6 ブランデル国のスパイ

 ルエンドは真っ青になったまま、口を閉ざしている。

「ルエ姉、スパイって……?」

 ジェシカはルエンドの顔を心配そうに見返した。

 

「……ごめんなさい、いつかは話さないととは思ってたんだけど、そんなつもりはなかったの、父上の行方を知りたくて。でも本当はただ」

 眉を八の字にしてジェシカを見る。

「……てきたの」

 ジェシカはハッキリしないルエンドに若干の不安を抱いて見つめた。

「え?」

「逃げてきたのよ」


 トージの濃い眉がピクリと動く。

「この女はね、隣国ブランデルの王女だよ」

「何だって!? 王女って!」

 後ろ手に銀の枷を付けられたままのヒースとミツヤは顔を見合わせる。


 アラミスは真剣な顔をしてポツリと漏らした。

「さすがにそいつは初耳だな」

(確かに《姫枠》とは言ったが、まさか本当に姫とは……)

 護衛隊内部に精通しているドクにすら情報が入っていなかったようで、呆然としている。


 現在ブランデル国もブルタニー同様に王が不在の為、ルエンドの兄であるサイラス王子が代理を務めている。

 ブルタニーを訪問してから戻らない王の行方を調査すると言って、一人飛び出したがそれは建前。彼女は身内の誰にも打ち明けたことはないが、王女という立場が性に合わず逃げたようだった。つまり一般大衆でいうところの「家出」だ。


 この国に身分を隠して入国した彼女は当時16歳。遠く南方まで一人やって来てきた挙句露頭ろとうに迷っていた彼女は、アビニオの町付近で六三郎に拾われたのだった。

 六三郎に「このままでいいのか」と問われた彼女は、護衛隊に入隊して剣術を学ぶ決意を固める。それは、行方不明の父王に関与していると思われるリシューを探るためだった。

 

「本名はレティシア。知らないとでも思っていたか? こっちは知っていたぞ、コソコソと猊下げいかの周辺を探っていたことをね。そのうち私の方にもその手を広げて来て……いい加減うるさくて仕方なかったんだよ。ルエンド君、君の予想は当たらずとも遠からずだ」


 トージはしゃがみ込んだルエンドの前までゆっくりとやって来て、彼女を上から見下ろした。


「もう君達はここでお終いだから教えてやろう。この国のルイ王を大教皇に歯向かう逆賊として仕立て上げ、幽閉したのも、ブランデル国のレオンハルト王、君の父親を消したのも、この私だよ……!」

 トージは勝誇ったような目をして薄ら笑いを浮かべた。

 皆、騒然となる。

「ち、父上を……!?」

 

 ちょうどその時だ。トージの後方数メートルの辺りに、早々に用事を済ませ再び《瞬間移動トランスポート》で戻ってきたジャックが木の陰で話を聞いていた。

(おいおい、トージ君。もう勝った気でいるんだな、国王幽閉の件までバラしやがって。間に合ったから良かったが……)

 膝のポケットに手を突っ込み、何やらゴソゴソと探しているかのようだ。


 また、アラミスの後方数メートルでは草陰に隠れてクロードともう一人、隊員服に身を包んだ者が彼らの話を聞いていた。

「おいクロード、聞いたか? どこまで知ってたんだ?」

 落ち着いたトーンの男口調ではあるが、なんと女性の声だ。


「ルエンドは私の部下です。ですので勿論素性は知っていましたが、問題は国王の件です。残念ながらトージ総隊長がまさかそこまで手を染めているとは……」

 クロードがその丹精な顔を歪める。

「そういえばあいつ、今どこだ?」

「さぁ、恐らくその辺に隠れて様子を見ているでしょうね」

「ま、どっちでもいい。行こうか」


 女性隊員が出て行こうとしたところをクロードが制止する。

「ギリギリまで待ってみませんか? 更なる総隊長の思惑が飛び出すかもしれませんので」



 ジェシカはトージの話を聞いてから戸惑ってはいたが、ルエンドの心境を心配し始めていた。

「ルエ姉……!」

 ルエンドの素性は知ってはいたが、話は既にジェシカの範疇はんちゅうを超えるレベルだった。本人の目の前で親を殺した話をする、それはトージの得意とする心理戦法かもしれない。


