トリックいっぱいの

@redhelmet

第1話

 ある日、俺は海辺を散歩していた。すると、海の中から大きな亀がやって来た。亀は短い指で自分の背中を差した。乗れと言うことか。なぜ、亀が? と一瞬思ったが、俺は亀の背にまたがった。亀と俺は海の中に潜っていった。どんどん深度を増していくと、海の底に豪奢なお城があった。

 亀に促され暖簾のれんをくぐると、四十がらみで男好きのする美人女将おかみが現れた。三つ指ついて歓迎の意を表する。

 通された和室の床の間には兎が跳びはねる墨絵が掛けられていた。しばらく待っていると、さきほどの女将が再び現れ、ぽんぽんと掌を鳴らした。仕切られていた襖がするすると開くと大きな座敷が現れた。

 女将は俺のすぐ傍に寄り添いお酌をした。舞台では鯛やヒラメが優雅に舞い踊る。俺は思わず唸った。絵にも描けない美しさだ!

 なぜこんな接待を受けるのだろう。なんとなくだが、思い当たるふしがあった。俺は過去、亀を助けたことがあったのだ。


……昔々、俺が野原を散歩していたときだった。兎が亀に向かって「おまえはのろまだ」とバカにしている光景を目撃した。亀はそれに対して「なんとおっしゃる兎さん」と反論した。兎に徒競走で勝負しようと挑んだようだ。バカな。兎は時速70キロで走るんだぜ、おまえがかないっこないさ。でも根拠のない自信があるのか、とにかく亀は勝負に出た。

 兎はその瞬発力で猛ダッシュを試みた。みるみる離される亀。それみたことか、俺は寝転んでぼんやり眺めていた。雲雀の鳴き声が遠く聞こえる。昼下がり、俺はうとうとしていた。みると兎も昼寝をしている。ふふ、油断しているな。ひょっとして亀が追い越したりして。しかし、ありえない。向こうの小山の麓まで、まだまだ距離はある。その差は追い越せる距離ではない。

 俺はふと、ちょっとしたいたずらトリックを思いついた。亀に味方してやろうかな。……


 海底のお城での接待は楽しかった。女将は品のいい笑みを浮かべ、俺の手を握ったり時には横腹をつついたり。

 そろそろ帰らなければならないな。そう伝えると、女将は小さな箱を手渡した。

これは何だろう、と思っていると、彼女の口が「あけちゃだめよ」と動いた。

 開けちゃダメと言われて開けない者がいるだろうか。きっと何か企みトリックがあるはずだ。

女将はふふふと笑って俺に軽く手を振った。「またね」と口が動いた。 

 来るときに乗った大きな亀がやって来た。俺は亀の背に乗り海辺の村に戻ってきた。

 あれ? ここは俺の知らない村だけど。見知った家も人もいない。

 俺は亀に言った。ここは俺の故郷じゃないぜ。亀は、へへへと笑って海へ潜っていった。

 俺は女将からのお土産の箱を持っているのに気づいた。紐をほどき蓋を開いた。するとタブレットが現れた。電源を入れるとオンライン上に女将が映っている。おおっ、彼女にもう一度会えるなんて。

 やあ、と俺は片手を挙げて挨拶した。

 女は無表情に言った。

「あんた、やっぱり玉手箱を開けたのね」

「ごめん、約束破っちゃった。ふふ」

 俺は軽いノリでそう言った。

「あんたはね、思考が浅はかなのよ。その証拠に、私のことまだ思い出さないでしょ」

「君はいったい」

「昔々、私とカメ君が野原でかけっこしてたのを、あんたに邪魔された」

「あ、あの時のウサギ!」

「思い出したようね」

「そうだ、あんたは亀を馬鹿にしていた。『世界のうちにおまえほど、歩みののろいものはない。どうしてそんなにのろいのか』と」

「違うわ。私は世界の多様性を述べただけ」

「多様性だって?」

「そう。世界にはいろんな動物がいる。亀はゆっくり歩くし、兎はぴょんぴょん跳ねる。それでいいじゃないのって」

「そんな話だったのか」

「カメ君は答えたわ。『なんとおっしゃるウサギさん。そんならおまえと駆け競べ』って。つまり、おまえはおまえ、僕は僕。身体性の違いをお互いに確認するためのかけっこ」

「じゃあ、あれはエキシビション?」

「そう。カメ君は兎の特性を私に話した。兎は猛スピードで走るが、休息もしなきゃいけない生き物だって」

「だから、ウサギは昼寝をしてたのか!」

「そうよ。私が昼寝してたとき、カメ君は私の遥か後ろをゆっくりゆっくり歩いてた。そこに、あんたが現れた。なにかしらと思って空を仰ぐと、あんたの腕がカメ君を持ち上げた。彼は短い足をバタバタさせ、降ろしてくれよーと嘆願したが、あんたは無表情に彼を掴んだまま、ひょいと私の目の前に降ろした。驚いたカメ君は逃げようと前へ進み、そのせいで一着でゴールイン。まさかの兎、逆転負け。あんたにとっては軽い悪ふざけトリックだったのかもしれないけど、そのせいで兎と亀のおとぎ話が生まれた。おまけに歌までヒットした。怠け者の兎と着実に歩む亀。あんたの介入で世界のハーモニーが壊れのたよ」

「ごめん、知らなかった。許してくれ」

「あんたを竜宮城に呼んで接待したのは、年増になった私と大きく成長したカメ君との策略トリック。あんたは呑気に暮らしていたけど、竜宮城に比べて地上での時間は数倍早いのよ。元には戻らないわ」


 茫然と俺はタブレットを閉じた。その時、箱から白い煙がもうもうと立ちこめた。

ぼんやりかすむ俺の視界に何かが映っている。霧の向こうで兎と亀がかけっこをしているのか。俺の耳に遠くからかすかに声が届いた。

「おじいさーん。一緒に遊ぼうよ」

「新しいお話を三人で作ろう、仕掛けトリックいっぱいの。ね」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

トリックいっぱいの @redhelmet

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