第5話 カタツムリは思い出す

『また明日も、来てくれると嬉しいな』


 再生した僕の指を見ながら、先輩が言っていた。


 学校からの帰り道で、先輩の『おやつタイム』を思い出す。


 おやつは僕だ。


『……はい、また明日』


 僕は先輩にそう返した。


 僕の返事を聞いた先輩の、嬉しさを隠さない笑顔が、僕の脳裏に映し出される。


 先輩は可愛い、先輩が喜ぶ顔を見ると、僕も自分のことのように嬉しくなる。


 僕は先輩のことが好きになってしまったのだろうか。


 出会ってまだ1日も経っていないのに。


 よく分からない。


 先輩が喜ぶ顔は見ていて癒されるし、先輩の若干おっちょこちょいなところも可愛らしく感じる。先輩の見た目は僕の好みだし、先輩と一緒の時間は僕の感情を揺さぶって、飽きさせない。


 これが好きってことなのだろうか。


 流石にたった1日では結論が早すぎる気がする。


 先輩との付き合いはまだまだ続きそうだし、もう少し様子を見よう。ひとまず、先輩が大人になるまでは。


「ヌルミチくん、今帰り?」


 家まで歩く途中で、聞き慣れた声で話しかけられた。


 唯昼いびる 口牙こうがさんだ。


 僕の家の近所に住んでいる男の人で、今は大学3年生。僕が小学5年生の時に出会って、そこから仲良くなった。


「はい、口牙さんは?」


「僕も今から帰るところだよ。どう、家でお茶して行かない?良い紅茶が手に入ったんだ」


 口牙さんからの提案を受けて、少し考える。まだ17時前だし、夕飯までは時間があった。最近は口牙さんと話す機会もなかったし、少し相談したいことも出来た。提案に乗ろう。


「いいですよ」


「やったね、それじゃあ、行こうか」


 口牙さんが僕に手のひらを差し出す。僕は手を取って、彼の斜め後ろをついていくのだった。




 ◾️◾️◾️




 小学5年生の時、僕は情緒不安定だった。


 当時、父の仕事の関係でこの町に転校してきたばかりだった僕は、学校に行くのが怖かった。


 小学生が、それまでの友人関係を清算して、新たな友人関係を作りなさいと言われて、なんの障害もなく上手くできるかというと。まあ、できる人はできるんだろう。でも僕にはちょっと難しかった。


 学校は、先生も、生徒も、全員が見知らぬ人ばかりで、唯一の知り合いは妹(仮)のつむりだけ。そのつむりといえば、持ち前の社交性を存分に発揮して早々に友人を作っていた。僕の孤独はますます加速した。


 学校に行きたくなかった。行っても、早退することが頻繁にあった。


 僕が口牙さんに出会ったのは、何回目かの早退の日に、時間を潰すために家の近くの公園で本を読んでいた時だ。


 なんの本を読んでいたんだっけか、確か、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』だった気がする。


 かなり昔の、日本の文豪が書いた作品だ。当時の地球の文明レベルでは、地球の外に、自分たちの他の人類がいるなんてことは知られていなかった。だから、地球人は宇宙や、地球外の生命体、星など、自分たちの手の届かない、理解が及ばないものを空想して、詩的な意味を持たせたりしていた。無知故に、想像力が育まれて、逆に世界が広がっているというか。作品が世に出た何百年も後に生まれた僕は現実を知っているから、そのギャップが面白くて、そういった書物を好んで読んでいた。


「キミ、学校はどうしたの?」


 僕が本を読むのに夢中になっていると、触角上から声がした。顔を上げると、一般的な日本人の大人の男性がそこにいた。


 年は20歳前後だろうか。身長は170センチくらいで黒縁の眼鏡をかけて、髪型は茶色のマッシュウルフ、ちょっとパーマがかかっている。


 僕が黙っているのを無視して彼は続ける。


「いじめられたの?」


「違います」


 別にいじめられている訳じゃない。新しい環境が怖くて、どうしようもないだけだ。


「じゃあ、学校に行くのが嫌なんだね」


 その通りなんだけど、答える筋合いもないので無視する。読書の邪魔をして欲しくないので、察してどこかに行って欲しい。


「ボクと一緒だね」


「……一緒?」


 つい、反応してしまう。


「うん、この春に大学生になったんだけどね。田舎から1人で出てきたから、知り合いもいなくて。人間関係を1から作らなきゃ行けないのは、辛いよね」


 よく、分かる。


 誰にも悩みを相談できないんだ。

 相談出来るくらい関係性の深い人がいない。


「友達を作ろうにも、既にグループが出来上がっているから、そこに割って入るのは勇気がいるよね」


 そう。その通りだ。


「……でも1人でいると、あいついつも1人だな、ってみんなに思われてる気がするんです」


 僕は気がつけば、自分の思いを口にしてしまっていた。彼に共感して、つい、口が緩んでしまった。


「分かるよ、なんていうか、恥ずかしいんだよね」


 この人は、僕と同じだ。


「恥ずかしがる必要なんてないのは分かっているんだ。実際のところは、みんなはそんなに自分のことを気にしているわけじゃない。自意識過剰だ。自分でもそれは分かっている。そうだろう?」


「でも、やっぱり人目は気になります、みんなが、僕のことをどう思っているのか、何を考えているのか、分からないのは怖いです」


「キミの気持ちはわかるよ、ボクもそうだからね」


 そう言って、僕の横に座る。


「なんとかしたくて話しかけたいけど勇気が出ない、勇気がないから、いつまでも1人、1人は恥ずかしいから、友達が欲しい、でも勇気が出ない。抜け出せないループだ。苦しいよね」


「……はい」


「キミには申し訳ないけど、先に抜けさせて貰うよ」


「……?」


「ボクと友達になってくれないかな?」


 それが僕と口牙さんとの初めての出会いだった。







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