「ブランデル国はセレスティア教を信仰する国、ただそれだけです。それだけでなぜ父上を!? 何も悪いことはしていないのに!」

 ルエンドは震える声でトージに食って掛かる。


「トージ! お前、何を言ってるか分かってるのか? 何をしでかしたか、本当に分かってそんな簡単に言うのか?」

 何の感情もなく淡々と事務的にやってのけました、と言わんばかりのトージに、ヒースはすっかり頭が動転していた。


「君こそ一体何を言っているのかね、国家間の戦争だよ。君達一般の自警団風情ふぜいが口を挟むことではあるまい? これは自国をまもるために必要と判断の上でのこと。どこの国でも同じことはやるだろう? フフッ、これが私流のだよ」

 トージの話で一同は二の句を失っていた。こんな男が国を操っていたのかと。


「そもそも私の立案とはいえ、この世界全体の二割しかないセレスティア教の完全なる排除は大教皇直々の指示だ。それをこの女はリシューの身辺を探ってブランデルに情報を漏洩ろうえいしては我々の計画を妨害していたんだ。今までバチケーネへ向けた文書が何通途絶えたか分かるかね?」

 そう言ってトージは眉をピクりと動かし、ルエンドを指さした。


「つまりだ、この世界のエテルナ教最高職である大教皇に反旗をひるがえしたわけだよ。この女の方がこの国の、いや事と次第によっては全世界に対し牙をいた反逆者ではないか」

 トージの言葉に、その場は静まり返る。


「大教皇の計画を妨害していた罪で幽閉したと、明日にでもバチケーネへ書面で提出してやろう」

 ルエンドは唇を噛んで耐えていた。

「この女はスパイだ。どこが信用できるといいうのだ? フフフ、そもそもアビニオの町の件も、我々が場所を発見出来るようにこの女が自ら動いたとは思わんのかね?」


 ヒースはもう怒りを止められない。銀の枷をしていても、周囲の色を変える程にオレンジ色の光を放ち始めた。

 だが、ヒースが何か言う前にジェシカが先に叫んでいた。

「あんたとは違うから! ルエ姉は絶対にそんなことをする人じゃない!」

 ルエンドは、ジェシカにとっては数年前から身内のような存在だった。


 銀の枷が体に効き過ぎているミツヤが、真っ青な顔でジェシカを励ます。

「そうだ、ジェシカ! ルエンドは僕らを裏切ったりしない!」

 何とかして枷を外そうと足掻あがき、金具はガチャガチャと音を立てる。

 その隣でヒースは目を閉じたまま聞いていたが、大きく息を吐くとトージを見据えた。


「お前らが国家間で何をしようと、そうさ。俺達には関係ない。だがな」

 そして次に、ルエンドの動揺しきった瞳へ迷いのない真っ直ぐな視線を向ける。


「たとえ世界を敵に回しても、ルエンドは俺達の仲間だ! その魂だけは奪わせない!」


(ヒース……!)

