3 総隊長トージの奸策

「トージ総隊長殿! 失礼いたします」

 ノックの後、護衛隊本部駐屯所の総隊長執務室に入ったトニーは反り気味の姿勢で敬礼し、デスクの前に立った。

 護衛隊員の間ではトニーは上官の前で緊張し過ぎることで有名だ。


「トニー君か、何だね?」

 トージは椅子の背もたれに体重をかけ、膝を組んでふんぞり返っている。

 この男、護衛隊の総隊長にしてブルタニーのナンバー2。

 30代後半で濃いめの眉に神経質な色を呈した細い目が特徴だ。


「リシュー猊下げいかがお呼びです」

「わかった、すぐ行く。……そういえば、昨夜の強盗犯の二人組の少年だが、まだ見つからないのかね?」

 トージは一昨夜の一件以来、非常にイライラしていた。


「知ってると思うが、倉庫から盗まれた刀は我々護衛隊の元教官が愛用していた伝説の刀だ。名誉の為にも必ず取り返さなければならんぞ」

(隊員達には盗まれたと欺いているが、あれはオレがずっと探していたものだ。そもそもあのヒースとかいう少年、わずかだったがあの炎……イントルーダーか? だとすると放置は危険だ……!)


「は! 人員を増やして捜索範囲を広げます!」

「ああそれと、トニー君」

「は、なんでしょうかっ」

「今度から食器は銀製でないものにしてくれないかな」

(どういう訳だ、金属アレルギーの一種なのか? 前から気にはなっていたが銀のスプーンやフォークに触れるとビリビリきやがる)


「は、は? はい」

「皆と同じで構わないよ」

「はい!」

(総隊長のこういう気さくなとこがいいよな)

 トニーは大抵、トージの言葉に上手く乗せられていた。

「よし下がれ」

(しかしあのタヌキジジイ。こんな時に面倒な。何の用だ)

 トージは紺のマントを羽織り、飾り羽のついた帽子を被って正装でリシューの執務室へと向かった。


 宰相さいしょうリシュー。

 エテルナ教――永遠の救済を信じる宗教――その神聖議員にして現在、ブルタニー国の教会最高職である。

 エテルナ教最高位の一つである「神聖議員」は、教団の重要な決定を行うために選ばれた賢者たちである。

 中でも、特に重要な役割を担う者は「宰相」と呼ばれ、他の神聖議員からも一目置かれていた。

 教団の下位の者たちは、「宰相」に対して深い敬意を表し、「猊下」と呼ぶ。


 リシューは足元まである長い丈の赤い衣装をまとい、細面の顔に長めの顎髭あごひげを蓄えた50代前半の狡猾こうかつな男だ。

 現在不在である国王の代わりに執務しており、言わばこの国の最高地位に君臨していることになる。


「猊下、お呼びでしょうか」

 あのトージですら帽子を脱ぎ、頭を下げて執務室の奥のデスクにいるリシューから数メートル離れた場所での謁見だ。


「トージ君、君が提案したあの計画はどのくらい進んでいるのだ? 先日バチケーネの大教皇から問い合わせが来たのでな」

 リシューは白髪交じりの顎髭を撫でながらトージに尋ねた。


「現在、例の場所に既に六百体以上は集めております。いつでも実行可能でございます」


「そうか、では更に捕獲し、必要なものがあれば、申し出よ。すぐに手配しよう。それとな」

 リシューは手招きして、トージを近くに呼び、耳元で話した。 

「これは特に内密な話でね、君を信じての相談だが。例えば、あれを他国に武器として売ることは出来るだろうか?」


(出たよ。だからタヌキだっていうんだ。ったく、いつの時代もどこの国でも考えるこたぁ一緒だな)

「勿論でございます、猊下。必要になりましたら申しつけください。手配致します」


 ◇ ◇ ◇


 二人がアビニオへ向けての旅支度に必要な品々を入手し、アバロンのアジトに戻った時、辺りはすっかり暗闇に包まれていた。

 微かな風が廃墟を通り抜けると月が曇から顔を出し、その静かな光が崩れた建物の影を浮かび上がらせている。

 時折聞こえる野犬の遠吠えが夜の静寂を一層際立たせた。


 二人が暮らし始めたばかりの仮住まいのアジトの扉を開けて中に入ると、疲労が急激に訪れたようだ。


「しっかし、今日はもうクタクタだぜー」


 言ったのはヒースだが、先にソファーに体を沈めたのはミツヤだった。

 ヒースも蝋燭ろうそくの明かりで部屋へ入りソファーに座ると、一気に睡魔が襲ってきた。

 二人とも疲れの重みに身を任せ、泥のように眠ってしまった。


 そして翌朝、春の冷たい空気で早々に目が覚めた二人は、配給されなくなったガスの代わりにやむなく水のシャワーで寒さに追い打ちをかけると、昨日帰りの道中で各自新調していた服に身を包んだ。


