誰も読むな

往雪

【    。 】




 車窓より靉靆あいたいと棚引く雲を眺め、あなたは欠伸を零す。

 退屈だ、と。何も起こらない電車内に楽しみの一つあるはずもない。


 あなたは窓の外の大観たいかんに意識をやる。

 遼遠りょうえんに望むのは嵐翠らんすいまぎれた嶙峋りんじゅんたる山々。断雲だんうん秋気しゅうきはらんだ昧爽まいそうの空。

 ──どれだけ描写を重ねたところで、その風景は書き表せない。

 なぜなら、窓に映るその全てが曖昧なものだからだ。


 蔌蔌そくそくと木に成る草花を落としながら、森の中を列車は走る。

 あなたは夢の中にいることを自覚していた。微睡まどろみに任せて寝床で横になっている間に、眠ってしまったのだ。だからこれは、夢だった。


 目的地は遥か遠くであり、あなたは列車内でも座睡ざすいしようと席に背を預けた。

 幸い気分は悪くはない。このまま一眠ひとねむりしてもいい夢が見られるだろう。

 そのように、思われた。


 刹那、列車が急ブレーキを踏んだ。慣性が身体を引っ張り、あなたは足を踏ん張らせて崩れた体勢を整えようとした。だが、それは叶わなかった。

 恰好のつかない格好で列車の床に放り出されたあなたは、何事かと眉をひそめた。服を払って立ち上がり、車掌に文句の一つを告げるために最前車両と歩いて行った。


 あなたは車掌に声をかけた。「すみません。……今のは?」と。

 車掌はあなたに答えを返さない。ただ震えて前方を注視し、譫言うわごとの如く「止まれ、止まれ、止まれ、止まれ、止まれ、……」と繰言くりごとを発しつらねている。


 そこであなたは、車掌の視線の向かう先を二つの目で追った。

 そうして、正面のまど硝子ガラス越しに、霧に覆われなお眩い二つのあかりを見た。遥か遠方を照らす灯は徐々に明るさを──いな。大きさを増して、列車へと向かってくる。


 あなたの心臓が、どくりと一際大きく跳ねた。

 同線路上。こちらに真っ直ぐ向かってくるあれは列車だ。こちらと接触する前に止まろうという気配はなく、むしろ速度を増しているようにも思えた。


 かと思えば、車掌がばっと起き上がり、何を思ったか手元のレバーを倒した。

「……はは、はははははははははっ」と声が聞こえる。

 あなたは車掌の声かと思ったが、実際のところはそうではない。


 後ろだ。いつの間にかあなたの後ろに乗客が立っている。一人じゃない。複数、片手では数えられない。みな同じ顔をしている。った笑みを浮かべている。

「あは、はははははははははははははっ」と。

 笑っている。笑って、前を指さした。


 瞬間、あなたの乗る列車が汽笛きてきを上げた。一度は完全に静止していたはずの列車が、シュー……と煙を立ち昇らせながら走り出す。

 あなたは焦り、運転席に飛び込んだ。そしてブレーキレバーらしきものを引いた。しかしレバーは重く、無理に力をいれると、バキッと音を立ててなかばから折れた。


 車掌があなたの顔を覗き込んでくる。「行きましょう? 行き息、域、逝きま、しょう? 行きま、しょう」あなたは声を上げることすらできずに後ろに倒れ込む。

 あなたを乗客が囲む。汽笛が再度鳴り響く。蔟起ぞっきする出来事に、あなたは怖気立おぞけだ股慄こりつすると、その場に座り込み、どうしようもなく神に祈った。


 嗚呼、もし夢であるならば。

 ──覚めてくれと。




     ◆




 あなたは自宅のベッド上で目を覚ました。少しばかりの昼寝のはずが、現在時刻は午後九時を回っていた。あなたの部屋は暗く、電気はついていない。


 カーテンを開けて、窓の外。暗闇を見通すようにぼーっと眺める。

 そこには廃線となり、もう使われていない線路がある。そのようなものがあるから、あんな悪夢を見たのだ。と、あなたは溜め息を吐く。


 そうして、一息ついて。カーテンを閉めた直後。

 カーテンの向こう側から、何者かがあなたの部屋を照らした。あまりの眩しさにあなたは目を細める。誰のいたずらだと、再びカーテンに手をかけたその時。


 ──あなたは、汽笛の音を聞いた。




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