アサルトチルドレン

小狸

短編

 父が陰謀論にのめり込み始めたのは、私が生まれる前の話だという。


 いや、いや、いや――いや。


 別段、親がどんな思想を持とうと、どんな宗教を信仰していようと、究極的には、子どもの私には関係のない話である。別にどうでも良い。私と親は、同一人物ではないのだから。そこの境界が曖昧になってしまってはいけない。普段普通に過ごしている分には、良い親なのだ。


 ただ。


 父は基本的に、仕事の休日――土日が休みなのだが――に、部屋に引きこもって出てこない。食事も、母や妹、私とは別である。どうして別なのかを、幼い頃に母に訊ねてみたことがあったが、母は溜息を吐きながら「あの人は一人暮らししている時と変わらない生活リズムで生きている」と言っていた。


 食べたいときに食べたいだけ食べ、嫌いなものは食べない。


 父は肥満体である。


 そんな父を、妹は毛嫌いしている。まあ、思春期の女子高校生からすれば、あの父親は汚点だろう。私が女子高生だった頃でもそう思っていたのだから。

 父が部屋に引きこもってやっていることといえば、インターネットを開いている。

 そしてエックスやSNSに張り付いて、舌戦を繰り広げているようなのである。


 一度自慢されたことがある。


 この論を展開するこの人は凄い人で、この人の言うことが的確で正しくて、この人以外は間違っていて、と、いつも教育には無関心のくせに、嬉々としてこちらに伝えて来るのである。政治思想を押し付けては来ず、私も横目で画面を見ただけなので分からないけれど、かなり偏向した政治思想を持っていることは、どうやら間違いないようだった。


 そんな父の問題点といえば――まあ問題なら山ほどあるのだが――と思っているところであった。例えば妹と母で喧嘩が起こった時に、急に父親面してくるのである。


 勘違いも甚だしい。


 父は、一切教育に関わらなかった。これは後から聞いた話だが、自分が子どもの教育に関わることによって起こる悪影響を危惧したのだという。聞けば父の両親、私にとって祖父と祖母にあたる人(二人共既に故人である)は、今でいうところの毒親だったそうなのである。だからこそ、と思っていた、と聞いた。


 いやいや、という話である。


 令和の今、家族それぞれの教育的役割などが明文化される中、別段片親という訳でもないだろうに、その役割を自ら放棄するだろうか。縦しんば父の両親の壮絶な扱いがそうさせているのだとしたら、そもそも子どもなんて作るなよという話である。毒親の子は毒親になる。それを察知して取りやめたのだろうが、だったらそこで遺伝子を止めておけ――という話だろう。子どもは作ろうと思って作るものである。両親の絶えない喧噪やすれ違いを見て、どうして自分は産まれたのだろう、産まれるべきではなかったのではないか、と考えることも、ないでもなかった。死にたい、とも。そんな解決先未定の悩みが、今の私を構成していると言っても過言ではない。母は母で、育児に非協力的な父親の代替をも兼ねようとして無理をし、結果それは姉の私にかなり苛烈な教育を施すという形で出力され、毎日のように宿題をチェックされて泣いていたし、いじめられているなんて親には言えなかった。


 育ててもらった恩があるから、実の親にこんなことを思うのは申し訳ないかもしれないけれど、毒親――に近かった、のではないかと思う。


 それが濃厚になったのが、私が久方ぶりに実家に帰って来た時の話であった。


 私は大学生になってから、親元を離れて、大学近くのアパートに一人暮らしをしている。年末年始やお盆に帰省するようになっていて、その度に父は外食を企画するのである。母も妹も、父のその横暴っぷりに良い顔をしていないのは瞭然なのだが、父はそれに気付かない。男性というのは、どうしてこう鈍感なのだろうか。目に神経が通っていないのか。


 そんな会食の中で、父がふとこんなことを言った。


「いつかは■■(私の名前)も、私の介護をすることになるんだから」


 それは会話の流れとしては、至極自然なものだったと思う。私のこれから先の話になり、妹の大学進学の話になり、そして父の話になった際に、父はそう言った。


 当たり前のように。


 当然のように。


 いや。


 いやいやいやいやいやいやいや。


 それは、正しい。


 介護は、家族の役割である。


 実際に自宅で介護をせずとも、それらの手続きをするのは近親者――家族である。


 しかし。


 父親としての役割を一切果たしていないお前が、それを言うか?