 ルエンドの胸に疾風かぜが吹き抜けていく――。


「ヒースのやつ、カッコつけやがって」

 ミツヤがニヤリとした。

 ジェシカは後ろ手で密にピースサインをしていた。

「ちっ。先越されたか」

 アラミスが悔しそうにしているのを、ジェシカが見てプッと笑った。

「僕が出会えたチームがここで良かった」

 ドクの目元が笑っている。恐らく誰も彼のこの表情を見た者は今までいなかっただろう。


「ここで我々に囲まれ、主要戦力も封じられてよくそんな大胆な口が利けるものだよ。大教皇がこの世界でどういう存在か分かって言ってるのかね?」


わりいが、こいつら仲間を守る為なら、俺は国家だろうが大教皇だろうが、全部敵にしてやるよ!」


 ヒースは銀の枷をつけたまま、オレンジの光が体全体を完全に覆っていった。

「もうモタついてはいられないな。要するにトージもジャックも20人の護衛隊隊員もまとめて今、全部ぶっ飛ばせばいいんだろ? ミッチー暴れるぞ!」

 ヒースは炎のドナムで簡単に銀の枷を溶かして外してしまった。

「ぎ、銀が利いてないだと? なぜ……!?」

 トージは慌てるがもう遅かった。

「ええ? なんで!?」

 ジェシカやアラミスも皆、困惑していた。


「教えてやるよ、俺には銀なんて効かないのさ。これつけて育ってたからな」


 そういってヒースはトージに銀のブレスレットを見せ、全員の枷を炎斬刀えんざんとうであっという間に断ち切ったのだ。

「助かった! もうちょっとでゲロるとこだったよ。よくこんなの何年も付けてたな、ヒース」

 ミツヤは両手首を手で何度もさすりながら深呼吸している。

 全員、武器は奪い返した。相手は一人、一同はトージを取り囲むべく配置につく。


 すると、トージの後ろからもう一人、がらのデカい男が姿を見せた……!


「総隊長、只今遠征から戻って参りました。コイツらですか? 反逆者っていうのは?」


 腹の底まで響いてくる低音の声だ。その男、身長は二メートル以上、彼の体を包む紺色の制服は恐らく特注だろう。

 二の腕だけでもルエンドのウエストくらいはありそうだ。

 短く刈った黒髪に精悍な顔立ち。

 ヒースとミツヤは彼のあまりの体の完璧な仕上がりに、顔より体に目が釘付けになった。

「こんなの、生成AIだろ……!」

 ミツヤが真っ青な顔で呟くと、ヒースは「またミツヤがおかしなことを言ってる」という目をした。


 肩にはグリップを挟んで左右が三日月型の両刃仕様の戦斧せんぷかついでいたが、その左右間の両刃幅は一メートルを超える大おのだ。

「待っていたよ。ウォーカ君。そうだ、こいつらがちょこまかと動き回って手を焼いていたのだ」

 トージはとぼけた風を装い、首をいた。


「第一隊隊長、『解体屋ウォーカー』! あなたまで!?」

 ルエンドは後ろにジリジリと下がる。衝撃でその唇を震わせていた。

 護衛隊の中では《最強》と呼ばれ、仲間からも信頼があった彼まで敵に回ってしまったのだと……。


 しかもウォーカーは自分の部下である第一隊の隊員から、護衛隊最強を誇る精鋭部隊20名を引き連れて来ていたのだ。

 特に前衛にいる五人は、他の隊員には装備を許されていない紺色の防弾製のアーマーを身に着けており、それは群を抜いて強いことを意味していた。


 もう目標をスイッチせざるを得ない。ヒースはルエンドに正体を尋ねる。

「ルエンド、こいつ何者なんだ?」

「護衛隊の隊長格で『三鬼神さんきしん』と呼ばれた一人よ。その配下の隊員達も他の隊員とは一線を画す強さを誇ってる。ずっと任務とかで最近見てなかったけど……これはまずいわ」


「三鬼神だと……?」

 ミツヤは拉致された後だった為、数日前のルエンドの解説を聞いていない。

「そう。ウォーカー、ジャック、クロードの三隊長のことよ」

 ミツヤは初めて聞くその異名に鼓動が激しくなる。ヒースと自分とで、ウォーカやジャックを相手に出来るだろうか、と。

「デカ過ぎだろ。てか、解体屋って……」

 アラミスが目の前の大男に呆然としてしまっている。


 トージはその隙にウォーカーの背後まで駆け寄った。

「ちっ! しまった!」

 ヒースの声はウォーカー隊長の声でかき消される。

「総隊長、こいつら全員始末していいんですね」

 ウォーカーが背に装備した巨大な斧に手をかけた時だ。


「そこまでだ、トージ総隊長!」

 女性の落ち着いた声が森に響く……。


「隊長特権の行使だ、国家の反逆罪で逮捕する。驚いたよ、国王の幽閉はお前の仕業だったか」

 彼女は第六隊の隊長だった。護衛隊のマントを羽織った女がアラミスの背後から現れた。


(国家の反逆だと……?)

