5 日生守 剣斗

 ――15年前。


「えれぇーこっちゃ! 子供に火がついとるが!」


 六三郎ろくさぶろうは竹やぶの中をり傷を作りながら、子供の近くまで全力で走った。

 自分の着物を脱いで泣きじゃくる男の子を覆い、火を消そうとしたが全く消えない。

 着物は燃えるが、その男の子は火傷一つしていないようだった。


「なんじゃ、お前いったい……」

 子供のそばに、着火ライターが落ちていたが、それで自分に火をつけたわけではないだろう、六三郎はとっさにその子がイントルーダーだと気付いた。

「お前さんも因果な人生を歩むことになったもんじゃ……。父ちゃん、母ちゃんも、あっちで泣いとるじゃろうて」


 そう言って男の子の前にしゃがんで、炎につつまれたその子を抱きしめた。

「グウゥ――――ッ!」

 六三郎は暫く炎に焼かれながらも激しい痛みに耐える。

 すると、すぐに男の子は泣き止み、炎も消えたのだ。

 ホッとしてその子の足元をよく見ると、焼け落ちた男の子のシャツに名札がついていることに気付く。

 樹脂素材が溶けかけて文字が辛うじて読めた。


日生守 剣斗ひいす けんと? なんと日本人か。そうか、けんと君……か」


 翌日、六三郎は男の子を自分の教え子の元へ連れて向かった。育てるなら彼の方が適任だと思ったのだ。

 その教え子は国王護衛隊の元隊員であり、腕を見込まれ隊長も務め、教官にまでになった兆楽ちょうらくという名の男だ。

 木のドアを激しくノックする音がして、兆楽は慌ててドアを掴んだ。


「はいはい誰かいのー、こんな朝っぱらからー。て、ロクサ師匠! えええ? いったいその包帯、どうしたんですか!?」

(ミイラかと思ぅた……)

「今、ミイラかと思ったーちゅう顔しとったぞ」

「さ、さすが師匠……」

「さすがじゃないじゃろぅが、相変わらず顔に出やすいのぉ」


 当時、兆楽は王都オルレオンから少し東にある、三階建てのアパートの二階に住んでいた。

「これはその、昨日ちょっとな。わしは大したことないが、ひとつお願いがあって来たんじゃ」

 そう言うと六三郎は男の子を見せた。

(ま、まさかいつの間に師匠……!? そ、その御歳おんとしで?)

「今、わしがつくった子供じゃぁなかろうかーゆう顔しとったぞ」

「……」


 六三郎の足の後ろから、ちょこんと顔を出して知らない男性を見ている、ようやく歩けるようになったばかりの小さな男の子だった。

「師匠、ではこの子は?」

 六三郎は兆楽に、ヒースの傍に落ちていた着火ライターを手渡した。


「一人でこの世界に来た時、そばに落ちとったんじゃ。こんな代物、こっちじゃ絶対にお目にかかれんじゃろ。この子はイントルーダーじゃよ」

「なんと、こんな幼子が……。親は……?」

「さあな、一人でおった。恐らくこの子だけ来たんじゃろう。その時、いったいあの場所で何があったかはわからん。着火ライターがあったということは、キャンプ中か家族でバーベーキューだったかもしれん……親は必死じゃったろうな」


 二人は部屋に入ると、中央に置かれた長方形の木のテーブルを前に、向かい合うようにして座った。

 年寄りと中年の男が二人、意味の分からない話をしている間、歩けるようになったばかりのヒースはアパートの部屋の中で立て掛けられた剣をじっと見ていた。


「そこでじゃ、この子の面倒をみてくれんじゃろうか? わしは今アビニオの方に町を作っとるけぇ、ちっと難しい」


 兆楽、つまり、じっちゃんは10年程前、妻と子を異形獣まものに襲われて亡くしていた。

 六三郎はその実、子供を一人預かることに何も支障はなかったが、少しは兆楽の生きるかてになればと思ったのだった。

 兆楽は快く承諾し、実の子のように育てることとなる。


「師匠、私は護衛隊の教官を退任することにしますよ。彼の能力が身辺にどれ程影響があるかわかりません、誰かに知られでもしたらどうなるか……」

 引退したじっちゃんは、その幼子を隠すように王都オルレオンから二キロ離れた僻地へきちへ引っ越し、大きくなるまでは誰にも知られないようひっそりと育てる決意をしたのだ。


