ぬいぐるみ人質事件〜探偵の後継者争い番外編〜
晴坂しずか
ぬいぐるみ人質事件〜探偵の後継者争い〜
連日
何かと思って手に取り、何気なく読み上げる。
「ポチは預かった。返してほしければスマートフォンを持って洗面所まで来い」
はっとして室内を見ると、俺のお気に入りのぬいぐるみが消えていた。棚にずらりと並べた柴犬コレクションのうちの一つ、もっとも抱き心地のいいポチ一号だ!
脅迫文と思われる紙は普通のコピー用紙である。フォントは妙に緊張感のないMSPゴシック体。こんなひどいことをするのは一人しかいない。
ポチ一号を取り戻すべく、とりあえず指示に従ってスマートフォンを片手に洗面所へ急行した。
そこで待っていたのは予想した通り、双子の妹の
「ポチを返せ!」
「まだ何もしていないのに返すと思って?」
千雨の腕にはぐったりとしたポチ一号が抱かれていた。ああ、なんということだ!
「要求は何だ?」
「
いきなりそう言われてはっとした。千雨の要求が読めたからだ。
「まさか、彼女とのやり取りを見せろと言うのか……!」
「ええ、そうよ。真面目な千晴のことだもの。一度もメッセージを送ってないわけがないものねぇ?」
くすくすと笑う妹に、俺はぎりりと唇を噛む。
「なんて卑怯なんだ」
「あら、従わないつもり? それじゃあ、可愛いポチちゃんをいじめちゃおうかしら」
そう言って千雨はドラム式洗濯機の蓋を開けた。
「あっ!」
ポチ一号が狭い洗濯ネットに入れられて、乱雑に洗濯機の中へ投げ入れられてしまった!
「さあ、楽しい水責めの始まりよ」
千雨は冷徹にもボタンを操作し、薬剤を投入していく。
洗濯機がごうごうと動き出し、俺はとっさに駆け寄った。
「なんてことをしてくれるんだ! ああ、ポチ……!」
水に揉まれてポチが回っている。可哀想なポチ……助けてやりたいが、無情にも蓋にはロックがかかっている。
千雨はにやにやと笑いながら言った。
「白状する気になったかしら?」
性格の悪い妹をにらみながらも、仕方なくスマートフォンを操作した。
「何回かメッセージのやりとりはしたよ」
千雨がすかさずのぞきこんでくる。
「亜坂ちゃん、しばらくお休みしてるんでしょう? 元気にしてるかしら?」
「うん……秋には活動再開したいって」
「へぇ、それならよかった。ところで千晴、ジンテーゼのライブ見た?」
ぎゅっと口を閉じて返答を拒絶する。答えたくない質問だった。
千雨は当然のように察知してたずねてくる。
「ジンテーゼのライブよ、ライブ。ミュージックビデオでもいいけど、見たんでしょう?」
「うっ……み、見たよ」
「亜坂ちゃん可愛かったでしょ? ねぇねぇ、どの衣装が好き?」
「うるさいな、もういいだろ。早くポチを返してくれ」
「あら、それならひそかに入手したブロマイド、見せてあげないわよ」
「えっ、ブロマイド!?」
「ふふふ、反応したわね。素直に従ってくれたらあげてもよかったんだけれど」
「そ、それは……いや、僕にも理性というものがある。欲しいとまでは言わない、見せてくれればいい」
「見るだけ?」
「うん、見るだけ」
「へそチラ衣装よ」
「その手には乗らない」
「ミニスカ」
「興味ない」
「胸の谷間」
「……すみません、見せてください」
情けないとは思いつつ、俺はその場で土下座をした。断じて言うがブロマイドが見たいわけではない。一刻も早くポチを取り返すためのポーズだ。
千雨はくすくすと笑って言った。
「ついてきなさい」
千雨の部屋はあいかわらず本ばかりが目立つ。女の子らしい雑貨もあるにはあるが、一見したところでは俺の部屋の方が可愛いかもしれない。
引き出しからクリアケースを取り出して、千雨はベッドに腰を下ろした。
妹とはいえ女性のベッドに座るのは腰が引けるため、俺はその前の床へ正座する。
ケースを開けて千雨は五枚ほどのブロマイドを差し出した。
「はい、どうぞ」
「ありがとうございます」
丁重に受け取り、ドキドキしながら確認する。いかにもアイドルらしい可愛い衣装を着た亜坂さんが一人で、時に他のメンバーと笑顔で写っているものだった。
「うーん、へそチラとミニスカは分かるけど……」
「最後の一枚は?」
言われて一番後ろにあったブロマイドを見てみる。比較的露出が多めで、たしかに胸の谷間がくっきりと見えた。
「おお、やっぱり大きいな……」
「Eカップだそうよ」
思わずごくりとつばを飲みこんだ。立派な巨乳じゃないか……。
「デートの約束はした?」
「できるわけないだろ」
「彼女の事務所、別に恋愛は禁止してないそうよ」
「……そうだったのか」
思いきって誘ってみようか? いやいや待て待て、千雨の言う通りにはならないぞ!
