3 罠

「見ろ、さっきの鋤のヤツだ! スコップみたいなところで弾を弾き返してやがる!」

 

 ヒースは全速力で走っていた……!

 自分のいたアリーナ東側の位置から対角線上にある西側端の観客席まであっという間だ。

 高さ三メートルの壁を軽々と飛び越え、座席後ろのスナイパーの首元に鋤の先端を突き付けて相手を止めた。

 

(こいつ、速い……!)

 スナイパーは驚いて一瞬息が止まった。

 そこにヒースは食って掛かる。

 

「仮面なんかつけやがって、あんたも受験者なのか? 試験だぞ、殺す気なのか!?」

 

 このスナイパーは観客席の座席後ろに身を隠し、白い仮面で顔も隠して狙撃してきたようだ。

 特に防具は身に付けず至って軽装だった。

 風に靡く美しいブロンドの髪が、どこか銃の腕前とのギャップを感じさせた。

 

「殺すだと? まさか。実際、誰の血も流れてないぜ? 俺はあの若者達が護衛隊にウッカリ入隊でもして道を外さないようにしてただけだ。護衛隊やつら異形獣まものが増える一方だってのに、救助どころか一般民衆を殺してやがる! お前はそれに加担でもしようってのか!?」

 仮面の下の表情は容易く想像できた。

 

「何言ってんだ、天下の護衛隊だぜ!? 俺はこの試験に合格して護衛隊に入隊する! じっちゃんとも約束したんだ。じっちゃんやこの国を異形獣まものから守るってね!」

「ほーぉ、言ったな? 果たして出来るかな。まぁ、知らねぇからここに来たんだよな。覚えとけヘボ剣士、お前がもし護衛隊と協力して村人を殺している場面を見つけたら、俺が必ずお前をぶっ殺す!」


(何言ってやがんだ、こいつ……!)

 

 ヒースは頭を銃で撃たれたかと思う程衝撃を感じ、体がふらついた。

 

 そこへ試験官がやって来ると観客席からの攻撃は違反行為とみなされ、皆を恐怖に陥れたそのスナイパーは退場となった。

 試験官に連行される時、何を思ったか男は突然、後ろを振り返り立ち止まった。

 意外にも強い力で踏ん張った為、男の腕を掴んでいた試験官は逆に引っ張られてよろける。

 

「それから最後にひとつ。お前はいったい誰に自分の価値を決めさせてんだ?」

 彼はヒースに指を差し、仮面の上からでも表情が伝わってくるような強い口調で言った。

 

「自分の価値は自分で決めろ、下らねぇもんに命懸けんな!」

 

「……!」

 突如、ヒースの胸に疾風が吹き抜けていくような感覚にとらわれた。

 

 仮面のスナイパーが連行された後、暫く呆然としてしまったが、その後も護衛隊が村人を殺しているという衝撃の言葉はヒースを悩ませた。

(護衛隊が民衆を殺すとか言ってたな。いやぁ、さすがにそれはないだろ)

 衝撃の言葉を掻き消そうと首を横に数回振ったヒースは、アリーナに飛び降りて歩きながら後ろを振り返り距離を再確認した。

 

(てか、あそこにいる人間もう豆粒じゃねぇか。あんな遠くから撃ってたのか? こえー!!)

 

 ヒースは持ち場に戻り、場内の受験者も少し落ち着きを取り戻していた。

 しかしこの時、二次試験の挑戦者はすでに半分以下になっていたのだ。

 

「恐ろしいですね、トージ総隊長。あの仮面の狙撃手をあのまま参加させていたら誰もいなくなっていた可能性も」

 二次試合の様子を闘技場の観客席で見ていた護衛隊の総隊長の隣で、隊員の一人が戦々恐々としていた。

「君は剣が銃に敵わないとでも?」

「どういう事ですか、総隊長」

 

「私がここに来るずっと前だ。まぁ君も聞いたことくらいはあるだろう? 護衛隊の前教官、チョー氏の話」

 

「ええ、もちろんです! 隊員の頃から凄腕の剣士だったそうで。十五、六年くらい前に引退されたとか……もしやあの方は銃弾を剣で?」

「フフ。それよりトニー君、あの狙撃を止めた鋤の少年がどこから来たか調べてくれ」

 護衛隊総隊長トージはヒースの銃弾を弾くその動きに刺すような視線を送っていたのだった。

 

 また、会場の誰も気付いてはいなかったが、二人の護衛隊員が座っている反対側の座席の隅で身を隠しながら、その総隊長トージを睨むように目で追う黒髪の少年の目が光っていた。


 二次試験が終わり、ヒースもさすがに疲弊の色が見え始めた。

 最後の三次試験は40人が二人一組で自由にコンビを組み、勝ち残った半数の20人が合格となる。

 次は窮地であっても仲間を気遣えるかが、併せて問われるようだ。

 

「なぁ、アイツさぁ、さっき目立ち過ぎてたんじゃねーの?」

 

 コンビを組む相手がお互い既に決まっていた養成学校の生徒の一人が、しかめっ面でヒースを指差した。

「ああ分かってるって、オレも気に入らねーんだ。まぁ任せろ、オレがあの出しゃばり野郎とコンビ組んでやるよ。そんでな……」

 数人が集まりヒソヒソ話を始めた。何やら良からぬ作戦を思いついたようだ。

 幼少から今までずっとじっちゃんと二人だけの生活を続けてきたヒースは友達はおろか、ほとんど他人と接した事がなかったので咄嗟に見ず知らずの人間と協力するのはこれが初めてだった。

 

(あんま時間なさそうだな、早く相手見つけないと……。正直、誰でもいいんだが)

 

 そう考えて見回していると、ヒースより少し背は低いが体格のガッシリとした茶髪の青年がすぐに声をかけてきた。

 右手に槍を携えている。

 

「な、僕と組んでくれないかな。さっきのあれ、凄かったなぁ、ちょっとびっくりしたよ」

「いいぜ、俺はヒース。よろしくな!」

 すぐにヒースの顔に満面の笑みが浮かんだ。

「僕はランド。ありがとうー、なんかもう入隊が決まった気がしてきたよー」

 はにかんだ感じを装って、槍を左手に持ち替え右手をヒースに差し出して握手を求めてきた。

 今までほとんど他人を疑った事がないヒースはその違和感に気付かず、差し出された右手をとると嬉しさに任せブンブン振った。

 

 自己紹介する間もほとんどなく、すぐに最終試験の合図が鳴る。

 序盤からヒースとランドのコンビは他の5つのコンビに囲まれ、明らかに集中攻撃を受けていた、ように見えた。

 

「ヒース君、僕と背中を合わせてくれ。お互いが後ろを守る形で応戦しよう!」

 と、ランドが持ち掛けてきたが、ヒースは計画を立てるのが苦手なので恐らく何を提案されても快諾しただろう。

「オッケー! じゃ、お前の後ろは俺に任せろ!」

 そう言って背を向けた時、ランドが同級生に何やら合図を送っていた事をヒースは気付いていない――。

 

 ここまで順風満帆に勝ち抜いてきたヒースだったが、この事件の後から彼の人生までもが大きく急変していくことを、この時はまだ知る由もなかった。

 そして、一度に5組を相手にして競技場の端まで押されてしまい、背中を預けてしばらく前だけに集中していた時だった――。

 

 ランドの悲痛な叫びを聞きハッとして後ろを振り返った途端、ヒースの鋤に血がのだ……!

 突然の出来事に、ヒースは目を見開いたまま動きを止めてしまった。

 

「みんな、助けてくれ! こいつ僕を騙して殺そうとしてきたんだ!」

 

 青天の霹靂とはこのことだ。

 ランドの叫び声に、ヒースは意味が分からず茫然と立ちすくんでいる。

 自分の鋤とランドの甲冑が血で濡れていた、これが何を意味するかが理解できない程、ヒースは初めて自分に声をかけてくれたランドという若者を信用していたのだ。

 ランドは試験官や他の対戦者が自分を見ていないタイミングを見計らって、前もって懐の中に忍ばせていた血のりを自分とヒースの武器にかけたのだった。

 周囲の対戦者たちもランドと関わり合いがない者ですら、何が起きたかおおよそ見当がたったようでクスクスと、微かな笑い声がヒースの耳に纏わりついていた。

 試験試合中は不慮の事故を除き、むやみな殺傷は許されない。

 

「悪りぃ奴もいたもんだなー、とっとと退場しな、鋤野郎」

 じっちゃんには絶対に他人をむやみに傷つけるなと育てられたヒースだ。

(そんなはずはない……!)

 今のヒースには野次すらも聞こえない。

 

 試験官がヒースを取り押さえようと駆けつけるより先に、観客席の端で会場を見ていた総隊長トージが立ち上がった。

「ちょっと用事が出来た。あとを頼んだよ」

 トージは隣席の隊員の一人に指示を出すと奥の通路へと急ぎ姿を消した。

 

 そしてランドと試験官がまだ試合を続行できるかどうかの意思確認をしていると、トージがその現場へ現れランドに声を掛ける。

「君、勇敢だったね、動けるかな? 君の槍はこちらで預かっておくよ」

 

 槍を丁寧に預かると、トージは半ば強引にランドを誰もいない薄暗い臨時退却ゲートへと連れて行った。

 

「ランド君、といったかな、悪いが観客席から見えたんだよ。毎年いるんだよね、こういう悪質ないたずらでライバルを減らそうとする若者がね」

 ランドの顔が真っ青になった。

 

「だがね、おかげでこちらも長年探していた物を見つけることが出来そうだよ。あの鋤を持った若者にちょっと用があってね」

「な、何をしようと……」

「なぁに、大した事はないよ、君がやりかけた事を完遂するだけだ。このままじゃぁ中途半端ではないかね。試験官にバレてしまったら元も子もないだろう?」

 この通路の先は行き止まりだ、逃げ場もない。

 

 ヒースは濡れ衣を晴らそうと、自分を連行しかけた試験官を振り切ってランドのもとへ猛然と走る。

(何かおかしい……! ランドに直接聞くまではここで終われない!)

 

 ランドと隊長を追って臨時退却ゲートに入った時だ、暗い通路の奥から恐怖の入り混じった悲鳴が聞こえてきた。

 

 そして駆けつけたヒースの目に飛び込んだのは、右腕を失い血まみれでうつ伏せに横たわっていた若者だった……!

 しかもそのすぐ傍には、持ち主を失って断面を露わにした右腕がゴロンと転がっていたのだ。

 

「ランド! 一体どうしたんだ、何があったんだ!?」

 傍らにいたトージは使った剣を縦に振り、血を払ってから鞘に納めた。

「やぁ、ちゃんとここまで追ってきたんだね、いい子だ」

 そう言いながら、ヒースの左肩に軽く手を置いてチラっとヒースの横顔を一瞥した。

 

「まさか、あんたか!? 隊長だかなんだか知らねぇが、許されないぜ! 手をどけろ!」

 肩の手を振り払い、鋤を握る手に力を込めて睨みつける。

 

「君の話を信じる者がいるといいね。では私は急ぎの用があるのでこれで失礼するよ。早くそこの少年の出血を止めてあげないと危ないのでは?」

 トージは紺色のマントを翻して悠々と、来た通路を会場の方へと戻っていった。

 しかし追って行く訳にはいかない、腕の切断面からみるみる血が流出していく。

 

「大変だ! おい、しっかりしろ!」

 無我夢中でランドの体を起こすと、自分のシャツを割いて腕の切断付近できつく縛った。

 そして顔を見た瞬間、暗がりでもランドの口が両サイドで裂けているのがはっきりと分かった。

 

「……酷い! あの隊長にやられたんだろ!?」

 勿論ランドは何が起きたかは話すことは出来ない。

 その上利き腕も失って意識も朦朧としていた。

 

 程なくして数人の試験官達が駆け寄り、ランドは担架に乗せられた。

「ランド君、直ちに応急処置をします」

 同時にヒースは二人の試験官に取り押さえられてしまった。

 

「お、おい! ちょっと待てよ、お前らの隊長がやったんじゃねぇか! あいつ、さっきまでここに居たんだ! 俺は何もやってないぜ! どう見てもオカシイだろ!」

「トージ総隊長を愚弄すると刑が増えるぞ! さっきすれ違った総隊長から報告を受けた。全く、わざわざ追い打ちを掛けに来るとは最悪だ! その場に総隊長がいなかったらこの若者は殺されるところだった。おとなしく牢に入って処罰を待つんだな。後で総隊長が直々に尋問する」

 試験官はそう言ってヒースの腕をロープで縛ろうと腕をとった、その瞬間――

 ヒースは試験官達を振り払い、もう走り出していた。

 

(ランド、俺を騙そうとしたとはいえ、あまりに惨すぎる。あの隊長、何が目的なんだ?)

