第2話 不気味な組織

 師はさゆの目を見ることができないまま、知らないと答える。さゆはそこで手を止め、師に言った。

「変な思想を持つ集団ですよ」

「自分、その集団にいる人間がここにいたらどうする気だ」

 師は表情一つ変えずにさゆに言った。さゆは歪な笑みを浮かべる。

「だって本当におかしいんですもん。『炎鬼は神罰である』とかほざいて、炎鬼に襲われる人間は自業自得って主張してるんです」

 暁が顔を上げ、さゆと師を静かに見ていた。静かになった教室で、冷淡な声だけが聞こえていた。急に何を、戸惑う師の声が響いた。

「そいつら最近力を付けてきたみたいですよ。政とかにも口出ししてるとか」

 暁の声が背後から響くと、彼の横に座っていた生徒が喋り始めた。

「そいつらのせいで、『浪士隊』が解散されちまったって話でさ。もしそれがホントなら、俺らみたいな食いっぱぐれた奴は、奴らのせいでみーんな稼ぎどころなくしちまったってことになるぜ」

 師は何も言わなかった。

 この寺子屋では武術にも力を入れている。寺子屋であるにもかかわらず、道場みたいな部屋や水練場、馬小屋などがあり、竹刀や真剣なども置かれていた。

 生徒たちはそこで、性別や身分、年齢にとらわれず、それぞれの特性に合った武器の使い方や基本戦術などを学問と並行して学んでいる。

 その生徒の中でも特に武術の成績が良い者は、その優れた腕前を買われ、先日まで都の警察組織である「浪士隊ろうしたい」の隊士になることが決まっていた。その中にはさゆや暁も含まれていた。それで彼らは、これから使うための刀を買ったりして新たな仕事に備えた。

 しかし――さゆたちの準備は一か月前に全て無駄になった。

 浪士隊の幹部たちが「謀反の罪」によって、今から一か月半前に処刑されたのだ。それによって浪士隊は解散してしまい、さゆたちの内定も全て取り消しとなった。

 浪士隊解散の報が来た時の教室の様子は、今でも思い出したくないほど空気が悪かった。さゆや暁でさえ黙ってしまい、他の生徒たちも目から生気が抜けていた。

 師は息を吐く。

「あくまでも噂だろう」

「どこまで噂だと思う? さゆ」

 暁はさゆを見る。

「あのくだらない思想は噂じゃないよ。解散云々については半分噂なんじゃないかな」

 ええ、と話を出した青年が机に突っ伏した。

「でも……火のない所に煙は立たぬ、でしょ? 強すぎる思想を持つ奴は、絶対ろくなことしないから。一枚以上は絶対噛んでる……そんな気がするんだ」

 トモシが顔を上げ、さゆを見た。さゆの青い目が生徒たちを映す。師はこめかみを押さえ、さゆたちを睨んだ。牽制したつもりだったが、横から暁の声がする。

「そういう先生だって、『火の裁断』について調べてるくせに……ですよ」

 暁が怪しく微笑む。師の頬から汗が一滴落ちた。


 その流れを打ち切るように、一人の生徒がさゆに話しかける。ろくろ首の少女だった。

「……で、火の裁断の話ししてる間、ずっと不愉快そうだったけど。何かあった? さゆ」

「昨日、すっごく不愉快なことされたから、みんなも気をつけてねって思って」

 トモシが小さな翼で勢いよく床を叩いた。

 昨日、店から買い出しを任されたさゆは、トモシと共に夕暮れ時の町を歩いていた。トモシと影踏みをしながら歩き続けることしばし。さゆは突然道端に立っていた女に話しかけられた。

「あの、炎鬼って何だと思いますか?」

 貼り付けたような笑みでそんなことを言われ、さゆは女を疑わずにはいられなかった。知らないよ、とさゆは不満そうに女に答え、トモシを連れてその場を去ろうとする。しかし、女はさゆたちを邪魔するように前に立った。さゆとトモシは揃って眉を顰め、女を睨めつけた。

「炎鬼は神罰だと、そう思いませんか? かつてこの国に火をもたらした軻遇突智かぐつちは我々人類に対して――」

 途中で聞くのも馬鹿らしくなり、さゆは女のすねを見る。蹴ったら退くかな、などと考えつつも女の話を半分程度は聞いた気がする。どうやら炎鬼は神罰らしく、その炎鬼を従える神が今この都にいる――そんな内容のことを延々と語っていた。

