第13話 カタツムリは選ばせる

 ご褒美を強請るマイさんに、今日はどこを食べさせてあげようかな。


「昨日はよく我慢しましたね、偉いですよ」


 僕の前で跪くマイさんを、優しい声色で褒めてあげる。


「はい、とっても辛かったです」


『おやつタイム』になると、マイさんは敬語が多くなる。意識してやっているのか、いないのか。僕にはわからないけれど、嗜虐心を刺激して堪らなくなるので、僕の精神には麻薬のような効果を与えていると思う。麻薬のように少しずつ、気づかないうちに、僕の精神を蝕んでいく。


「それに僕に大事な気づきを与えてくれたマイさんには、ご褒美をあげないといけないね」


 マイさんの黒黒とした頭を優しく撫でながら、ご褒美の内容に関して思案する。なにがいいだろうか。せっかくだから、マイさんの嗜好を研究したい。選択肢を与えて、選ばせてあげるのがいいだろう。


「マイさん、今日はどこが欲しいか、選ばせてあげるね」


 どこがいいかな、別に僕はどこでもいいんだけど。再生するし。


 決めた、ここと、ここと、ここにしよう。


「大触角1本、肘まで1本、お腹の1部。どれがマイさんの好みかな」


「え?そんなに?え、選べないよぅ……」


 選択肢を聞いて、マイさんが目に見えて狼狽する。


「こんなチャンスは、2度と無いかもしれないですよ。よく考えて選んでくださいね」


 散々迷った末に、決めたようだ。マイさんが僕を見て、嘆願する。


「えっと、ええと、あの、目が、食べたいです」


 なかなかにゲテモノだと思う。そういうのが好きなんだね。


「大触角でいいんだ?腕やお腹の方が、量が食べられると思うんだけど」


「いつも、綺麗で、いいなぁって思って見てたの、でも、我慢してて」


「マイさんに褒めて貰えるのは嬉しいな。でもマイさんは、そんな、綺麗な僕の目が食べたいんだね、ひどい女だね、マイさんは」


「ごめんなさい、ごめんなさい、でもどうしても、食べたくて、我慢できなくて」


 罪の意識があるんだろう。マイさんの無機質な黒い瞳から、涙がこぼれ落ちる。


「いいんですよ、ご褒美だから。今日だけは、我慢しなくていいんだよ」


 僕は、腰掛けるのをやめて、ベッドに仰向けに倒れる。いくら小さめとは言っても、背中の殻が少し邪魔だ。見た目よりもずっと丈夫なので、マイさんにのしかかられても大丈夫だろう。僕はマイさんを信頼しているから、このあとはマイさんに任せよう。


「さあ、どうぞ、召し上がれ」


 腕を開いて、天井を見上げる。マイさんは我慢できないと言った様相で、僕の上に股がる。


 捕食者と、被捕食者の構図が出来上がった。かつてのダマスターとスラグの関係性を体現したかのような状況に、僕も、マイさんも、興奮を隠しきれていない。


 マイさんの呼吸が荒い。呼気が僕の顔に当たる。口からこぼれたよだれが、重力に従って僕の顔にぼたぼたと落ち、汚していく。お行儀が悪いな、あとで食事のマナーを教えてあげなきゃいけないようだ。


 ぼんやりと、ダマスターへの恐怖心について考える。本当にかつてのスラグは、ダマスターを恐れていたのだろうか。今の僕の心境と、恐怖とは噛み合わない。


 だって僕は、体全部を食べられてしまっても構わないと思っている。マイさんの栄養になりたいと、思っている自分がどこかにいる。こんな気持ちになるのは、マイさんだから?それとも僕が食べられたがりの変態だから?