「今日からお前はわたしの子だぞ。名前は、ヒースだ」


 じっちゃんは、ヒースが日本人だと気付かれないよう、名前は敢えて苗字からとったのだ。

 小さなヒースは意味も分からず兆楽じっちゃんを見上げると、ニッコリ笑ってそのゴツゴツした大きな手を握った――。




「――じゃぁ、あんたのその大火傷、俺のせいだったのか」

 ヒースは一度に色々知らなかった幼少の話を聞いて消化出来ずにいたが、しばらく沈黙した後一言ポツリと言った。


「ジジィ、色々すまねぇ」


 そんなヒースをチラリと横目で見たミツヤが穏やかな目をして興味深いことを言った。


「すごいな。まるでバトンリレーだ」

「どういうことだ?」


「だって、今の話だとヒースはまずお前の両親が生んでくれて、危ないところを六さんが見つけてくれて、その後は兆楽のじっちゃんが引き取って育ててくれたんだろ?」

 聞いていた六三郎の目元、口元が緩む。


「毎度毎度考えずに突っ走ってるけど、こうやって色んな人の力で命を繋いでくれたことで存在しているんだから、もうちょっと自分を大事にしろよ?」

「ヒース、お前には出来過ぎた友じゃの、はっはっは!」

「ふんっ。分かってるよ!」


 その日は六三郎の家に泊まった。

「アチーっ!」

 ミツヤが日本古来の風呂、いわゆる五右衛門風呂ごえもんぶろで悪戦苦闘していた。


「お前入ったことねぇのか? そこに木の板があんだろ、風呂釜の底に沈めて敷いてねぇと火傷するぜ」

 木の板には等間隔で隙間が空いてすのこの様になっており、風呂釜の下に沈めて使う。

 ヒースは薪をくべていたがミツヤの悲鳴が聞こえ、格子戸の窓から風呂場をのぞいて入り方を解説していた。


 二人の賑やかな声が風呂場に響き渡っていた時、六三郎は夕飯を作ってくれていた。


「ミツヤが広島じゃーゆうけぇの、お好み焼きやいたぞ、ヒースも好きじゃろ?」

「えええ!? そんなもの作れるんですか!? 僕こっち来て食べたことなかったんだ!」

 ミツヤは、わずかな懐疑かいぎ心もありながら嬉しさのあまりダッシュで厨房ちゅうぼうに飛んできた。

「すげー、そば入りじゃん!」

「……じっちゃんが最後に作ってくれた……」

 ヒースはしゅんと、うつむいてしまった。

「あれ? ヒースのじっちゃんて、まさか広島……?」

 ミツヤは口元にソースをつけてほおばりながら六三郎に聞いた。

「そうなんじゃよ、わしは兆楽にお好み焼きのレシピを教えてもらったんじゃよ」

「六さん、また食べに来ていい?」

「俺も!」

「もちろんじゃ」


 その日二人は六三郎と三人、川の字になって寝た。

「ジジィ! いびきうるせー!」

「ヒース夜中に大声出すな!」


 ◇ ◇ ◇


 翌朝、雄鶏おんどりの甲高い鳴き声が響き、五時に目を覚ました。

 井戸から汲んだ清冽せいれつな水で顔を洗い、体を伸ばしながら新鮮な朝の空気を吸い込む。

 町からは早くも人々の活気溢れる声が聞こえてきた。心地よい朝だ。

 二人の腹の虫が元気に鳴いた。


「腹減った――!」

 ヒースの叫びとともに味噌汁のいい香りが漂ってくる。

「昨日あんな食ったのにな。あれ、ジジィは?」

「さぁ。けど、なんかあっちの方でキンキン音がしてるぞ」


 ミツヤが指さす方向に小屋があり、煙が立ち上っていた。

 二人は用意された朝食をすばやく平らげるとすぐに小屋に向かった。

 田んぼのあぜ道を小屋に向かって走っていくにつれ、響き渡るつちの音が大きくなっていった。


 その小屋は、六三郎の鍛刀場たんとうじょうだった。

 扉に「作業中 絶対に覗くな!」と貼り紙がしてあるのを見つける。


「ヒース、見るなって書いてあんぞ?」

「ほぅ?」

 ミツヤの指摘は逆効果だったようで、ヒースはニヤニヤし始める。

 その顔を見てミツヤは首を項垂うなだれ、説得を諦めた。

(ダメだ。 覗く気満々だ……)