 トモシも横で退屈そうにしていた。何度も着物の裾を噛み引かれ、さゆはその度に彼女を宥めなければならなかった。しかし、トモシの機嫌は悪化の一途を辿っていた。

「もし、我々『火の裁断』に入信されれば、その子の罪は消えますよ」

 女の声が急に鮮明になり、さゆは顔を上げる。夕暮れで落ちた陽が女と重なる。貼り付けた笑みも相まって、その場は異様で底冷えのする雰囲気が漂った。女はトモシの小さな翼を指差す。

「だって……その子の翼、とても小さいじゃないですか。翼竜であるのにそんな翼で飛べるとは到底思えません。……きっとその子は、前世で大きな罪を犯してしまったのでしょう。でも大丈夫。我々の仲間になれば、その罪はき――」

 さゆは思わず女の胸ぐらをつかんだ。

「トモシのことを罪人扱いするクズと、同等の扱いされたくないんだよね。何言われてもアンタらと組む気なんか微塵も無いから、早く目の前から消えてくんないかな」

 さゆは低い声で言い、女を乱暴に突き飛ばした。トモシ、とさゆが呼ぶと彼女は嬉しそうに駆け寄った。倒れている女に脇目も振らず、さゆはトモシと共に紅く染まった道を歩いた。伸びた影を踏む気にはなれなかった。

「……なにそれ、すっごい酷過ぎる!」

 さゆの話を聞いていたろくろ首の少女は、首を伸ばしながら机を強く叩いた。トモシが生徒を見る。

「それさ、俺の兄貴もおんなじこと言われたんだけど。兄の耳が聞こえないのは前世の罪だって信者に言われてよ。親父が凄え勢いよくソイツを殴ってたわ」

 浪士隊解散の噂を出した青年がさゆに話しかける。横で聞いていた暁が砂色の髪を掻きながらさゆに言った。

「俺でも殴るわ。そんなこと言われたらよ。で、さゆ、自分は殴んなかったんか」

「胸ぐら掴んで投げ飛ばしたって、殴ると同じだと思う?」

 師は口を緩やかなへの字に曲げた。何をしたのか分かっているのか、という言葉にさゆは曖昧に笑っただけだった。後悔はしていないようで、師は当然かと腕を組む。


 同日、とある屋敷に三人の男と一人の男が集まっていた。年季の入った畳の上で、四人は黙っていた。不意にそのうちの一人が口を開く。

「まったく……この面で集まるのも一苦労だな。こんな場所に私はふさわしくないだろう。そう思いません? 知幸つねゆき殿」

「お……じゃなくて私に話を振らないでいただきたい、九条くじょう殿。しかもやっと喋ったと思ったら、ただの嫌味かよ……」

 知幸、と呼ばれた男は声の主を睨みつける。

「……局長の遺体を回収できたのは不幸中の幸いですね」

 女が口を開くと、横にいた男は頷く。喧嘩になりそうな九条と知幸はもはや二人の眼中にはない。男は言葉を続ける。

「最近、『火の裁断』の活動が活発化しているようですな。……九条殿。知幸は私以上に怒らせてはならぬ相手だと、隊内でも幕府でも評判だったのをお忘れですかな」

 矩幸は男を見た。その目はどこか不満そうである。そんなの初めて聞いたぞ、と矩幸は男に話しかけるが、男は言っていないのだから当然だと意に介す様子はない。

「そう言えば……隊士の中に少女が一人おられましたよね? 宗久むねひさ殿。確か……ひょう、そう、雛松夢乃ひなまつゆめの殿でしたか。彼女を最近見ないのですが、一体どちらへ?」

 宗久、と呼ばれた男は顔を上げる。栗色の癖毛が特徴的な男だった。

「ああ、夢乃ですか。彼女はしばらく寺子屋に通うことになりましてな」

 女は目を見開く。

「いや、十二にもなって同年代と関わったことが無いというのは、少し危ういと思いまして。まあ、夢乃のことだ。それなりに成長すると思いますよ」

 宗久は微笑んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

灯した火が照らす先 夜間燈 @yasai-2023

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画