9 逡巡(しゅんじゅん)

 ちょうどその頃、ヒースは助けたハンスにこれまでの経緯を聞いていた。


「もう、いつから異形獣まものに変化していたのか分からない。記憶では昨日のようだが……覚えているのは護衛隊のイントル取り締まりとかで混乱している中、自分だけ連行されたところだ。その後、総隊長に『お前は特別に、元いた世界に戻してやる』と、目隠しのまま石だけで出来た小さな小屋に連れていかれたところまでだ」

「おい、元いた世界に戻すって……そんな事出来んのか!?」

 ヒースははやる気持ちが先行してハンスの両肩を強く揺さぶった。


「そうなんだよ。実際、透明でゆらゆらと揺れる穴をくぐるとドイツの故郷に戻れたんだ! だがな」


 ハンスはトージに言われた時の状況を思い浮かべながら、そのままヒースに伝えた――。




『ハンス君。一旦ドイツの故郷へ帰って荷物の整理でもしてくるといい。また同じ穴を通ってここへ戻れるから』

 トージはハンスをパスチールの牢獄から移動させ、〝石造りの小屋″へ連れてくると、穏やかに語りかけるよう言った。ハンスの背後では、ぼんやりと輪郭の崩れた穴が揺らめいている。

『変な話だな、なんでまたここに戻る必要があるんだ。ドイツに帰れるなら喜んで帰らせてもらうけど、もう二度こんなところには来ない』


 ハンスはトージを信用していなかった。ましてや、また異形獣まもののいるこの危険かつ不自由な世界に戻るなんて在り得ない。

 そう感じているハンスの思惑を読んでか、トージは更にこう付け加えた。


『勿論、そこから先は君の自由だ。だがね、ここへ再度戻って来たあかつきには護衛隊の隊長職も準備しておくよ。現在、第五隊が空席でね。ああ、それから屋敷もね』

 そんな事くらい当然だと言わんばかりに飄々ひょうひょうと言ってのけた。


「『君の腕を買っているのだよ。それでも万一再び故郷へ帰りたくなれば、いつでもドイツに帰るといい。どうだね? 悪い話ではないだろう?』

『けど、どうやって往来するんだ。またドイツからこっちへ来ようにも、そんな穴ってすぐ分かるのか? それに他人に発見されないのか?』


『あの穴は、一度使った者だけが異世界への穴として目に見えるらしい。だからこうやって出入りする者を安全に迎える為にこの〝石造りの小屋″を造って囲っているんだよ。君も安心していつでも出入りすればいいんだ』




 ――ハンスの話が終わるとヒースとジェシカはにわかには信用じ難いといった風に首を傾け、暫く考えた。


「僕も当初は鵜呑うのみには出来なかったが元の世界に戻れるならと、あの日思い切って飛び込んだんだ。そうしたら本当に自分の消えた瞬間の場所まで戻ってたんだよ!」


 問題はそこからだった。

 帰ったハンスは数日間生きている実感を噛みしめ、自分の墓の前でうれし涙を流す家族を前に、数々の冒険談や恐ろしかった事実を話して聞かせた。

 しかし家族も友人も誰一人として異世界でのことを信じてはくれなかったという。


「じゃぁ、なんで今ここにこうしているんだ」

 ヒースが聞くと後悔からか、ハンスは少し涙を流しながら説明し始めた。


「それから数日経って、あれは本当に夢だったんじゃないかと思うようになった僕は、仕事の合間に興味から、あれ程いやだった化学薬品の開発をおこなっていた実験室まで確認しようとってみた。だがね、そこにはちゃんとあった。あったんだよ! な、分かるだろ? 覗いてみたくなるじゃないか……!」


