第16話 カタツムリは別れる

 今日は、人を探して家の近所をぶらついていた。昨日の来客の件があって、部室に1人でいるのが嫌だったというのもある。早くマイさんが帰ってきてくれればと、切に願っている。僕1人では怖くて対応できない。


 お目当ての人が見つからず、仕方ないので公園でベンチに座って文集の続きを読む。共生関係の2種族の考察が面白くて、ページを捲る手がとまらない。自分の知識が、世界が広がっていくのは楽しい。


 ケヤキの大木が作る木陰でのんびりと本を読んでいると、馴染みのある声が、僕に話しかけてくる。


「やあ、少年、美味しいアメをあげるからおじさんと楽しいところへ行かないかい?」


「口牙さんが言うと、冗談にならないですね」


 文集を閉じて顔を上げる。唯昼 口牙さんが、にこにこと笑みを浮かべて僕を見ていた。


「おじさんっていう歳でもないでしょう」


「不審者はおじさんって相場が決まっているんだよ」


「じゃあ、飴を食べたいのでおじさんについて行くことにします。ちょうど、口牙さんに用事があって、探していたんですよ」


 ここでこうして本を読んでいれば、見つけてくれるかもしれないと思っていた。想定通りに事が進んでくれて都合が良い。


「ボクに用事とは、どういうことかな?」


「部活に入ったんですよ」


「なるほど、そういうことか……いやどういうことかわからないよそれだけじゃ」


 ノリツッコミとかする人だったんだ、口牙さんて。


「まずはエスコートしてください。いつものように」


 僕が手を差し出すと、目を見開いて驚いたあと、口牙さんが手を取る。いつものように。


「なんていうか、雰囲気が変わったね」


 2人で歩いて、口牙さんの家に向かっている最中、言われた。


「どんなふうに変わりましたか?」


「積極的になったというか、Sっ気が出ているような気がする」


 図星だったので、ドキッとした。すぐにバレてしまうほど、僕の言動が分かりやすく変化しているのであれば、ちょっと抑えた方がいいかもしれない。


 変化した理由は、マイさんと関わりを持ったからだろう。マイさんを言葉責めするのが楽しくて、僕の性格に変化が生じているんだと思う。


「そういうキミもいいね」


「不審者っていうか変質者っぽいですよ」




 ◽️◽️◽️




「異種族文化研究会?」


「『多様な種族の共同生活に伴い発生しうる、軋轢と誤解を防ぐための、各文化の認識、理解、および研究と周知』が活動内容です」


「なんて?」


「詳しくはこちらをご確認ください」


 冊子の目次に活動内容が書いてあるので、開いて口牙さんに渡す。


 口牙さんが冊子に目を通す。冒頭の何ページか、斜め読みして、僕に返す。


「つまり、ボクを取材したいということで良いのかな?」


「ご協力お願いします。匿名で構いませんので、録音もさせて欲しいです。僕以外の誰にも、名前はわからないように取り計います」


「……」


「僕は、活動を通して、種族の本能や機能で苦しんでいる人たちの代弁をして、理解者として寄り添ってあげたい。ただの中学校の一研究会の活動だとしても、意味はあるはずだと思うんです」


