ひだまりの匂い

 5日前、ばあちゃんが亡くなった。寝ている間に心臓が止まったらしい。とても穏やかな表情で眠っていた。




「……こずえ、私たちは先に行ってるね」




 無言を答えと受け取ったのだろう。母さんたちはばあちゃんが眠っていた部屋から出て行く。


 良き話し相手で、時々お菓子をくれて、ひだまりの匂いに包まれていて……。

 大好きなばあちゃんはもういない。こんなに急にいなくなるなんて、もっと話しておけばよかった。


 この家も主が亡くなったことを悲しんでいるのだろう。いつも以上に静かで、温度がないように感じる。




『梢ちゃん……』




 突然、声がした。もういないはずの、二度と聞けないはずの声が。




「ばあ、ちゃん……?」


『……聞こえているのかい?』




 その声は、埃除けの布がかけられた鏡の方からした。恐るおそる布を取ってみる。

 その鏡に映っていたのは、私ではなく、ばあちゃんの姿だった。




「どう、して……? ばあちゃんは亡くなったはずじゃ」




 私の心を占めているのは驚き、そして……喜び。

 ばあちゃんと、また話せた……。そう思った瞬間、5日間ずっと溜め込んでいた感情が涙となって溢れ出す。




『梢ちゃん……、よしよし、気が済むまで泣きなね』




 頭を撫でる仕草をしてくれるばあちゃんに甘えて、私はしばらく泣いていた。






「——もう、だいじょうぶ。ありがとうばあちゃん」


『うん、よかったよかった』


「……ところでさ、これって夢かな?」




 少し冷静になって考えてみたらこの現象はおかしい。亡くなったばあちゃんと話せているなんて。……まあ、夢でも嬉しいけど。




『そうだねぇ。夢かもしれないね』




 ばあちゃんは苦笑しながら言った。


 もしかしてばあちゃんは何か知ってるの? そう聞こうかと思ったけどやっぱりやめた。聞いてしまったらこの夢が終わる気がしたから。




「そっか。……そういえば、ばあちゃんは今どこにいるの?」


『たぶんここは黄泉平坂よもつひらさかといわれるところだろうね』




 黄泉平坂……、小説とかでたまに出てくるあれか。死者の世界と生者の世界の間、みたいな。

 じゃあやっぱりばあちゃんは……。ああ、涙が滲んできてしまう。




『泣かないで、梢ちゃん』




 ばあちゃん……。それはちょっと難しいかも。




『確かにばあちゃんはそっちからいなくなったけど、消えたわけじゃないさ。梢ちゃんたちが覚えていてくれる限り、消えないから。それに、ここから見守ってるからね』




 もうこの夢が終わってしまうみたいな言い方しないでよ……。




「うん、分かった。忘れないからちゃんと見守っててね」


『もちろんだよ。……さあ、そろそろ戻る時間だ』




 鏡に映るばあちゃんの姿が透けていく。本当はもっと話していたい。だけどそれは無理なんだろう。……ああ、これは伝えないと。




「私のばあちゃんでいてくれてありがとうね!」




 一瞬驚き、笑顔になって手を振るばあちゃんの姿が見えた——。






 目が覚めたらなぜか泣いていた。とてもあたたかくて悲しい夢を見ていた気がする。よく覚えてないけど、もう大丈夫だと思えた。


 ふと目に入った鏡の前に立ってみると泣き腫らした自分の顔が見える。そういえば、この鏡についてばあちゃんがよく話していたっけ。




『いいかい、梢ちゃん。この鏡はね、ばあちゃんのばあちゃんのばあちゃんのばあちゃんが創り出した黄泉鏡よみかがみっていう不思議なものなんだよ』


『よみかがみ……? ふしぎってなにがふしぎなの?』


『うーん、何だろうね? ばあちゃんも詳しくは知らないんだよね——』




 そんな思い出がある鏡からは、ひだまりの匂いがした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

黄泉鏡 色葉みと @mitohano

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