第12話 初めての嫉妬

 ジルネフィには腹違いの兄が二人いる。一番目は生粋の魔族だからか大の人間嫌いで、母親が人間であるジルネフィのことをひどく嫌っていた。二番目は水を棲み処にする魔族で、何を考えていて何をしたいのかよくわからない。

 ジルネフィには可愛がっている弟もいた。一番目は人間から生まれたという理由で弟のこともひどく嫌っているが、驚いたことに二番目はジルネフィと同じくらい可愛がっている。時々弟への贈り物の相談を受けるのだが、はじめはどういう風の吹き回しかと訝しんだほどだ。


(まぁ、わたしも人のことは言えないか)


 ジルネフィが気にかける存在は弟以外いない。この先も弟以上に可愛がる存在はいないだろうと思っていたところでスティアニーを拾った。それ以来、ジルネフィの中心は少しずつスティアニーに移っていき、いまでは可愛がるのも世話を焼くのもスティアニーばかりになっている。


(解熱剤に鎮痛薬、胃薬に咳止め……と、今回はこれで全部かな)


 ジルネフィが箱に詰めているのは弟に送る薬だ。半分人間の弟には魔族用の薬が効きにくく、かといって魔力による治癒も施せない。他人の魔力を弾き返してしまう体質のせいだが、そのことにいち早く気づいたのがジルネフィだった。そういうこともあり、可愛がっている弟のためならと小さい頃から弟専用の薬を調合していた。


(そうだ、今回はこれも入れておいてやろう)


 ジルネフィが棚から取り出したのは、蜂蜜色の液体が入った透明なガラス瓶だ。粘度が高いからか瓶を揺らすと液体の表面がゆっくりと傾いていく。何度か揺り動かせば蜂蜜色の中に銀色や紅色が現れ、なんとも言えない不思議な色合いに変化した。


(これなら相手が人間でも影響はないはずだ)


 瓶の中身は、先日スティアニーと摘んだ華蜜鳥はなみとりで作った閨用の香油だった。


(まだまだ子どもだと思っていたのに、こういうものが必要になったとは)


 それだけの年月が経ったのだと思うと、スティアニーが大人になるのも当然かとジルネフィの口元に笑みが浮かぶ。


 カタン。


 作業部屋の入り口から小さな音が聞こえた。顔を上げるとスティアニーが立っている。


「スティ?」

「あの、お昼の用意ができたので……」


 言いよどむように口を閉じると視線を逸らした。「どうかした?」と問いかけても「何でもないです」と足早に去ってしまう。

 居間に行くと湯気を立てた昼食がテーブルに並んでいた。ジルネフィが何か言う前に「温かいうちに食べましょう」とスティアニーが言い、取りあえずいつもどおりに向かい側の席に座る。そうして食べ始めたもののスティアニーは無言のままだ。


「スティ、どうかした?」

「……何でもありません」

「本当に?」

「何でも、ないです」


 食事の間中、スティアニーはどこか不機嫌そうな表情をしていた。それなのに時々悲しそうな目でジルネフィを見る。気になって理由を尋ねるものの、そのたびに「何でもない」と首を横に振る。

 見たことがない弟子の様子に、ジルネフィは「こういうとき何て尋ねるのが正解なのかな」とため息をついた。それをスティアニーは別の意味に捉えたのか肩を小さく振るわせる。顔を見ると困惑と悲しみが入り混じったような表情で唇をクッと真一文字に結んでいた。


(そういえば、この前までこんな表情を何度も見たな)


 ジルネフィに自分の気持ちを知られてはいけないと考えていたスティアニーは、たまにこうした表情で師を見ていた。


(さて、今度は何を我慢しているのやら)


 おそらく知られたら呆れられる、もしくは嫌われると思っている何かだろう。小さい頃から何でも話していいよと伝えてきたというのに、欲の薄い弟子は肝心なところで黙ってしまう。


(残念ながら話してもらわないと人間のことはわたしにはわからない)


 そう思い、「思っていることがあるなら話してごらん」と促した。途端に菫色の瞳が揺れ始める。


「スティに言われて困ることは何もないからね」


 困るどころか、せっかくならもっと欲を口にしてほしいと思っていた。


(そうすれば一人では立っていられなくなるくらい甘やかしてあげるのに)