 たった今、この場に姿を現したウォーカー隊長はトージの悪事は聞いていない。

 その為ウォーカーは第六隊女性隊長の、この「国王の幽閉」という言葉に違和感を覚えていた。


 女性の声で振り向いたアラミスの視界に突如、女隊長の姿が飛び込んで来る。

 護衛隊の制服を身に着けた、険しくも、しかしキリリとした琥珀こはく色の瞳が彼の胸を撃ち抜いた。

 当然、放っておくはずがない。

「ど、どこのお姉さまですか!」

「アラミス! 緊張感抜けるからやめて!」

 すかさずジェシカの張り手が飛ぶ。


「第六隊隊長ヴァレリー!」

 ルエンドは安堵から、両眉を八の字にして肩の力を抜いた。


「はーん。最近見ないと思ったらルエンド、ついにそこの自警団に移籍したのか? 相変わらず面白い奴だな、ははははっ」


 ヴァレリーは言葉こそ男性口調だが、一見護衛隊の制服すら似つかわしくない、たおやかな女性だ。

 長身の上に小顔でしなやかな体つき、頭の後ろでポニーテールにした長いサラサラの赤みがかった茶髪が風に舞い踊る。

 護衛隊の中に居ればルエンド同様、男性陣の熱い視線を集めていることだろう。

 つややかな笑みを浮かべながらも、両手の拳には三本のタガー付きナックルを握っていた。


 ジェシカは次々と現れるを前に、クロスボウに矢を番えて準備はするが、誰に狙いをつけるべきか混乱していた。

「おいおい、お嬢ちゃん。あたしは味方だよ、そんな恐ろしい武器こっちへ向けないでくれないか? なぁ、クロード」

 ヴァレリーはジェシカに、にっこりと微笑んだ後、後ろを振り返る。


「ええ!?」

 更に後ろから第三隊隊長クロードが木の後ろから現れた。


「ちょ、ちょっと何がどうなってんだ?」

 ミツヤも困惑してキョロキョロ周りを見回す。


「クロード! なんでここにいるんだ?」

 という言葉はついて出たが、この状態だ。目の前に現れたクロードに対し、ヒースの顔にも明らかに安堵の表情がこぼれてしまう。


 ヒースの顔を見て、クロードも笑顔で答えた。

「本部が何やらゴタついてましたので。総隊長に加え、『処刑台のジャック』に『解体屋ウォーカー』まで動いたとあっては放ってはおけません。ヴァレリーにも声をかけました」


 ヴァレリーは上唇を舌でペロッと舐め、妖艶ようえんに笑う。

「これは護衛隊始まって以来のクーデターだろ! 楽しくなってきやがった!」


 女性ではあるが、ヴァレリー隊長は護衛隊きっての戦闘好きだった。

 二人の護衛隊隊長が味方についてくれたが、相手は最強クラスの隊長とそのえ抜きの精鋭だ、予断を許さない状況に変わりはなかった。


「君達、まさか本当にクーデターでも起こそうというのかね? 隊長特権の行使だ? ハハッ、今更二百年も前のちた規則を持ち出して、隊長格の者がこの総隊長である私に対して剣を向けて許されると? それに言った筈だ、ジャックに依頼すれば、アビニオの町をいつでも襲撃できる。いいのかね? ジャックもここへすぐに戻って来るぞ」


「お前もその斧野郎も、ついでに戻ってきやがったらジャックもまとめて今、ここで全員ぶっ飛ばしてやる! 問題ない!」

 ヒースは首を右に一振りゴキッと鳴らすと、アラミスに視線を送った。


「ハッ! そうくると思った。ならもう俺は止まらないぜ!」

 アラミスはヒースの視線の合図で判断し、このゴタゴタに乗じて銃でトージの胸を狙い、早速一発打ち込んだ。

 しかしアラミスの銃弾はウォーカーの斧で弾き返されてしまう。


 再びトージはウォーカーの背後に回り込んだ。

「忌々しい! 彼らは今すぐ死にたいそうだ。ウォーカー隊長、あとは頼んだよ」


「ではトージ総隊長、クロードとヴァレリーも含め、全員抹殺でよろしいですか?」

「ああ、頼むよ」


 ヴァレリーが言った「国家の反逆罪」という言葉すら、現総隊長としてのトージの命令によってかき消された。

 ウォーカーは全隊員に命令を下す。


「全員、速やかにれ!」

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