第7話 カタツムリは家に帰る
「ありがとう、助かったよ」
口牙さんが、口元を僕の血で真っ赤にしながら言う。
「前から気になっていたんですが、血って美味しいんですか?」
少しデリケートな話題かもしれないが、つい口にしてしまう。
口元をタオルで拭いながら、なんて言うべきか迷っているのだろう。少し目線が泳いでから、口牙さんが言う。
「貰っている分際でこんなことを言うのがキミに失礼なのは百も承知なんだけど、あまり美味しくはないね」
「いえ、構いませんよ。どんな味なんです?」
「うーん。鉄臭い、小麦粉でドロドロの、味のしないカレールーを飲んでいる感じかな」
「……」
自分の血の食レポなんて聞かなければよかった。とても美味しそうには思えない。
それは、『あまり美味しくはない』じゃなくて、どちらかというと『不味い』の方に近いんじゃないか。
「かなり美味しい方ではあるよ。キミは若いからね。ボクみたいな種族は申請すれば輸血パックの配給をもらえるけれど、あれは酷い。ハズレが多い上に天井知らずだ。基本的には青汁の粉末をコーヒーで溶いて、その辺の水たまりと混ぜたような味がする」
流石にそれはオーバーな表現だろう。口牙さんは、だいぶ僕に気を遣ってくれたみたいだ。
「今日はこの辺で失礼しますね」
「うん、また、どこかで出会ったら」
僕は、携帯電話などで口牙さんと連絡を取っていない。出会ったその日に、気が向いたら、ここにお邪魔する。その方がお互いにいいだろうと言う判断だ。僕たちは自分たちがしていることが、あまり良くないことだと自覚している。記録に残ることはしない方がいいと、暗黙の了解になっている。
別れの挨拶をして、アパートを後にする。
◾️◾️◾️
「お兄ちゃん、ご飯食べたら宿題手伝って」
「風呂入ってからならいいよ」
少量のカレーライスと大量のレタスが今日の夕食だ。
妹(仮)のつむりと2人で食卓を囲む。母は駅まで父を拾いに車を出しているので今はいない。
小学6年生のつむりは、僕と違って日本人の母寄りだから、食事の嗜好も僕とは少し違う。カレーライスが多くて、その分レタスが少なめだ。まあ、それでも他の家庭と比較すればかなり多めにレタスを食べているんだろう。我が家のレタス、キャベツ消費量は一般家庭の5倍は超えていそうだ。
僕がシャクシャクとレタス2玉目を食べていると、つむりが楽しそうに話を振ってくる。
「それでね、ローちゃんがまた先生に追いかけられてね。匿ってって言うから、体を貸してあげたの」
ローちゃんというのは、ロウコ・クロエ・リディウムさんのことで、彼の人はつむりの友達だ。ブラキマイラ星人の血を引く日本人で体長20センチ、小さくて扁形の為、現代日本の環境では単独での生活が難しい。つむりの肩に良く乗っていて、つむりが甲斐甲斐しく世話をしているのを、僕が小学校にいたときはよく見かけた。
ロウコさんはいたずら好きで、しょっちゅう先生に怒られている。どうせ今回も何か悪さをしたんだろう。
「あまり不用意に体を許すもんじゃないよ」
ブラキマイラ星人由来の彼の人は、人類の体内に侵入して、場合によっては行動を操作することが出来る。先生から匿うために、一時的につむりの体の中に入って隠れたということだろう。
人の体の中に入るのも、入られるのも、あまり気持ちが良いものでは無いだろう。前にロウコさんが試しに僕の中に入ったことがあったけれど、異物感があって気持ちが悪かったのを覚えている。
「気持ち悪かっただろ?」
「おにーちゃん知らないの?ああいうのは、好き同士だと気持ちよくてウィンウィンなんだよ。わたしはローちゃんが好きだし、ローちゃんもわたしが好きみたいだから、すっごくよかったよ」
「……そうなの?」
「そうだよ、なんとかって学者さんがこの前テレビで言ってたよ。異種族間の、本能が、行動は、好意が、なんとかって」
曖昧な情報が多すぎるな。後で少し調べてみようかな。
食べ終わったので食器を流しへ持っていく。洗い物は後で纏める。この後につむりの勉強を見てあげなければいけないし、さっさと風呂に入ってしまおう。
風呂でシャワーを浴びる時に、左手と、左肩を気にする。どちらも今日怪我をした場所だ。とっくの昔に治っているし、痛みは最初からない。我ながら便利な体だと思う。他の人だったら怪我は痛いし、欠損したら失ったままだ。
浴槽に身を沈めて、一呼吸ついてから、今日1日を振り返る。
口牙さんには今まで数え切れないくらい血を吸われているけれど、気持ちが良かったことはない。口牙さんも美味しくないと言っていた。
先輩に指を食べられるのは……。
「気持ちよかったな」
『ごちそうさまでした、すごくよかったよ』
先輩の、嬉しそうな顔を思い出す。
口牙さんと、先輩と。
この違いはなんだろう。
先ほどの、つむりとの会話を思い出す。
好き同士だと気持ちいい。そんなことを言っていた。
僕は口牙さんが好きだ。好きだから、血を分けてあげている。好きでもない人にそんなことはできない。
じゃあ、先輩は。
僕は先輩が好きなのか。少なくても嫌いではないはずだ。会って1日も経っていないのに、体の一部をあげられるくらいには。
2人とも好きの範囲に入っているけれど、気持ちいいのは先輩だけ。なんでだ。
これは、僕がまだ男にも、女にもなれていないから、分からないのかな。
つむりは、その時が来たら、男になるだろうと言っていた。理由を聞いたら、「ローちゃんが女になりそうだから」と言っていた。仲睦まじいのは羨ましい限りだが、そんなに簡単に決めていいのだろうか。近いうちに妹(仮)は弟になってしまうのかと思うと、兄としては複雑だ。僕も今は兄(仮)ではあるけれど。
「そろそろ上がるか」
僕の後につむりも風呂に入ってから、宿題を見てあげなければいけない。つむりが入っている間に、僕の分の課題を少しでも片づけておきたい。
風呂から上がり、体の水分を一旦全てバスタオルで拭く。その後は体表の水分量を調節する。外に出るときは乾燥が怖いから少し多めにヌルッと出すけれど、寝る前はしっとりするくらいがリラックスできる。
「おにーちゃんまだー?」
廊下から、つむりに催促される。
「今上がるから」
溜息を吐きながら、僕は脱衣所を出た。
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