Ⅶ『逃走』
「見てしまったのか?」
町長の表情からはどこか悔しげな苦々しさを感じる。
「いや……えっと……」
「その資料に目を通したのかッッ!」
懐からナイフを取り出し、俺に向けた。
「うわああああああああ!」
初めて人から向けられた殺意に取り乱し、目に入った物を片っ端から町長に投げつける。
書斎の木机を中心に町長は右回りに俺の方へ距離を詰めてくる。一方の俺は左回りで距離を詰められないよう努めた。
結果的に両者の位置が入れ替わる形となり、俺はそのまま書斎を出て庁舎正面の引き戸を掴んだ。
「んん⁉」
開かない。別の結界が張られている。悠長に解析をして引き戸にかけられた結界を解除する時間はない。
「オリエントッ!」
「ひぃ!」
咄嗟に俺は二階へ通ずる階段を駆け上がり、慣れ親しんだ自室に飛び込んだ。ドアノブに棒を立て、ラックや椅子をとにかく積んだ。これで一時的ではあるが、町長から殺されずに済む。
一時的? 俺はこれからどうするんだ? どうすればいいんだ?
「開けろッ!」
すぐに外から町長の怒声やドアを叩く音が庁舎に響いた。普段無口で怒ることもない彼からは想像も付かない剣幕に手先が勝手に震えた。
思考がグチャグチャとまとまらないまま、部屋を見回した。何か、何かこの状況を打開する手立てはないかと。藁にも縋る思いで。
「……何だこれ」
けれど縋れる藁はどこにもなく、それどころか状況は俺が思っている以上に深刻であると感じた。享受していた平和は張りぼてに過ぎず、音を立てて崩れていくような、そんな音が聞こえてくるようだった。
この場所は、明らかに俺の部屋ではない。
いや、ここは間違いなく庁舎二階。俺が寝泊まりしている部屋で間違いないはず。
大きなベッドには白く清潔なシーツが敷かれ、壁紙は白に可愛らしい民族調のデザインがあしらわれていた。天井にはアンティーク調の魔術聖火があった。はずだ。
しかしどうだろう。俺の目の前にあるのはベッドの木枠に薄汚い藁が敷かれ、壁は所々に穴が空き、心持たない今にも壊れそうな魔術聖火が一つ。
「も、模様替え……?」
これではまるで廃墟だ。受け入れがたい現実に顔を引きつらせた。
事務用の長机には町長がすでに用意していたであろう夕食が並べられており、上に藁で出来た蓋がされている。恐る恐る蓋を取ると、
「……ッ!」
そこにはソテーされた甲虫や残飯のような物が器に盛られていた。昨日まで食卓に並べられていた食事とは天と地の差だ。
そこで俺は今までの食事を思い出した。無味無臭なスープ、異常に硬いステーキ肉、奇妙な食感の食材の数々。
全て見た目に反して味が不味い食事だった……。
「俺は……今まで……これを食ってたのか」
不清潔で傷んだ部屋と食事。これまで知らずに毎日ここで暮らしていたのかと思うと吐き気がした。
「開けろおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!」
町長がドアを蹴破り、積んでいた家具が飛び散る。
「くそおおおおおおおおおおおおお!」
もうやるしかない。
俺は勢いをつけ、決死の思いで窓に飛び込んだ。窓ガラスを突き破ってそのまま地上へ身を投げ出す。
「ぐはっ!」
二階とは言え、落下の衝撃は凄まじく内臓が大きく揺れる。鈍い痛みに堪えながら必死に立ち上がって足を動かす。
逃げなきゃ。
とにかく逃げなきゃ殺される。
「そうだ……! みんなに助けを、」
周囲を見回すが町なんてどこにもなかった。
「え………………」
どこだ。
わからない。
だってここはただの荒れ果てた不毛な大地じゃないか。
草木は枯れ果て、屈曲した枝に夕日が差し込んで悪魔が手を差し伸べているかのような不気味さを帯びている。
石造りの建物だと錯覚していた物はただの瓦礫の山だ。
他の老人たちも……ベルシーも……アンナも……ドルも……みんな……みんな……
「居なかったって言うのかよ」
俺はいままでずっと幻覚を見せられていたのだ。あの豊かな自然も、子供たちの笑い声が響き渡る平和な町も、そんなものは最初からなかった。
心臓がうるさい。
滝のように額から汗が滴り落ちているというのに、体が恐ろしく冷たい。
足が鉛のように重く、胃液が競り上がってくる不快な感覚に襲われる。
「ウッ……!」
吐瀉物を吐き散らしながら、それでも一歩ずつ、少しでも遠くに逃げようと足を動かす。
「あっ!」
枯れ木の根に足をとられ地面に体を打ち付けた。
「オリエントオォォォォォォッ!」
俺が倒れた隙に開いていた距離を詰め、夕刻に照らされた殺意が迫る。
「うわあああああああああああああああああああああああああ!」
半ば情景反射で町長が握っていたナイフを払いのけた。
その時だった。
『……ここは?』
また見知らぬ場所に立っていた。
もはやここは山奥でもない石畳が敷かれた立派な街道沿いの歩道の上だった。車道にはバギー型の四輪駆動車が忙しなく通り過ぎていく。
『あれは』
前を走ってくるのは……町長らしき男性。歳はまだ人族基準で五十代半ばほど。開襟型の軍服を着用し、胸元には青褐色のネクタイを付けている。他にも金色に輝く勲章と見知らぬ文様の腕章。普段の町長とは全くの別人のように思えてくる。
『やばっ逃げないと!』
呆気にとられ反応が遅れてしまったが今は追われる身。踵を返して走り出そうとするもすぐに追い越された。
追い越された?