 ヒースは基本、黒尽くめが好きなようだ。

 白いTシャツに黒のデニムパンツ、裾と大きな襟に白いステッチが入った、裾広がりの黒いライディングコート、それに黒いショートブーツだ。

 コートは刀を隠せるよう長尺を選んだが、動きやすいようサイドベンツにした。

「どうだ? ミッチー、イカすだろ?」

 ヒースがコートの襟を立て、前ボタン全開で腰に手を置いて見せた。


「へぇ。でも僕のほどじゃぁないな!」

 ミツヤはシンプルな白いVネックTシャツにダメージデニム、片袖だけの二本ストライプが目を引く濃紺のジッパージャケットと、ジャンプの衝撃に耐えるクッションの利いた赤いスニーカーだ。

 ジャケットは動きやすさ重視で股下のものにした。


 軽く朝食を済ませて早速近隣の街に向かい、ワゴン型の幌馬車を調達してきた。

 ヒースとミツヤは二頭立て馬車の荷台に食料と水、鍋などの簡単な調理器具、馬用のバケツ、ナイフやロープ、寝袋と薬箱などを積み込む。

 すでに手狭だったが、二人には関係なかった。新しい冒険のにおいに胸を躍らせていたからだ。

 荷物を積み込む作業すら、ヒースは楽しそうにしていた。


「よーし、ミッチー準備はいいか?」

「お前こそ忘れ物ないか、ヒース? 何日かかかるぞ」

 目的地のアビニオはこの国の南の国境辺りだった。距離を日本の本州に当てはめるとすると、おおよそ青森から埼玉の距離だ。

 まだ朝七時頃で早朝の空気は心地よく、空は薄曇りだったが、春のこんな日は大抵よく晴れるのだ。


「ヒース嬉しそうだな」

「いやだって、こうやって誰かと旅行なんて生まれて初めてだぜ? お前もなんだろ?」

 御車台に座ったヒースが振り返ると、ミツヤは荷台の中で満足そうな笑顔を見せた。

「よぉし、出発するぞ!」

 ヒースの声と共に手綱で軽く馬に合図を送ると、馬車はゆっくり走りだした。

 瓦礫と化したアバロンの、まだ二人だけの本拠地を後にして――。



 しばらくは広い街道を南へ行く。

 両側には見慣れない広葉樹林が広がり始め、景色も少し変わってきた。

 まだ春先の少し冷んやりとした風が心地良く、これで馬車の振動が直で尻に伝わらなければ寝てしまうところだ。


 その道中ミツヤはヒースの炎が、折れた刀にも現れたことから他の物にも着火できないか、自分の体自体はどうかなどを試してみるよう提案していた。

「なーに言ってんだよ、無理だよー。んな事……」

 そうこうしているうちに太陽も真上に昇った。

 朝買っておいた弁当でも食べようと馬車を止めて近くの木に繋ぎ、馬にバケツの水をやる。

 腹が満たされると、護衛隊の入隊試験以降二人とも事件が続き疲れがとれていなかった為か、頭がクラクラする程眠くなった。

 二人は荷台で少し仮眠をとることにした。


 ◇ ◇ ◇


 一方その頃、護衛隊本部駐屯所内にある総隊長の執務室。

 トージの耳にもヒース達の活躍の情報が入ってきた。

 それは、昨日の異形獣まものからロアンヌ村を救った一件だった。


「総隊長殿、このようなビラが配られて街を賑わせています。顔や名前は不明ですが少年が、しかもたったで16体もの異形獣まものを倒したっていう記事、まさか先日の窃盗グループでは……?」

