1章 火を守る覚悟
第1話 寺子屋の問題児
その寺子屋は〈
寺子屋では武家出身の者から孤児、妖怪までもが、同じ部屋で学んでいた。農民の子が武家の子に勉強を教えることもある。さらに路頭に困った浪人までもが生徒に含まれていた。
そんな寺子屋で学ぶ生徒の一人に、炎のように赤い髪を持つ少女がいる。透き通った青色の目を持つその少女は、常に溌剌とした雰囲気を纏っていた。しかし、どこか同年代の子供より幾分か大人びており、雰囲気の中には僅かに武士のような鋭さが入り混じっている。少女は常に真っ直ぐな目をしていた。
そんな少女は教科書を開きながら口を開く。
「理はものが存在する根拠で、気がものを構成する素材のことで……」
「それが理気二元論な。それを人に当てはめたのが……」
前から声がし、少女は顔を上げた。そこには砂色の髪が特徴的な少年が座っていた。黄色い目をしており、目つきはかなり悪い。悪人のような面だが、その顔には僅かながら幼さも残る。さゆと同様に僅かに武士らしい、緊張感のある雰囲気を放っていた。
「
少女は声を張り上げると、得意そうに目の前の少年を見た。少年は呆れたように少女を見る。
「おい、さゆ。理気二元論が分かったぐらいで威張ってんじゃねえぞ」
さゆは口を尖らせる。
さゆたちの学ぶ朱子学は簡単な学問ではなかった。しかし、この朱子学を理解しないと次に進めないのである。
「朱子学学び終わったと思ったら陽明学だっけ? それで、
さゆは暁を見る。暁は険悪な笑みを浮かべると、さゆに言った。
「今日から性即理だ。テメエは?」
「よっし、追いついた!」
暁は不満そうに舌打ちすると、拳を上げて喜ぶさゆを睨み付けた。そして静かに正座を崩し、さゆの足を強く蹴った。そこから蹴り合いに発展したのは、そう長くかからなかった。
「自分らそこまでだ。喧嘩止めろ」
ふと声がし、さゆと暁は同時に顔を上げた。不機嫌そうな表情をした師が視界に入る。
さゆは暁に向かって舌を出すと、師に微笑む。師はさゆの頭を軽く叩き、呆れたように書をさゆたちの前に置いた。
「二人とも、喧嘩するぐらいなら席を離れろ」
「え……?」
戸惑うようにさゆと暁は師を見る。その目は確実に、何を言っているんだろう、と問うていた。師は思わず肺に溜めていた息を吸った。
八つの頃から四年間、さゆと暁はこの寺子屋で学んでいる。二人とも複雑な事情を持ちながら学んでいた。
さゆは乞食のような格好で彷徨っていたところを師に保護された。その際、父親が行方不明になっていると説明したため、師は彼女を預けてくれる家を探し回った。それが功を奏し、さゆはとある店で丁稚として預けられることになった。
一方の暁もまた、親は行方不明となっていた。そんな親の代わりに彼の兄が暁を養っていたものの、仕事で長期間家を空けてしまうことになり、丁稚としてとある店に暁を入れた。そのとある店は、さゆの預かり先でもあった。
さゆは父親を探していたが、暁は探す気すらないという違いはあれど――二人は親がいなかった。
そんな二人は出会った直後に大喧嘩を起こすものの、互いに近くにいる方が落ち着くようになった。それもほぼ無意識だったらしく、気がつくと二人は親友と呼ばれる関係にまで発展していた。
それでも喧嘩を一日五回以上は起こしてくれるのだが。
師はさゆたちを見た。そして首を傾げて尋ねる。
「そういえば、トモシとライメイはどうした?」
「トモシなら昼寝中です」
さゆは言いながら縁側を示した。
その縁側には少し大きめのえじこ(乳幼児を入れる用の竹籠)が置かれていた。近くにいた生徒が興味津々という様子でその籠を覗き込む。
