第11話 戯れ

 境界の地に春がやって来る。朝晩の凍てつく寒さが和らぎ、大地が芽吹いて多くの花が咲き乱れる季節の到来だ。魔族や魔獣の世界に四季という変化はほとんどないが、人間の世界に近い境界の地には極端ながら季節が存在した。ただし冬は厳しく春はわずかで、夏の多くは涼しく秋はすぐに去ってしまう。

 そのわずかばかりの春を迎える前に、魔術師のもとへ緑華王りょくかおうと呼ばれる魔族がやって来た。スティアニーを拾ってからは四度目の来訪になる。


「お師さま、緑華王りょくかおう様がいらっしゃいました」

「ありがとう。いつものお茶を用意してくれるかな」

「はい」


 真っ白な液体と銀粉の入った二種類の瓶を取り出したジルネフィは、作業部屋から居間へと向かった。途中キッチンを覗くと、伝えたとおりスティアニーが香り高いお茶を用意している。背中には少し伸びたストロベリーブロンドの三つ編みが光っていた。伸びても美しく輝く髪の毛を眺めながら、ジルネフィはスティアニー専用の香油を作ろうかと考える。

 香りはどうしようかと候補をいくつか思い浮かべていると、「あ、お師さま」とスティアニーが振り返った。


「お茶の用意、できました」

「ありがとう。じゃあ、居間に行こうか」


 居間のソファには、青味がかった美しい緑色の髪の男が座っていた。物憂げな瞳は真紅色で猛禽類のように虹彩が丸く小さく、霊鳥に連なる一族の特徴を示している。


緑華王りょくかおう、お久し振りです。今年は少し早いですね」

「はい、そろそろ揃っての繁殖期に入りそうなので……今回もお世話になります」

「ちょうどよかった。今回は材料が多めに手に入ったので、いつもより量を多く用意しておいたところです」

「ありがとうございます」


 ジルネフィが作業部屋から持ってきた二つの瓶をテーブルに置く。


「これで足りるとよいのですが」

「それは……まぁ……」


 緑華王りょくかおうの美しい頬がほんのりと赤くなった。「繁殖期では足りないかもしれないが」という含みに気づいたのだろう。

 霊鳥は総じて性が強い。とくに緑華王りょくかおうとつがった黒鳥輝こくちょうきは抜きん出た魔力の持ち主で相当強い性を持つ。代わりに数年おきにしか繁殖期がやって来ないため、子が生まれる卵も数年おきにしか生むことができない。


(久しぶりの繁殖期ということなら体力回復の薬も用意しておくべきだったかな)


 ジルネフィがそう思案していると、二つの瓶の横にスティアニーがいい香りが漂うティーカップを置いた。


「どうぞ」

「ありがとうございます。スティアニーさんもお変わりないようで」

「はい、緑華王りょくかおう様もお元気そうで何よりです」


 気性が優しく口調も表情も穏やかな緑華王りょくかおうは、真面目で優しいスティアニーと波長が合う。そういうこともあり、年に一度しか顔を合わせることがない二人はいつしか言葉を交わすようになっていた。

 菓子が好きだという二人は、いまも焼き菓子に混ぜる果実や木の実の話で盛り上がっている。そんな二人を眺めながら「やはりわたしのスティは何をしていても愛らしい」とジルネフィの口元がほころぶ。


「お茶、おいしかったです」


 美しい所作でお茶を飲み終えた緑華王りょくかおうが、折りたたまれた薄紅色の布をテーブルに置いた。そうして二つの瓶を懐に入れて立ち上がる。


「ジルネフィさん、また来年もよろしくお願いします」


 そう言って頭を下げると、孔雀色の髪がさらりを肩を滑り落ち爽やかな深緑の香りがふわりと漂う。頭を上げると「スティアニーさんもお元気で」と微笑み境界の地を後にした。

 緑華王りょくかおうが帰った後、スティアニーは珍しくテーブルに置かれた物に興味を示した。「そういえばこれまで見せたことがなかったな」と気づいたジルネフィが「気になるかい?」と声をかける。


「いつもこの布を置いていかれますけど、中身は何ですか?」

「中身はね……」


 言いながら薄紅色の布を開く。中には美しい緑色をした大きな羽が二枚入っていた。


緑華王りょくかおうの羽だよ」

「羽?」

「そう、とてもいい香りがするから嗅いでごらん」


 一枚手に取ったスティアニーがクンと鼻を鳴らすように香りを嗅ぐ。途端にパァッと表情が明るくなったのは、大好きな花と若葉のような香りがしたからだろう。


「いい香りだろう? 緑華王りょくかおうの羽は春の訪れを祝うものと言われているんだ。だから花のような甘い香りと新芽のような清々しい香りがする」

「はい、とてもいい香りです」


 うれしそうに羽を嗅ぐ様子に、ジルネフィはあることを思いついた。


「そうだ、湯を浴びるときにこれを使ってみようか」


 スティアニーなら喜ぶだろうと提案すると、「羽を使う?」と不思議そうな顔をする。


「この羽を湯に浸すと薬効を得ることができるんだよ」


 なおも首を傾げる弟子に「楽しみにしていて」とジルネフィが微笑んだ。

 その日の夜、早速美しい羽を湯船に入れることにした。湯船に羽を浸すと透明な湯が澄んだ若葉色に変わっていく。さらに芳しい香りが漂い始めたからか、菫色の瞳が興味深そうに湯船を覗き込んだ。