 結果、より一層スティアニーはジルネフィから離れられなくなる。自らこの腕に堕ちてくる。想像するだけでジルネフィの魔力が波打つように蠢いた。それを押し留めながら席を立ち、椅子に座る弟子の傍らに立つ。


「大丈夫。さぁ、何を思っているのか話してごらん」


 スティアニーの唇がほんの少し開き、また閉じた。見下ろしている師の顔を伺うように上目遣いになりながら、二度三度と唇を動かしてようやく口を開く。


「でも、言えばきっと……お師さまは嫌な気持ちになります」

「いままでスティに言われて嫌な気持ちになったことはないし、これからもないよ」

「……きっと迷惑です」

「スティのことを迷惑だなんて思ったことは一度もないからね」


 両手で白い頬を包み「大丈夫だから」と微笑みかける。すると菫色の瞳がゆらゆらと揺れ、そっと視線を外しながら「お師さまが……」と小さな声で話し始めた。


「さっき、とても綺麗な笑顔で……優しい顔で箱を、見ていたから」

「箱って、弟に届ける薬を入れていた箱のこと?」


 視線を逸らしたまま小振りな頭が小さく頷く。


「その顔を見たら、胸がこうギュッとなって……嫌な気持ちになったというか……」


(なるほど、そういうことか)


 スティアニーは、弟に送る薬を見ながら微笑むジルネフィを見て嫉妬したのだ。そんなふうに感じた自分に戸惑い、知られたら嫌われると考えた。


(スティはわたしが弟を可愛がっていることを知っているから、なおさら知られたら大変だと思ったのだろう)


 これまでスティアニーには何度か弟の話を聞かせたことがある。そのときは「お師さまは弟が大好きなんですね」と笑顔を見せていたが、どうやら今回は違ったらしい。

 もしかして、これまでにも弟に嫉妬したことがあったのだろうか。それとも気持ちが通じ合ったことで自覚した感情だろうか。


(どちらにしても、わたしの気持ちが弟に向くことに耐えられなかったというわけだ)


 いい兆候だとプレイオブカラーの瞳がくるりと色を変えた。これまでのスティアニーには見られなかった仄暗い感情が、少しずつながら小柄な体の中で生まれつつある。無垢な心に薄闇色の感情が芽生え始めている。さすがに壊れてしまうほどの感情はよくないが、自分に執着する糧になるなら問題ない。


「スティ、それは間違った気持ちじゃないよ」


 不安そうに揺れるアメジストの瞳に、ジルネフィの口角がゆっくりと上がった。「そのまま堕ちてしまえ」と甘い毒を囁きたくなるが、それではスティアニーが変わってしまう。ジルネフィがほしいのは、いまのままのスティアニーだ。そのためには優しく丁寧に堕としていく必要がある……ジルネフィの魔力が影になって床に蠢く。


「それは嫉妬という感情だ。決して間違った気持ちじゃないけど、時としてひどくつらくなるのも確かだね」

「お師さま、でも……」

「わたしはスティに嫉妬されて、とても嬉しいよ」


 優しく両頬を包み込んだまま顔を上げ、柔らかな唇に口づけた。触れるだけでも体を震わせるスティアニーにますますジルネフィの欲が強まる。


(そろそろ内側に触れてもいい頃合いかな)


 外側には万遍なく触れてきた。顔も耳も体も手足も、爪の先から髪の毛まで触れてないところは一つもない。ここまでくると、次に触れたくなるのは熱く熟れ始めた内側だ。


(血潮を感じる柔らかい臓腑もわき上がる感情も、何もかもわたしだけのものだ)


 床の上に広がった魔力の影がぶわりと膨らむ。まるで襲いかからんと床から這い上がった影は、すぐに形を崩しジルネフィの体へと戻っていく。

 その後、ジルネフィは嫉妬という気持ちを丁寧に説明した。戸惑う弟子に「どんな感情もスティの大事な一部だよ」と告げる。それにホッとするスティアニーの体を抱き寄せながら、体内で荒れ狂う己欲望をジルネフィは心地よく感じていた。

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