爽快
千住
爽快
なんでお空は青色なの?
「それはこのコロニードームができるとき、投票で一番人気だったからだよ」
ふーん。
「本当の空の色が見たい」それは自殺の隠語だった。聞けば家族は嘆き悲しみ、あるいは大慌てで精神病院に連れて行く。しかし妻の反応は「ふーん」だった。なぜなら俺がギャンブルで全財産溶かしたドクズだからだ。そして自殺する気などさらさら無く、ほんとうに空の色だけ見て帰ってくる気だったからだ。妻は引き出しから離婚届を出してきた。俺の名以外の欄は既に埋まっていた。
有金ゼロの状態でコロニードームの端まで行くのは無理である。追放懲役刑にならねばならない。ただの懲役刑では困る。違いがよく分からなかったので、普段パチンコ雑誌しか買わない本屋で法律の本を買った。本を買うのは何十年ぶりか分からない。馴染みの店員に三度見された。更生じゃないです、と俺は静かに首を横に振った。ここで参考書を買って試験に受かれば高モラル地域に転居転職もできるが高モラル地域ってパチ屋遠いし。
どうやら追放懲役刑は「心身の病気ではないが価値観や行動に異常をきたしており通常の刑務所の風紀を乱す恐れ」「債務があって労働刑による返済が必要」の二つを満たさねばならないらしい。そこで離婚届を提出しがてら消費者金融で金を借り、全てパチンコで溶かした。綺麗に溶けた。びっくりするほど綺麗に溶けた。ここは「いやー思ったより当たっちゃったし考え直すか」ってなる所では。三日三晩パチしているあいだに妻は出て行った。結婚指輪を置いていかれたので質屋に持って行ったらオブラート厚めに「ステンレスじゃねぇかアホ、代わりに捨てることならできる」と言われた。指輪代もパチに溶かして直前で似た安物にすり替えたのを忘れていた。なお断じてスるつもりはなく、増やしてダイヤモンド付きの指輪にグレードアップするつもりだったのだ。三割くらい増えたところで欲を出しすぎた。まぁ昔の話はともかく。
しばらく帰れないだろう。荷造りとゴミ出しを終え、満を持して全裸になった。外に出、歯で栓を抜き、瓶ビールを路上で飲んだ。うまい。通りすがりの犬が吠えてくる。季節は春、ぬるく晴れ、湿った柔らかな風が吹いている。演出が変わる、新台が出る、季節にそれ以外の役目もあることをすっかり忘れていた。雑草の花が咲いている。気に入った花を摘んでは陰毛に飾った。あ、四つ葉のクローバー。駆けつけた警官は非常に慎重に話しかけてきた。
「どこかお具合でも悪いですか?」
「爽快ですね」
そうして俺はお縄となった。
裁判の過程で元妻のお腹に俺の子が居ることが分かり、養育費含めて債務は倍となった。妻は離婚後すぐ再婚したらしく見知らぬ苗字だった。そいつ俺の子じゃなくない? パチンコ屋で働いて終わったらパチンコして家帰って寝て何ヶ月レスだったか覚えていない。しかし反論の誘惑に負けず全裸を貫き、オリジナル腰振りダンスとその場で作ったハードロック「パチンカスに明日はない エンジェルビートバージョン」も披露したため無事に追放懲役刑となった。裁判長の帰りたそうな顔が忘れられない。
囚人護送飛行機で人権をそこそこ守られながら飛び、手続きを経て、俺は晴れてドーム外の住人となった。
ドーム外は満天の星空だった。
コロニードーム天井の清掃を課せられた。普段からパチ屋の床を磨いて暮らしていたので、さして変わらない生活だ。足場が悪くて開けているだけ。巨大な望遠鏡がたくさんあるだけ。凍てつく風が吹きつけるが、強烈な暖房が効いているので死にはしない。むしろ汗を冷やしてくれて心地良い。
いつまで経っても夜だった。空は青くなかった。本当の空の色は黒だった。
休憩中、頭の良さそうなやつが勃起した陰茎を露出していたので隣に座った。