そこでは、炎のような赤色の鱗の竜が寝ていた。体は赤子より少し大きいぐらいで、前足と同化した翼は小さく縮んで退化し、尾の先は柔らかな羽毛と鱗に覆われている。後ろ足の先は炎のように赤く鋭い爪が伸びていた。
さゆはえじこに近づくと、中にいる竜の背を叩いた。
竜は体を震わせると、顔を上げ、目を開ける。その目は透き通った青色の目をしていた。
その竜はさゆと似たような見た目と雰囲気を持っていた。竜は口を大きく開けると、尾で地面を叩く。師は呆れたように竜に言った。
「トモシ、これから授業だ」
トモシは体を震わせると、さゆと師を見た。そして大きく伸びをすると、さゆの横に座る。さゆはえじこを奥へと押しやる。
「そういえばライメイは」
師が尋ねると、暁が黄色い竜を抱き上げて彼に見せる。
その竜は
「鞠で遊んでました」
「そんなことだろうと思った。自分ら早く席行け」
「ほら、トモシ、行くよ!」
さゆは席に向かって駆け出す。暁がその跡を追いかけていった。師はそれを見ながら眉を下げた。
二年前。さゆとトモシ、暁とライメイによって町が守られたことがある。
隣家で生まれた巨大な熊に似た
トモシの炎鬼を越すほどの炎の力、ライメイの辺りを目も開けられないほど明るくする雷の力。そしてさゆと暁の人並外れた動きが、炎鬼を黒炭へと変えたのだった。
炎鬼――それは、人の起こした火から生まれる化け物である。彼らは火を纏い、人を好んで食らう。さらに人智を超えた力を持つせいで、特殊な人間しか殺すことは愚か、傷を付けることすらできない。
その炎鬼を殺せる特殊な人間がさゆたちだったのだ。
「……竜の兄弟か……」
黒炭になった炎鬼を見て、師は声を漏らさずにはいられなかった。
炎鬼を殺せる特殊な人間を「竜の兄弟」と呼ぶ。その名の通り、五行の力を操る高位な種族である「竜」と兄弟の契りを結び、炎鬼を殺せる竜の力を与えられた者たちだ。
竜の兄弟になった者は――老若男女問わずして、その命が尽きるまで炎鬼と戦い、この国の「火」を守るという使命を背負う。
そんなさゆたちの力に、師は震えた。
しかし――竜の力を使った当人たちは、震えていない手を見つめるだけだった。
「まるで呪いだな」
二年前を回顧しながら師は呟いた。横で帳面を見ていたさゆが顔を上げる。
「何がです?」
「こっちの話だ」
師はさゆの目の前に指を置いた。ここを写せ、と言う師の声は淡々としている。
炎鬼を殺すのは容易ではない。その脅威の前では時として竜の兄弟ですら無力になる。炎鬼に半分食いちぎられて戻ってきた遺体を、師は何度も見てきた。炎鬼を殺すのは命懸けであるのだと、師はよく知っている。
そのくせに、兄弟死ぬ時は同じだという。人が竜のどちらかが死ねば、片方も近いうちに死ぬのだ。
もはや契りなどとの騒ぎではない。絆と言ってしまえばそれまでなのかもしれないが、その一心同体の関係は呪いに近いものを感じる。
「自分たちは、彼らの兄弟であることが誇らしいか?」
一度だけ、師はさゆたちにそう尋ねたことがある。
さゆも暁も迷わずに頷き、それぞれの兄弟を自慢げに示した。そうかと言った自分がどんな顔をしていたのかは分からない。
ただ、さゆたちの態度に偽りはなかった。
「……これからどうなるんでしょうね、私たちは」
さゆは帳面を見ながら師に話しかける。師は現実に戻り、さぁなとさゆに言った。いつの間にか空気は休み時間になっている。
「ところで、『火の裁断』って集団はご存知ですか?」
師はさゆを見る。さゆの筆から墨が一滴、紙に落ちた。
紙に広がる墨を見て、師は息を呑んだ。
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