4 「疾風電雷のミツヤ」

 数にして十数体、襲ってきたのは体長二メートル以下の、いわゆるタイプ1だ。

 体全体が黒っぽく、また額は異様に出っ張っており口は大きく左右に広がっている。

 目や口や腕などはそれぞれ個体ごとに少しずつ形態が違っていた。

「子供の頃に見たやつだ」

 四肢の他に蝙蝠こうもりのような皮膜の翼が背にある異形獣まものが多く、その羽音がうるさく音を立てながら空を埋め尽くした。

 

「まだ陽が沈んでいないってのに、暗くなってる。……数も多いし異常に硬いんだよな、アイツら。先月も手がったしな」

 

 一、二体くらいなら時折見かける異形獣まものすき一本あれば一人でどうにか出来ていたヒースだが、さすがに数が多過ぎたようだ。

「急いでんだ。後で付き合ってやるから、ちょっと待ってな!」

 彼らに言葉が通じるわけではなかったが、自分にも言い聞かせるように言うと全速力で家に向かった。


 家に近づくと、妙な胸騒ぎがした。

 

 ――まさかとは思うが、俺が護衛隊に追われてるからって、じっちゃんまで巻き添えを食うってことないよな。

 

 ヒースとじっちゃんが二人で暮らす家は領都オルレオンから少し南へ下ったブルージュの街外れにある、年季の入った木造平屋のシンプルな家だ。

 こじんまりと米作りができるほどの田畑もある。

 

 家が見えてくると、心臓が飛び出しそうな勢いで激しく鼓動した。

「じっちゃん!」

 大丈夫だ、畑は荒らされてない、護衛隊に見つかってはなさそうだ。

 

 が、庭の物干し竿の洗濯物がまだ取り込まれていない事に気付いた。

 じっちゃんは毎日ルーティーンをきちんと守るタイプだ、いつもなら夕方までには取り込まれている。

 はやる気持ちを抑え、ドアに手を掛ける。

 

「ただいま、じっちゃんいる?」

 引き戸を開けた。

「ごめん俺、試験……」

 言いながら一瞬目を疑った。

 じっちゃんは台所でうつ伏せになり、右手を前方へ伸ばした状態で血だまりの中に倒れていたのだ……!

「じっちゃん! しっかりしてくれ、何があったんだ、誰にやられたんだ!?」

 背に太刀傷が見えた。

(後ろから斬られてる……!?)

 無我夢中で仰向けにすると、その傷は深く、下に切り裂かれて僅かに腸も見えた。

 

(こ、これは……、なんて惨い……! 一体だれがじっちゃんを……)

 

 だくだく出てくる血を止めようと無我夢中で腹に手を当てた。

「頼むよ、じっちゃん、しっかりしてくれ」

 両手はすでに血まみれだ。

 その指の隙間からもどんどん血が溢れ出た。

 

(どういうことだ、じっちゃんが後ろからやられるなんて、あり得ない!)

 

 そう考え、ふと周囲に目をやると、近くには湯呑とヤカンが転がっている。

 テーブルにはヒースの好物のお好み焼きがまだ、湯気をたてていた。

 

(この状況、まるで誰か信用している人間にだまされたみたいじゃないか……!)

 

 わずかに息があるじっちゃんが、少し口を開いた。

「……ヒース……話が……あるんじゃ……大事な話が三つ……。」

「よかった、目を開けてくれた! 今から医者を」

「……よく聞け……、あの箪笥たんすの上の……刀……盗られ……」

「じっちゃん大事にしてた赤い刀か!? けど今はそれより医者……!」

 

「ち、違うんじゃ、あれはただの刀じゃ……お前の刀の……ふぐうっ!」

 しわしわの、だが筋骨隆々の手がヒースの腕を弱々しく掴んだ。苦痛が伝わってくる。

「じっちゃん!」

「……お前のそれ……腕輪……外し……」

「腕輪? ちっちゃい頃じっちゃんがくれてから絶対外すなって言われてちゃんと着けてるぜ? それより誰にやられたんだよ」

 

「いいか、お前は……ひとりじゃない……必ず仲間が出来る……」

「仲間?」

 

「仲間は何があっても大切に……しなさい……生き……るんじゃ……」

「ダメだ、じっちゃん!!」

 

 胸が苦しくなり、目の奥に鈍痛を感じてきた。

「お前との、毎日は……ほんと……に……楽しか……ったなぁ……」

 

