第8話 カタツムリはハマる

「今日は3本食べさせてほしいです」


 先輩のおやつタイム、第5回は先輩のその一言から始まった。


「仕方がない人ですね、いいですよ」


 僕はわがままを渋々受け入れるように、許可を出す。


 先輩と僕以外、誰もいない異文研での秘め事は日に日にエスカレートしている。


 先輩のお願いを受け入れる理由は、僕にはもう無い。助けてもらったお礼に関して言えば、最初の1回で十分に礼を尽くしたと僕は考えている。


 2回目以降は完全に僕の自己犠牲というか、善意の上で成り立っている。それでもこの不道徳な行為を続けているのは、僕にもメリットがあるからだ。


 単純に、気持ちいい。


 食べられると、まず肉体的快感が生じる。


 痒いところを他人に掻いてもらった経験がある人には分かるかもしれない。自分でやるのとは違って、微妙に位置が違かったり、強さが弱かったりで、思った通りに掻いてもらえなくて歯痒い気持ちになる。でもその微妙さが、心地良い。痒みと先輩の動きがベストフィットした時の快感はひとしおだ。


 次に精神的な満足感が生じる。


 親指の第一関節が、少しづつ、カリコリ、カリコリと咀嚼され、僕の指が先輩の喉を通り、食道を経由して、胃に落ちる。胃液で溶かされ、腸へ進んだ僕の指の成れの果ては、先輩の成長のための栄養として吸収される。やがて先輩が大人になるための栄養が僕だ。先輩は僕がいなければ大人になれない。


 被捕食者の僕が、先輩の生き死にを握っているかのような支配感。先輩に必要とされていることで満たされる承認欲求。


『この人には私がついていないとダメなんだ』DV夫に暴力を受けながらも、縁を切れずに殴られることを受け入れる妻はこんな気持ちになるのかもしれない。


 こり、こり、ちゅ、くちゅ、ごくん。


 先輩が嚥下するのと同時に、僕の親指が は全て先輩になってしまった。次は人差し指だ。


「親指は美味しかったですか?」


 合間を見て、先輩に感想を求める。


「ん、今日もとても美味しいよ。毎日食べたい」


「それは良かったです。人差し指も、食べたいですか?」


 敢えて、意思を尋ねる。答えなんて分かりきっているのに。


「うん、今すぐでも、食べたいです。食べてもいい?」


 よだれを垂らして、シーツの端に染みを作りながら、先輩が僕に許可を求める。


「いいですよ、よく味わって食べてください。これが最後かもしれませんし」


 そんなつもりはないけれど、ささやかな意地悪をスパイスとして添える。


 僕の意地悪が、先輩を喜ばせたのだろう。にっこりと笑みを浮かべて答える。


「ありがとう、大切に食べるね」


 先輩が僕の人差し指を頬張る。


『親指より細い分、食感が柔らかくて食べやすいね、美味しいよ』


 先輩は毎食後、必ず僕の体の食レポをする。僕が聞かなかったとしてもだ。


『どうして毎回感想を言うんですか』と僕が聞くと、『食べさせてもらっているんだから、感謝しているし、美味しいく食べていることを知ってほしい』なんてことを言う。生産者と消費者の関係だね。僕も感想を言うべきだろうか。『先輩に食べられるのは、肉体的にも気持ちいいですし、精神的にも満たされるので捗ります。欲を言えば、もっと乱暴にして欲しいです』こんなところだろうか。


 たぶんそれを言ったらこの関係は破綻する。僕が食べられることに積極的になれば、この状況が崩れてしまう予感がする。


 先輩は僕が気持ちよくなっているのに気づいているだろう。僕は表情に出るタイプだ。隠しきれているとは思えない。


 バレバレだとしても、僕は絶対に気持ちいいとは言わない。あくまでも仕方なく食べられているというスタンスは崩さない。先輩も、僕に『痛いの?』とか『気持ちいいの?』なんて聞いてこない。


 先輩も、この状況を楽しんでいるのかもしれない。膝をついて、後輩に嘆願して、食べさせてもらう、状況を。


 僕たちは、5回目にして既に沼に呑まれてしまったのかもしれない。










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