第12話 カタツムリは調べる

 今日は日曜日だ。学校は休みで僕はいつもより少し遅めに目が覚めた。


 昨日食べられた左手の調子を確かめる。指を開いて、閉じて、強く握る。うん、特に問題はない。


 昨日はマイさんに手首まで丸ごと食べられてしまったけれど、問題なく再生できたし、一度の食事量としては、まだまだ限界は遠そうだ。少しずつ探っていって、何かあった時に備えておこう。


 今日はスラグとダマスターの関係について、父に確認を取っておきたい。


 リビングでくつろいでいる父に声をかけて、事情を説明する。部活に入ったことと、2年の貝剥先輩に聞いた話をして、真偽を確認した。


「本当だよ」


 全身がヌメヌメとした液体に覆われた、僕と違って手足がない、純スラグ人的特徴の男性。


 僕の父である貝被かいかぶり 滑郎ヌメロウが、僕の疑問に答えてくれた。


「スラグは長いこと、ダマスターの植民地だった。捕食者と、被捕食者の関係はその通りだし、ダマスターの食糧庫扱いされていたのも本当だね」


 ふぅ、と一息ついて、お茶を飲みながら、父さんが僕に説明する。


「長いこと従属関係だったんだけど、ダマスターの奴隷制を維持したい保守派と、当時連合への加盟条件が奴隷制の廃止で、連合への加盟意欲が高かった革新派が争ったんだ。結局革新派が勝って、私たちは独立した国家を得ることが出来た」


 お茶請けのキャベツをしゃくしゃくと、音を立てて父が食べる。既に2玉目だ。


「スラグだけじゃない。ワウム星人も一部植民地化されていたけどこれを機に解放されたね。スラグほどではないけれど、影響があったはずだ」


「スラグがダマスターの人に近寄ると、怖くて動けなくなるってことはある?」


「よくある話だよ。私たちは本当に長いこと支配され続けていた。遺伝子に、ダマスターへの恐怖が刻み込まれてしまっているんだろうね。もちろん、そうではない場合もあるよ。怖いダマスターと、怖くないダマスターがいるね」


 1年の同級生は怖かった。怖くて顔も見れなかった。


 マイさんには、そういう風には感じない。


「この間、2人のダマスターにあったけれど、片方は怖くて、片方は怖くなかった。この違いはなんだろう?」


「自分に害を与えるかもしれない人、そうではない人を、感覚的に理解しているのかもしれないね。ダマスターの全部が全部、私たちを食料として見ているわけじゃない。それとは別に、昔の因縁が原因でダマスターを嫌っている人もいるけれど」


 貝剝先輩がマイ先輩に感じている忌避感と、僕が1年の同級生に感じた恐怖は同じものだろうか。違うように感じる。貝剝先輩は、他のダマスターに感じる恐怖を種族全体への恐怖に拡大して、マイさんを過剰に怖がっているだけのような、そんな気がする。僕の感覚が正しければだけど。


「父さんはダマスターは嫌い?」


「種族で人を見る癖がつくと、同じことをされた時に、言い訳ができなくなるよ。いろんな角度から物事を見るいい機会だ。励みなさい。私から言えるのはそれだけだ。あとは自分で考えなさい」


 そう言ってから父はどこへなりと出かけてしまった。


 今日は父から話を聞けたけれど、他のスラグ人からも意見を聞いて、裏付けが取りたい。1年生には僕の他に10人くらいは在籍しているだろうし、明日以降は同級生から聞き取りしていこう。


「あ」


 結局キャベツは全部父さんがたいらげてしまった。僕の分も少し残しておいて欲しかったのに。




 ■■■




「昨日、父にダマスターとスラグの話を聞きました」


 部室で2日ぶりに会ったマイさんに、父から聞き取りした情報を聞いてもらった。一通り僕の話を聞いてから、先輩に見解を伺う。


「ヌルくんのお父さんは、公平なものの見方が出来る人だね」


 先輩が父をそう評するのを聞いて、僕は思わず笑みを浮かべる。自分の父親が他人に褒められて、悪い気はしない。


「概ね真実だし、私たちダマスターがしていたことは、今の世では社会からバッシングされる恥じるべき悪習だった。ただ、ヌルくんのお父さんの話に少し付け加えるとしたら、当時連合加盟の話が出る前から、スラグ人の扱いに関しては意見が割れていたんだよ。あくまでも連合加盟の条件は、その背中の最後の一押しになっただけで、それがなくても革新派が優勢だったって私たちは教わったよ」