「……それで?」

 生唾を飲み込み、ヒースは続きをうながした。


「気付いたら、また異世界ここに戻っていたんだ。ただ、〝石造りの小屋″でなく、なぜ今度は異形獣まものの檻の中にいたのかは知らない。ほとんど確かな記憶はないんだ」


「そういやイントルーダーのドナムはどうした? それに、この足の金属は……?」

「ヒース、これ銀でしょ。銀の足かせよ」


「僕は護衛隊に捕まった時からこれが付けられてたよ。なんか、ピリピリしてドナムを発動出来なかった」

 ハンスによると、もう完全にドナムを失ったらしい。


 ヒース達はハンスが言っていた〝石造りの小屋″が、トージが出入りしていたという、アラミスの見た建造物と同一だと判断した。

「じゃぁ俺達が次にやることは、そこへ行くしかねぇな。そして……」


 ヒースは全裸にコート一枚という格好でいるハンスの下半身あたりをチラ見すと、親指立ててニヤリとした。


「ハンス。ここから脱出してまずお前がやるべきことは、一刻も早くパンツを調達することだな。なかなかのハレンチな格好だぜ?」


 ハンスとジェシカは同時に顔を赤らめた。



 さて、館内をアラミスとルエンドに任せていたので、ハンスを一旦エリア外の安全な場所へ誘導すると、ヒースとジェシカはその怪しい〝石造りの小屋″へ急ぐことにした。


 ◇ ◇ ◇


 一方その頃ミツヤは研究所施設から数メートル先にある〝石造りの小屋″の中で恐ろしい事態に巻き込まれていた。


 ミツヤの目の前に忽然こつぜんと現れた人間はそう時間も経たないうちに、目の前で徐々に異形獣まものの姿に変わっていったのだ。

 顔も体も皮膚から、体形から、どんどん変わっていく――。


(こ、この人どうしたんだ……? 僕と同じ世界から来たって言ってたぞ、あの穴は何だよ!)

 トージはミツヤに元の世界に帰るか否か考える猶予ゆうよを与える為、一旦その場を外していた。その間に一人の男が「揺らぎの穴」を通ってこの異世界へとやってきた瞬間を目の当たりにしたところだった――。


 異形獣かれは暫くは意識がないように見えたが、数時間すると破れた囚人服の端切はぎれを散らかしながら動き始めた。


 ミツヤは石壁に繋がれているため、逃げることは出来ない。

 さっきまで人間だった男はなんと、異形獣まものに姿を変えてミツヤに接近していく……!

 その時、鉄の扉が開いてトージが入ってきた。


「それで気持ちは固まったのかな……? おっと、これはいかん」


 トージは慌てず剣を抜き、何の躊躇ちゅうちょもなく異形獣かれの首をその場で切断した。

 緑色の返り血が石壁やトージの顔面に降ってくる。首を落とされた異形獣まものは間もなく動かなくなった。ミツヤは寸でのところで捕食をまぬがれたのだ。

 (ちょっと惜しい事をしたが、使えるかどうかわからんからな)


 ミツヤの手足を拘束している鎖がガチャガチャと音をたてる。体が震えていたのだ。


「この人に何が起こった!? エルサルバドルから来たって言ってたぞ。なのに話をしてたら急に様子がおかしくなって……あ、あの穴は何だ!」


 トージはさっきまで人間だった異形獣まものの死体を足で部屋の隅に寄せると、顔に散った緑色の返り血を袖で拭い、椅子に座ってミツヤの顔を暫く見ていた。

 その後ゆっくりと口を開く――。


「この穴からは、こうやって時折元いた世界から何かの拍子で人がやってくるんだよ。この私も勿論そうだった。二年程前に偶然私がここを発見して分かったことだ」


 トージはエルサルバドルの男が着用していた服の切れ端で、剣についた異形獣まものの血を拭き取りながら言った。


「やって来た者は皆、この穴の場所を忘れてしまう。この穴に気付いたイントルーダーの中には勇気を出して再び穴に飛び込み、元の世界にたどり着いてそれっきりの者もいたかもしれないがね」

 トージがこの穴を石で囲ってしまう前の間は、確かにそういう者もいたであろう。

 ミツヤは始終、眉間にしわを寄せてトージの話がどこまで真実かを読み取ろうと集中している。


「彼はエルサルバドルからだと言ってたか? ではあの顔と首の後ろに入ったタトゥーや服の特徴からして囚人ではないかな。ま、刑務所内でひと悶着もんちゃくあったんだろうね。一度は死に直面した彼もそこの穴を通って異世界ここへ来たことで死なずに済んだんだ。このままここにいれば彼の人生はバラ色だったろうね」