『すり抜けやがった……』
俺の体をすり抜けて後ろを走っていたはずの町長の背中が遠のいていく。
場面転換。
ココットの町の庁舎とは比べ物にならないほど立派な近未来的な建築様式の建物が見るも無残な姿となっていた。黒煙を上げ、屋根に大穴が空いている。
横長の出入り口付近には大勢の人々が倒れ、医者らしき人たちが慌ただしく行き交っていた。
すぐにここは虹の輪によって爆破テロが起きた現場、それもガーゼンの記憶の中なのだと察した。
逃げていた時の俺のように血相を欠いて走る町長……いや、もはや別人だ。ガーゼンと呼ぶべきか。
ガーゼンは黒い袋が並べられた広場に向かい、立ち尽くしていた彼よりも二回りは若い軍人の元へ駆け寄った。
『ルドガー中佐…………私が到着した頃には……』
『そんな……』
膝から崩れ落ち、物言わぬただの黒い袋に縋りつく。
『…………』
人だ。中には人が入っている。それもすでに天井へ招かれた後の。
ガーゼン・クロウェル・ルドガーの妻は血の討論会の被害者だったのだ。
それも全て、オリエントが……俺が指揮したこと。
場面転換。
ここは病室だろうか。
ベッドに寝かされた十代後半ほどの青年には幾つもの管が取り付けられ、その管はすぐ側に置かれた機器に繋がれている。まさに今、その機械がけたたましい音を立てて叫び出す。それが警告音であることは誰の目にも明らかだった。
泣きながら近くの医者の胸ぐらを掴むガーゼン。
彼の想いも虚しく機器はその生命の息吹が潰えた事実をこの場にいる無力な者たちへ突き付けた。
激しい憎悪。
激しい悲しみ。
激しい無力感。
混沌と化した彼の心が黒い渦を生み出し彼を包み、
場面転換。
「……ッ!」
今俺を殺そうと迫っていた。
言葉では言い表すことが出来ない激しい怒りに腰を抜かし、地面にへたり込む。
全身が震えた。
勝手に涙が溢れる。
怖い。
怖いけれど、彼の怒りを前に逃げる気力は失せていた。
それだけの罪を俺は犯したのだ。
殺されて当然のことをしていた。
忘れちゃいけない罪だった。
背負わなければならない罪だった。
「……」
目を閉じて、生が終わりを告げるのを震えながら待つ。
その刹那、
「寝るにはまだ早い時間だよ?」
声が聞こえた。
この切迫した状況でも酷く落ち着いた……聞き慣れた声。
「シャルロッテ!」
目を見開くと同時に光の揺らぎがガーゼンを逆方向へ吹き飛ばした。
「ななな……!」
「やあ、夕日が綺麗だね。君は酷い顔だけど」
「シャルロッテッ!」
実在していた。能天気で仕事も出来なくてよく迷子にもなる。そんな彼女は実在していた。確かに今、目を背けたくなるような現実に彼女は立っている。
感触を確かめようと普段のナース服ではなく黒の修道服を着たシャルロッテの肩に触れた。そのまま我慢が出来ず、彼女の胸に飛び込んだ。暖かい、柔らかい、いい匂いがする。
「うわ……ばっちぃ……」
涙と鼻水でベタベタになった俺の顔を見てあからさまに嫌な顔をする。こんな時くらい優しくしてくれたって良いじゃないか。
「すまん……取り乱した。初めてお前が居てくれて良かったって思えた」
「普段はどう思ってたの?」
「注射が下手くそな厄介者」
「悲し」
まさかまたこんな他愛もない会話が出来るとは思わなかった。
「積もる話もあるけど、まずは町長をどうにかしないとね」
先程の光の揺らぎによって生じた土煙の中に人影が一つ。こちらに向かって歩いてくる。
「お前が虹の輪の残党だとは。さすがに気が付かなかった」