「ジジィ! もしかして、それ俺の!?」

 ヒースは扉越しに嬉々として叫んだ。


「勝手に入ってくるんじゃないぞ! 死にたいか!」


 小屋の中から怒号が飛び出した。

「死にたいって、なんだよそれ」

「び、びっくりした……」

 ミツヤはあまり家族から怒鳴られたこともなく、ヒースよりビクビクしている。


「余計気になるじゃねぇか、なぁ?」

 どうしても中が気になるヒースは、小屋の中を覗こうと引き戸を動かして、指一本が入る程度の隙間を作って顔を近づけようとしたその時だった。


 中から真っ青な光が飛び出し、とっさに顔を庇ったヒースの右腕に何かが刺さった。


「う――ッ!?」

「ヒース! うわ、何だよこれ、大丈夫か?」

 ミツヤは見たことのない光る棘のようなものを目の当たりにして狼狽うろたえている。

 異変に気付いた六三郎が慌てて小屋から飛び出したきた。


「ヒース、覗くなとここに書いてあるだろ!?」

 六三郎は貼り紙に指を差す。

「……その注意書きは逆効果だよ。『覗いてみれば』とも読めるぞ?」

たわけたこと言わんと腕、見せてみろ」

 どういう訳か、腕にはもう青く光る棘のようなものは消えていたがヒリヒリする。


 六三郎は懐から直径五センチ程の小さなシャーレのような形状のふたつきケースを出すと塗薬を指ですくい取り、ヒースの腕に塗った。

 じっちゃんがよく使っていた薬と同じもので即効性があり、剣の傷、火傷など幅広く効く。


「ジジィ、なんなんだ? さっきの青い棘……」

「ジジィではない、六さんと呼びなさい。それから人の忠告は聞くもんじゃ」

「ちぇっ。今日はやけにマジメなアプローチしてくんな」


鍛刀場たんとうじょうは神聖なところじゃ、ましてや今回は兆楽の刀を使って特別な刀をこしらえておる。その為には、わしが現実世界からこっちへ来る時、いっしょに持って来てしまった特別な「玉鋼たまはがね」も必要じゃ。炭素以外の不純物を取り除いた高純度の究極の玉鋼は、この国はもちろん、この世界にもわしのおった世界でももう造れないしそもそも原料がない。失敗するわけにはいかん」


 六三郎の家は江戸時代には名をせた、代々受け継いできた鍛冶屋だったが、明治以降需要が激減し、知名度も落ちていった。

 戦時中に意思に反して軍刀を造らされたが、終戦後には老舗しにせの鍛冶屋を完全に廃業してしまった。

 蓄えていた玉鋼も底をついたという。


「貴重な玉鋼じゃ、あれを心鉄しんがねにし、兆楽の刀を皮鉄かわがねに使う。その時、わしのイントルーダーの能力じゃが、手のひらから出る青い光で複数の鉱物を融合させるんじゃ。わし以外の人間が浴びると怪我をする」


 日本のたたら製鉄で扱う砂鉄は火山から噴き出したマグマが風化した土に含まれたものだ。

 この異世界ではヒースやミツヤ、六三郎が元居た世界の西洋と同じく、不純物の多い鉄鉱石が使われていた。

 その為、兆楽じっちゃんの赤い刀はこの世界のどんな豪剣よりも強く、斬れ味は凄まじい。

 いくら人目を避けて生きてきてもこの世界だ、いつかヒースにも使わざるを得ない時がやってくるだろう。

 そう考え、兆楽は誰にも奪われないようヒースと刀をその日のために人目に付かない僻地で温存したのだ。


「二人ともこれが仕上がるまであと五日、この町で何か手伝いでもしとけ。皆の役にたてるかどうかは知らんがの」


 通常、刀は四~五日では到底仕上がらないが六三郎の能力を持ってすれば二~三日で充分だ。

 しかし今回のヒースの刀は特別だった。

 六三郎はいつかやってくるであろうこの日のために、兆楽の刀ではなくヒースの能力に合わせた、を拵えようとしていたのだ。


「よし、ミッチー! 働くぜ」

「なんだお前、やる気じゃないか。六さん、刀仕上がるまで町の人を手伝えって言ってたな」

「俺、畑の方手伝ってくるぜ。今年はじっちゃんと作業出来なかったからな」

「そうか、じゃぁ僕は町に行って何か出来ることないか聞いてみるよ」

 早速ヒースは畑に行くと、作業をしている農家の人に手伝う意思を伝えた。

 作業を始めたヒースは裸足になって、手慣れて手つきで枝豆、小松菜などの種を植え、あっと言う間に農作業を終わらせた。


「あんた、若いのにいい手つきじゃないか、どこでやってた?」

「うん、ちょっとね」

 ヒースは満更でもないといった顔をして言った。

「おかげで今日は時間が余ったよ、うれしいね、何かお昼食べていきな」


 ミツヤはというと、町内に入っていき、片っ端から声をかけて様々な雑務をこなしていた。

「重たくて運べなかったんだよ、助かったよ」

 味噌蔵で壺を移動させるのに困っていたおかみさんにお礼を言われた。


「なんだって? もう買ってきてくれたのか? だって、さっきだぞ、今さっき! 手品か!? 一分も経ってねぇぞ!」

 町の端にある八百屋に御遣いを頼まれたようで、こっそり《電光石化ライトニング・フラッシュ》を使って用事を済ませたのだ。


「そうなんだよ、昨日ふらっとやってきた旅の少年だよ。ほらあの子、仕事が早いんだよ、助かったよ」

「え、じゃぁわしの配達も頼んでいいか?!」

 それはそれは、町人たちに重宝されていた。


 こうして、二人はそれぞれ毎日クタクタになるまで働き、あっという間にヒースの待ちわびた五日目が訪れた――。



「ジジィ! 出来たのか? 出来たんだろ?!」

 ヒースが待ちきれず、五日目の朝、雄鶏の泣き声とともに飛び起き、猛ダッシュで六三郎の鍛刀場へすっ飛んでいった。

 今度は叱られないよう、扉越しに声をかける。


「ジジィ! 六じぃ――!!」

 すると、建付けの悪い扉をゆっくり開けて六三郎が出てきた。

「ジジィ、どうしたんだそのナリ?! まるで年寄りのしかばねじゃねぇか!?」

「ヒース、言い方!」

 六三郎はすっかりやつれて、骨と皮と筋しかない老人のようだった。


「出来たぞ、これだ」

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