化せるけど、キスについては誤魔化せない。僕は嘘が下手なので、「なんかふわっとする」なんて、ふわっとした回答しか出来ない。どう答えるのが正解なんだろう。


 僕がまた思考に耽っていると、いつのまにかマイさんがお腹に顔を寄せて食事を始めようとしていた。急いで痛覚を軽減させる。痛すぎるのは僕も嫌だ。ちょっと痛いのは、食べられていることを実感できるので嬉しかったりする。


 マイさんが僕のお腹に牙を突き立てる。ずぷ、とゆっくり食い込む。消化液が少しずつ流し込まれる。


 これから食べられてしまうのを実感する。不安と恐れが湧き上がってくるけど、それらより何倍も大きい期待に塗りつぶされる。


「マイさんになりたい」


 思わず溢れる。言ってから失言だったことに気づき、焦る。


「ごめん、失言だった、忘れて」


 消化液の注入途中だというのに、マイさんが僕のお腹から牙を抜く。


「いいんだよ、気にしないで。3人で頑張ろうね」


 本当に、僕には勿体無いくらい出来た人だ。


 僕は今、マイさんに我慢させた。僕が我慢しきれずに願望を口にしてしまったせいだ。


 食べたい2人と、食べられたい僕。微妙なバランスを崩さないように足並みを揃えなければいけない。転んでしまったらそれで終わりなのだから。





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