株式会社ギゼン
加賀倉 創作【書く精】
前編『心を無にする』
——おんぼろアパートの一室。
デスクはひどく片付いていて、すっきりとしている。書類の棚もスカスカで、顧客名簿の厚みは、新聞の夕刊よりも薄い。始業と同時に席に着いてから、数十分経過した。さっきからずっと、壁や天井のシミの数を数えたり、脳内の辞書をパラパラとめくり感傷的な文言や弱った人間が好む表現を探している。
私、
私は今、電話番をしている。
今日、目の前の電話機がけたたましく叫んだ回数はゼロ回。曲がりなりにも会社を経営する以上、電話はかかってきて欲しい。だが一方で、一社員としては、電話応対はあまり好きではないので、かかってきてくれるな、という矛盾した思いもある。サラリーマンを辞めて起業してから、この対立する気持ちを初めて味わった時は、衝撃だった。
あ。
電話機の第一声。
しょうもないことを考えているうちに、電話がかかってきたではないか。
「はい、お電話ありがとうございます。株式会社ギゼン、受付担当の
非常に元気のいい明るい声で応対する。恥ずかしさやためらいはない。声は、誰にも聞かれていないのだから。
「あのう……そちらは株式会社ギゼンさんで……お間違いないですかぁ……」
尻すぼみな声。声の主は、おそらく中年女性。どこか、自信がなさげな印象を受ける。社名は、さっき名乗ったんだけどなぁ。私の滑舌が悪かったかな?
「はい、弊社は手書きメッセージ代行専門の会社、株式会社ギゼンでございます。ご用件をお伺いいたします」
「えーっと、じゃあ、どこから話そうかしら……」
「できるだけ詳しく、お聞かせいただけますと光栄です」
「そう、それなら気が楽だわ。うちの母は老人ホームで暮らしているんだけど、毎週服やら日用品をまとめて送るの。その中に、手紙を入れていたのよね。内容は、怪我や病気に気をつけてねーとか、こっちではこんなことがあったよーとか、まぁはっきりいって大したことじゃないんだけど……最近面倒になってきたというか、ネタ切れというか。最初に張り切って、長めの、気持ちのこもった手紙を書いちゃったものだから、それを基準にクオリティが落ちないようにしなきゃと思ったりして……今更辞めるのも、母に悪いとも思うし……とにかく、もうこれ以上は書けないなと思ったの。こんなことでも、代行してもらえるのかしら?」
ほぉ、なるほど。はっきり言って自業自得な気もするが、このお客の気持ちは、理解できなくもない。まぁ、例え理解はできなくても、可能であれば要望通りやるのがこの仕事なんだけどな。
「はい、もちろん可能でございます。これまでに書いたメッセージの例などがありましたら、そちらも参考にしながら、作成させていただきます」
「本当? よかったぁ! これでお手紙の呪縛から逃れられるわ。ありがとうございます!! じゃあ、ファックスで、過去に書いた手紙を送るから、すぐにお願いします!!」
「かしこまりまし——」
そこで通話が、切られた。
まだ色々詰めるべき内容があったのに。
それにしても、すごい喜びようだったな。困った人の力になれるのは、いいことなのだろうが……お母様の立場で考えたら、ちょっと複雑。いや違う、これはビジネスだ。しかも私の意思で始めたこと。感情を押し殺すのだ。というか、ファックス? 今は電子メールの時代だが……まぁいい。私も起業するまでは、電子メールは一度も使ったこともなかったし、前の会社ではファックス派だったからな。他人のことは言えない。
よし、ひとまずファックスが送られてくるのを待つか。
ⅡⅣⅡⅣⅡⅣⅡⅣⅡⅣⅡⅣⅡⅣⅡⅣ
しばらくして、また、電話が鳴った。
「はい、お電話ありがとうございます。株式会社ギゼン、受付担当の
「私、ナカヌキ社会福祉協議会の
お、今度は法人か。ビジネスをやる者同士だと、変な奴は少ないし、話が早くてやりとりしやすいんだよな、これが。というか、ナカヌキさんといえば、誰もがその名を知っている有名募金団体じゃないか。こんな零細に発注して大丈夫なのか、という心配もあるが……関係ない。どんな仕事も全力で引き受ける。
「かしこまりました。どういったメッセージでしょうか?」
「単刀直入に申し上げますと……弊社は孤児などの貧しい子供たちの養父を募る部署がありまして、私はその部署の責任者です。支援の
ほぉほぉ、なるほど。そんなパターンがあったとは。子供か。子供の手書きメッセージとなると、筆跡模写が、また違う角度で難しくなってくるな。汚い字でも、大人の汚い字とは違って、子供の下手な字というのは、妙な味わいがあったりして、再現が難しそうだ。いや待て、子供だからといって、それもその子が貧しいからと言って、字を書くのがが下手だとか苦手だとか決めつけるのはよくないな。私よりもずっと達筆な子供だっているはず。偏見は良くない。
「そうですね……えぇ。おおかた、予想がついたような気がします。貧しい子供たちになりきって、養父へのメッセージを書く。そういった、ご要望でお間違いないでしょうか?」