 それは結構大事な話だと思う。ダマスター側にも、奴隷制に反対する勢力が一定数存在していたという事実を明らかにすれば、スラグ側が受ける印象も変わってくると思う。


「僕たちスラグが、ダマスターの人たちに抱く恐怖心についてはどう思いますか?」


 僕がマイさんには恐怖を感じず、同級生に恐怖を感じたのは、既に伝えている。


「問題はそこなんだよね、これは結構昔に発表された学説で、それなりに支持されているんだけど……」


 マイさんが少し言い淀む。話づらい内容なんだろうか。


「聞いて気持ちのいい話では無いと思うけど、ヌルくんには知っておいてほしい。大なり小なりはあるけれど、私たちダマスターは全員がスラグに食欲を抱いてしまうの。これは体の成長に関わることでもあるし、本能に根差した感情だから、どうしようもないの」


 まあ、食べなければ大人になれないマイさんの事情を知っているし、食べるのを許可しているので今更だけど、マイさんとしては僕に申し訳ない気持ちがあるのだろう。聞き流して話を続けてもらう。


「でも、そこで、なぜ我慢しなければいけないんだ、って考える人と、人を害してはいけないって考える人に分かれる。最終的にどちらの人も食べるのを我慢するのは同じでも、そこは大きな違いになるの。スラグ人は、ダマスター人の感情をある程度読めるように進化したから。長い奴隷制の時代が、スラグをそういう風に進化させてしまったの。スラグが生き残るために」


「じゃあ、同級生のダマスターは、そういう人なんですね」


 僕がそう漏らすと、マイさんが悲しそうな顔をする。失言だったみたいだ。


「そういう風に思っちゃうのは仕方のないことだけど、それはね、ダマスターに限ったことじゃないんだよ」


「普通はね、頭の中で考えていることなんて、他の人にはわからないものなの。例えそれが害意に満ちたことでも、行動に移さなければ罪にはならないし、私だってヌルくんだって、邪な感情を抱くことはあるでしょう?ヌルくんが抱いた邪な感情一つだけで、ヌルくんの人間性を評価してしまうのは悲しいことだよ」


 ああ、本当に失言だった。もう少し考えて発言すればよかった。


「そう、ですね……すみません、考えなしでした」


「いいんだ、私たちの罪に対しての、罰だと思っているから」


 優しく微笑んで僕を制した後、マイさんは話を続ける。


「この話の一番の問題はね、異文研として、研究内容を公開出来ないことなの」


「どういうことですか?」


「相互理解を深めようとすればするほど、溝が深くなってしまうんだ。ダマスターがスラグに抱く感情を制限することは出来ないし、スラグの能力を他種族に公開すると、スラグ人伝でどのダマスターがどんな考えをしているかが分かってしまう。他の種族も、っていう風に考えてしまう。それは、種族間の不和を増長させることになってしまう。異文研の活動目的と真逆の結果を残してしまうの」


「ああ、なるほど。そうすると、公開できる情報がかなり限られてしまいますね」


「最終的に、記事には出来ないかもしれない。実はね、私は全部分かってたけど、ヌルくんに知っておいて欲しかった。私たちがどういう種族かを。知らないまま、ヌルくんとの関係を続けるのは、無理があるし。偏った情報をヌルくんが得た時に、そういう目で、私を見て欲しくなかったから」


「マイさん」


「なに?」


「僕は、マイさんに出会えて、本当に良かった。ここに入れたことは、僕の人生で重要な分岐点だったと、自信を持って言えます。ありがとうございます」


 知らないままだったら、マイさんと出会わなかったら。多分僕が最初に出会うダマスターは同級生のあの子になっていただろう。そして貝剥先輩から得た知識だけで、遠巻きにダマスターを見て、避けていたに違いない。


 後からマイさんに出会っても、ダマスターに対する認識は悪いままで、大きく変化はしなかったはずだ。マイさんとも関係を作らなかっただろう。


「へへ、そう言われると照れちゃうな……異文研の面白さは、分かってもらえたかな?」


「はい、知らないことばかりで、自分の世界の狭さも、思い知りました。そして、他の誰かにも知ってほしいなって。マイさんのおかげです」


「そっか。それは良かった……ところで、私のおかげってことは、私に感謝しているってことだよね?」


「……?そうですけど」


「……じゃあ、ご褒美が欲しいなー、なんて、思ったり、しちゃったり」


 もじもじと言いにくそうにしながら、先輩は俯いて呟く。


 ああ、そういうことか。先輩はおねだりが上手だね。


 さて、今日はどこを食べさせてあげようかな。






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