 ミツヤは突拍子もないトージのこの奇妙な話に、息を殺して耳を傾けていた。


「私は彼がこの国の為に必要なドナムを持っていると知って、彼が希望すれば護衛隊に入れるつもりだったんだよ。それでも元いた世界に戻りたいと懇願されたので、この穴を潜ってもらったんだ。勿論いつでも帰っておいでと一言追加してね」


「またこっちに戻ってきたぞ? でも異形獣まものに変化したじゃないか!? あれは一体!?」

「戻って来たくなるだろうねぇ、あの国の刑務所は悲惨だと聞いている。彼にとってはこの世界の方が極楽だろう。ようやく気付いたがもう遅いんだよ」

「何が遅いんだ……?」


 その時、いつから居たのかヒースがこの〝石造りの小屋″に近付き鉄の扉の隙間から中を覗こうと、すぐ後ろまで来ていた。

 扉の隙間からはトージの声が外に漏れていた。


(おい……トージのヤツ一体何を話してんだ……?)

 ヒースは建物の壁面に背をピッタリつけて聞き耳をたてていた。


 トージもヒースが来たことは気配で気付いていたようだ。

(ふん、来たか)

 トージは確信こそないが、ヒース達がそろそろ来る頃だとは思っていたので、話を聞かせようと鉄の扉の鍵をえてかけずに隙間を数センチ空けていたのだ。

 その上でミツヤに経緯を話し始めた。


「勿論、あれは嘘ではないよ。一度でも通過した者はいつでも出入りできる。ただね、重ねた実験で分かったのだが人間でいられるのは、どうやら初めの一往復のみだろうね」


「な、なんだと!?」


「私はね、イントルーダーを無実の罪で捕らえ、この穴を見つけた二年前から石の壁で囲って実験していたんだよ。皆帰りたいって一度は言うからね。次々と穴に入って行ったよ。ところが数日経つとね、思った以上に皆こちらに帰って来るんだよね。皆物好きだよね、可笑しいだろ?」


 トージはクククと笑い始めたが、次第に高笑いに変わっていった。


「ハ――ッハッハッハッ……! ほ、ほんとに面白いくらい戻ってくるんだよ。なんでだろうね!」


 笑いが収まると、トージは真面目な表情をつくった。


「引き返してきたやからは全員、見ている前で異形獣まものへ変化していったよ。そりゃぁ驚いたさ、初めて見た時は! だってそうだろ、我々が異形獣まものだと討伐してきた怪物は」

 トージはチラリとと扉の外に視線を移し、続けた。


「もとは皆イントルーダー、つまり人間だったのだから……!」


 その話は扉の外のヒースにも届いていた。

(な、なんだと……!?)

 背筋がゾッとするのを感じた。


「特別なドナムを得られなかった只のイントルーダーは、ここへ連れてくると皆、穴を潜ってくれたよ。しかしね、次はドナム系イントルーダーで実験したいのだよ」


 ドナムのないイントルーダー達は、てしてこの異世界にいても肩身が狭いだけだと感じる者が多かった。その為、帰れるものなら帰りたいと願う彼らは、何の未練もなく穴を潜るのだ。しかしながら、何度でも行き来出来ると勘違いしていた彼らは、数日すると9割以上の確率で戻ってきていた。

 それは興味本位からか、それとも現状の生活環境から逃げる為か……。

 恐怖からミツヤの手枷と鎖は小刻みに音を立てていた。自分がなぜ連れてこられたか、ようやく理解できたのだ。


「ミツヤ君、どうするね? 別に君は故郷の日本に帰ってもらって構わない。だが、再度にここへ戻るとなると、次に会う時は君は異形獣まものだ。その時点で人間としての意識が消えていれば戦闘用として檻の中。まだ意識が残っていれば実験台だ。ふふふ」


 ミツヤは慎重に考えていた。トージの口から出た言葉を信用してはいけない、ただ日本に戻れるというのも果たして本当だろうか、と――。


「もうここまで話した今、後は隠しても仕方ないので教えてあげよう。君を連れてきた本来の目的はドナム系イントルーダーである君を一旦、元の世界に戻し、またここへ戻ってくるよう説得することだったんだよ。君程のドナムを持った人間は、どんな能力を持つ異形獣まものになり得るか計り知れない」


(僕が異形獣まものに……?)