「いやぁ、そうです。つまりはそういうことです。もうこの際ぶっちゃけてお伝えしてしまいますが、あんなもの、子供本人は書いていないわけです。いや、他の団体は知りませんよ? そんな人の善意を踏みにじるようなこと、うちだけだと信じたいです。あ、これはオフレコでお願いしますね?」
うおぉ……これは驚いた。その可能性、頭にはぼんやりとはあったがまさか……ナカヌキさんの場合は、職員が子供のふりをしてメッセージを書いていたってことだよな。こんな残酷な真実、うっかり誰かに言わないように気をつけよう。身の回りで誰が心優しくも子供達への支援をしているかはわからないからな。善だろうと、偽善だろうと、何かに役立っているはずだろうし。ただ、集めた金をちょろまかすのだけは許せない。ナカヌキさんがそうでないことを祈るが……流石にそれを確かめるために深掘りすると、大事な客を失うことに繋がりかねない。ここは、ビジネスだと割り切って、必要のないリスクは犯さないようにしておこう。
「もちろん、御社の内情を不用意に
「そう言っていただけて嬉しいです。じゃあそうだな……あ、すでにお任せしたいメッセージのリストはまとめてあるんです。メッセージをどんな子供が、どんな支援者に送るか、という内容をね。リストには支援者の氏名も含まれているので、それぞれ、宛名に支援者の氏名を書いてもらえれば、と思います。メッセージの例は、書式、様式、形式も一緒に示したものを用意してます。この後まとめてメールで送ろうと思っていますが、送り先のアドレスは……このチラシに載っている『gizen41510letsdoit@kiga-mail.com』でよろしいでしょうか?」
いやぁ。やっぱり大きいところは事前の準備がいいなぁ。
「はい。そのメールアドレスに、お願いいたします。ちなみにですが、子供たちの名前も送っていただけます、よね? 私の勝手な想像にはなってしまいますが、メッセージの最後に子供たちの『〇〇より』とありそうな——」
「ああ、そこはお任せします」
ん? お任せ?
「えーっと、恐れ入りますが、おまかせというのは……いったいどういった意味でしょうか?」
「すみません、お伝えし忘れていましたが、今回お願いしたいのは、子供たちへの支援に対する
ふむふむ。だが知らないからと言って、子供たちの名前が必要なのには変わりない。変わりないよな? もしや、まさか……
「ひょっとして、そもそも……子供なんて『存在しない』ということでしょうか??」
「ああ、ご名答です。まぁ、そちらにとって子供が実在するのかどうかは、関係ないと思いますけどね。いずれにせよ、メッセージは
そ、そうだったか。でも先方の言うことには一理ある。そもそもこっちは、
「はぁ……かしこまりました。確かにおっしゃる通りでございます。では、当たり障りのない名前で一旦作成いたしまして、
「ああ、確かに、そうですね。じゃあそのデータも追加で送りますから、把握していただいた上で、名前を考えていただけると嬉しいですね。あ、もちろん諸々の追加料金は払います、というか、金額はどれくらいになりそうですかね? メッセージは二四四通あるんです。一通あたりの分量は五百文字程度で、今月末までに。来月頭に一斉送付しないといけませんので」
おーっと。少々雑になってきたような気もするが……追加で料金を頂戴できるなら、よしとしよう。と言うか、待てよ、二四四通!? 嬉しいが、多い! 月末まであと三週間あるから、こなすこと自体は、少し無理すればいけるはず。うーん……いや、迷っている場合ではない、是非とも受けよう!
「もちろん可能でございます。弊社のシステムは、一通あたり五百文字までなら一千クレジット。超過分は百文字ごとに三〇〇クレジットの
「へぇ、そんなに安く頼めるんですか。その金額で、ぜひお願いします」
「かしこまりました」
安いのか。ナカヌキさんは、潤ってるってことなのかなぁ。
「よかった。これで時間を他の仕事に充てられます。では、メールの書面に発注内容を改めて記載した上で、支援者名簿と、メッセージの例、既存の子供の名簿とを記したファイルも添付しておきますね。何かあったら、この番号、そっちに表示出てますよね? 『
いやぁ、発注内容を記載してもらえるのはありがたい。これで言った言わないの水掛け論にならなくて済むからな。うん、なかなかいい仕事をもらえたぞ。
「かしこまりました。ではご連絡、お待ちしております」
「では、よろしくお願いします」
「はい。
ふぅ。
なかなかの大口案件。
よし、頑張ろう。
私の会社のサービスは、想像以上に需要があったらしく、それ以降も、電話は次々とかかってきた。会社は成長し、抱える従業員の数は百人を越した。いわゆる『起業家』を名乗れるくらいには、懐事情は良くなった。それからも社長として、良いご身分を味わって人生を過ごしたが……
〈後編『心を取り戻す』に続く〉
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