 隊員はトージの机の上に新聞の置いて、見出しを指差した。


 トージは椅子の背もたれに寄りかかり、無表情のままふんぞり返っていたが、ビラを手に取るとすぐに丸めて机横のゴミ箱に投げ入れた。

 そして机に両肘をつき、顎を胸の前で重ねた手の甲の上に置くと気怠そうに返事をする。

「そうだな、トニー君。私もそう思うよ」

 トニーはちょっと得意気に「気をつけ」の姿勢を整えた。


「ま、彼らを見つけるのも重要だが、今ちょっと気になっている案件があってね。村を襲っている不届きなイントルーダー集団の摘発と連行を、引き続き頼むよ」

「はっ! 早速部隊を連れてパトロールに行って参ります!」


 トニーが部屋から出て扉を閉めた後、トージは不機嫌極まりない表情を浮かべた。

(自警団だと? たった二人でか? ふざけやがって。まだ許可が下りてないはずだ、大きな顔できないよう早めに潰してやる!)



 その少し前だ。

 トニーが総隊長控室から出ようとドアを開けかけた時、ドアの向こうで何かにぶつかる衝撃を感じたが、そのまま部屋を出た。

 するとドアのかたわに誰か立っていることに気付く。

 左手に脱いだ羽根帽子を持った背の高い女性隊員だ。ブロンドの長い髪をひとつにまとめて後ろで留めている。

 隊員服の胸の第二ボタンが弾けそうだ。

 トニーは一旦ドアを閉めた後、少し照れながら声をかけた。


「あれ、どうしたんですか、こんなとこで。またモジモジしちゃってー。総隊長に御用でしたら代わりに自分が伝えておきましょうか?」

 彼女はどうやら扉に近づき聞き耳たてていたようで、こめかみに右手を当てていた。

「だ、大丈夫よ、トニー君。なんでもないってば。ふふふ、いつもありがとうね」

 そう言って羽根帽子を被り、女性隊員はブーツの音も軽やかに廊下を歩いていった。

「いつもいい匂いだなー、ルエンドさん」


 ◇ ◇ ◇


 ヒースとミツヤは五日かけてアビニオという小さな町に辿りつき、そこから更に丘を越えて、ようやく目的地の町が見渡せる小高い丘の上にやってきた。

 道中、異形獣まもののいる村に二、三出くわして村人を救ったことに時間はかからなかったが、地図が曖昧あいまいで道に迷ったのだ。


 木のそばに馬車を止め、谷を見下ろす二人の眼下にその光景が広がる――。


「……おい、ミッチー……」

 そこには桜が咲き乱れ、古い日本の町並みが続いている。

 まるで江戸時代にタイムスリップしたかのような城下町を感じさせる町だった。

 ミツヤはもちろん、ヒースもどこか懐かしく感じた。

 風が谷から吹き上がると、桜の花びらがヒースとミツヤの肩にはらはらと舞い落ちる。


「ミッチー、なんか、いいなここ……」

「……」

 ミツヤは言葉もなく、ただ目が潤み始めていた。


「なんだよミッチー、泣いてんのか?」


 たった二年だ。

 だが右も左も分からない異世界へ転移して、もう二度と観る事はないと思った光景だ。

 ミツヤの胸に望郷の念が押し寄せてくるには充分な年月だった。

 まっすぐ桜並木を見るミツヤの目には、もう二度と戻ってはこない時への郷愁きょうしゅうが宿っていた。

 ヒースはそんなミツヤの様子に気付き、しばらく立ち尽くした後、なだめるように言う。


「なあ。ここで何泊か厄介になろうぜ」


 谷に下りると上からでは気づかなかったが、道の両脇に瓦屋根の小さな商店や民家が立ち並び、人で賑わっていた。

 町の人達は日本人ではないが、殆どの人が着物を着ている。

 まげこそ結ってはいないが、まさに江戸情緒が漂っていた。


「どこにロクサって人がいるんだろう。地図にはこの場所と『ロクサに会え』としか書いてないし」


 二人はキョロキョロしながらゆっくりと馬車を進めた。

 見慣れない馬車がやって来たと、町の人々はこちらを怪訝けげんそうに見ている。

「旅の人かね? 誰かを探しとるのか?」

 店の前に手作りの風車を並べている老女が聞いてきた。

「あ、はい。えっと、俺達ロクサっていう人に会いに……」

 ヒースが言いかけると、表情が一変した。

「六さんじゃと!? また厄介事を運んできおった、あの爺さん! あの通りを曲がった先の田んぼの向こうじゃ。用事がおわったらさっさと帰っておくれ!」

 すごい剣幕だった。

「……」

 二人は顔を見合わせた。


「と、とにかく行ってみようぜ」

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