 ただそこにいて、そこにいるだけで、辛い時に助けてくれず、ただただ配偶者としてふんぞり返って、時に亭主関白で、時に横暴で、時に自分勝手で、時に私達の意見など何も聞かずに自分の見識が誰よりも正しいと思いこみ、潜在的に女だからという理由で私達を莫迦にし、それを見抜かれて、挙句私にも妹にも、母からすらも愛想をつかされ、家庭内で居場所を失っているお前が――自分の介護をしろ、だと。


 せめて『して下さい』だろう。


 何を自然の摂理のように、そうあるべきであるように言っているのだ。


 仕事をして金を稼いだから、家計の援助をしたから、家族を縁の下で支えたから、だから助け合うのは当たり前? 確かにそこは感謝しているけれど、私も妹も国公立大学以外許されなかったのは、誰の所得が低いせいだと思っている? 話し合いもせずに、国公立以外は駄目、と言い張り、余った金は自分のためにだけ浪費し、私達に貧乏暮らしを強要させた、お前が?


 ふざけるな。


 父親としての役割を果たせなかったくせに。


 そういう自分から逃げていたくせに。


 死に方も、選ぼうというのか。


 ふつ――と。


 それは一瞬であった。


 私の中に、湧き上がってきた感情。






 殺そう。






 こいつに死に方など選ばせない。


 妹のために、母のために、この男は、今のうちに死ぬべきだ。


 偏食と運動不足のせいで、定年退職後、きっと長くはない。


 脳梗塞にでもなったらそれこそ厄介だ。


 長生きはさせない。


 ひと思いに――殺そう。


 そう思った。


 会食を終えて、自宅に帰った。


 父は部屋に戻った。またいつものネットサーフィンと言論闘争だろう。


 暗い部屋で画面に向かって、今も必死に打鍵しているに違いない。


 論破したとか言って自慢してきたこともあったっけ。


 テレビを見て、皆がお風呂に入って、寝間着に着替えた。いつもは寝るのは最後だけれど、その日は最初に寝室に行った。幸いなことに、一人暮らしを始めても、私の部屋は残っていた。


 しばらく待機して、皆が寝静まった夜。


 こっそりとキッチンから持ち出した包丁を手に、息と足音を殺して、父の書斎へと向かった。


 もう、躊躇ためらいはない。


 こいつがいると、家族が不幸になる。


 そのためなら、私の人生を、いくらでも犠牲にしよう。


 そう思って、新聞紙に包んだ包丁を、書斎の前で取り出そうとした時に。


「お姉ちゃん」


 私の背後から、声がした。驚いて心臓が飛び出るかと思った。


 そこに居たのは、妹だった。


「あ――えっと、そう、ちょっとお父さんと、話があって」


 計画にない妹の登場に、小声であたふたする私であったが、妹は冷静であった。


 妹の手には、カッターナイフが握られていた。


「分かってる。を殺そうとしているんでしょ」


「え、いや――それは」


 妹は続けた。


「私もあいつの亭主関白には腹立ってたし、いつまでもお風呂一緒に入ろうとするし、キモイんだよ。何よりお姉ちゃんに介護任せるとか、当たり前みたいにそんなこと言うの、意味わかんない。無理。殺すなら私も殺す。私にも、殺す権利がある。私が首を斬るから、お姉ちゃんは心臓と脳を刺して」


 妹は本気だった。私も本気である。


 生まれて初めて、妹と意気投合した。


 両親は、私に厳しく、妹に甘かった。


 だから私達には、どうしようもなく溝があった。妹は甘やかされていて、幸せな人生を歩むのだろう、ずるい、あんまりだと思っていた。しかし、それは表面的な話で、妹にも妹で、思うところがあったのだ。


 こんな所で意気投合するなんて――ひょっとしたら普通の姉妹になれたのかもしれない、普通の家族になれたのかもしれない。そんなはかない願望が、脳裏をよぎった。


 そしてそんな思いは、消し去らねばならない。



 今から私達は、親を殺すのだから。


「……そっか。じゃあ、一緒に殺そう」


「そうしよ」


 言って、私達は静かに、父の部屋の扉を開けた。


 今までも何度か父の部屋をノックしたり、こっそり入っていたことがあった。


 しかし画面への打鍵に夢中で、一切気付くことはない。


 おまけに最近は崇拝しているというネットのフォロワーの多い人を真似て、イヤホンで音楽を大音量に掛けているから、余計に気付かない。


 家族よりもネットに夢中、ね。


 そういう所が、一番嫌いだ。


 きっとこれはエゴなのだろう。


 理想的な父親であってほしいというエゴだ。


 でも、お前はそんな素振りは微塵も見せず、どころか私達に、理想を押し付けた。


 自分にできないことを、子どもにやれって言うのは、さぞかし気持ち良かっただろうな。


 そう思って、思って、妹と目を合わせて、父の部屋に闖入した。


 すると。


 そこには。


 果たして。


 頭部が血まみれになって動かなくなった父だった肉塊と。


 血液がたっぷり付着した工具を握りしめて、鬼の形相で死体を見つめる、母の姿があった。


「ああ――あんたたち、ごめんね」


 母は、泣きそうになりながら、言った。




(「アサルトチルドレン」――了)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

アサルトチルドレン 小狸 @segen_gen

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