我に返った俺は手にしたブロマイドを突き返す。
「それよりポチだ。早くポチを返せ!」
千雨は片手でブロマイドを受け取りつつ、もう片方の手でスマートフォンをいじっていた。
「あったあった。この動画、亜坂ちゃんのアップが多めで可愛いわよ」
と、画面をこちらへ突きつけてくる。
俺はすぐに顔をそらした。
「見たくない……っ」
「そんなこと言うと、あんたのポチちゃんをもっとひどい目に遭わせるわよ」
「くっ……」
一度閉じた目を開けてしぶしぶ動画に見入る。陽の光の下、亜坂さんがメンバーたちとはしゃいでいるミュージックビデオだ。一部では水着を着用していて、彼女の豊満なおっぱいが嫌でも目に入る。
「こ、これは卑怯だ……」
「可愛いでしょ? さあ、次の質問よ。亜坂ちゃんのこと、どう思ってるの?」
視線を上げると千雨のにやにやした顔が見えた。くそ、ポチが人質にとられていなければ、こんなことには……っ。
俺は恥ずかしいのをこらえて口を開く。
「す、す……」
「はっきり言いなさい」
もうやけくそだ!
「好きだよ!」
「はい、よくできましたー」
パチパチとわざとらしい拍手をして、千雨がスマートフォンをベッドへ放る。
「それじゃあ、ポチちゃんの様子を見に行きましょう。はたして、まだ生きてるかしらね?」
洗濯機の前へ戻ると水責めはすでに終わっていた。千雨の手により、びしょ濡れになったポチ一号が取り出される。
「あらあら、
彼女の好物だと!? し、知りた……いやいや、そんなものは後からでもいい。
「別に知りたくない」
「それじゃあ、ポチちゃんがもっとひどい目に遭うわよ」
言いながら千雨は歩き出し、居間から庭へ出た。
むっとした暑さだけでも嫌なのに、直射日光がまぶしく辺りを照らしていた。
「吊り下げの刑よ」
物干し竿にかけた洗濯ハンガーにポチ一号が吊り下げられる。
「ああっ、耳が!」
「ついでにこっちも挟んじゃいましょ」
「尻尾ー!!」
両耳と尻尾を挟まれて吊り下げられたポチ一号は、いかにも痛々しくて見ていられない。
「っていうか、ポチが日焼けしちゃうだろ!」
「この暑さよ? 三十分もあれば乾くんじゃなくて?」
冷静に返されて言葉が出なくなる。今日はとてもいい天気だ、たしかにすぐ乾くだろう。
「くっ、卑怯な……」
と、俺が千雨をにらんでいると部屋の方から声がした。
「何やってるの、二人とも」
はっとして同時に振り返る。妹の
俺たちは真顔になって返す。
「千雨が僕のポチ一号を洗ってくれたんだ」
「せっかくだから人質事件にしてみたの」
「……お姉ちゃんたち、たまによく分からないことするよね」
万桜ちゃんは苦笑いを浮かべて言うと、すぐにどこかへ行ってしまった。
ポチ一号はその名の通り、俺が小さな頃から大事にしているぬいぐるみだ。大人になった今でも一緒にベッドで眠ることがあり、すっかり汚れてくたくたになっていた。
「万桜ちゃんに引かれた気がするわ」
「同感だね」
「亜坂ちゃんの好きな食べ物、教えてあげましょうか?」
「うっ……自分で聞くからいいです」
「それなら、ポチちゃんをもっとひどい目に」
「ああっ、ポチー!」
こうして暇な双子による人質事件ごっこは続くのだった。
ぬいぐるみ人質事件〜探偵の後継者争い番外編〜 晴坂しずか @a-noiz
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます