後編『心を取り戻す』

——およそ半世紀後。


 私はベッドの端に腰掛け、床に転がった杖に手を伸ばす。


 しかし、ちっとも届かない。


『H2-SO4よ、そこの杖を取ってくれぬか? うぅ、腰がキリリと痛む」

 私は、冷たい金属の人型ロボットに、そう頼む。


「ヨシオサマ コノゴロ イタミガヒドイ ヨウデスネ。ダイジョウブ デスカ?」

 は、『大丈夫か』などと私を労いながら、杖を拾って、よこしてくれる。


「助かるよ。ありがとう」

 私はに礼を言う。内心では、杖を拾うくらいがやって当然の仕事だと思っている。


 私は、杖を頼りに、脚と腕に力を込め、プルプルと震えながらなんとか立ち上がろうとする。


「ううぅぅ!! ハァ……ハァ……これでいい」

 ようやっと足歩行になれた私は、寝室を出ようと、極めて小さな歩幅で前進する。


「ヨシオサマ ムリナサラナイデ クダサイ。イツデモ カタヲ カシマスカラ。ワタクシメハ ヨシオサマノ クルシソウナカオヲ ミルノガツライデス」


 なるほど、辛そうな人を心配するようにプログラムされた、優秀な人造人間ロボットだ。待てよ……プログラム、だよな? お前のスピーカーから出た音声は、いったい誰の言葉なんだ?

 

「おい、H2-SO4よ。今の言葉……本当にからそう思って、私に言ったのか?」

 には難しい質問と承知で、私は尋ねる。


「コ・コ・ロ・カ・ラ? ヨシオサマ ココロカラ トハナンデショウカ? キカイノワタクシメニハ ソノイミガ ヨクワカラナイデス」

「人間には感情というものがある。だから、他人に何か喜ぶものをあげたり、何か喜ぶことをしてあげたりすることがある。その時、相手によっては、単に義務であるから、自分が得をするからそうしてやることもあれば、あるいは規則や利害からではない何らかの特別性を自分と相手との関係の中に見出してそうしてやるのか、動機が大きく変わってくる。いずれの場合も、見かけ上は同じに見えるが、本質は大きく異なっている。私が何を言っているのか、お前は理解できるか?」


「……」


 私は、どれほど言葉を並べても、その心無い金属塊ロボットに心とは何たるかを伝えることは叶わないと思った。だがそれを承知で、語り続けることにした。


「私はこの五十年間、『メッセージの代行ビジネス』で食ってきた。事業が軌道に乗り出した頃にちょうど、科学の発達によりAIなるものが台頭し始めた。AIがする仕事の質は加速度的に高まっていった。『ChatGPT』といったかな。あれに、物書きの類は淘汰とうたされると、私自身も正直思ったね。手書きメッセージ代行の需要は無くなり、『株式会社ギゼン』の廃業も覚悟をしていた。しかし、予想に反して受注は増えた。うちでつくったメッセージというのは、AIによって生成された文章よりも、いくらか心がこもっていて、温かみが感じられる、のだそうだ。あれは、嬉しい誤算だった。だが、いくら需要があったからといって、私は確かに、メッセージの中にのだ。私が、クライアントの要望に沿うように連ねた言葉たちは、全て偽りだ。私と、私のつくったメッセージが最終的に届く相手というのは、話したことも、顔を合わせたこともない赤の他人同士なのだ。そんな関係性の中でつくられたメッセージは、偽りと呼ぶ他ない。人は皆、人造人間ロボットがいくら美辞麗句びじれいくを並べようと、人間の感情の力、心の力には勝てないと豪語する。何度も言うように、私は仕事でメッセージをつくる時に心を込めたことなど一度もない。一方でH2-SO4、お前がいくら元を辿ればプログラムに支配された存在に過ぎないとは言え、その優れた人口を使って、目の前の相手に、長年寄り添っている私に、かけるべき言葉を、確かに自らの意思で選び取った。単なる気遣いごっこメッセージ代行とは違う。ここで問いたい。違いは何だ? 私がカネのために数多あまた連ねた偽りのメッセージたちと、さっきH2-SO4、人造人間ロボットであるお前が私にかけたような言葉との間にある、違いというのは、いったい何なんだ? そもそも、違いはあるのか? 優劣はあるのか? ああ、こうしてお前に説教を垂れている間に、私自身も、心とは、感情とは何か、わからなくなってきたよ」

「ココロ……。カンジョウ……。ヨシオサマノ オッシャルコトガ ナントナク ワカッタカモシレマセン」


 そんなはずはない。


「H2-SO4、本当に言っているのか?」

「ハイ シカシ リカイデキタノハ タブン イチブブンダケ……」


 私は、この冷たい金属の人型ロボットは、また新しいユーモアを覚えて私を揶揄からかっているのだ。心を理解したなど、ハッタリだ。そんなふうに思った。


「感心だなぁ。お前は本当に、冗談を言うのが日に日に上手くなるな」

「オホメニアズカリ コウエイデス。ソウダ ヨシオサマ ココロトハ ドコニアルノデスカ?」


 なんだ。こいつ、よほど心というものに興味があるようだ。子供みたいに、好奇心旺盛だな。


「H2-SO4、お前は変な質問をするなぁ。そんなこと知ってどうする?」

「ワタクシメノ ゼンシンノ ドコヲサガシテモ ココロトイウ ブヒンハ アリマセンノデ キニナッタノデス」


 ほぉ、そういうことか。だが残念ながら、私にも、いや誰にも、心がどこにあるかなど、わからないのだ。まぁ、強いて言うならば……


「ここだ」

 私は、

 握力の乏しい右の拳で、

 自分の左胸を、

 トンと叩く。


 すると妙なことに、

 H2-SO4は、

 私の心の臓から、

 私の右の拳を引き剥がし、

「オシエテクダサリ アリガトウゴザイマス」

 と言って……



 手刀で私の胸を貫いた。



 私は倒れた。



 H2-SO4の手には拍動する肉塊が握られている。



「ヨシオサマ コレガ ココロ ナノデスネ」



 そうか、私は勘違いをしていたようだ。

 お前が私にかけた労いの言葉は、偽りだったのだな。


〈完〉

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

株式会社ギゼン 加賀倉 創作【ほぼ毎日投稿】 @sousakukagakura

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