プリンツ・オイゲン一代記:5

 、未来の『欧州の影の皇帝』を、知らぬうちに無料で手に入れることに成功した、神聖ローマ帝国皇帝レオポルト1世は、オイゲンと同じく、もともとは、兄のフェルディナント四世が家業? を継いで、自分は聖職者になる予定であったので、皇帝になってからも実に信心深く、どのくらい信心深いかと言えば「堅苦しすぎて嫌になるだがや!」陰でバチカンの特使がブツクサ言うくらいであった。


 そして、若きオイゲンに「外見なんて気にするな!」そう言ったのは、自身もなかなかに恵まれない風貌をなんとか風変りな衣装で、ごまかしていたからかもしれない。


 しかしながら、彼は、真面目で勤勉な男であった。

 それであっても、いや、そんな性格であるからこそ、支配者としての資質を持ち合わせることがった。


 彼には、神の試練とばかりに、無理難題ばかりが次々と降りかかり、なんとか取り繕っていたフランスとの関係も、スペイン最後のハプスブルク家当主、カルロス二世が亡くなってから悪化の一途をたどり、なんだかんだあって、ルイ十四世のせいで、皇帝はウィーンから、どんぶらどんぶらと欧州を流れ(逃げて)プラハまで流れ着いたがそこも追い出されてしまう。


 もう、なにもかも、悪化する一方、まさかまさかの転落劇……。

 しかし、そこに信心深い皇帝への、神の思し召しか、ようやく試練から抜け出すきざし、大転換の空気が流れ込む。


 ルイ十四世が欲をかき過ぎて、この時代ではであるオスマントルコと手を結ぶという暴挙に及んだのである。これに激怒したドイツ諸侯、そしてポーランド王までも、次々と皇帝との協定や同盟を結んでゆく。


 それらの関係は、とうとうオスマントルコにウィーンが包囲されたときに、オーストリアと皇帝を救う。翌年にはポーランド、ヴェネチアと、皇帝の間に、「対トルコ神聖同盟」が結ばれた。


 そしてその頃のオイゲンといえば、まだまだ中間管理職的立場であったので、前線で、塹壕の中で、はたまた、どこかの戦場を必死で走り回ったりしていたが、なんとか、プリンツ・コンティとも再会し、その後、長きに渡り、もうひとりの親友であり右腕ともなる、フランス貴族ながら皇帝に仕えたために、ルイ十四世の大激怒を買って爵位をはく奪されていた、コメルシー公子だったシャルル・フランソワと出会ったりと、様々なその後の人的財産を着実に築いていた。


 このときの直属の上級司令官が、のちに英雄とたたえられ、幼いマリア・テレジアの婚約者のフランツの祖父であり、この時代にも語り継がれるロートリンゲン公、『カール・フォン・ロートリンゲン』である。


 彼らは千六百八十四年の夏、ハンガリーにできていたオスマントルコの拠点、ブダにいたるドナウ川左岸全体を支配下におくと勢いに乗って、約四十キロほど北西に当たるエステルゴムで十万の兵を擁してオスマントルコを撃破していた。


【時代はマリア・テレジアが六歳の頃に戻る】


「プリンツ・コンティ! でも、コメルシー公子、シャルル・フランソワ……? そんな人は知らないわ。是非会いたいけれど……あと、フランツのお祖父さま、当時のロートリンゲン公は本当にすごかったのね!」

「いやいや、コメルシー公子はスペイン継承戦争で戦死しておりますので、それは無理な話ですよ……あと、ロートリンゲン公、ここだけの話ですが、大失敗もしておりましたけどね。それでは、また次回!」

「ロートリンゲン公……そうなのね、英雄にも失敗はあったのね。コメルシー公子の後継ぎは? 息子とか娘はまだオーストリアにいるの?」

「いやいや、彼は生涯独身で従兄弟も戦死しております……甥がいて、家族がある自分は幸運ですよ……」

「そうね、オイゲン公には素敵な家族がいるんだもの!……コメルシー公子は残念ね……また続きを教えてね!」

「はい、大公女殿下……」


 オイゲン公はそう言うと、再び窓からロープを伝って、姿を消していた。

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