「名女優と呼んでくれて構わないよ」
「ここで死ぬ者を名女優とは呼べないな」
ガーゼンはナイフの切っ先をこちらに向けた。俺はガーゼンを老人だと錯覚させられていたらしい。目の前にいるのは紛れもない戦闘に長けた軍人だ。
「ここで死ぬ貴方には無理なお願いだったね」
余裕の笑みを崩さぬままシャルロッテは右手をピンと挙げた。
「さきほどの魔法と言い、未だかつてお前ほど掌印を簡略化した者に出会ったことはない。ここで殺すのは少々惜しいな。苦労をかけられた分の謝礼は貰わなければ割に合わんぞ」
「わたしはただ頼ってるだけだよ。そのいけ好かない髭をちょん切っちゃえってね」
シャルロッテは蝶を愛でるように空いていたもう片方の手をかざした。
すると目にも止まらぬ速さで風の刃がガーゼンの片側に生えた頬髯を切り裂いた。
「ふむ……掌印のモーションが余りにも小さいが、動作がある以上それは魔術だ。ならば動作に合わせて動けばいいだけのこと」
一歩間違えば今の一撃で首が落とされていたかもしれないのに、この男は驚くどころか瞬きの一つもせず、冷静にシャルロッテを分析している。
彼の言葉から何となく言わんとしていることは伝わった。
魔法の大原則なら俺にだって多少の知識はある。
魔法とは目に見えない精霊から力を借りることだ。力を借りるためにはお願いをしなければならない。この場合、お願いとは『詠唱』になる。
戦闘時、悠長に詠唱しているわけにはいかない状況がやってくる。
その対策として、先人は『魔術』という概念を生んだ。
魔術とは魔法をより使いやすく再構築した概念だ。
詠唱の省略や掌印による詠唱の補助を行うことで、魔法の発動速度を飛躍的に向上させた。しかし、お願いを省略するということは精霊からの恩恵が減ることにも直結する。
詠唱を省略すればするほど、技の力は弱まり影響力を失う。
それが魔法の法則だ。
「「…………」」
両者構える。何か一つ、きっかけがあれば殺し合いが始まる決戦前の静寂。
まずい。
このままでは二人は殺し合いを始めてしまう。
「待ってくれシャルロッテ。……俺は、俺はもういいんだ」
「もう後戻り出来ないところまで来ている。ガーゼンが死ぬか、わたしが死ぬまでこの戦いは終われない。そこに君の意思が介入する余地はないよ」
「そんな……」
また俺のせいで人が死ぬのか?
「しょぼくれた顔しないでよ」
シャルロッテはため息混じりに自ら均衡を破り、右手は挙げたまま無用心にも体を俺の方へ向けて、頭を撫でてきた。
「お、お前馬鹿か……!」
そんな隙をガーゼンが見逃すはずもない。
「我が静寂を破りし陣風に舞う精霊よ、かの者に自由の翼を≪ゼリア≫」
早々に詠唱を済ませ、体にまとった風の渦を推進力に変え、およそ生身の人間では成しえない移動速度で俺たちとの間合いを詰めた。ナイフの鋭い切っ先がシャルロッテの喉笛に迫る。
「残念だな。わたしを殺すのは躊躇してくれないんだ」
シャルロッテがニヒルな笑みを浮かべると、挙げていた右手を勢いよく下した。
「さあどんな魔法を使う……!」
シャルロッテが起こす次の行動に全神経を研ぎ澄ますガーゼン。
しかし無情にも攻撃が放たれたのは予想だにしない死角からの一手だった。
「まてっ……!」
俺が言葉を挟む暇もなくガーゼンの腹部を魔力体で構成された弾丸が貫いていった。
ロドニスの子供たち。 文明開花 @bunnmei_kaika
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