Ⅵ『現実』

 徐々に降り積もった疑念が疑惑に変わるのは刹那のこと。

 若干の違和感を抱えながらも平和なひと時に浸っていた半年間の生活が音を立てて崩れていくようだった。

 不安感を振り払おうと杖を捨てて庁舎に向かって走った。俺の探知能力は周囲の状況を読み込むまでにタイムラグがある。石に躓くことを恐れて普段はあまり走ったりはしない。でも今はそんな些細な心配なんて俺の頭にはなかった。

 『目を覚ましたのかオリエント』

 『虹の輪の残党は今どこに潜伏している』

 『自らの記憶を消したか、卑怯者め』

 『用済みなら私がこの手で処分する』

 目を覚ましてからのライズの言葉を思い返す。

 どれも善良な一般人に浴びせられるような言動ではない。最初は何か思い違いをしているのだと自分に言い聞かせていた。目を背けてきた。

 俺が取り返しのつかない罪を犯した咎人なのだと考えたくもなかったから。

 「……くそ……くそ……くそ……!」

 嫌だ。

 俺は悪い奴なんかじゃない。

 これからも皆と楽しく暮らしていくんだ。

 自分に強く言い聞かせ、庁舎に駆けこむ。

 そのまま普段寝泊まりしている二階には上がらず、一階奥の書斎の前に立った。

 「ここだ」

 この場所は町長であるガーゼンの書斎だ。一度も立ち入りを認められていない、開かずの間だ。ドアには魔術的結界が付与されており、力づくで開けることは叶わない。

 いつか忍び込んで町長を驚かせてやろうと、この結界について解析を行っていた。

 目をグッと凝らすとドアノブに仕込まれた結界が俺には目視できた。さらに集中力を高めると結界そのものの構造が手に取るように解る。目覚めた際に居た白い部屋に施されていた多重的な構造に比べて簡易的で魔力の流れは縦と横を縦横無尽に流れてはいるが、道筋は絞れる。おそらく老いたガーゼンが日常的に開け閉めできるよう比較的シンプルな構造にまとめられているのだろう。

 「今回はそれが仇になったな」

 魔力の結束点を指先でなぞると均衡は崩れ、結界は呆気なく崩れた。

 扉を開けると独特な臭いがした。ずっと窓を開けていないのか空気がこもっている。書斎には大樹を切り出して作ったような艶のある木机が一つに黒い革のチェア。壁側には本棚が並び、所せましと書物が詰まっている。置き場が足りないのか床に雑多に置かれた山積みの本には埃が被っている。片付けが出来ない町長らしい部屋だ。

 大事な物もきっと手に取りやすい場所に置いてあるに違いない。半年間辛酸を舐めさせられてきた俺が言うんだから間違いない。

 見たところ書斎には特別魔法的力が働いている様子もない。

 「さて、どこかに俺に関する情報は……」

 有力なのはチェアに座った際に手が届く範囲内。

 木机の上? ペンや再生紙、飲みかけのコップが置かれているが特になし。

 足元に鍵が刺さったままの金庫があるが……簡易ポーションしか入っていない。

 「ジジイを見くびってたな……」

 不意に本棚に手を付いた。

 「んん?」

 そのまま本が奥へ押し込まれていく。

 「これは……」

 本棚が左右に割れ、近未来的な白いキューブ型の部屋が現われた。

 「隠し扉か……!」

 しかもこの白いキューブ型の部屋……俺が目を覚ました際に居たあの場所と同じだ。

 入口の周りに小さな木机があり、下部にあるスライド式の収納スペースを引くと雑多に資料が詰め込まれていた。

 「…………」

 何気なく一枚目の資料を手に取って見出しが目に入ると、

 「な、何だ……これは……」

 俺は目を疑った。

 そこには大勢の観衆の前で演説をする女性の見出し……俺と瓜二つだ。

 「『新宗派である虹の輪が台頭、教祖であり活動家であるオリエントに注目が集まる』」

 二枚目、

 「『ギルエットの町で政治討論会の開催が決定。虹の輪のオリエント参加。政府異例の対応』」

 三枚目、

 「『魔力廃絶主義に各国同意の流れ。特別措置法の制定間近か』」

 四枚目、

 「『激震、血の討論会。各国議会に自爆テロ』」

 手が止まった。

 「はぁ……? 何だこれ……いや、何だこれ……。どうしてだ……『虹の輪を邪教徒として認定……魔力廃絶主義に賛同の声多数……し、死者述べ一千人超……?』」

 これは何だ。

 何か趣味の悪いフィクションなのか?

 五枚目、

 「『魔人オリエント、ギルエット内の商業施設で銃殺』」

 記事の写真には手足を拘束され、頭から血を逃し、虚ろな目をした俺が写っていた。

 「……銃殺。じゃあ俺は誰だ……そうだ、俺じゃないかもしれない。目を覚ましたばかりで意識がハッキリしていなかったから、似ているように見えただけで……」

 そうだ。

 そうに違いない。

 目隠しを後頭部から引き千切ろうとするが思うように解けない。

 慌てて書斎に戻り、木机の上にあった手紙を開く用のナイフで強引に目隠しを切り裂いた。目元を多少斬ったがどうでもよかった。早く自分の姿を確認して、楽になりたかった。俺はオリエントとは別人で、俺は犯罪者じゃなくて、誰も……誰も殺してないって証明したかった。

 「そんな…………」

 けれど。俺の願いは脆くも崩れ去る。

 目隠しを外し、夕暮れに染まる空をバックに窓ガラスに映った自身の容姿に絶望した。

 背中を覆うほど伸びた金髪。

 深紅に染まった瞳。

 少し長い耳と発達した犬歯。

 紛れもない魔人オリエントのそれだ。

 「…………」

 ガラス越しに入口のドアの前に立つ町長と目が合い現実に引き戻された。

 「ひぃ……!」

 慌てて振り返り持っていたナイフを町長に向けた。

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