「……」


「公開する内容は吟味します。立場を不利にするようなことは書きません。だから、本音を聞かせてほしい。苦しみも喜びも、深掘りして、理解した上で編集したい」


「……」


「どうかよろしくお願いします」


 できるだけ、丁寧にお辞儀をする。


「頭を上げてくれ、ヌルミチくん」


 言われて、ゆっくりと頭を上げる。口牙さんは静かな瞳で、僕を見下ろしている。僕の気持ちは、届いただろうか。


「2年前と比べて、大人になったね」


「口牙さんに救ってもらいましたから、そのおかげですね」


「ふふ、そういうところは、小賢しくなったよ」


 眼鏡の奥で、爽やかな笑みを浮かべる。


「ボクはキミのおかげで、2年間冷静な自分でいられたんだ。だから、恩を返さなくちゃいけないんだ。これくらいじゃあ、全然返せないんだけどね」


 スッと立ち上がって、キッチンの方に向かいながら、振り返って言う。


「まずはお茶を淹れるよ。その間に、取材内容を纏めておくと良い。ボクの事情は少しは話したはずだから、そこから当たりをつけてね」




 ◽️◽️◽️




 紅茶を飲みながら、一通りインタビューを終えたので、僕は口牙さんに血を与える。


 血をある程度吸い終わって、僕が制服を着直していると、口牙さんが口元をタオルで拭いながら、味の感想を話し始めた。


「前回よりも美味しくなった。こんなのは初めてだ」


 意外そうな顔で、口牙さんが考え込んでいる。そういえば前はどう言う味だったんだっけ。


「鉄臭い、小麦粉まみれの味のないカレーでしたっけ?」


 そんなものを2年間も飲んでいるんだから、プラナイダ系は大変だなと心の底から同情する。


「うん、血の匂いが薄くなって、小麦粉が無くなった、味のないカレーになった」


 味のないカレーなのは変わらないんですね。まあそれでも、だいぶ飲みやすくなったみたいでよかった。


「何が原因でしょう?2年間変わらなかったものが突然変わるのは、理由があると思いますけど」


「ボクの内情を打ち明けたのが大きいのかな、いや、それにしては……」


 何やら、深く考え込んでいる。僕が帰る準備をしている間も、顎に手を当て、一言も喋らないでいる。何か思い当たることは見つかったのだろうか。


「そろそろお暇しますね、文章を纏めたら、一度確認してもらうことになると思います」


「……ああ」


「それでは」


「待ってくれ」


 玄関で靴を履いてドアを開けたところで、口牙さんに肩を掴まれて、立ち止まる。振り返ると口牙さんが口に手を当てて、少し苦しそうにしている。


「文章の確認はいらない。ボクはキミを信頼しているからね。ボクたちは連絡先を交換しないし、手間だろう」


「そうはいきませんよ」


 なんだろう。口牙さんの様子がおかしい。具合が悪そうに見える。


「聞いてくれ、ボクたちはもう、会わない方がいい。キミはここに来てはいけない」


 予想外の言葉に、僕は反応できなくて、その間に口牙さんが囃し立てるように続ける。


「ボクが心の底でどんな思いを抱いているのか、今日キミに話した。あれがボクの全てだし、話を聞いた上でキミはボクに血を分けてくれた。おそらくそれが引き金になってしまった。ボクはキミに受け入れられたと、満足感を感じている」


「口牙さん、僕は……」


「黙って聞きなさい。いいかい、元々、ボクとキミの関係は社会的に認められないものだし、こんなに長く続けていて、トラブルが起きなかったのは奇跡のようなものだ。いつか破綻するのは分かっていた。だけどここまでボクが付き合わせてしまった。悪かったと思っているし、本当にキミには感謝しても仕切れない」


 嫌だ、まるでドラマの別れのシーンじゃないか。


「これからだって大丈夫ですよ!今まで通りやっていけば何も問題はありません!」


「……もう限界なんだよ。いきなり来た。ボクは今、キミを襲いたくて仕方がなくなっている。受け入れられたことを自覚したあたりから、我慢をするのが辛い」


「そんな……」


 こんな、こんな別れになってしまうのか、こんなに突然やってくるのか。


「頼む、行ってくれ……ボクはキミを無理やり襲いたくない。キミだってボクを犯罪者にしたくないだろう?さあ、行くんだ!」


 口牙さんに押しやられる、精一杯抵抗するけど、ドアの外に押し出されて転んでしまっている間に。ドアが閉められる。かちゃりと鍵のかかる音が聞こえた。


「口牙さん!開けてください!口牙さん!」


 ドアに縋ってダンダンと扉を叩くけど、何の反応もない。


「何か方法があるはずです!こんなのは嫌だ!」


 何度問いかけても、反応がない。


「口牙さん……」


 きっとまだ、そこにいるはずだ。


 もう2度と会うことはないかもしれない。


 だからこそ最後に、礼を尽くさなければならない。


 服についた埃や砂を払って、ドアの前で直立する。最大限の敬意を持って、僕は礼をする。


「今まで、ありがとうございました!」


「……」


 ドアの向こうから反応はない。でも、聞いてくれたはずだ。思いはきっと伝わった。


 ドアに背を向け、アパートの廊下を進む。もうここにくることはないだろう。

 古びたガスメーターも、乱雑に置かれた植木鉢も、錆びついた手すりも、もう見ることはない。


 辛かった小学生時代を支えてくれた彼との別れは苦いものとなったけど、僕には託された責任がある。


 彼の苦悩を、積年の思いを形に残さなければいけない。必ず。





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