「いただきますね」


 ぼんやりと思考を重ねているうちに、その時が来たようだ、ご丁寧にも、マイさんは僕の両腕を自らの腕で拘束し、逃げられないようにしている。本能を曝け出しすぎてるよマイさん。もう少し自重した方がいいよ。


 僕の大触角にマイさんの口が迫る。大触角の先端には眼球がある。視界いっぱいにマイさんの顔が広がって、さらに近寄って、マイさんの口の中が露わになる。牙と牙の間に糸がひいて、やがて目の前が真っ暗になった。なにも見えない。ここはマイさんの体の中だ。ちく、という軽い痛みが走る。遅れて、とぷとぷと、消化液が流し込まれる。


 逃げるつもりは一切ないけれど、マイさんがどういう反応をするのか気になったので、少し抵抗してみる。両腕をジタバタするふりをする。僕を逃さないように、マイさんが押さえつける力を強める。もう本能で行動しているとしか思えない。自制心が見当たらない。


 体が柔らかくなるまで暇なので、嫌がる被捕食者の演技をする。マイさんは僕の気持ちを理解しているから、演技に付き合ってくれるはずだ。そのくらいの理性は残っているだろう。多分。


「マイさん、離してよ、食べないで、怖いよ」


 マイさんは口で僕を頬張っている最中だから話せないけれど、僕の言葉で感情が揺さぶられているんだろう。挙動でわかる。


 マイさんの腕は4本ある。そのうち2本は僕の腕を拘束するのに使っている。残りの2本が動き出した。僕の顔を愛おしむように撫でる。今マイさんはどんな気持ちになっているんだろう。僕はとても楽しい。


「暗いよ、僕、どうなっちゃうの?どうしてこんなひどい事するの?」


 実際はもう1本の大触角が無事なので暗くない。でも雰囲気って大事だし。状況に合わせた嘘は必要だよね。


 マイさんと触れている箇所から、マイさんの興奮が伝わってくる。多分マイさんも同じだろう。僕が興奮しているのを感じ取っているはずだ。


 十分に柔らかくできたみたいだ。マイさんがゆっくりと口を離す。僕の大触角はマイさんのよだれまみれで、ぐちゃぐちゃにふやけてしまっている。もうとっくの昔に片目の視界は失われているし、機能不全だ。


 マイさんと目が合う。貴重な会話のチャンスだ。何を話そうかな。マイさんを喜ばせてあげたいけれど。


「嫌だ、やめて、優しいマイさんに戻ってよ、食べないで、死にたくない、死にたくないよ」


「……安心して、ヌルくんは死なないよ。お姉さんの中で、栄養になって、ずっと生き続けるの、いつまでも、一緒だよ」


 ああ、僕たちは紛れもない変態だ。


 マイさんのセリフが脳に染み渡る。気持ちいい。ぼーっとする。


「いただきます」


 再度、僕の大触角がマイさんに覆われる。


 ふやけて、痒くて堪らない眼球を、マイさんの牙が少しずつ食い込み、痒みを奪っていく。


 もう演技の必要はない。演技できない。幸せが深すぎて、嫌がる演技なんてしている余裕がない。


 咀嚼されて感覚がなくなったはずの僕の眼球が、マイさんの喉を通って、食道を経由し、胃に落ちる。その旅路が分かる。


 あまりの快楽に、そこで夢見心地になってしまって、気がついた時には、全て終わってしまっていた。


 僕はベッドの上でだらしなくよだれを垂らして横たわっていた。マイさんのものなのか自分のものなのかわからないが、ベッドは染みだらけで、また洗濯しなければならないだろう。ここのところ毎日だ。換えが3枚分あるから困っていないけれど。


 僕がベッドから起き上がると、マイさんが部屋の隅で座り込んで沈んでいた。どうしたんだろう。


「どうしたんですか?」


 僕が尋ねると、低い声色でマイさんが呟く。


「ヌルくんのせいで、私はおかしくなっちゃう」


 ああ、変態プレイがハマりすぎて、罪悪感で落ち込んでいるのか。


 マイさんは勘違いしているな。教えてあげないと。


「違いますよ、僕のせいにしないでください。マイさんが変態なのはマイさんの問題ですよ」


 僕の言葉でマイさんが余計に落ち込んで部屋の空気がじめっとしたのは言うまでもないだろう。






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