「空って青くないんだな」
男は天文学者だった。男は丁寧に教えてくれた。昔この星は恒星の近くを回っており、恒星の光の効果で空は青かったこと。しかし恒星の寿命が尽き、以来ずっと夜であること。今はどうやら遠い遠い恒星かブラックホールの周りを回っているらしく、天文学者は必死こいて軌道を計算しているがいまだに結論が出ないこと。
男は自慰を始めた。星が流れた。私は隣で陰茎を出してみた。
「爽快ですね」
「そうでしょう。癖になりますよ」
やがて流星群が始まった。
ただの露出狂と路上飲酒なので追放懲役は数ヶ月で終わった。債務こそあれパチ屋に行けないぶん貯金はかえって増えた。
最低モラル地域に転居してすぐ私は出版社に押しかけた。本当の空は青くない、暴露本を書くつもりだと言うと、編集者は大変申し訳なさそうな顔をした。
「それはもう誰でも知っていますよ」
ボッサボサの俺の年齢を見誤ったのだろう。話によると俺が十六の時には既に法律も教科書も改正され、この星が今どうなっているかは全人類の知るところとなっていた。俺は十五でパチンカスとなり果て、授業中もひたすらパチンコ攻略誌を読み、パチ屋のおっさんしか友達がいなかったので知らなかった。編集者は俺を大変憐れみ、かわいいしおりと図書券を持たせて帰した。
半ばヤケになって生まれて初めて競馬をやった。有り金ぜんぶ賭けたら万馬券になった。借金と養育費を完済してもお釣りがきた。爽快である。図書券は競馬誌になったが、ついでに起業の本を買った。万馬券の残りでキッチンカーを買い、競馬場やパチ屋の前でレモネードと偽った酒を売って暮らすことにした。股間を掻いたら酒入りを売ってやるルールにしたら新参以外の九割九分九厘が股間を掻きながら買いにきて、まるで性病の大流行みたいになった。心配した保健所が無料の健康相談テントを立てた。
ラーメン屋でテレビを見ていると、中継で見知った顔が表彰されていた。ドーム天井で勃起していた天文学者ではないか。彼はこの星が何の周りを回っているか、これからどこに行くかを突き止めたらしい。おまえ受刑者じゃなく望遠鏡使ってる方だったのかよ。二つのブラックホールと三つの恒星が関与する複雑な軌道、その図を前に彼は「恩人に会いたい」と言った。ドーム天井で星を眺めながら一緒に下半身を露出した男、その陰嚢のカーブが最大のヒントになったと言う。どう考えても俺じゃねぇか。学者は涙ぐみながら「彼はもう私の顔などお忘れでしょうから」とズボンを下ろした。テレビ画面はきれいな船の画像になった。なんでこいつ捕まってねぇんだよ。
彼がどこにいるかなんて、どうすれば会えるかなんてわからない。彼は俺の名前も知らないし、顔も覚えていないかもしれない。ラーメン屋を出ると「星の行方がわかってどうですか」とテレビ局が街頭インタビューをしていた。ここは最低モラル地域なので「そんなことより金くれ」といったゴミカス以下の回答ばかり繰り返される。困り果てる若手アナウンサーとカメラマン。こんなところに派遣されるなんてパワハラされてんじゃねぇのか? 思いながら、ふと、最悪の天啓が降りてきた。俺はにこやかに手をあげながらテレビカメラに近づいた。ホッとした顔を見せるアナウンサー。おまえそんなだからパワハラされるんだよ。
「こんにちは。星の行方がわかっていかがですか?」
「爽快ですね」
「爽快、ですか」
「はい。博士に伝えてください。星がどこへ行こうとも、俺はここに居ると」
俺はズボンのベルトに手をかけた。あの日の流星群が脳裏をよぎる。薄青い恒星のそばを通るとき、空は再び青く透けるのだろうか。
爽快 千住 @Senju
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