 じっちゃんの手がヒースの腕から離れ、床にそっと垂れ下がった。

 

 何かがこみ上げてきたが、暫く声も出なかった。

 じっちゃんがもう冷たくなった後も、ただ呆然とその場にへたり込んで動けなかった。

 

 ――――それから、どれくらい時間が経っただろうか。

 

 涙が一度こぼれ落ちると、もう止まらなくなった。

 こんなに声をあげて泣いたのは初めてだった。

 悲しみに暮れ、何も出来ない時間がただ過ぎていった――――

 

 ◇ ◇ ◇

 

 翌朝、目を腫らせたヒースは、冷めてしまった最後の手料理のお好み焼きを半ば無理矢理腹に押し込むと、一人でじっちゃんを庭のシンボルツリーの下に埋葬した。

 石を置いただけの墓標が寂しさをいっそう際立たせる。

 

 このシンボルツリーは秋には葉が黄色く色付き、地面には見事な黄色い絨毯じゅうたんを見せてくれる思い出の木だ。

 幼いころ、日差しの暑い日は木陰で涼み、特訓の時はじっちゃんと練習してるうちに白熱して農具が木に刺さることもあった。

 今でも幹のあちこちに傷が残っている。

 

「じっちゃん、また会いに来るよ」

 

 両手を握りしめて墓を見つめるヒースの目に、もう涙はない。

 決着をつけるまでこの家には戻らないつもりだ。

 ヒースは自宅のめぼしい物の中から必要最低限の物だけを残し、あとは処分した。

 刀を取り返し、仇をとると決意して――。

 

「とはいえなぁ、いったいどこをどう探せばいいか」

 独り言を言いながら街の方へ情報を探しに歩き始めたヒースは、取り敢えず今分かっている事を整理することにした。


(赤い刀が俺の刀の何とか? ってい言ってたな。それが無くなった以外家が荒らされてなかった。……犯人は初めからそれが目的だった? 後はじっちゃんの草鞋わらじ以外の足跡があったかもしれないが、大人数ではないな。いや待てよ、家から少し離れた池のそばに馬の足跡があった……! 馬で来たのか? だとしたら、ある程度の身分という可能性もあるな)


 色々思考を巡らせ歩くうち、気付けば昨日試験会場から帰る際に通ったベルニーの森にさしかかっていた。

 

(うっ、血の匂いが充満してる?)

 

 少し奥に進むと、人の腕が転がっているのが見えた。手に剣を握ったままだ。

「これは……!」

 木の枝には肉片や臓物やらが引っ掛かっており、地面は足の踏み場もない程無数に散乱していた。

 紛れもなく喰い荒らされた後だ。

 しかもそれは中心部に進むにつれ、匂いもむせかえる程強烈になってくる。

(なんて酷い……うう……気持ち悪くなってきやがった)

 

 人の頭部の数から20人以上が犠牲になっているようだ。

 破られた衣服が皆同じコスチュームであることから近隣の街の自警団である事が推測出来た。

(昨日のヤツらか! くそ、ちゃんと片付けてれば、こんなことには……!)

 

 後悔に浸る暇もなく、それは襲ってきた。

 

 慌てず少し前屈みに腰を低くし、すきを短めに握り気配を感じ取る。

 頬近くを尖った爪がかすめる直前、頭を後ろに引き、Uターンしてきた異形獣まものの片翼を鋤で一刀両断した!

 

「これだけやってまだ喰おうってのか!」

 

 断末魔を上げ緑色の血を撒き散らして地面に落ちると同時に、後ろから悲鳴ともとれる声が耳に飛び込んで来た。

 

「た、頼む……! 助けてくれ、あんなのだけにはやられたくない……!」

 振り返ると紺色のマントを羽織った護衛隊の男が一人、木の陰にへたり込んでいる。

 恐怖から今まで声も出せず、動けなくなっていたのだ。

「護衛隊……なのか……!? なんで一人でここに……?」

 自分が護衛隊に追われているかもしれないとはいえ非常時だ、ヒースは放っておけないと駆け寄って行った。

 

「助かったよ君、すごい剣捌けんさばき、いや鋤捌すきさばきだね」

 その隊員は昨日のヒースの一件についてまだ耳に入っていないからか、救われた事で手配について触れない判断をしたのか、名前を聞こうとはしなかった。

「無事でよかった、です。でもまだ群れがいたはず。早く森から出た方がいい」

 