 整理できない頭を抱え、一旦ここから出ようと決めた。

 

(……つっても、闘技場の外にはそう簡単に出してはもらえないだろうな)

 そう考えながら一旦通路を闘技場の方へ向かい、さっきまでいた試験会場に出ると案の定、剣を持った数十人の護衛隊に囲まれてしまった。

「だよな」

 追い打ちをかけるように、試合を中断されている他の生徒達が軽蔑の目で罵倒してくる。

「お前、最低な奴だったんだな!」

「パートナー殺し!」

「違う! 俺は何もしてない!」

(やはり俺は指名手配犯にされたのか? なんでだよ、試験を受けに来ただけだ……! ちきしょう! 今日は絶対に入隊を決めて帰るはずだったのに、なんでだ……!)

 ともあれ、まずは逃げることが先決だと判断したヒースは、次々と鋤で護衛隊員を蹴散らしながら闘技場を後にして出来るだけ遠くへ走った。

 

 ヒースの鋤捌きが冴える……!

 護衛隊の隊員が何人もまとめてかかって行ったが隊員ですら、彼のスピードには誰もついて行けなかった。

 ことごとく剣が弾き飛ばされ、腹部や脚に打撃を受けた隊員達は次々とその場でうずくまり、動きを止めてしまった。

 

「総隊長! もう誰も奴を止められません!」

「あれ? そういえば、総隊長はどこに?」

「くそッ! 相手は百姓の子供だぞ?」

 手に負えなくなった護衛隊の隊員達が応援を呼んだが、ヒースは既にその場から消えていた。

 

「我々が止められないって……それはもう既に隊長格クラスだぞ? 鋤の代わりに剣でも装備してたらどうなっていたんだ。あの少年は一体……?」

 隊員の一人が呟いた。

 

 ちょうどその頃、闘技場の外では馬に鞍をつけ、遠出の準備をしているトージの姿があった。

 

 木の陰に隠れ様子を伺っていた黒髪の少年は、先程まで闘技場の観客席に隠れて見ていたが、どうやらトージを追ってここまで来たようだ。

 馬が走り出すと待っていたかのように後を追い始めた。

 黒髪の少年が走り出すと体が黄色に光り出し、それに合わせて少年の走るスピードもみるみる上がっていった。

 トージを追って少年は森の中へ入って行く。

 方向を確認しつつも時折止まりながら距離を十分にとっているようだ。

 見つからないよう慎重に後をつけていたが見失ったのか、木の後ろに隠れて立ち止まり、きょろきょろ辺りを見回していた。

 黒髪の少年が見失ったその先で、全速力で走る馬上のトージの顔が緩やかに他の顔に変形していく――そして驚くことに、ヒースのそれに変わったのだ……!

 

「この国で日本刀を扱うのは後にも先にも護衛隊の前教官、芹澤兆楽ちょうらくただ一人。まだオレがここに入る前、チョー教官は隊員時代から名刀を使用していたと聞いた。備前伝一派の伝説の刀、どんな異形獣まものでも一刀両断する柄巻つかまきが赤いやつだ。フフ、あの少年の鋤の動きはまるで刀捌きだった……という事はだ」

 ヒースと同じ顔をした総隊長トージ。その表情にはうっすら笑みが浮かんでいた。

 

 トージは池の近くの木に馬を止め、制服から黒っぽい上下の服に着替えている。

 だが追跡中の黒髪の少年は見失っていた為、まだその姿には気付いていなかった。

 

「ここまで来たら、さすがにもう追手も諦めるだろうな。なんせ、こっから先は異形獣まものの多発地帯だ」

 

 もう入隊試験どころではなくなり、一旦じっちゃんに色々報告しようと帰宅を決めた。

 いつもの街外れを通ると、先回りした護衛隊と鉢合わせでもして自宅が発見されることを恐れたヒースは、少し遠回りになるが、あまり人が近づかないベルニーの森を抜けることにした。

 

 案の定、早速異形獣まものが襲い掛かってきた。

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