 衝撃で声も出ない。


 ドナム系イントルーダーを使って異形獣まものを仕立てる実験について、なぜヒースでなく、ミツヤを拉致したのか。ミツヤは考えていた。


(僕は日本人だ。それを逆手に捉えて一旦故郷に戻らせるに充分説得可能だと思ったか?)


 そして次はヒースとの繋がりを断ち切れず、必ずこの異世界へと戻ってくる可能性が高いとトージは考えていたのだ。

 

「さて、どうする? 故郷に戻って二度と異世界に戻らないのであればそれも仕方ないが。早く決めてくれ。全ての秘密を知って尚、この異世界で生きていくという選択肢はもう君にはない。この異世界に、我々にとって脅威となるその雷系ドナムを持つイントルーダーとして残ると言うのであれば、君をここで斬らねばならないからね」


(そうきたか、やはりな。そうなると日本に戻れるというのは、逆に事実のように感じるな)

 そうは思ったミツヤだが、その目に穴を潜る迷いを感じ取れなかったトージは、念のため揺さぶりをかける。


「ああ、そう言えばさっきね、侵入者の報告が上がってきたよ。四人組で内一人はオレンジの髪の少年だったそうだ」


(ヒースだ!)

 無意識にこぼ笑みを隠しきれない。トージはそれを見逃さなかった。


「なるほど、君は日本には戻らないようだね? では悪いがもう用はない。ここで死んでもらうよ」

 トージは剣を抜き、ミツヤに向けた。


「が、最後のチャンスだ。ヒース君! 君がそこに立っているのは知っている」


(え、ヒース! そこにいるのか?)

 石壁とミツヤを繋いでいる鎖がピンと張り、手足に食い込む。

 戸口の方へと身を乗り出し、声を振り絞って叫んだ。

「ヒース! ダメだ!」


 その時、ヒースはドアを開けたまま茫然ぼうぜんと立ちすくんでいた。


(俺は何に怯えてるんだ……ミッチーが異形獣まものにされることが怖いのか? それともミッチーが元の世界に帰ってしまうことが怖いのか……?)


 これ程の恐怖を覚えたことはなかった。

 ヒースの後ろでジェシカは怯えながらクロスボウを構えている。


「ミッチー、話は聞いていたよ。お前が本当に家族の元へ帰りたいなら、俺は……」

 ヒースはその先を言うことが出来なくなった。


(『俺はとめないぜ』って……。そう続けなかったのは異形獣まもの化の心配をしていたからじゃない、二度とこっちへ戻らなければいいだけだ。そうだ、俺は勝手だ。ミッチーにこのまま、ここにいて欲しいだけなんだ……!)


「ヒース君その刀、芹澤兆楽せりざわちょうらくのだね? 少しバージョンアップしたかな? 今ならその刀と引き換えにミツヤ君を返してもいいんだよ。おっと、少しでも動くとここで終わりだ」

 トージはミツヤの首元に剣をわせながら濃い眉を上にあげ、ニタリと笑みを浮かべた。


「ヒース! なんで来たんだ、なんて言わない。危険をおかして来てくれて……でもその刀だけは絶対渡すなよ!」


 ヒースの脳裏にはじっちゃんが息絶えた、あの日が蘇っていた。二度とあの思いをしたくなかったのだ。


 ヒースは刀を置いてしまった。

「ミッチーを放してくれ!」


 ヒースの叫びに耳も貸さず、トージは待っていたかのように刀に飛びつきつかを握ってニヤリとする。


 そして次の瞬間――トージはミツヤの胸を一突きで貫いていた……!


「なんという刃だ、想像以上に軽く入る!」

 篝火かがりびに照らし出されたトージの顔には狂気に似た笑みが浮かび上がっていた。


「ミッチ――ィ!!」


 ジェシカは衝撃で声も出せず、クロスボウを握る手をゆるめてしまう。

 トージが体から刀を抜き取ると同時に血が吹き出し、ミツヤはうつ伏せで冷たい石の床に倒れてしまった。


「ヒース……ダメだ……に、逃げてく……れ」


 ヒースの膝の前でミツヤは瞳から光を失っていった――――。

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