「僕達……異形獣まものに襲われている自警団がいると知らせが入った時、何か変だと思ったんだ。この国で一番古くて最強と言われていた自警団の『ブルタニーの獅子』が手に負えないなんて。彼らは僕ら隊員のランクCと同等レベルだっていうのにだよ? 来てみて分かった、その数の多さに皆足がすくんだよ……地獄のようだった。自警団の人達には悪いとは思ったけど僕らも歯が立たなかったんだ。しかたなく第五隊の他の六人は引き上げたが、僕だけ逃げ遅れてしまって。でも僕一人でどうしろっていうんだ」


「……なんだって……?」


 ヒースは言葉を失った。子供の頃から憧れていた護衛隊だ。

 その隊員が今、目の前で地面に座り込んで膝を抱えて震えながら、自警団を全滅させるまで傍観してしまったことを悔いることしか出来ないでいる。

 民間人を放って、しかも事もあろうに仲間も置いて立ち去ったというのだ。

 当然のように動揺の色が見え始めた。

 

「それであんたはここでずっと見てたのか、助けを呼んだ自警団が目の前でやられるのを、ただ見てたのかよ!?」

 

 護衛隊の隊員はすっかり戦意を喪失していた。

 これが護衛隊の実態なのかと、衝撃が怒りに変わりつつあった……その時――。

 

 昨日の異形獣まものタイプ1が更に13体、一斉に襲ってきた。

 

 近隣諸国と同盟を結んでから二百年近く経った事もあり、国家間の戦争は遠い諸外国同士のみとなっていった。

 その為このブルタニーでは国を守る組織として存在していた軍も縮小していき、いつしか国王直下の護衛隊だけが王宮と街を守る形で残ったのだ。

 

 そもそも異形獣まものは二百年以上前からも時折見ることはあったものの、村や町で遭遇することもなく偶に森で見かけるくらいだった。

 それがどういう訳か数年前から急激に数を増やしていたのだ。

 頼みの綱は護衛隊であるが、二百年も前から一度に一、二体の異形獣まものと窃盗や強盗の類いしか扱って来なかった為、数体以上の群には一部の隊長や副隊長を除き、ほぼ太刀打ちできない状態になっていたのが現状だ。

 

 この森のように街外れに現れても繁華街ではないという理由で放置されてしまいがちなエリアは無法地帯と化すことも多く、そうした事が国や地域、または一部の富裕層から異形獣まものの討伐要請を受ける結果となり、武装を許可された一般民衆が自ら討伐に当たらざるを得ない事態となっていたのだ。


 さて、話はその街外れの森の中に戻る。

 ヒースが護衛隊の逃げ遅れた隊員を護りながらタイプ1の異形獣まものと対峙している、その数メートル先に一人の黒髪の少年の姿があった。

 

(オレンジ色の髪のヤツだ、入隊試験会場にいた……アイツなら昨日あの男をこの辺で見てるか……?)

 

 一方ヒースは負傷した上に周囲を囲まれてしまっていた。

 頭に固い翼が当たって出来た傷のせいで額から口元まで血が流れ、背中と左肩は鋭い爪の犠牲となって、わずかだが肉を削がれた。

 もう鋤の柄を握る左手に力が入っていない。

 

「ちきしょう……」

 じりじりと後退りするヒースを、黒髪の少年は複雑な表情に捕らわれながらも、木の陰でじっと見ていた。


(人助けとか面倒だし、関わり合いになりたくない。悪いが……)


 少年がその場を立ち去ろうとしたその時、ヒースは黒髪の少年に気付いた。

 

「お、お前そんなとこに突っ立ってると喰われるぞ! 危ないからこっちへ来い!」

 

(は? あいつバカなのか!? 自分の方が重傷のくせに人助けのつもりかよ。熱血漢とかマジ、ダルい。バックレよ)

 黒髪の少年がきびすを返した時だ。

 少年の30センチ頭上に異形獣まものの爪が光った。

 

 だがその時、既にヒースはその場からいた。

 どこにその力が残っていたのか少年が見上げたその刹那、彼の頭上で鋤をタイプ1の足に打ち込んでいたのだ。

 負傷しているようには思えないヒースの敏捷な動きに少年の口から驚嘆の声が漏れる。

 

「お前……!」

 

 タイプ1は叫び声を上げ、唖然とする黒髪の少年の足元に落下し、翼をバタつかせている。

「大丈夫か、あんた。ちょっと待っててくれ、後で母ちゃんのとこまで送るよ」

 黒髪の少年は童顔だった。

 