「さぁ、一緒に入ろうか」

「え?」


 驚いて顔を上げたスティアニーに「ほら、服を脱いで」と腕を引く。


「しばらく湯に浸かるから髪の毛は結んであげようね」


「あの、」と戸惑うのを無視してストロベリーブロンドをくるりとひとまとめにした。



「せっかく春の訪れを感じる湯なのだから熱いうちに入るよ」


 誘いながらジルネフィがさっさと服を脱ぎ始める。それを見たスティアニーはパッと顔を赤らめ、慌ててそっぽを向いた。「もう何度も一緒に入っているのに」とおかしく思いながら長い銀髪を器用に結び、「先に入っているよ」と声をかけて湯船に浸かる。

 しばらく背を向けたままだったスティアニーだが、小さく息を吸い込むと意を決したように服を脱ぎだした。そうして全身真っ赤にしたまま、おずおずと湯船に足を入れる。


「おいで」

「ぅわっ」


 腕を引かれたスティアニーは咄嗟に湯から出ようとした。ところが肩を掴まれ、ジルネフィの胸に背中からもたれかかるように座らされる。


「お師さま、」

緑華王りょくかおうの羽には血行促進の効果があるんだ。それに香りを嗅ぐと気持ちを癒やしてもくれる」


 逃げないようにとジルネフィはあえて薬効の話をした。予想どおり優秀な弟子はためらいながらもおとなしく耳を傾ける。


「それに肌つやもよくなるよ」

「……はい」


 いつもよりスティアニーの反応が鈍い。視線を落とすと、湯の効果だけではない赤らむうなじが見えた。それよりも真っ赤になった耳にプレイオブカラーの瞳がくるりと色を変える。


(こうした初心な反応も楽しくはあるかな)


 後ろからの熱い視線に気づいたのか、スティアニーがますます顔を俯かせた。そんな状態でも真面目な弟子は疑問に思っていたことを師に尋ねる。


「あの、緑華王りょくかおう様に渡した薬は何の薬ですか?」


 これまで緑華王りょくかおうに渡す薬の調合に携わったことがないスティアニーは薬のことを知らない。勤勉な弟子の姿にジルネフィの頬が緩む。


「真っ白な液体は卵の殻を丈夫にする薬だね」


「この肌のように白い液体のほうだよ」と言いながら指先で二の腕を撫でた。そのまま濡れた肩までツツツと撫でる。


「から、ですか?」

「そう。緑華王りょくかおうは生まれつきの体質で、生む卵の殻が薄く割れやすいんだ。殻があまりに薄いと子がうまく育たず生まれない。そこで繁殖期には殻を丈夫にする薬を飲むんだ」


 説明しながら動く手にスティアニーの肩がヒクッと震えた。それに気づいてもなお、ジルネフィは指先を首筋へと移していく。


「銀粉のほうは体温を上げて子を授かりやすくするための薬だね。これを飲めば相手が繁殖期でなくても卵が産まれやすくなる。緑華王りょくかおうのつがいは数年に一度しか繁殖期が来ないから毎年渡しているんだけど、今回は必要なかったかな」

「そう、なんですね」

「つがいの種が入っていない卵からも鳥たちが生まれる。それらは皆緑華王りょくかおうの眷属として生きる。そうやって一族を増やすんだ」

「んっ」


 首すじを撫でた指で耳朶を優しく摘めばスティアニーの唇から吐息が漏れた。反応に気をよくしたジルネフィが、そのまま耳の縁をクニクニと揉むようにいじる。


「お師さま、……っ、手、とめてくだ、っ」

「どうして? 気持ちよくない?」

「そういうことじゃ、んっ!」

「耳のこのあたりには体を温めるツボというものがあるらしいよ。人間にはそういうツボがあちこちにあるそうだ」

「手、とめてくだ、っ」

「手のひらや足の裏、それに背中や腰回りにもあるそうだから、今度じっくりと刺激してあげよう」

「お師、さまっ」

「スティもやってみるかい? 魔族の体にそういったものがあるとは思えないけど、スティにならどこを触られても……スティ?」


 腕の中で華奢な体がふるっと震えた。視線を落とすとジルネフィの肩に頭を載せた真っ赤な顔がハフハフと息を乱している。


「……やり過ぎたかな」


 ジルネフィの言葉にも反応しない。完全にのぼせてしまったスティアニーを湯から引き上げたジルネフィは「ごめんね」と謝りながら全身を拭った。寝間着を着せ、寝室に運びながら「明日の朝は拗ねられるかな」と反省する。翌朝ジルネフィの予想は見事に当たり、昼食までスティアニーは頬を少し膨らませ続けていた。

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