第30話 カタツムリと運動会

 今日は運動会だ。


 運動会といっても、実際は仮想空間で体を動かすため、肉体が疲れたり、怪我をしたりすることはない。身体能力はスキャンされた際の筋肉量や体格などを参照してゲームにインプットされるため、リアルとの齟齬が生じることも無い。


 3週間前、僕とマイさんは2人で組んで運動会に参加しようねと約束して、以降僕はそのつもりでスズキとザトウの誘いを断った。だけどその約束は、僕の知らないところでマイさんによって反故にされていた。


「聞いていないんですけど」


「言ったよ、幼い頃の話とはいえ、ヌルくんは覚えていないんだね、悲しいな」


 まるで幼少の頃の約束を僕が破ったみたいな言い方をするが、絶対にそんな約束はしていない。


 僕が幼児退行しているときに言ったんだね。


 最近のマイさんは、強引さと小賢しさを隠さなくなってきた。僕との距離が近づいて、自分を曝け出してくれるのは嬉しいんだけど、困惑する機会が明らかに増えて、僕としては対応するのに疲れるから限度を弁えて欲しい。


「別に困ることはないでしょう?親睦を深めるチャンスだよ、夏休みに向けてね」


「困ることは無いんですが、驚くのは嫌なんですよ。心の準備というのがあるんです。僕はアドリブが利かないので」


「カリンちゃんと私で両手に花なんだから、文句を言うのは欲張りだよ」


 そう、マイさんとカリンさんと僕の3人組で参加登録されていた。


 カリンさんが気に食わないわけではない。むしろこの間の感触的に、悪くないと思っている。


 ただ僕は今日の勇姿を、マイさんの親御さんと僕の親だけが見る想定でいたのだ。僕の見せ場とマイさんの見せ場を上手いこと作らなきゃと考えていたところにカリンさんの参戦だ。ホールケーキを2等分するのは簡単だが3等分は難しい。ていうか無理です。


 もうなるようにするしかないだろう。教育委員会がバランスをとることを諦めたイベントだ。僕も運に身を任せるしかない。


 僕が黙って会場入りすると、マイさんも後ろからついてくる。僕から入ったはいいが、中学校の運動会は初めてなのでどこに向かえばいいのか分からないし、ここは素直に経験者のマイさんに頼ろう。


「どこに行けば良いんですか?」


「付いてきて、まずはカリンちゃんと合流するから」


 言われて、僕はマイさんに従って後を追う。マイさんは僕に手を差し出して、手を握るように僕に圧力をかける。エスコートのつもりだろうか。


「普通逆だと思うんですけど」


「そう思うなら、早く立派な紳士になって下さい」


 手を取らなければいつまでも動きそうにないので、嫌々ながら手を重ねる。幼い子が迷子にならないように手を繋いでいるみたいで、僕のコンプレックスを刺激する。それに単純に気恥ずかしい。


 手を繋ぎたかっただけなんだろうけど、マイさんは上機嫌で僕を連れ回す。独占欲や所有欲は強いくせに、カリンさんに僕を差し出すのにも意欲的だったりして、僕にはマイさんがよく分からない。


 連れ回された先で、長い廊下に小さな個室が何部屋も並んだ区画にたどり着いた。廊下を進むと、進んだ先でカリンさんが待ちぼうけしているのを見つけた。


「もう始まりますよ、早く中に入りましょう」


「そうだね、029号室、ここが私たちの愛の巣か」


 僕は突っ込まないぞ。


 カリンさんもマイさんを無視してさっさと中に入る。


 中に入ると、8畳くらいのスペースに、カプセルベッドが3つ並んでいる。他には何もない、シンプルな部屋だ。


「私が1号機、お嬢様が2号機、彼氏さんが3号機です。入ったら案内に従っていれば勝手に始まりますよ」


 カリンさんが先んじてカプセルに入る、僕も習ってカプセルに入ろうとするが、マイさんが手を離してくれない。


「マイさん?」


「キスしたい」


 なんで今?


「良いから早く始めますよ」


 でもマイさんは手を離してくれない。


「3時間も隣にいるのに、手も握れないのは嫌なの」


「ゲームを始めれば手くらい握ってあげますよ」


「ゲームの中でキスして良いなら諦める」


 親が映像を見るんだぞ、正気か。


「本当にわがままで困ったお嬢様だな」


 時間がないのでさっさとゲームの中に入らなければいけないのに。


 仕方がないのでマイさんを抱き寄せて、強引に唇を奪う。


「さあ、手を離して下さい」


「足りない」


 この人どうにかしてくれ、カリンさん助けて!


 引き続きキスを続ける。腰に手を回して体を密着させて、マイさんの唇を僕の唇で挟むようにして弄ぶ、マイさんが舌を突き出してくるので吸い上げて、戻す時に僕の唾液をついでに送り込む。マイさんが美味しそうにそれをこくりこくりと嚥下している隙に僕は手を振り払ってカプセルに逃げ込んだ。マイさんが文句を言っているような気がするが知ったことじゃない。諦めてカプセルに入れ!


 渋々とマイさんがカプセルに入って、ようやくゲームが始まった。


 周囲は巨大なスタジアムのようになっており、床は双六盤になっているんだろう。大きく『スタート』と書かれている。僕の他にはマイさんとカリンさんだけしかいない。


 カリンさんに近寄って話しかける。


「見てましたよね」


「……」


「お宅の娘さんはどういう教育をすればあんな育ち方をするんですか?」


「……」


「まさか実力行使で強引に愛の巣を作り上げてくるとは思いませんでしたよ」


「……申し訳ありません」


「ちょっとヌルくんあれはないよ、不完全燃焼だよ!」


「あそこで完全燃焼するわけにはいかないでしょ!カリンさんも見てるのに!」


「どうせカリンちゃんもそのうち混ざって組んず解れつするんだから早いか遅いかの違いでしかないよ!」


「こんなこと言ってますけど?」


「もう記録始まってます。終わりです、何もかも」


 カリンさんが頭を抱えている。僕も頭を抱える。


「明日は休みだからヌルくんはお昼過ぎたらウチに遊びにきてね、カリンちゃんもおやつ楽しみにしてるんだからね!」




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