「僕は17だ! あと親はいない!」

 

 少年は今までも何度か子供扱いされてきたようだ。

 どうやらそのワードがスイッチらしい。

「あ、俺より一個上? そ、そりゃごめん」

「あんたさぁ、いい加減にしろよな。この程度の異形獣まものを一人で片づけられないくせに、その重傷の体で目に入った者全部助けようとすんのか? 何様のつもりだ、呆れるよ」

 

 少年は紺のジャケットに膝丈のデニム、スニーカーの装いで、両手をポケット突っ込んだまま始終怪訝けげんそうに話す。

 歳の割りに童顔で、尚且つ整った顔立ちにはどこか陰りが見えた。

 

「別に、そんなつもりじゃないが」

 言いかけた時、集団で別の群れがこちらに飛来してきた。

「まずい、逃げよう!」

 と、少年を庇おうとしたヒースは次の瞬間、見たこともない人間の動きを目撃することになるのだ。

 

 突如少年の体が黄色く光はじめた、かと思うとバチバチッと音を立てて黄色い光芒が暗い森に乱入して行く。

 その光はあちこちに散らばった異形獣まものをめがけ、クランクに何度も方向を変えながら進んだ。

 

疾風雷撃ライジング・ストライク!」

 

 それは雷のような速さで敵に迫り、疾風のように素早く次々と雷撃の拳や蹴りを繰り出す攻撃だった。

 ――何だあれは? 稲妻みたいだ!

 

 光の進行方向に合わせて異形獣まものの悲鳴が聞こえ、バタバタと倒れていく。

「えええ? あいつ何モンだ!?」

 あっという間に静けさを取り戻した森にはもう黄色い光は消え、そこにさっきの黒髪の少年が立っていた。

 ヒースは驚きと安堵の表情を交互に繰り返しているような、戸惑い混じりの顔つきをして鋤を下ろす。

 

「えっと、ありがとう……助かったよ」


 そして両手で拳をつくると、シュシュっとパンチや蹴りのゼスチャーをして精一杯の称賛を送った。

「なんかピカピカーって、すげ〜な、ライジングなんとかってやつ? あんな速いパンチ見た事ないぜ」

「小学生か」

 

 あの硬い表皮の異形獣まもの五体をたった一人で、数十秒でしかも素手で倒した少年だ、敬服しかない。

 ヒースはキラキラした眼差しで話しかけたが、黒髪の少年は硬い表情を崩さなかった。

 

「僕はミツヤ。さっきのは雷のチカラだが、僕のグーパンが見えたのか、へぇ〜。僕も観てたよ昨日の試合。農具一本で最終まで残るとは思わなかったよ」

 

 自然界における電荷の量や分布は非常に複雑であり、わずかではあるが大気中には常に微弱な電場が存在している。

 ミツヤは周囲の微弱な電荷を集めて雷のエネルギーを発生させ、家電レベルの数十ミリアンペアから雷レベルの数十キロアンペア以上の電流まで自在にコントロールできるのだ。

 もっとも本人は理屈までは理解してはいない上に、その未知のチカラがどこまで出せるかもこの時はまだ知らなかったのだが。

 

「ええ? あ、俺はヒース。よく闘技場に入れたなぁ。どっから観てたんだ?」

 ヒースの問いかけに、どういう訳か見る見るうちにミツヤの目に怒りの光が満ちてきた。

 

「いや待て……その前に胸糞悪むなくそわるいそいつの事だ。何で助けるんだ。そんな奴放っておけよ!」

「いきなり何言ってんだ、お前……」

 

「お前知らないのか、護衛隊は人殺しの集団だ! あんたも昨日の試合中に見たんじゃないのか、隊長に有るまじき行為をね!」

 

 護衛隊の男はオロオロと狼狽し始め、ヒースとミツヤが揉めている間にそっと姿を消してしまった。


「いきなり怒り出して感じ悪い野郎だな。人殺しの集団とか穏やかじゃないぜ。それに助けてくれって言われて、知らんふりは出来んだろ!?」

「はーん、そうやって助けを求められたら誰彼構わず救いの手を差し伸べるのか!」

「……お前、何が言いたい……?」

 

「さっきあんたが助けた護衛隊のヤツはいつか、僕たちイントルーダーを捕縛するだろう。村だって襲う。あんたはそれに加担したも同然だ!」


「……? イントルーダー?」

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